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五章

4、お仕置き【1】

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 夕ご飯の味は、ろくに分かりませんでした。

 煮魚がなんの種類だったのかも、覚えていませんし。青菜のお浸し、があったような。ぼんやりとしながら頂いたので、お清さんに申し訳ない気持ちでした。

「翠子さんがお一人で買い物に出かけたと聞いて、欧之丞さまは、鞄だけ玄関に放り込んで走って追いかけたんですよ」
「お清。お茶をもらえないか」

 旦那さまが、空の湯呑みを差し出しました。ですが、お清さんは無視なさってます。

「血相を変えてねぇ。本当に大事なんですね」
「お清っ」
「はいはい。お茶なら今すぐに」

 お清さんはにこにこと微笑んでいらっしゃいますが。わたくしは、この後お仕置きが待っているのです。
 いえ、旦那さまがわたくしに笠井の家に行くなと仰っていた真意は、今ならちゃんと分かります。
 わたくしを守るために、厳しいことを仰っていたことも。

 でも、やはり。お仕置きは、怖いんです。

◇◇◇

 家に戻ってから、翠子さんは脅えている。

 まぁ、分からなくもない。
 お仕置きをすると宣言したのだからな。

 俺は茶をすすりながら、箸を置いてため息をつく翠子さんをちらりと見た。
 何度目のため息だよ。
 
 彼女をうちで預かるとき、一刻も早く笠井家から連れ出さなければ、もっと高値で彼女を買うという話が持ち上がるかもしれないと焦った。
 だから、翠子さんは最低限の物しか持たずに、我が家へやって来た。

 まさか十二色の水彩絵の具に足元をすくわれるとは、思いもしなかったが。
 
「ご、ごちそうさまでした」
「あら、翠子さん。まだ残っていますよ。食欲がないんですか」
「いえ、平気です。残してごめんなさい」

 お清に謝ると、翠子さんはふらつく足取りで部屋へと向かった。よろりと廊下の壁に当たっては、また反対側の壁にぶつかっている。

 何もそんなに怖がることもないだろうに。
 麻縄で縛り上げて吊るすとか、竹で延々と叩くなどの折檻するわけではないのだから。

「虐めてませんよね、坊ちゃん」
「虐めてない。多分」

 本当ですかねぇ。とお清は目で訴えてくる。
 
 夜更け。使用人が帰り、俺と翠子さんだけになった家は静かだ。
 前栽の木の枝にとまっている鳥が、澄んだ声で鳴いている。
 湯上りの翠子さんは、寝間着にしている浴衣をまとい、髪は緩く二本の三つ編みにしている。

 俺は箪笥から帯紐を取りだして、彼女に目隠しをし、さらに両手を出すように命じた。すると、翠子さんは自らの手を背後にまわした。

 驚いて、俺は瞠目した。俺の目には、恐ろしさにかすかに震えながらも、従順に従おうとする翠子さんの姿が映っている。

 この人は危険だ。直感した。
 翠子さん自身は気づかぬ内に、男の加虐心を煽るところがある。
 決して、誰か他の男に奪われることがあってはならない。

 ただの嫉妬心ではなく、彼女を守りたいという庇護の気持ちから、そう思った。

「そうか。翠子さんは後ろ手に縛ってほしいのだな」

 内心の動揺を隠しながら、俺は彼女の背後へ回った。
 以前、翠子さんが手で体を隠そうとするから、邪魔で縛ったことがある。その経験から、後ろ手に縛られることを覚えてしまったのかもしれない。

「あの……酷いことはしないでください」
「するわけがない。俺は暴力は嫌いだ」
「でも、お仕置きをするって仰いました」
「言ったさ。別に苦痛を与えるとは言っていないが。ああ、でも過ぎた快感は苦痛にもなるか」
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