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十一章

22、勘違いですから【3】

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「お仕置きは……なさらないで」

 ぐすぐすと涙声で、わたくしは訴えました。飛び石から降りた魔王……もとい旦那さまが、玉砂利を踏む音が近づいてきます。
 砂利がひとしきり大きな音を立て。そして、わたくしの前でしゃがみこみました。
 まだ着替えをなさっていないので、学校に行っていたシャツやズボンのままです。

「しないよ」

 大きな手が、わたくしの頭に伸ばされました。

「駄目だな、俺は。あなたを独り占めしているはずなのに、もっと独占したくてたまらなくなる」

 恐る恐る見上げると、旦那さまは今にも泣きそうな顔をなさっています。眉が下がり、とても寂しげな瞳です。

「自信がないんだ。今日、あなたが俺のことを好きでいてくれても、明日も好きていてくれるとは限らない。だからといって、脅迫しても意味がないのにな……」
「旦那さま」

 わたくしはしゃがみ込んだままで、少し前に進むと、旦那さまと額をくっつけました。
 二人の間に挟まれたエリスは、少し窮屈そうです。

「自信も余裕もないんだ。恋愛下手なんだよ、俺は」
「困った旦那さまですね」

 そっと手を伸ばして、旦那さまの頭を撫でます。
 普段はしっかりとした大人でいらっしゃるのに。時折、こうして寂しげな少年が見え隠れします。

「でも、恋愛上手な旦那さまも……それはどうかと思います」
「上手な方がいいのではないか? 妙な嫉妬もしないと思うぞ」
「だって、わたくし以外の女性との恋愛に慣れているということでしょう? 今度はわたくしが嫉妬してしまいますよ?」

 そうお話しすると、旦那さまは驚いたように目を見開きました。

「翠子さんが嫉妬するのか?」
「ええ、しますよ」
「いや、だが。俺の周囲を上級生が取り巻いていても、平気そうだったじゃないか」

 旦那さまが縁側から庭に先回りをしたせいで、どうやら鉢植えが倒れてしまっているようです。銀司さんが朝顔の鉢を直しながら、わたくしたちを眺めていました。

「お姉さま方に取り囲まれて、そんなの平気でいられるはずがありません」
「興味なさそうに見えたが」

 大きな誤解ですよ。

「そういうふりをしていたんです。だって、お姉さま方を押しのけて『わたくしの旦那さまに構わないで』なんて言えませんもの。我慢するしかないじゃないですか」

 もう、どうして気づかないんですか?わたくし、そこまで心が広くないですよ。
 むすっと頬を膨らませると、突然旦那さまの指が、わたくしの頬をつつきました。
 ぷすー、と間抜けな音を立てて、唇から空気が抜けていきます。

「遊ばないでくださいっ」
「いや、すまん」

 旦那さまは肩を震わせて、笑いを噛み殺しています。さっきまで泣きそうだったのに、なんなんですか?
 そしてわたくしの左肩に、顔を埋めました。
 さらに窮屈になったエリスが、するりと逃げてしまいました。

「旦那さま?」
「少しこのままでいてくれ」

 旦那さまの口許が、わたくしの肩から鎖骨の辺りに触れているので、声がじかに体に響いてきます。

「もっと嫉妬してくれていいんだ」
「でも、迷惑じゃありませんか?」
「迷惑をかけてくれていい。学校では無理でも、家に帰ってから、他の生徒としゃべらないでくださいと文句を言ってくれていいんだ」

 そんな、我儘を言えだなんて。難しいことを仰います。

「あなたが俺に我儘を言ったのは、少女雑誌の購入を続けてほしいと言った時と恋文をねだった時だけだ。どちらも頑固で譲らなくて、手を焼いたが」

 確かにそうでした。自分で雑誌の代金分くらいは働くと言ったら、たいそう叱られたのでした。

「それでも、あなたが我儘をぶつけてくれるのは、とても嬉しい」
「旦那さま?」
「うん。我儘を言っても俺に嫌われないという自信の表れだからな。それほど俺の愛情を信じているということだろ?」

 言葉は不便です。だってどれほど「好き」という言葉を重ねても、儚く消えていくんですもの。
 百回や千回の「好き」よりも、たった一度の「嫌い」の方が、いつまでも心に刺さって、いつしか前に進むこともできなくなります。
 
「旦那さまも、もっと翠子に甘えていいんですよ?」
「甘えている。現に今だって……」
「そうですね。こうして弱い部分を翠子だけに見せてくれるんですもの。わたくしは、旦那さまの特別でいいんですよね?」

 旦那さまをぎゅっと抱きしめて、檸檬と薄荷の香りを胸いっぱいに吸い込みました。
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