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乙女ゲーム以前

ヤンデレとの邂逅

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「……これ……」
クラウディオはアレハンドリナに相談を持ちかけてきた。
これは予定通りだし、彼がアレハンドリナに心を寄せるきっかけになるはず。
……だよね?

『私が愛するのは、エレナただ一人です。』

何度も目に入る文字。
私の思惑とは関係なしに音を立てる胸がうるさくて、手紙の内容に集中できない。
「王女から、フィリベールを紹介された……?」
フィリベール、というのはおそらく攻略対象の一人に違いない。ネットの情報では、『セレキス』のキャラはチョイ役で、夜会にちらっと出てくるだけのはず。それが思いっきりストーリーに絡んできている?
「全然先が読めないわ。……とにかく、王女やフィリベールに近づいたら危険よね。アレハンドリナは何て返事をしたらいいかしら」
婚約者が婚約解消を匂わせたくらいじゃ効かなかったの?
王女相手に断りきれないのもあるにしても、泥沼の三角関係にはまりかけてるって気づかないの?
「このフィリベールっていうのが、病んだら王女を監禁する男なのか……。クラウディオがうまくキューピッド役をやれる?無理な話よね。だったら……」
アレハンドリナとしては警告することしかできない。
乙女ゲームがどうのと説明できない以上、この事態を収拾できるのは私しかいない。
フィリベールを刺激しないよう王女から遠ざかれと警告し、簡単な時候の挨拶で締める。手紙をさらさらと書き上げ、私は急ぎ王都に戻った。

   ◆◆◆

「お父様!」
「ぅふぉっ……!な、何だい、急に……」
書斎の椅子でうたた寝をしていたお父様は、勢いよく入って来た私に驚いて椅子から落ちそうになった。日頃はおとなしいお嬢様の仮面を被って行儀よくしているから、驚くのも無理はない。
「クラウディオとの婚約解消の件はどうなったの?」
「それは……だな……うん……」
うちから公爵家に言い出すのは無理だと分かっていたけれど、煮え切らない態度にイライラした。宰相と飲み友達とはいえ、家の力関係は覆せないらしい。
「クラウディオが王女殿下に気に入られ、あちらから婚約解消を持ち出されたら、私はどうなるの?」
「どう、って、……うーん……」

私はきっと、『クラウディオに捨てられた女』と不名誉な噂を立てられる。悪役令嬢として悪い評判だらけ(になるはず)のアレハンドリナに彼を奪われるのとは違う。二股男のファブリシオとは違い、彼は浮いた噂の一つもない誠実な人間だと思われている。それが王女に乗り換えたとあれば、権力に逆らえなかったとしても、最終的には……。

婚約者に魅力がなかった。

という結論に落ち着くだろう。
次に縁談が来る可能性も低くなり、碌でもない相手に嫁がされるかもしれない。
そんなのは御免だ。
「エレナ、お前の気持ちも分かるよ」
「お父様……」
可哀想な令嬢ぶりっこをしてみる。お父様が本当に分かっているのかは疑問だ。
「婚約者が他の令嬢に取られそうで、やきもちを妬いているんだね?」
……やっぱり分かっていなかったわ。
「そうじゃな……」
「そんなに心配なら、お前もノイムフェーダに行ってはどうだね?」
「……はい?」
斜め上の方向で提案された。昔からふわふわしたところがあるお父様だけれど、婚約解消の話がどうしてこうなるのか。
「私は留学など……」
とんでもない、と続けようとして、笑顔で遮られた。
何だろう、圧がすごいんだけど。
「未来の宰相夫人として恥ずかしくないよう、お前には優秀な家庭教師をつけて、十分な教養を身につけさせてきたつもりだよ。まだ子供のお前を外国に行かせるのは心配ではあるが、これもいい機会だ。ノイムフェーダに行儀見習いに行ってきなさい」
「お父様、ノイムフェーダにお知り合いなんていたの?」
「公爵様と飲んだ時に、一緒になった方でね……」
また飲み友達かい!と心の中でツッコミを入れ、そこに公爵家の思惑が絡んでいると気づく。そうか、もうお膳立てが済んでいるってことなのね?
「つまり、公爵様のお友達……?」
「平たく言えばそうだね。勿論、私とも友達だよ?メイエ家の……」
「メイエ家って、ノイムフェーダの一の名家って言われているところよね?」
「ああ。御当主は宰相を務められている。御子息も優秀で、次代の王配になると目されているそうだ。私と一緒に酒を飲んだのは、その子の父親だがね」
ノイムフェーダは女が当主となり、爵位を受け継ぐ。王位も同じだ。王配の座を狙う宰相子息は、十中八九乙女ゲームの攻略対象だろう。
「その御子息の名前は……?」
恐る恐る聞いてみる。嫌な予感しかしない。
「ええと、何だったかな……。そうだ!」
お父様はぼんやりと考えて、ぽん、と掌を拳で打った。
「フィリベール君だよ。歳はクラウディオと同じだったかな。あちらの男は女性に優しいから……」
もう言葉が耳に入って来なかった。

   ◆◆◆

お父様の長話を遮って部屋に戻る。
「婚約解消どころか、追いかけて留学なんて……!」
ぼふっ。
ベッドに身体を投げ出して、枕に顔をうずめる。
クラウディオが王女に気に入られた話は、公爵様が得意げに皆に話して聞かせたはず。大人の貴族の間でも知られている話だろう。私がノイムフェーダに行くとなれば、世間の目には『愛する婚約者を追って行った一途な娘』と映るに違いない。
「違う!断じて違うのに!」
声が漏れないように顔をつけたまま枕をボコボコに殴り、最後に持ち上げて壁に向かって投げつけた。
「……腹をくくるしかないわね」
病みかけているフィリベールの家に行くのは恐ろしいが、彼を軌道修正できる機会が無数にあると思えば少しは救われる。迂闊なクラウディオがやらかしたせいで、イノセンシアとノイムフェーダが敵対するのは避けなければならない。顔を見たことがないヒロインの王女殿下も平和を望んでいるだろう。監禁されるルートを敢えて選んでいるのでなければ……多分ね。
「今頃お母様は家中の使用人を総動員して、留学の準備を指示しているわね。アレセス家に行く前にあつらえたドレスがここで役に立つなんて思ってもみなかったわ」
「そうですね、あれはお嬢様によくお似合いでした」
呟いた言葉に返事があってびっくりした。ドアを開けっ放しでベッドに飛び込んだから、何事かと思った侍女が来たらしい。
「……入る時は声かけてって言ったでしょ!」
「申し訳ございません。お嬢様がお休みになられるようでしたら、お召し替えをと思いまして」
「……」

外出用の地味な服から着替えさせてもらい、結い上げていた髪を下ろして一息つく。ドアを閉めているのに廊下からお母様の声がする。もたもたしている侍従を叱り飛ばし、私の留学準備をしていると思うと頭が痛い。
「お嬢様、お顔の色が優れませんね」
「外出して、少し疲れが出たみたい。今日はすぐに休みたいわ。誰も部屋に来ないように……お母様にも言ってもらえる?」
「かしこまりました。おやすみなさいませ、お嬢様」
礼をして侍女が出て行ったのを確認し、ドアが閉まった瞬間にベッドを抜け出す。鍵のかかる机の引き出しから手帳を取り出すと、日本語で書かれたメモを読む。
「……情報が少なすぎるわ」
万が一誰かに見られても良いように、『セレキス』について思い出したことを日本語で書き留めておいたのだ。イベントの記憶は、日常の何気ない一コマが呼び水となって思い出されることが多い。――クラウディオとの初対面で倒れたのもその一つだ。
「こんなことなら、続編もプレイしておけばよかった……。ネットの書き込みなんて見流しだもの」
フィリベールの地雷がどこにあるかなんて分かりっこない。そもそも、王女はどういうつもりで地雷原に突っ込んで行くのか。
「何も知らないんだろうなあ……」
乙女ゲーム云々を説明しないで、最悪の事態を回避できるのか。
本当に頭痛がしてきて、私はベッドにもぐりこんだ。

   ◆◆◆

「ここが……公爵家?」
そのお邸は門構えから異質だった。
イノセンシアの基準で考えれば、の話。
この国のお邸はどれも、華美な装飾が施されており、目がチカチカするくらい派手だ。
「ようこそ、エレナ嬢!」
私を出迎えた方も、恐ろしく派手派手だった。
「よ、よろしくお願いいたします!」
「畏まらなくていいよー。私、堅苦しいのは嫌いなの。私の名前はミレイユ。で、この子が息子のフィリベール」
宰相を務めるメイエ家の当主・ミレイユ様は、息子の背中を押して一歩前に進ませると、後ろから頭を押してお辞儀をさせた。
「礼儀のなってない子でごめんなさいね。……ほら、ぶすっとしない!」
「僕はこんなところで笑顔の安売りなんてしないんだけど?」
「……はあ。いつもこの調子でね。困ったものよ」
ミレイユ様が苦笑いをする。フィリベールは私を一瞥すると、プイと向こうを向いてしまった。クラウディオがアレハンドリナに宛てた手紙では、王女を褒め称えていた美少年と書いてあったのに。何だろう、この塩対応は。
「フィリベール様。エレナと申します。よろしくお願いいたします」
下手に出て挨拶をしてみる。この程度のツンツン、たいしたことないわ。
アイスブルーの瞳がこちらを睨む。お返しに極上の微笑で返してやる。
「……ブス」
「……はあ!?」
まずい。つい本音が。
初対面で何をぬかすか、この洟垂れ小僧が!
「お前がクラウディオの婚約者なんだろう?あいつを追いかけてきたのかもしれないけど、勝ち目はないな。シルヴェーヌ殿下とは比べ物にならない。まるで薔薇とざっそ……ぐふ」
私の鉄拳が見事フィリベールの脇腹に決まった。
日頃溜まった鬱憤がここで限界点を超えた。何か言い返そうと思っても、ノイムフェーダ語では言い返せない。涙が堰を切ったように溢れだした。
「こら、フィリベール!お前、何を!」
その場を去ろうとしていたミレイユ様が、血相を変えてフィリベールの頭を抱き、後ろから口を塞いだ。

   ◆◆◆

その後は散々だった。
晩餐の席で、ミレイユ様は何度も謝ってくださったけれど、フィリベールは同席せず関係修復の見込みは立たなかった。
失礼極まりないフィリベールを言い負かしてやるには、私の語彙力は心もとないし、そもそも失礼な言葉を使うことを想定していないから、家庭教師から学んだ覚えもない。ただ、社交の場で罵られる可能性もゼロではないと、いくつかの単語は教えてもらった。その一つが『ブス』だった。
「来て早々に使われると思わなかったわ……」
部屋に戻って、一人で考え事をする。ミレイユ様の前では、ショックで立ち直れない風を装ってきたから、早々と自室に引き上げても不自然ではない。

さて。
失礼なフィリベールを躾けるのは後回しにして、まずは現状把握だ。
メイエ公爵邸は、王国一の名家だけあってかなり大きい。使っていない部屋も多いだろう。フィリベールが王女をどこに監禁するのか知らないけれど、王宮でないとしたらこの邸のどこかだ。監禁場所には事欠かない気がする。
「物理的に使えなくするのは無理かも……」
使用人もデキる人ばかりで、私が調度品を壊したくらいでは、翌日には完全復旧させてしまいそうだ。
「ミレイユ様に相談するか……?」
挨拶があの通りだったことから、ミレイユ様は私をとても心配している。この機に乗じて味方につけるのもいいかもしれない。おたくの息子さんがヤバい方向に走らないように、監視しておいてくださいね、とでも?
「……不自然すぎるわ」
思ったことや確認したことは、例の手帳に日本語で書いていく。
お父様の話では、宰相のミレイユ様は穏健派寄りの中立で、他国に戦争を仕掛けてでも利権を拡大したい貴族達とは距離を置いているらしい。一人息子が王女を監禁し、イノセンシアに戦いを仕掛けるつもりだと知ったら、どんなことをしてでも阻止するだろう。――フィリベールを幽閉してでも。

フィリベールと王女、クラウディオと王女の関係はどうなのか。近々、貴族の集まりに連れて行ってくださると言われたけれど……。
ミレイユ様は軌道修正できなくなった時の切り札になる。
「仲良くしておいて損はなさそうね」
手帳を引き出しにしまうと、私は明日の予定を心に決めた。
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