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後悔先に立たず
しおりを挟むあの時正直に答えてさえいなければ——
わたしは震える手を力いっぱい握りしめ、数時間前の自分の行動を恨んだ。
そうすればこんな、見知らぬ城の広い部屋の真ん中で言葉も通じない大男たちに前後左右からあからさまな殺意を向けらることなんてなかったかもしれないのにーー
何であの時何も考えずに「はい」なんて言っちゃったんだろう。本当わたしってバカ過ぎる。
わたしは椎名コハク。
勉強も運動も人並み、自慢できる特技も特になく何の取り柄もないチビでぽっちゃりな高校三年生。もちろんこんなわたしに彼氏なんていたことあるわけないし、友達もーー少ない。
でもそんなわたしだけど、どうにか進学先も決まり明日はいよいよ高校の卒業式。
気は早いけど、今から大学生活が楽しみだ。
高校を卒業したからってすぐに大学生ってわけじゃないのは分かってるけど、どうしても早く明日にならないかな、なんて思ってしまったりして。
わたしは友達との電話も早めに切り上げ、早めに寝ることにした。だって、寝て起きたら明日。という事は早く寝ればそれだけ早く明日が来るって事でしょう?
しかしーー
『オマエガシイナコハクカ?』
目を閉じて数分もしないうちに突然何処からともなく謎の声が響いてきた。
「……え?」
辺りを確認しようと目を開けたけど、真っ暗で自分の姿さえ見えない。
これは夢?でも、ついさっき目を瞑ったばかりのはず。それに名前を確認される夢なんて変、だよね?声にも聞き覚えはないしーー
『コタエヨ、オマエガシイナコハクカ』
「は、はい、そうですけど…」
数時間後自分のこの行いを酷く後悔することになるなんて知る由もないこの時のわたしは答えを催促されて、つい反射的に「はい」と答えてしまった。
ここで嘘でも他人のふりをしておけば、いやそもそも答えすらしていなければ、あんな事にはならなかったのに。
声に応えた瞬間、急な浮遊感と共に再び謎の声が響いた。
『モトメラレシモノツトメヲハタセ』
「え⁈ちょっと待っ!」
かと思うと今度は何処かへ落ちていく。
真っ暗な世界で自分の状況が全くわからないながらも、反射的に身を丸くし次に来るであろう衝撃に備えた。
しかしいつまで経っても予想していた衝撃はなく、恐る恐る目を開ける。
するとそこはだだっ広い草原で、わたしはそこに横たわっていた。
一面草木しかないのに夜にしては明るい。
立ち上がりその明るさを追うように空を見上げた。すると、そこには満天の星空が広がっていた。
「綺麗…」
それはビルの立ち並ぶ都会では見ることの出来ない夢のような景色だった。高い木々もないここでは上だけでなく左右にも星空が広がっている。まるで自分が星空の中に迷い込んでしまったみたい。
わたしは一目で視界いっぱいに広がる星空に心を奪われた。しかしすぐに現実へと引き戻される。なんとその星空には丸い月が二つ輝いていたのだ。ここで一つの仮説が頭をよぎった。
ここはもしかして、異世界?
わたしのお父さんは世に言うヲタクだ。
その影響でアニメのジャンルの一つに異世界転移というものがある事は知っている。
昔お父さんが見てた某アニメでも異世界には月が二つあった。アレは確か、男子高校生が突然使い魔として異世界に召喚されるんだったっけ?
でも、アニメの世界は空想の世界だとちゃんと理解していたし、現実に異世界転移なんて起こるわけがないと思っていた。
だからさっき頭によぎった仮説もすぐに『いや、あり得ない。これは夢の続きだ』と否定しようとした。
しかしーー
「寒い…⁈」
服は寝ていた時と同じで大きめのパーカーにハーフパンツ姿のままで、足は裸足だった。
肌に感じる寒いほどの夜風が、足裏に感じる冷たい草の感覚が『これは現実なんだ』と思い知らせてくる。
嘘、本当にわたし異世界に飛ばされちゃったの⁈
「痛っ……!」
空を見上げたまま現実を受け止められずにいたら、いきなり凄い力で左肩を引かれた。
引かれるまま後ろを向くと、そこには大男が立っていた。
わたしは身長順で並ぶ時いつも先頭で、友達と話す時も見上げることが多かったけど、こんなに上を見上げたのは初めてだ。ほぼ真上!
この人2mくらいあるんじゃないだろうか。
その男は体型も熊のようにがっしりと大きく、アニメに出てくる騎士みたいな格好をしていた。髪はチョコレート色の短髪で、瞳は深緑色と日本人離れした容姿で、眉もキリッとしていて、彫りも深くまさに外国の俳優さんみたいだ。
イケメン騎士さんだ。
「ーーーー?」
男が口を開く。
しかし、その言葉は理解出来なかった。
わたしは文系が苦手で特に英語はいつも赤点だった。だけど流石に代表的なものなら言葉のニュアンスでなんとなくどの国の言葉かくらいは分かる。でも、男が話した言葉はそのどれにも当てはまらなかった。つまり全然聞いたことのない言語だった。
ということはつまりーー
先程の仮説が確信へと変わっていく。
嘘、本当に異世界トリップ⁈あれってアニメや小説の世界の話じゃないの?それにこれが本当に異世界転移だったとしたら、言語理解能力って最初から誰しもが与えられてるものじゃないの⁈お父さんの嘘つきー!
お父さんが悪いわけではないと分かってはいても誰かを責めずにはいられなかった。
「ーーーーーー?」
男が目を見開き、何か言っている。
相手の言っていることが理解できないというのは想像より不安で、更に大男に見下ろされている圧迫感と男の低い声のせいで、責め立てられているように感じてしまう。
この受け入れ難い現実に声も出ず、大男に睨まれ責め立てられているという恐怖に、目をそらすことも出来ない。まさに蛇に睨まれた蛙だ。
そんなわたしを見て男は眉を寄せた。
も、もしかしてわたしが何の反応も示さなかったから怒った⁈『何無視してんだよ早く答えろよ』ってこと?でもなんて言ったのか全然分からないし、答えようが……でも早く答えないともっと怒らせることにーー
なんとか言葉を返そうと思案する。しかし、早く何か言わないとと焦れば焦るほど恐怖と緊張で体が震え「え…あう」と意味をなさない声しか出ない。
すると今度は手をこちらに伸ばしてきた。
「ーーーーー」
「ヒッ!」
男の言葉が理解出来ないわたしはその手にすら恐怖を感じ、二、三歩後ずさった。
しかし、男はすぐに離れた分の距離を詰めてくる。
尚も男から距離を取り震えるわたしに男はついに業を煮やし、一言何かを呟くと逃げようとしたわたしをあっさりと捕まえ小脇に抱えた。男の腕から逃れようと必死に抵抗したがビクともしない。
男はそのまま数分走ると男と同じ格好の人達と合流し、その人達に何か指示を出すとわたしを前に抱く形で馬に乗り、馬を走らせた。
どのくらい走っただろう。
上から男の声がして目を開けると前方には中世ヨーロッパの城のような建物が建っていた。
大きな門の前で馬から降ろされる。しかし、馬に乗ったこともなければ、部活にも入ったこともないインドア派のわたしは足に力が入らずその場にガクリとへたり込んでしまった。
地面についた腕も馬から落ちないように必死に男にしがみついていたせいでプルプルと震えている。
男はこんなわたしを見て笑っているのか、口元に手を当て微かに震えていた。
そんな笑わなくてもいいじゃんか!誰のせいでこんな事になってると思ってるの!確かに立派な騎士様からしたらこんな軟弱者、可笑しくてたまらないかもしれないけど!
わたしは笑われているのが悔しくて男を睨んだ。しかし直ぐに男と目が合いそうになり、慌てて目をそらす。
見られてないことをいいことにちょっと反抗してみたもののいざバレそうになると、それを突き通す度胸もない小心者なわたし。
しかし、睨んでいたのがバレていたのか男は咳払いを一つすると、わたしの目の前にしゃがみ腕を上げた。
な、殴られる!
ごめんなさいごめんなさい。嘘ですごめんなさい。こんな全身痛くて、腕にも力が入らないのは貴方が無理やり馬に乗せた挙句猛スピードで爆走させたせいだとか全然思ってないです!全部わたしが悪いんですごめんなさい!
逃げようと身体に力を入れるが、立ち上がるどころか足を動かす事も出来ず、逃げる術がないわたしは目を瞑りただただ恐怖に体を強張らせることしか出来なかった。
しかし、恐れていた痛みと衝撃は無く、頭にはポンと何かが置かれる重みと、次いでワシャワシャと髪を前後に動かされる感覚がした。
え?これって撫で……
「ーーー。ーー」
近くで聞く低い男の声は思っていたより優しげでーーわたしの頭を撫でるその手は暖かかった。
もしかして、この人怖い人じゃ、ない?
あまりにも信じられない状況にわたしは恐る恐る顔を上げた。
すると、そこには深緑の目を細め、口角を微かに上に上げたーー男の微笑みがあった。
そう、なんと男は怒るどころか微笑みを浮かべわたしの頭を撫でていたのだ。
その後わたしは男に再び小脇に抱えられたが、抵抗しなかった。
こ、この人本当は優しい人なのかもしれない!
きっとこの人はわたしを保護しようとしてくれているんだ。考えてみれば、騎士さんが無力な一般市民に危害を与えるわけがないし、夜にあんなところにいたから安全なところへ連れてきてくれたのかもしれない。
騎士さんはわたしを抱えたまま建物の中を進むと、ある大きな扉の前で再びわたしを下ろした。その頃には乗馬で疲弊した筋肉も多少回復していて、自分の足で立つ事ができた。
扉の端にいた二人の扉番?が扉を開けると部屋の両脇には数十人の厳つい男が並んでいて、わたしを睨んでいた。
わたしは思わず後ずさり騎士さんの方を見る。しかし騎士さんは無慈悲にも言葉無く、わたしの肩を押した。
この人、本当は優しい人なのかもしれないとか思った自分がバカだった!落とされて、上げて、突き落とされた!信じようって、この人はわたしを助けてくれるって期待を持った直後に裏切られた!
今まで堪えていた涙がこみ上げてくる。下を向いたら涙が溢れそうだったけど、突き刺さる痛いほどの視線に顔を上げることができない。
わたしは男の指示に逆らえるはずもなく、俯いたまま歩みを進めるしかなかった。
応援ありがとうございます!
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