19 / 65
二章 帰還
第17話 峠越え 4
しおりを挟む
「生きている者は居るか! 誰か居ないか!」
私はそよ風の魔法を纏い、周囲の煙を散らしながら砦に踏み入った。
入ってすぐの場所には人影はない。倒れている者も居ない。ただ、床には地下への階段か何かの蓋が。巨大な鉄枠付きの蓋は私には持ち上げられそうにない。
「こういうの苦手なのよね」
指をわきわきとバラバラに動かし身体構成要素の肩慣らしをする。私は力ある手を喚起し、扉につけられた大きな掛け金に魔法でできた宙に浮く巨大な手の指先を引っ掛け、引っ張った。蓋は大きな音を立てて向こう側へ吹き飛び、壁に激突する。蝶番なんて跡形もなかった。
開けばいいわね――なんて思いながら階下へ進む。
暗い中を鬼火に先行させる。
階段を降りると、開けた場所に辿り着いた。ホールの底には魔法の灯りと共に人影が!
集落の者だろうか。子供も大勢居る。
「赤銅は? 赤銅は居るか!?」
「赤銅です! 赤銅のベンリです!」
私の声に答えて、顔を煤で真っ黒にした男が立ち上がった。
「ベンリか! 他に赤銅は来ていたか?」
「ああ、メルシヤがここに居ます」
「ルシア団長!? 団長なのですか! 助かりましたぁ、もうダメかと……」
うわあと泣き出すメルシヤ。
「――みんなぁ、助かったんだよ。助かったんだよお……」
成人している彼女が最初に泣き出すとは。
だけど、ホッとしたのか子供たちも泣き始める。
私は篭った空気をそよ風で掃き出してやった。
広場まで上がってくると兄やミルーシャもここまで上がって来ていた。
「中の者は無事です。丸一日以上閉じ込められていたようで疲れています。けが人も何人か」
「わかった。それよりもよくやったな、ルシア。お手柄だ」
「な、何ですかこれ、団長がやったんです!?」
ベンリが上がってくるなり叫ぶ。
広場に出てすぐのところに大蛇の頭があるわけだから驚くのも無理はない。
「ま、まあね」
本当は兄さんやミルーシャたちが居ないととても無理だったわけだけど、元部下の手前、ちょっとくらいと思って自慢したりした。
「ミルーシャ、下を見てきてやってくれるか」
「ええ」
ミルーシャが降りて行った。
「兄さん、ちょっといいですか?」
「ああ、なんだ?」
「ミルーシャって何者なんです?」
「その、なんだ……」
「普通の人じゃないのはわかります、私でも。平気でフクロウの行軍にもついてきてましたし、地母神の加護を授けてくれましたし」
「秘密ではあるんだ。だから内緒で……」
「わかってます」
「…………地母神の国の聖女様なんだ」
「んん……なんとなくそんな感じなのはわかりました。わかりましたけど、何で兄さんと一緒に居るんですか?」
「それは……何というかよく分からん。突然訪ねてきた。神託だとか言って」
「あっちで居るときに引っ掛けてきた女じゃないんですよね?」
「そんなことをしている暇があったか? あの遠征で」
「わかんないじゃないですか! 兄さん、独りですぐどっか行っちゃいますし……」
「お前も疑り深くなったな……少し前まではもっと素直だったのに……」
「(兄さんのせいでしょうが……)」
私は呟き、ミルーシャの手伝いに戻った。
◇◇◇◇◇
階下に戻ると、ミルーシャが祈りを捧げていた。
温もりのある光に溢れ、照らされる集落の面々に赤みが差していくのが分かる。
負傷も癒され、綺麗な肌になっていく。子供たちに笑顔が戻っていく。
「さあ、他に痛いところはありませんか? 無ければ皆で外に出ましょう」
「お腹空いた……」
子供の一人が遠慮がちに言う。
「ええ。先に行ってちょっと待っていてくださいね。ルシア、手伝ってもらえますか?」
「あ、うん、わかった」
彼女の言葉に何となく返事をした私――ミルーシャに見とれていた――そんな気がした。
◇◇◇◇◇
二人だけになった地下で彼女に促されるまま地母神の祈りに付き合い、額を地につける。――よいですよ――というミルーシャの声と共に顔を上げると目の前のミルーシャが用意した布の上には山のように積まれたパン、それからミルーシャが置いた水差しには水が。
「これって……」
「ルシアも頂いてるでしょう? 地母神様からの恵みです」
「恵みってそういう……」
聖餐というものがある。それは聖女や巫女を通じて神さまが施してくださる糧。
私はミルーシャに言われるがまま、二人でパンを持って上がり、子供たちに手渡していった。子供たちの喜ぶ顔、親たちの安心する顔。全員は助けられなかったけれど、自分が為したことを誇らしく思える。ただ――。
「ミルーシャ、聞いて欲しいことがあるの」
私の雰囲気を察したのか、ミルーシャは兄に、二人だけで少し話すと言ってまた、地下に入っていった。私も彼女に続く。
地下に降りると魔法の灯りの下、ミルーシャに向かい合って座る。
「――実はね、私…………」
彼女に話したかったことがどうしても口から出てこない。
彼女の顔がちゃんと見られない。
私はいつの間にかぽろぽろと涙を零していた。
「ルシア……」
ミルーシャがいつものように私を抱きしめようとしてくる。
だけど私は手で彼女を押しやって拒んでしまう。
「――わかりました。待ちますのでお話ししてください」
ふう――決心したかのように私は溜息をつくが――。
「……あのねっ……わたしっ……」
――出てくるのは弱弱しい涙声。自分の口なのに、ちゃんと言葉にできない。
「――わたっ……あなたのっ……かみさまっ……」
うん――と頷くミルーシャ。
「――ころしちゃったのっ……うぐっ……うっ……うぇぇぇえん」
ミルーシャが手を広げ、思わず飛び込んでしまう。
優しく抱きしめてくれるミルーシャ。
頭を撫でてくれるミルーシャ。
「うん、ありがとう、ルシア。ありがとう」
「ごべっ、ごべんね、ごべんなさい……」
ミルーシャは私をぎゅっと抱きしめてくれた。
何度も謝る私に、――ありがとう、ありがとう――と何度も声を掛けてくれた。
もしかしたら知っていたのかもしれない。私たちが地母神様を奪ってしまったことを。
しばらくの間、抱きしめたままでいてくれた。
私が落ち着いてくると彼女は――。
「大丈夫ですよ。安心してください。地母神様の魔は祓われたのです。それに、ルシアたちを恨んでなどいませんよ。私も地母神様も。だってほら、加護だって授けてくださいますし、パンだっておいしかったでしょう?」
そうだ。ミルーシャの言う通り、神さまの力は消えてなんかいなかった。
「じゃあ、地母神様はどこに居るの?」
「神さまは皆、天界にいらっしゃいます。そして時が来ればまた、私の国にも地母神様が帰ってきてくださいます。きっと」
ミルーシャはそう言って私を慰めてくれた。彼女が言うには、民は神さまの僕であると同時に、民からも神さまに影響が齎されるという。民の信仰は神さまの力となりうるし、民が腐敗すれば神さまもまた堕ちるという。そして民の信仰がまた、神さまを地上に呼び戻すのだという。
◇◇◇◇◇
その後、夜明けを待ってからベンリとメルシヤを先頭に集落の民を連れ、子供は馬車に載せ、境界の町まで引き返していった。大蛇は討ち取ったけれど、あれだけの巨体だ。砦周りの集落はしばらく手を付けられないかもしれない。
兄は一団をすぐには出発させないでいた。
兄が手隙なところを見て、話しかける。
「ごめんなさい。ミルーシャのこと」
「ん? 何のことだ?」
「変な勘繰りしたことです……」
「ああ、別に気にすることじゃないし、オレも勝手をして悪かったと思ってる」
「ううん。兄さんは私たちのためにやったんだから。いいの」
私は兄に対してもう少し素直になろうと思った。そのはずだった。
--
峠を越えましたね。ミルーシャの聖女としての加護は戻っていたように見えます。
そしてルシアは。
次回はエリンに話を戻します。
明日から1週間ほどは1日2回投稿します。
私はそよ風の魔法を纏い、周囲の煙を散らしながら砦に踏み入った。
入ってすぐの場所には人影はない。倒れている者も居ない。ただ、床には地下への階段か何かの蓋が。巨大な鉄枠付きの蓋は私には持ち上げられそうにない。
「こういうの苦手なのよね」
指をわきわきとバラバラに動かし身体構成要素の肩慣らしをする。私は力ある手を喚起し、扉につけられた大きな掛け金に魔法でできた宙に浮く巨大な手の指先を引っ掛け、引っ張った。蓋は大きな音を立てて向こう側へ吹き飛び、壁に激突する。蝶番なんて跡形もなかった。
開けばいいわね――なんて思いながら階下へ進む。
暗い中を鬼火に先行させる。
階段を降りると、開けた場所に辿り着いた。ホールの底には魔法の灯りと共に人影が!
集落の者だろうか。子供も大勢居る。
「赤銅は? 赤銅は居るか!?」
「赤銅です! 赤銅のベンリです!」
私の声に答えて、顔を煤で真っ黒にした男が立ち上がった。
「ベンリか! 他に赤銅は来ていたか?」
「ああ、メルシヤがここに居ます」
「ルシア団長!? 団長なのですか! 助かりましたぁ、もうダメかと……」
うわあと泣き出すメルシヤ。
「――みんなぁ、助かったんだよ。助かったんだよお……」
成人している彼女が最初に泣き出すとは。
だけど、ホッとしたのか子供たちも泣き始める。
私は篭った空気をそよ風で掃き出してやった。
広場まで上がってくると兄やミルーシャもここまで上がって来ていた。
「中の者は無事です。丸一日以上閉じ込められていたようで疲れています。けが人も何人か」
「わかった。それよりもよくやったな、ルシア。お手柄だ」
「な、何ですかこれ、団長がやったんです!?」
ベンリが上がってくるなり叫ぶ。
広場に出てすぐのところに大蛇の頭があるわけだから驚くのも無理はない。
「ま、まあね」
本当は兄さんやミルーシャたちが居ないととても無理だったわけだけど、元部下の手前、ちょっとくらいと思って自慢したりした。
「ミルーシャ、下を見てきてやってくれるか」
「ええ」
ミルーシャが降りて行った。
「兄さん、ちょっといいですか?」
「ああ、なんだ?」
「ミルーシャって何者なんです?」
「その、なんだ……」
「普通の人じゃないのはわかります、私でも。平気でフクロウの行軍にもついてきてましたし、地母神の加護を授けてくれましたし」
「秘密ではあるんだ。だから内緒で……」
「わかってます」
「…………地母神の国の聖女様なんだ」
「んん……なんとなくそんな感じなのはわかりました。わかりましたけど、何で兄さんと一緒に居るんですか?」
「それは……何というかよく分からん。突然訪ねてきた。神託だとか言って」
「あっちで居るときに引っ掛けてきた女じゃないんですよね?」
「そんなことをしている暇があったか? あの遠征で」
「わかんないじゃないですか! 兄さん、独りですぐどっか行っちゃいますし……」
「お前も疑り深くなったな……少し前まではもっと素直だったのに……」
「(兄さんのせいでしょうが……)」
私は呟き、ミルーシャの手伝いに戻った。
◇◇◇◇◇
階下に戻ると、ミルーシャが祈りを捧げていた。
温もりのある光に溢れ、照らされる集落の面々に赤みが差していくのが分かる。
負傷も癒され、綺麗な肌になっていく。子供たちに笑顔が戻っていく。
「さあ、他に痛いところはありませんか? 無ければ皆で外に出ましょう」
「お腹空いた……」
子供の一人が遠慮がちに言う。
「ええ。先に行ってちょっと待っていてくださいね。ルシア、手伝ってもらえますか?」
「あ、うん、わかった」
彼女の言葉に何となく返事をした私――ミルーシャに見とれていた――そんな気がした。
◇◇◇◇◇
二人だけになった地下で彼女に促されるまま地母神の祈りに付き合い、額を地につける。――よいですよ――というミルーシャの声と共に顔を上げると目の前のミルーシャが用意した布の上には山のように積まれたパン、それからミルーシャが置いた水差しには水が。
「これって……」
「ルシアも頂いてるでしょう? 地母神様からの恵みです」
「恵みってそういう……」
聖餐というものがある。それは聖女や巫女を通じて神さまが施してくださる糧。
私はミルーシャに言われるがまま、二人でパンを持って上がり、子供たちに手渡していった。子供たちの喜ぶ顔、親たちの安心する顔。全員は助けられなかったけれど、自分が為したことを誇らしく思える。ただ――。
「ミルーシャ、聞いて欲しいことがあるの」
私の雰囲気を察したのか、ミルーシャは兄に、二人だけで少し話すと言ってまた、地下に入っていった。私も彼女に続く。
地下に降りると魔法の灯りの下、ミルーシャに向かい合って座る。
「――実はね、私…………」
彼女に話したかったことがどうしても口から出てこない。
彼女の顔がちゃんと見られない。
私はいつの間にかぽろぽろと涙を零していた。
「ルシア……」
ミルーシャがいつものように私を抱きしめようとしてくる。
だけど私は手で彼女を押しやって拒んでしまう。
「――わかりました。待ちますのでお話ししてください」
ふう――決心したかのように私は溜息をつくが――。
「……あのねっ……わたしっ……」
――出てくるのは弱弱しい涙声。自分の口なのに、ちゃんと言葉にできない。
「――わたっ……あなたのっ……かみさまっ……」
うん――と頷くミルーシャ。
「――ころしちゃったのっ……うぐっ……うっ……うぇぇぇえん」
ミルーシャが手を広げ、思わず飛び込んでしまう。
優しく抱きしめてくれるミルーシャ。
頭を撫でてくれるミルーシャ。
「うん、ありがとう、ルシア。ありがとう」
「ごべっ、ごべんね、ごべんなさい……」
ミルーシャは私をぎゅっと抱きしめてくれた。
何度も謝る私に、――ありがとう、ありがとう――と何度も声を掛けてくれた。
もしかしたら知っていたのかもしれない。私たちが地母神様を奪ってしまったことを。
しばらくの間、抱きしめたままでいてくれた。
私が落ち着いてくると彼女は――。
「大丈夫ですよ。安心してください。地母神様の魔は祓われたのです。それに、ルシアたちを恨んでなどいませんよ。私も地母神様も。だってほら、加護だって授けてくださいますし、パンだっておいしかったでしょう?」
そうだ。ミルーシャの言う通り、神さまの力は消えてなんかいなかった。
「じゃあ、地母神様はどこに居るの?」
「神さまは皆、天界にいらっしゃいます。そして時が来ればまた、私の国にも地母神様が帰ってきてくださいます。きっと」
ミルーシャはそう言って私を慰めてくれた。彼女が言うには、民は神さまの僕であると同時に、民からも神さまに影響が齎されるという。民の信仰は神さまの力となりうるし、民が腐敗すれば神さまもまた堕ちるという。そして民の信仰がまた、神さまを地上に呼び戻すのだという。
◇◇◇◇◇
その後、夜明けを待ってからベンリとメルシヤを先頭に集落の民を連れ、子供は馬車に載せ、境界の町まで引き返していった。大蛇は討ち取ったけれど、あれだけの巨体だ。砦周りの集落はしばらく手を付けられないかもしれない。
兄は一団をすぐには出発させないでいた。
兄が手隙なところを見て、話しかける。
「ごめんなさい。ミルーシャのこと」
「ん? 何のことだ?」
「変な勘繰りしたことです……」
「ああ、別に気にすることじゃないし、オレも勝手をして悪かったと思ってる」
「ううん。兄さんは私たちのためにやったんだから。いいの」
私は兄に対してもう少し素直になろうと思った。そのはずだった。
--
峠を越えましたね。ミルーシャの聖女としての加護は戻っていたように見えます。
そしてルシアは。
次回はエリンに話を戻します。
明日から1週間ほどは1日2回投稿します。
応援ありがとうございます!
0
お気に入りに追加
36
1 / 5
この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる