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第2章 氷の王子と消えた託宣
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◇
「リーゼロッテ嬢の部屋は随分と奥にあるんだね」
迷路のような公爵家の廊下を進みながら、カイはニコニコと笑っていた。使用人たちが廊下の端に寄り、腰を折ってカイたちが通り過ぎるまで頭を下げる。
(ジークヴァルト様は相当、使用人に慕われているんだな)
リーゼロッテとにこやかに会話をしながら歩くカイに対して、殺気めいた視線を感じる。礼を取っているのに、敵意がむき出しだ。出くわす使用人の全員が全員、そんな感じなのがおかしくて笑えてしまう。
リーゼロッテに対してはとても悲しそうな視線を向けているのだが、そんな使用人たちにリーゼロッテはまったく気づいていないようだ。
「ねえ、リーゼロッテ嬢。もしかしてジークヴァルト様の部屋は、正反対の場所にあるんじゃない?」
わざと耳元に顔を近づけて、親密そうな雰囲気を醸し出す。周囲の使用人から非難めいたうめき声が上がった。
「え? ジークヴァルト様のお部屋ですか? ……どうなのでしょう。わたくしヴァルト様のお部屋へは一度もお伺いしたことはないので、わかりませんわ」
カイの近さを意に介した様子もなく、リーゼロッテは不思議そうに小首をかしげた。カイがどうしてそんなことを聞いたのか、意図がわからないのだろう。
先を歩くエマニュエルが、わざとらしく咳払いをした。どうやら、カイの言うことは図星らしい。
(まあ、婚約者といえ、デビュー前のリーゼロッテ嬢に手を出したりしたら、ジークヴァルト様の信用問題にかかわるしね)
カイの憶測通り、ジークヴァルトとリーゼロッテの部屋は真反対に位置していた。ジークヴァルトが暴走して間違いがおきないよう、公爵家で協議した結果だ。
ジークヴァルトの自室に連れ込まれたら、使用人の目が行き届かないうえ、リーゼロッテに何をしようとも異形の者の邪魔も入らない。しかし、これはジークヴァルトに信用がないというより、父親であるジークフリートの我慢のできなさっぷりがひどすぎたせいだ。
「おい! 反逆者の一族がなぜここにいる!? しかもデルプフェルトの忌み子ではないか!」
突然、冷たく鋭い声がした。
驚いて声の主を見やると、分かれ道の廊下の角から現れたのは公爵家の護衛騎士だった。ダークブロンドの貴公子然とした細身の若い男だ。
「エーミール・グレーデン様、お控えください。この方は王太子殿下の命で王城から視察に来られた騎士様ですわ。デルプフェルト様、どうか公爵家の者の非礼をお許しください」
エーミールに向かって毅然として言った後、エマニュエルはカイに向き直り深々と頭を下げた。
「ブシュケッター子爵夫人、別に気にしてないから頭を上げて。やあ、グレーデン殿。相変わらずの色男だね」
ニコニコと笑いながらカイはエーミールを見た。エーミールの顔が不快そうにゆがむ。
エーミールはカイよりも六歳ほど年上である。どちらも侯爵家の子息だが、家格はカイのデルプフェルト家の方が上だった。カイはイジドーラ王妃の甥だ。デルプフェルト家は王妃を輩出した公爵家に縁ある家として、数ある侯爵家の中で現在最も力を持っていると言えた。
「ねえ、グレーデン殿。今からでも王太子殿下に仕える気はない? その力を埋もれさせるのはもったいないし、王城に勤務すれば、グレーデン殿ならご令嬢たちにモッテモテだよ」
「ふざけるな! わたしはジークヴァルト様に忠誠を誓った身。あの方以外、誰にもに仕える気などない!」
「そっかぁ、それは残念だなー。近衛騎士の制服を着たグレーデン殿なら、たいていのご令嬢はメロメロになりそうなのに」
カイの口調は少しも残念そうには聞こえない。
「フーゲンベルク家を嗅ぎまわるなど……王妃の差し金か」
「エーミール様! 不敬ですわ」
エマニュエルが射るように睨みつけるも、エーミールはお構いなしに続けた。
「王妃は反逆者の一族の出だ。疑うのも当然だろう。まったく、あのような家から王妃を迎えるなど、ディートリヒ王の正気を疑う」
「個人的には、グレーデン殿のその真っ直ぐな性格、嫌いじゃないんだけどさ。不用意に敵を増やすのは、悪手だと思うよ?」
カイは変わらず笑顔を保っている。リーゼロッテはそんなやり取りを、ただハラハラと見守るしかできなかった。
エーミールが反論しかけたのを、エマニュエルが制した。
「デルプフェルト様のおっしゃる通りです。エーミール様の軽率な言動は、最終的には旦那様に返ってくるのだと、なぜそんな簡単なこともわからないのですか!」
「な、なにを……わたしはただ本当のことを……」
子供を叱りつけるような口調に、エーミールは狼狽を見せた。
「グレーデン様……どうか、ここはわたくしに免じて、お気持ちを収めてくださいませんか……?」
エーミールを真っ直ぐに見上げるリーゼロッテの瞳が揺れている。その今にも泣きだしそうな表情に、エーミールは眉根をぎゅっと寄せた。
「わかりました……今日のところは引きましょう……」
そう言いながらもエーミールは、カイを親の仇のように睨みつけた。
「グレーデン殿、気が変わったら、いつでも騎士団で待ってるからね」
カイがにこやかに言うと、エーミールは忌々しそうに舌打ちをしてから、無言できびすを返して廊下の角へ消えていった。
「リーゼロッテ嬢の部屋は随分と奥にあるんだね」
迷路のような公爵家の廊下を進みながら、カイはニコニコと笑っていた。使用人たちが廊下の端に寄り、腰を折ってカイたちが通り過ぎるまで頭を下げる。
(ジークヴァルト様は相当、使用人に慕われているんだな)
リーゼロッテとにこやかに会話をしながら歩くカイに対して、殺気めいた視線を感じる。礼を取っているのに、敵意がむき出しだ。出くわす使用人の全員が全員、そんな感じなのがおかしくて笑えてしまう。
リーゼロッテに対してはとても悲しそうな視線を向けているのだが、そんな使用人たちにリーゼロッテはまったく気づいていないようだ。
「ねえ、リーゼロッテ嬢。もしかしてジークヴァルト様の部屋は、正反対の場所にあるんじゃない?」
わざと耳元に顔を近づけて、親密そうな雰囲気を醸し出す。周囲の使用人から非難めいたうめき声が上がった。
「え? ジークヴァルト様のお部屋ですか? ……どうなのでしょう。わたくしヴァルト様のお部屋へは一度もお伺いしたことはないので、わかりませんわ」
カイの近さを意に介した様子もなく、リーゼロッテは不思議そうに小首をかしげた。カイがどうしてそんなことを聞いたのか、意図がわからないのだろう。
先を歩くエマニュエルが、わざとらしく咳払いをした。どうやら、カイの言うことは図星らしい。
(まあ、婚約者といえ、デビュー前のリーゼロッテ嬢に手を出したりしたら、ジークヴァルト様の信用問題にかかわるしね)
カイの憶測通り、ジークヴァルトとリーゼロッテの部屋は真反対に位置していた。ジークヴァルトが暴走して間違いがおきないよう、公爵家で協議した結果だ。
ジークヴァルトの自室に連れ込まれたら、使用人の目が行き届かないうえ、リーゼロッテに何をしようとも異形の者の邪魔も入らない。しかし、これはジークヴァルトに信用がないというより、父親であるジークフリートの我慢のできなさっぷりがひどすぎたせいだ。
「おい! 反逆者の一族がなぜここにいる!? しかもデルプフェルトの忌み子ではないか!」
突然、冷たく鋭い声がした。
驚いて声の主を見やると、分かれ道の廊下の角から現れたのは公爵家の護衛騎士だった。ダークブロンドの貴公子然とした細身の若い男だ。
「エーミール・グレーデン様、お控えください。この方は王太子殿下の命で王城から視察に来られた騎士様ですわ。デルプフェルト様、どうか公爵家の者の非礼をお許しください」
エーミールに向かって毅然として言った後、エマニュエルはカイに向き直り深々と頭を下げた。
「ブシュケッター子爵夫人、別に気にしてないから頭を上げて。やあ、グレーデン殿。相変わらずの色男だね」
ニコニコと笑いながらカイはエーミールを見た。エーミールの顔が不快そうにゆがむ。
エーミールはカイよりも六歳ほど年上である。どちらも侯爵家の子息だが、家格はカイのデルプフェルト家の方が上だった。カイはイジドーラ王妃の甥だ。デルプフェルト家は王妃を輩出した公爵家に縁ある家として、数ある侯爵家の中で現在最も力を持っていると言えた。
「ねえ、グレーデン殿。今からでも王太子殿下に仕える気はない? その力を埋もれさせるのはもったいないし、王城に勤務すれば、グレーデン殿ならご令嬢たちにモッテモテだよ」
「ふざけるな! わたしはジークヴァルト様に忠誠を誓った身。あの方以外、誰にもに仕える気などない!」
「そっかぁ、それは残念だなー。近衛騎士の制服を着たグレーデン殿なら、たいていのご令嬢はメロメロになりそうなのに」
カイの口調は少しも残念そうには聞こえない。
「フーゲンベルク家を嗅ぎまわるなど……王妃の差し金か」
「エーミール様! 不敬ですわ」
エマニュエルが射るように睨みつけるも、エーミールはお構いなしに続けた。
「王妃は反逆者の一族の出だ。疑うのも当然だろう。まったく、あのような家から王妃を迎えるなど、ディートリヒ王の正気を疑う」
「個人的には、グレーデン殿のその真っ直ぐな性格、嫌いじゃないんだけどさ。不用意に敵を増やすのは、悪手だと思うよ?」
カイは変わらず笑顔を保っている。リーゼロッテはそんなやり取りを、ただハラハラと見守るしかできなかった。
エーミールが反論しかけたのを、エマニュエルが制した。
「デルプフェルト様のおっしゃる通りです。エーミール様の軽率な言動は、最終的には旦那様に返ってくるのだと、なぜそんな簡単なこともわからないのですか!」
「な、なにを……わたしはただ本当のことを……」
子供を叱りつけるような口調に、エーミールは狼狽を見せた。
「グレーデン様……どうか、ここはわたくしに免じて、お気持ちを収めてくださいませんか……?」
エーミールを真っ直ぐに見上げるリーゼロッテの瞳が揺れている。その今にも泣きだしそうな表情に、エーミールは眉根をぎゅっと寄せた。
「わかりました……今日のところは引きましょう……」
そう言いながらもエーミールは、カイを親の仇のように睨みつけた。
「グレーデン殿、気が変わったら、いつでも騎士団で待ってるからね」
カイがにこやかに言うと、エーミールは忌々しそうに舌打ちをしてから、無言できびすを返して廊下の角へ消えていった。
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