淡々忠勇

香月しを

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淡々忠勇

斎藤・12

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「煩ぇ! もういいっつってんだろうが!」

 副長室には、監察方がごった返していた。土方の首には、男に掴まれた手の痕がしっかりと残ってしまっていて、今朝になって浮かび上がったそれを見て、全員悲鳴に近い叫び声をあげたようだ。
「いえ、本当に申し訳ありませんでした! この山﨑、責任をとって、切腹を……」
「いい加減にしろ! お前に切腹されたら、俺ぁどうすりゃいいんだ!」
「では、代わりに島田が……」
「いえ、この大石めに……」

「切腹なんざ許さねぇ! とにかく出てけ! 俺ぁ報告があんだ。今回の事ぁ、近藤さんにも誰にも漏らすんじゃねぇぞ、いいな、わかったか!」

 しゅん、としながら山﨑達が出て行く。文机の傍に片膝をついて、土方の顔を覗き見た。唇を尖らせて目を瞑っている。首筋の、指の痕を、人差し指で撫でた。ぴくり、と反応した土方が、驚いたような顔をして俺を見つめてくる。
「……斉藤……お前、まだいたのか」
「まだいたのか、は、無いでしょう。俺は全然煩くしてなかったんだから、追い出される謂れは無いですよ。しかし、嫌なものを残して行きましたね。まるで怨霊のようだ」
「い~う~な~よ~ッ!」
 土方が詰め寄ってくる 泣きそうな顔をしていた。
「は? ……ああ、怖いんですか」
「……お前、今、笑ったよな」
「……笑ったような笑わなかったような……」
「笑ったよ! それっくらいわからぁ! ちくしょう、生きてる時でさえ、あんなに神出鬼没だった男だぞ? 死んだらよけいにどこへでも現れそうじゃねぇか! ううう、気色悪ぃ!」
 あの土方が、泣きべそをかいている。それが可愛いと言っているのに、この人はまったく理解してくれないのだ。まあ、こうして無意識に一緒にいる相手を魅了してしまうのは、この人の癖なのだろう。俺が最悪の事態を招かないように目を光らせればよいだけだ。
「……消したいんですか? その痕」
「残したいわけがあるかぁ!」
「じゃ、島原にでも行きます?」
「はぁ?」
「女達に血痣をたくさんつけてもらって、指の痕を消したらいいんじゃないかと」
「どんだけ吸わせんだ! 死ぬわ!」
「まあ、島原に行けばお金もかかりますんで、監察の方々に頼んでみるのも良いかと……」
「わあああ! お前もう黙れ!」

 ざざ、と、障子が開いた。
「あの……何か、中が騒がしいようなので……」
 山﨑だ。俺と土方を交互に見て、その視線が、土方の顔で止まった。泣きべそをかいているのが珍しいのだろう。俺に、説明するような視線を送ってくる。
「べ……別に、何も無い……」
「怨霊が怖いんだそうです」
「は? 怨霊?」
「くそ! 黙れ斎藤!」
 後ろから土方が頭突きを食らわしてくれた。なんという石頭だろう。くらくらしている内に山﨑の話は済んだらしく、気がつくといなくなっていた。
「……何するんですか……」
「何するんですかじゃねぇよ! 怨霊が怖いなんて、男の沽券に係わるんだっつうの!」
「俺の前では弱音を吐くのに?」
「あたりめぇだろ! 俺ぁお前の事は相棒だと思ってっからな!」
「…………相棒」
「……なんだよその顔」
「…………いえ……嬉しくて」
「嬉しがるな! もう出てけえええ!」
 土方は手ぬぐいを首に巻いて、文机に向かってしまった。手の痕が消えていませんよと言うと文鎮が飛んできたので、俺は慌てて副長室を飛び出した。

 廊下を歩いていると、山﨑達が途中に立っていて、監察室に呼ばれた。先ほどの件か、と溜息をつく。俺が泣かせたわけではないと、信じて貰えるだろうか。本当に怨霊を怖がっていたのだ。

「斎藤さんは、副長にえらい信頼されてるんやなぁ」
 思ったよりも穏やかな顔つきで、山﨑は茶を出してくれた。その横に、島田と大石が正座をしている。
「はい。相棒だって言われました」
「ほんまかいな? いやなにそれ、自慢か?」
「事実ですので」
「まあ……そうなんだろうけども、なんか腹立つな」
 山﨑は、隣に座る二人に同意を求めた。二人も無言でこくりと頷いた。
「俺が土方さんの相棒って、認めてくれるんですか?」

 三人は、顔を見合わせてから、俺に笑ってみせた。

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