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第1章 ふたつ名の令嬢と龍の託宣
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今日は北国の春先にしては少し暑いくらいの陽気になりそうだ。正午に近づき、陽が高くなるにつれて、じんわりと気温が上がってきていた。
しかし、自分がカップを持つ → 紅茶をこぼす → もしくはカップが割れる → もしくはその両方がおきる → 誰かが確実に怪我をする → ダーミッシュの家名に傷が付く……というような想像したくもない未来が予想できてしまうため、のどが渇いてもお腹がすいても、絶対に何も手をつけてはならない。それこそクッキーひとつであったとしても。
クッキーひとつで何が起きるのだと言われるかもしれない。確実に、お皿の一枚くらいは割れるだろう。
なぜだ。
それは、リーゼロッテが聞きたいくらいである。
(とにかく油断大敵、君子危うきに近寄らず、ね。今の今まで、何事もなく、もないかもしれないけど、無事に過ぎているのが本当に奇跡なのだから……)
とりあえず、先ほど倒れていった庭のオブジェのことは、きれいさっぱり忘れることにした。あれは猫のせいなのだ。
改めて気を引き締めつつ、王妃様にはご挨拶したし、王子が来る前にお暇してしまおうか。そんなことを考える。しかし、王妃に王子が来ると念を押されてしまった手前、それもはばかられた。
「王太子殿下付きの護衛騎士と言えば、最近、公爵位をお継ぎになった、ジークヴァルト・フーゲンベルク様ですわよね」
ふいに、別の令嬢の声が割り込んだ。同じ円卓の少し離れたところで、ひとり静かに座っていた令嬢が、こちらに微笑みかけている。ブルネットの髪に榛色の瞳をした、おとなしそうなご令嬢である。
ジークヴァルトの名に、リーゼロッテの体が一瞬こわばる。それに気づかず、ブルネットの令嬢は話を続けた。
「お話し中、割り込んでごめんなさいね。わたくし、ヤスミン・キュプカーと申します。王太子妃の地位にご興味がないお仲間とお見受けして、思わずお声をかけてしまったの」
ヤスミンと名乗った令嬢は、リーゼロッテの隣の椅子に座りなおした。
「キュプカー様と言えば、侯爵家でいらっしゃいましたわよね。わたくしはアンネマリー。父はクラッセン侯爵ですわ。こちらはリーゼロッテ様。ダーミッシュ伯爵のご長女よ」
「まあ、あなたがダーミッシュ伯の! お会いできて光栄ですわ」
ヘーゼルの瞳をキラリと光らせて、おとなしそうな見た目にそぐわない素早い動作で、ヤスミンはリーゼロッテの手を取った。
「わたくしこそ、ヤスミン様とお知り合いになれて、とても光栄ですわ」
心の動揺をおさえつつ、リーゼロッテはその口元にやわらかな微笑みをのせた。
「まあぁ、なんて愛らしい! さすがは『深窓の妖精姫』と名高いご令嬢ですわ。ダーミッシュ伯爵様がお隠しになられるのもうなずけます」
(妖精姫? 何なんですか、その恥ずかしい呼び名は!?)
リーゼロッテはその厨二病的珍妙なあだ名に、「まあ、そのような」と返すのが精いっぱいであった。そんなとき、令嬢たちから悲鳴のようなざわめきがおこった。
「王子殿下がいらっしゃったわ」
しかし、自分がカップを持つ → 紅茶をこぼす → もしくはカップが割れる → もしくはその両方がおきる → 誰かが確実に怪我をする → ダーミッシュの家名に傷が付く……というような想像したくもない未来が予想できてしまうため、のどが渇いてもお腹がすいても、絶対に何も手をつけてはならない。それこそクッキーひとつであったとしても。
クッキーひとつで何が起きるのだと言われるかもしれない。確実に、お皿の一枚くらいは割れるだろう。
なぜだ。
それは、リーゼロッテが聞きたいくらいである。
(とにかく油断大敵、君子危うきに近寄らず、ね。今の今まで、何事もなく、もないかもしれないけど、無事に過ぎているのが本当に奇跡なのだから……)
とりあえず、先ほど倒れていった庭のオブジェのことは、きれいさっぱり忘れることにした。あれは猫のせいなのだ。
改めて気を引き締めつつ、王妃様にはご挨拶したし、王子が来る前にお暇してしまおうか。そんなことを考える。しかし、王妃に王子が来ると念を押されてしまった手前、それもはばかられた。
「王太子殿下付きの護衛騎士と言えば、最近、公爵位をお継ぎになった、ジークヴァルト・フーゲンベルク様ですわよね」
ふいに、別の令嬢の声が割り込んだ。同じ円卓の少し離れたところで、ひとり静かに座っていた令嬢が、こちらに微笑みかけている。ブルネットの髪に榛色の瞳をした、おとなしそうなご令嬢である。
ジークヴァルトの名に、リーゼロッテの体が一瞬こわばる。それに気づかず、ブルネットの令嬢は話を続けた。
「お話し中、割り込んでごめんなさいね。わたくし、ヤスミン・キュプカーと申します。王太子妃の地位にご興味がないお仲間とお見受けして、思わずお声をかけてしまったの」
ヤスミンと名乗った令嬢は、リーゼロッテの隣の椅子に座りなおした。
「キュプカー様と言えば、侯爵家でいらっしゃいましたわよね。わたくしはアンネマリー。父はクラッセン侯爵ですわ。こちらはリーゼロッテ様。ダーミッシュ伯爵のご長女よ」
「まあ、あなたがダーミッシュ伯の! お会いできて光栄ですわ」
ヘーゼルの瞳をキラリと光らせて、おとなしそうな見た目にそぐわない素早い動作で、ヤスミンはリーゼロッテの手を取った。
「わたくしこそ、ヤスミン様とお知り合いになれて、とても光栄ですわ」
心の動揺をおさえつつ、リーゼロッテはその口元にやわらかな微笑みをのせた。
「まあぁ、なんて愛らしい! さすがは『深窓の妖精姫』と名高いご令嬢ですわ。ダーミッシュ伯爵様がお隠しになられるのもうなずけます」
(妖精姫? 何なんですか、その恥ずかしい呼び名は!?)
リーゼロッテはその厨二病的珍妙なあだ名に、「まあ、そのような」と返すのが精いっぱいであった。そんなとき、令嬢たちから悲鳴のようなざわめきがおこった。
「王子殿下がいらっしゃったわ」
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