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第2章 氷の王子と消えた託宣
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◇
あれから一週間、アンネマリーから預かった小箱は、相変わらずリーゼロッテの手の中だ。
無理なようなら、しばらくリーゼロッテが持っていてほしいと言われはしたが、なんとしてもアンネマリーの願いを叶えてやりたい。
しかしジークヴァルトは王城での仕事が忙しいらしく、ここのところ早朝に出かけ深夜に帰ってくるという毎日を繰り返している。出仕のない日は日で、公爵領のたまった政務を片付けているようだった。
話をすることはおろか、顔を見るのも日に一度あればいい方で、とてもではないが頼みごとができる状況ではなかった。
一度、早朝の出立の見送りに早起きしてみたが、顔を合わせるなり「あーん」をかまされ、もごもごしているうちにジークヴァルトは王城へ出発してしまった。
いっそ、手紙を書いてマテアスに言付けを頼んでみようかとも思ったのだが、預かった物が王子殿下の私物となると、いい加減なことはしたくなかった。
(何よりアンネマリーのたっての願いだもの)
あいにく今日もジークヴァルトは不在だ。なんでも王子殿下の大きな公務の護衛を任されたらしく、昨日から王城へ行ったきり戻っていなかった。
「でも、今日は王城から視察の方が来られるのよね……」
当主がいなくてもいいのだろうか? そう思ってぽつりと漏らすと、そばにいたエマニュエルが気づかわし気に声をかけてくる。
「緊張なさっておいでですか? 視察はあくまで形式的なものと聞いております。リーゼロッテ様は何も心配せずとも大丈夫ですわ」
「ありがとうございます、エマ様。でも、王城からはどなたがいらっしゃるのかしら……」
肩書があるような偉い人を前にすると、昔から緊張してしまう。昔とは日本での記憶の事だ。権力に弱い日本人と揶揄されようとも、それを否定しきれないリーゼロッテだった。
「従来の視察では、神殿の神官様か、もしくは騎士団の方がいらっしゃっていましたね」
ブラオエルシュタインでは建国より青龍を国の守護神としてあがめ奉っている。青龍への信仰自体は貴族も平民も基本的に変わりはないが、王家と貴族は神殿、平民は教会と住み分けがなされている。
神殿も教会も、季節の祭りごとや婚姻の許可、出生の届け出などの役割を担っているが、厳格でしきたり重視の神殿に対して、教会は平民向けに簡素化されより身近なものとなっていた。
王家の祭事を取りまとめる本神殿を総本山に、神殿・教会がいくつかの宗派で広がっているという図式だ。
「神官様……」
(ますますラノベっぽくなってきたわ……)
この世界には魔法はないが、もしかしたら自分が知らないだけで、神官などは秘密裏に操っているのではないか。そんな想像を巡らせていると、部屋に視察の一行が到着したとの知らせが来た。
「では、わたしたちも執務室へ向かいましょう」
エマニュエルに促されて自室を後にした。
廊下を出ると、リーゼロッテから距離を取りつつ、壁際に立っていたカークもゆっくりと歩き出す。ジークヴァルトに二メートル以内には近づくなと命令されているため、カークは律義にそれを守っていた。
公爵家の執務室の前に到着して、リーゼロッテはふと違和感を覚えた。
(あれ? 壁の一部が新しくなってる……)
執務室側の廊下の壁が、一部分アーチ状に真新しく白くなっている。人ひとりが通れそうなその跡は、そこだけ塗り替えるのも不自然に思え、穴をあけて埋めたような印象だった。
「そこは穴が開きましたので、埋めたのですよ」
「穴が……?」
「ええ……手違いで、ヨハン様が」
エマニュエルはそれ以上語らず、執務室の扉をノックする。しばらくすると、マテアスが扉を開けて顔を出した。
「リーゼロッテ様、視察の方がお待ちです。どうぞ中へ」
緊張しながらリーゼロッテは執務室に足を踏み入れた。
リーゼロッテが奥に進むと、応接用のソファに座っている騎士がひとり目に入った。
(神官様ではなくて、騎士団の方が来たのね)
騎士の灰色の髪を目にしたリーゼロッテは、思わず「あっ」と口にした。
「カイ様!?」
「やあ、リーゼロッテ嬢、久しぶりだね」
ゆっくりと立ち上がり、振り返った騎士はカイだった。王城で会った時と同じように、いたずらっぽく笑う。
「しばらく会わないうちに、すごく綺麗になったね、リーゼロッテ嬢」
そう言ってカイは、琥珀色の目を細めた。
あれから一週間、アンネマリーから預かった小箱は、相変わらずリーゼロッテの手の中だ。
無理なようなら、しばらくリーゼロッテが持っていてほしいと言われはしたが、なんとしてもアンネマリーの願いを叶えてやりたい。
しかしジークヴァルトは王城での仕事が忙しいらしく、ここのところ早朝に出かけ深夜に帰ってくるという毎日を繰り返している。出仕のない日は日で、公爵領のたまった政務を片付けているようだった。
話をすることはおろか、顔を見るのも日に一度あればいい方で、とてもではないが頼みごとができる状況ではなかった。
一度、早朝の出立の見送りに早起きしてみたが、顔を合わせるなり「あーん」をかまされ、もごもごしているうちにジークヴァルトは王城へ出発してしまった。
いっそ、手紙を書いてマテアスに言付けを頼んでみようかとも思ったのだが、預かった物が王子殿下の私物となると、いい加減なことはしたくなかった。
(何よりアンネマリーのたっての願いだもの)
あいにく今日もジークヴァルトは不在だ。なんでも王子殿下の大きな公務の護衛を任されたらしく、昨日から王城へ行ったきり戻っていなかった。
「でも、今日は王城から視察の方が来られるのよね……」
当主がいなくてもいいのだろうか? そう思ってぽつりと漏らすと、そばにいたエマニュエルが気づかわし気に声をかけてくる。
「緊張なさっておいでですか? 視察はあくまで形式的なものと聞いております。リーゼロッテ様は何も心配せずとも大丈夫ですわ」
「ありがとうございます、エマ様。でも、王城からはどなたがいらっしゃるのかしら……」
肩書があるような偉い人を前にすると、昔から緊張してしまう。昔とは日本での記憶の事だ。権力に弱い日本人と揶揄されようとも、それを否定しきれないリーゼロッテだった。
「従来の視察では、神殿の神官様か、もしくは騎士団の方がいらっしゃっていましたね」
ブラオエルシュタインでは建国より青龍を国の守護神としてあがめ奉っている。青龍への信仰自体は貴族も平民も基本的に変わりはないが、王家と貴族は神殿、平民は教会と住み分けがなされている。
神殿も教会も、季節の祭りごとや婚姻の許可、出生の届け出などの役割を担っているが、厳格でしきたり重視の神殿に対して、教会は平民向けに簡素化されより身近なものとなっていた。
王家の祭事を取りまとめる本神殿を総本山に、神殿・教会がいくつかの宗派で広がっているという図式だ。
「神官様……」
(ますますラノベっぽくなってきたわ……)
この世界には魔法はないが、もしかしたら自分が知らないだけで、神官などは秘密裏に操っているのではないか。そんな想像を巡らせていると、部屋に視察の一行が到着したとの知らせが来た。
「では、わたしたちも執務室へ向かいましょう」
エマニュエルに促されて自室を後にした。
廊下を出ると、リーゼロッテから距離を取りつつ、壁際に立っていたカークもゆっくりと歩き出す。ジークヴァルトに二メートル以内には近づくなと命令されているため、カークは律義にそれを守っていた。
公爵家の執務室の前に到着して、リーゼロッテはふと違和感を覚えた。
(あれ? 壁の一部が新しくなってる……)
執務室側の廊下の壁が、一部分アーチ状に真新しく白くなっている。人ひとりが通れそうなその跡は、そこだけ塗り替えるのも不自然に思え、穴をあけて埋めたような印象だった。
「そこは穴が開きましたので、埋めたのですよ」
「穴が……?」
「ええ……手違いで、ヨハン様が」
エマニュエルはそれ以上語らず、執務室の扉をノックする。しばらくすると、マテアスが扉を開けて顔を出した。
「リーゼロッテ様、視察の方がお待ちです。どうぞ中へ」
緊張しながらリーゼロッテは執務室に足を踏み入れた。
リーゼロッテが奥に進むと、応接用のソファに座っている騎士がひとり目に入った。
(神官様ではなくて、騎士団の方が来たのね)
騎士の灰色の髪を目にしたリーゼロッテは、思わず「あっ」と口にした。
「カイ様!?」
「やあ、リーゼロッテ嬢、久しぶりだね」
ゆっくりと立ち上がり、振り返った騎士はカイだった。王城で会った時と同じように、いたずらっぽく笑う。
「しばらく会わないうちに、すごく綺麗になったね、リーゼロッテ嬢」
そう言ってカイは、琥珀色の目を細めた。
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