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第2章

第15話 葛藤と恋心

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「元世界に戻りたいか?」
 そう尋ねられたのが、クデール法国を追放された時だったら「イエス」と即答しただろう。次に『大聖女』として証明されたときも、名残惜しくはあるものの「イエス」だと断定できた。
 それが即答できなくなってきたのは、いつごろだろう。
 たぶん、ヴェノムさんと一緒に暮らしてから。

 緩やかに日々が過ぎていく。
 生活環境は良好──いやよすぎる好待遇だ。今までの仕事から、かけ離れた訳ではないのも良い。
 何より食事を共にする相手がいる。
 ヴェノムさんは出会ったときから騎士の鑑で、紳士的で過保護だけれど信頼できた。
 外見もドストライクだし、ちょっとだけ感情が揺れる時に、尖った耳が動くのも可愛い。
 いつの間にか目で追っていて、好きだという気持ちが増していった。

 仕事に集中して、それ以外のことが雑になれば、ヴェノムさんが甲斐甲斐しく面倒見てくれるのだ。私生活が駄目すぎるのにヴェノムさんは引くこともなく、お茶の差し入れや、ベッドまで運んでくれる。
 親近感はググッと近くなったと思うし、好きな気持ちはどんどん膨らんでいく。そのたびに義妹としての立場を逸脱しそうになると、気持ちがスッと冷めることがあった。

 私の心とは異なる動き。
 不可解な現象。
 湧き上がる感情が、あっという間に薄れてしまうような。

(もしかしたら魔法の結びで、ヴェノムさんとの関係を固定したときに、何らかの精神的負荷が掛かるようになっているのかもしれない……)

 だからと言って「元の世界に帰りたいか?」と、今問われたら言葉に詰まる。
 両親や祖父母、友達や同僚に会いたい。
 心配しているだろうと考えると胸が痛かった。

(でも……)


 ***


 王城の図書館の使用許可が出たとき、この世界の鉱石についての本を探しつつ聖女、稀人に関しての伝承などもいくつか探したけれど、元の世界に戻った話は見当たらなかった。
 あるいは禁書、閲覧権がないだけなのかもしれないが、今の所手がかりはゼロだ。

 そのことに少しだけホッとした自分がいて、驚く。

(……にしても王城の図書室って、かなりの本の量があるのね。どれも背表紙からして高そう……)

 一通り調べ終わった後で、ヴェノムさんと合流する。彼が来る前に、元の世界に戻る方法を調べ終わっていて良かったと、胸を撫で下ろす。

(もし気づかれたら外出量が減って、軟禁とかをされかねないし……!)
「サナ?」
「ひゃ」
「どうかしたか?」
「ううん、いきなり呼ばれたからビックリして……。えっと鉱物関係の本を見つけ終わったところだったのだけれど……」
「そうか。……鉱物関係以外で探しているものはあるか?」
「(元の世界に戻るのを調べてたのは……バレてない?)あ、ええっと、この国あるいは、隣国の歴史書などは……私でも見られますか?」
「もちろん」

 重そうな本はさっとヴェノムさんが持ってしまい、私の手には一冊の本だけだ。そんな気遣いにも嬉しくなってしまう。

(やっぱり素敵だな。……すごく過保護だけれど、私のことをいろいろ考えてくれて動いてくれる。護衛対象とか、私を通して妹さんを見ていたとしても……大切にされているという安心感は、精神的に大きいもの)
「サナ、急いで色んなことを覚える必要はないんだぞ? 仕事も八時間以上じゃなくて、もう少し余裕を持って、午前中だけとか午後だけにしても──」
「でも、私の作った顔料が増えれば増えるだけ、魔獣避けができて国の被害が減るのでしょう? ヴェノムさんが団長から退いた今、この国の人たちが安心するためにも、必要なことは早めにしたほうが良いでしょう?」

 『大聖女』と名乗らなかった分、しっかり国に貢献しようと自分で決めたのだ。有能な護衛者に、日々の生活費やら何やらまで面倒を見て貰っている分は、働いて返したい。
 こんなに良くしてもらっていても、元の世界に戻る方法を探しているという罪悪感があったからかもしれない。

(今は生活に馴染むように、がむしゃらにすることで、元の世界に戻るか残るかを棚上げにしているけれど、長く住めば情が沸くのはごく当たり前よね。その上……)
「サナは真面目だな。その気持ちは嬉しいから、君が無茶をしそうになる前に、俺が声をかけるとしよう」
「無茶……しています?」
「あー、無茶と言うより頑張りすぎている……だな。机に突っ伏して寝ようとしているだろう。食事は俺が声をかけているから改善されているが」
「うぐぐ」
「もっと俺を頼ってくれ」
「すでに充分すぎるほど、頼っているのですが……」
「そうか? 俺はサナにもっと甘えてもらえる、と嬉しいんだがな」

 口元を綻ばせて笑う姿は、ずるい。
 日に日にヴェノムさんという笑顔に癒されて、ニマニマしてしまう自分がいる。これではこの世界に残りたいという天秤が、ちょっとずつ傾いてしまう未来しかみえない。

(いっそのこと、戻れないとハッキリしてしまえば、諦めがつくのに……。あるいは帰れる日が決まっているのなら……)
「ほう、思った以上に仲よさそうだな」
「!?」
「陛下……」

 唐突に姿を見せたのは、モーリス陛下だった。王族っぽい服装ではなく、貴族風の服を着こなしているのだが、現れ方が神出鬼没なので心臓に悪い。
 ヴェノムさんは「近衛兵を撒いたのですね」と頭を抱えていた。

「私とて息抜きは必要だからな。なに、ほんの十分前後だ」
(こういう寛いだ感じの時は、ブレッド王弟殿下に雰囲気が似ているかも?)
「ヴェノムばかりサナ嬢の傍にいるからな。私も稀人であるサナと話をしたい。客間でお茶でもどうだ?」
「陛下……。息を吸うようにサナを誘わないでください」
「少しくらいはいいだろう?」
「…………陛下」

 心なしかヴェノムさんの声のトーンが少し低い。ゴゴゴゴッ、と威圧的な空気を出しているが、モーリス陛下はまったく気にしていないのか、涼しげな笑顔を返す。

(どうしてヴェノムさんは不機嫌なのだろう?)
「少しは他の者と話す機会を作ったほうがいいと思う。例えば私とか! そうすれば最低でも三十分の休憩は確保できるし、異世界の話が聞けるではないか!」
(陛下の息抜きの時間を捻出するため、私を利用する気満々だ!)
「定期的にサナと会う算段をつけようとするのは、いかがなものかと」
(陛下と一緒だと、ヴェノムさんはこんな感じなのね。……教会で会った時とは、また言い回しが違うのは図書館に他の人たちがいるから?)
「いいだろう! サナ嬢、悪いが少し付き合ってくれ!」
「定期的……というのは確約できませんが、それでもいいのなら」
「サナ」
「ああ! 助かる」

 モーリス陛下が指を鳴らしたと同時に、魔法円が生じて一瞬で私たちはモスグリーンを基調にした部屋に移動する。床はフローリングのようで、テーブルと一人用のソファが三つあった。
 大きめな窓からは、中庭の薔薇庭園がよく見える。

「今の移動魔法のようなものですか!?」
「ああ、転移魔法の一つだ。王城内ならこうやって移動が出来る」
「そうなのですね! 魔法が間近で見られて嬉しいです」

 
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