死神は悪役令嬢を幸せにしたい

灰羽アリス

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[68]潜伏

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「お嬢様!」

 王城の内門を出たところで、耳慣れた声がした。腕に白いガーゼを巻いたティナが、馬車の前に立っていた。あの馬車は、私がここへ来た時に乗っていたディンバードのものだ。側に、お父様が乗ってきた馬車もある。

「ああ、ティナ!怪我は大丈夫なの?」

 ティナの真面目な顔つきが、ずいぶん懐かしく感じる。たった数時間離れただけなのに、もうずっと会っていないみたい。

「はい。縫う必要もなく、やはり大した傷ではありませんでした」

「そう………良かった」

 ほっと息をつく。だけど、傷が残ってしまうかもしれない。私のせいで……

「それより、何があったのです!」

 ティナが興奮を顕に詰め寄ってくる。──まぁ、そうなるわよね。髪もドレスもぐちゃぐちゃで、私はさぞ、ひどい格好だろうから。

 ティナがハッと息を呑む。私を抱きかかえるヴィの存在に、今気がついたみたい。

「ティナ、大丈夫だから落ち着いて」

 黒髪だ、悪魔だなどと、ここで叫ばれたらたまらない。今は姿は見えないけれど、追手がすぐ後ろに迫っている。

「事情はあとで話すから。とにかく今は私を信じて。馬車を出して欲しいの」

 聞きたいことは色々あるだろうけど、ぐっと堪えて、ティナは指示通りに馬車を整えてくれた。御者はお父様の馬車を護っていた者の中から、一人に頼む。古くから顔見知りの、一番信頼の置ける者を選んだ。私の誘拐に協力した使用人がいるはずだから、慎重に行動しなければならない。

 ヴィと二人で馬車に乗り込んだところで、ティナも当然のように同乗した。事情を話すと約束したものの、ティナを連れて行くかどうか、迷った。追手が来る可能性の高いディンバードの屋敷には、しばらく戻れない。行き先も決まっていないのに、ティナを巻き込んでもいいものか、逡巡していると、しかし彼女はきっぱりと言い切った。

「私もお供します」

 どこであろうと、私の行く先が、専属侍女である彼女の行き先になるのだと、その覚悟がティナにはあるのだと分かったところで、私はもう何も言わなかった。

「行き先は……?」

 御者が控えめに問うてくる。

「──俺の家に行こう」

 ヴィが言った。

 行き先は、裏町のサーカス団の天幕までと伝えられた。
 
 私は疲れ切っていた。体が石のように重い。婚約式に向かう道中での誘拐に始まり、あまりにたくさんのことが起きすぎた。眠い。目を開けているのが辛い。

「寝てていい」

 ヴィが言った。彼は鎧を全て脱ぎ、今は薄い黒シャツと黒いズボンという格好だ。彼は私の肩に腕を回し、胸元に引き寄せてくれた。温かい。このままでは本当に眠ってしまう。──眠りたくなかった。

「どこにも行ったりしない」

 ───全てお見通しというわけね。

 いまさら彼が約束を破るとも思えないけれど、もしもの事がある。眠っている間に彼がいなくなってしまったら、後悔するだけじゃすまない。

 ゴホン、と向いに座るティナが咳払いをした。じとりと、ヴィに冷たい視線を向けている。ヴィは気にしない。それどころか、益々強く、私を抱き寄せる。親しい者の視線に晒され、私の方がいたたまれない。だからといって、離れる気はないけれど。

「着いたら起こしてやるから」

 回された手で、髪と頬を撫でられる。それが心地良すぎて、眠気は頂点に達した。だけど、私はこの闘いに勝った。馬車がサーカス団の天幕の前に着いた時も、私は起きていた。

 辺りは薄暗く、すっかり夕方の様相を呈していた。天幕からは温かい色の光が漏れている。
 馬車はディンバードの屋敷に帰した。

「事情は分かった。かくまうも何も、ここはお前の家だ。居ていいか、なんて聞く必要もない」

 ヴィの義理の父親"ビッキー"に事情を話すと、彼はおおらかに笑いながら私達を迎え入れてくれた。私達を匿えば、罪に問われる危険だってあるのに、彼は気にする様子もない。

「ありがとう───親父」

 ヴィは照れるように、言った。不思議なもので、普段の彼の尊大な態度は、ビッキーの前では鳴りを潜めている。父親を尊敬しているのだと、態度が物語っていた。
 ビッキーはヴィと同じ黒髪を持つ。瞳の色は茶色と違うけれど、ビッキーの若々しい見た目のせいもあり、二人は兄弟のように見えた。

「"鏡"を出してくれ」

 ヴィが言った。

「はぁ? そんなもん自分で───」

 ヴィが掲げた手首を見て、ビッキーが微かに目を見開いた。
 ルルが鎧の上からヴィに着けた金色のブレスレットが、手首に光る。このブレスレットが普通じゃないことはわかっていたけど、まさかこんなふうになるなんて。気づいたときには、ブレスレットは鎧を通り越して、彼の手首に直接絡みついていた。

「お前、これ……」

「魔法を封じられた。俺じゃ"鏡"を出せない」

「───拘束具の解除は、"ラニ"が詳しい。後で見せるといい。"鏡"は──」

 視界が斜めになる。ふらついていたのだと、ヴィに支えられて初めて気づいた。

「お嬢様には休息が必要です。どこか、休める場所は」
 
 ティナが焦りを滲ませたて言った。

「いいえ、まだ大丈夫よ」

「死にそうじゃねぇか。奥で寝かせてやれ」

「そうする」

 強がりに聞こえたかしら。ビッキーもヴィも、私を休ませる方向で話を進めている。

「私は平気よ。それより、"鏡"を出すん、でしょ?」

 ろれつが回っていなかった。頭を振る。しっかりしなきゃ。
 彼らが言う、隠語めいた"鏡"が何の事なのかかわからないけれど、このタイミングでヴィが話題にすることなら、きっと重要なことなのだろう。

「"鏡"を使うのは明日にしろ」

 ヴィに抱きかかえられ、私はいよいよ目を閉じてしまった。周囲の会話が、夢の中のようにおぼろげに聞こえる。

「ラミを呼ぼう。女子の世話はさっぱり分からんからな。お嬢様ならなおさらだ。あいつを世話係につけとけば大丈夫だろう。部屋は……そうだな、来客用に仕切った部屋を使うといい」

「お嬢様のお世話は私が致します。そのために、ここへ残ったのですから」

「おお、そうか。あんたは、あれか、メイドとかいうやつか。本当にいるんだな。俺、初めて見たぜ」

「えぇ、まぁ……」

「どのみち、案内は必要だ。ラミを呼ぼう」

 しばらくして、軽やかな足音が近づいてきた。

「えぇっ、なんであたし? 自分の世話くらい、自分でできるだろ」

「お前は案内係だ。お世話はこちらのメイドさんがするそうだ」

「うげ、マジのお嬢かよ……」

「失礼のないようにな」

「それは保証できない」

「ラミ」

 厳しい声で彼女の名を呼んだのは、ヴィだ。頭をもたせた彼の胸で、声が低く響く。

「わーったよ、ヴィ。───ほんと、大事にしてんだな、その女のこと」

 彼女の不満げな声を最後に、意識が闇に飲まれた。
 次に意識が浮上したのは、ずっと私を包んでいた熱が去り、代わりに背中が柔らかい物に触れた時だ。

「やだ、行かないで」

 反射的に、私の体から離れようとする腕を掴んだ。目を開けると、ヴィの顔がすぐ近くにあった。驚きに目を見張る。───この世にこんなに美しいひとがいていいものかしら。
 側に置かれたランプの光が、彼の顔の凹凸をよりはっきりさせる。すっと通った鼻筋に、滑らかな顎の線。光の溜まった赤い瞳が、宝石のように輝いていた。少し長めの波打つ黒髪が、計算され尽くしたかのように完璧なバランスで顔にかかり、気だるげな印象を与えている。

「フィオリア?」

 ひゅっと、喉を乾いた空気が通る。───息をするのを忘れていた。危うく、死ぬところだったわ。それにしても、声まで完璧。ヴィが側にいるなんて、これは夢かしら。目を覚ませば、私は婚約式に出なければならない。それまでの、現実逃避的な夢。

 ヴィの頬に手を伸ばす。撫でれば、温かくすべらかな感触が伝わる。夢にしては、すごく、リアルだわ。

「どうした?」

 そこで、だんだんと意識がはっきりしてきた。怒涛のように、これまでの記憶が溢れてくる。頭が痛くなった。

「───嘘、これ、夢じゃないの?」

 くす、とヴィが笑った。

 信じられない。妄想なんかじゃなく、ヴィは、間違いなくそこにいる。

「王城から逃げ出して、サーカス団の天幕にやってきたって話なら、現実だ」

「───ああ、ヴィ」

 手を伸ばす。彼はすぐに、私の意図を察してくれた。体を倒し、私の腕が届くようにしてくれる。彼の首に両腕を回し、しっかりと引き寄せる。

「もう少し寝ろ。どこにも行かないから」

「でも」

「話をする時間は、これからたっぷりある。なんせ、俺たちはしばらくここに潜伏しなきゃならないならな」

「しばらく?」

 不安に揺れた声を、ヴィはどう解釈したのか、「安心しろ」と私の頭を優しく撫でる。

「ずっとこのままにはしない。然るべき住居を整える。それまでの辛抱だ」

「ヴィ。私は貴方と一緒にいられるなら、どこだっていいの。ここも───」

 柔らかなベッドに乗せられていることに気づく。肌なじみの良いブランケットもある。相当、気を使ってくれたのかもしれない。

「すごく心地良く過ごせそうだわ」

「なら良かった」

 ヴィは、ふっと笑った。かと思うと、その笑顔が微かにかげった。

「どうしたの。何か、心配事?」

「いや───何でもない」

「ヴィ、話して」

 探るような視線が、絡む。彼に勇気を与えるだけの光を、私の瞳の中に見つけられたかしら。やがて、ヴィの顔つきは穏やかなものに戻った。

「明日話そう。──良い子は寝る時間だ」

 彼が去る気配を感じ、慌てて顔を引き寄せる。

「ねぇ、朝までここにいてくれるでしょう?」 

 ヴィの瞳が揺れた。熟した林檎のような艷やかな唇を噛み、何かを堪えているようだった。

「ヴィ?」

「───それ、誘ってる?」

「え?」

 彼の瞳が、妖しく光った。訳がわからぬまま、ドキリと、心臓が大きく跳ねた。

「お嬢様、私がいることをお忘れなく」

「ひゃっ」

 顔を向けると、湯気が立つ桶を抱えるティナとばっちり目が合った。羞恥に顔が熱くなる。言い訳したくてたまらないのに、口はぱくぱくとしか動かない。そもそも、どんな言葉をかければいいのかも分からない。

 ティナが盛大にため息をついた。

「ヴィ様、お戯れが過ぎます。第一、未婚の若い女性の部屋に、こんな時間に居座られては困ります。お部屋を用意してくださったのは感謝しますが、御用が済んだのであればお帰りを」

「だめよ!ヴィはここにいるの!ティナもいるんだし、二人っきりじゃないんだから、問題ないでしょ!」

「お嬢様」

「お願い……不安なの。彼から目を離したくない」

 ティナがヴィに非難めいた視線を向ける。ヴィはすました顔で肩をすくめた。

「お姫様の言いつけは、守らなきゃな」

「───わかりました。ただし、同じベッドで眠るのはだめです。いいですか、私が監視していますからね」 

 ヴィと密かに視線を合わせ、笑った。その"監視"とやらを、今まで何度となくかいくぐってきたことを、ティナは知らない。 

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