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 高い空で、ヒバリの鳴く声が響きました。ピエールは、突然泣き出したい気持ちに駆られ、あわてて自分の泥だらけの腕に目を落としました。
 腕にはへたくそな縫いあとがありました。木の枝で引っかけて破れてしまったとき、エレーヌが自分で一生懸命縫ったものでした。そのガタガタした縫い目を見つめながら、ピエールは重大な秘密を打ち明けるかのように、声を落として言いました。



「シャルル、ほんとうは、俺はいつも大切にされていたんだ。だから、よけいに寂しく感じるんだ。愛されていた記憶を思い出すと、こんなところに忘れ去られてしまったいまの俺が、あんまりにも可哀想でみじめでたまらないんだよ。
 あたかな日差しの匂いのするシーツにくるまって眠るエレーヌに抱かれながら、その日最初の太陽がのぼってくるのを見ていたことや、クリスマスにエレーヌが編んだマフラーをプレゼントしてもらったことや、そういうあたたかいはずの思い出は、どれも手の届かないところで揺れているロウソクみたいで、よけいに俺の心を寒くするんだよ。
 だから、俺はもうずっとそういうことを思い出さないようにしてきたんだ。だけど、あんたは俺を見つけて、こうして俺を連れて歩いている。いやでもエレーヌのことを思い出しちまうよ」
 涙まじりのピエールの声を聞き、シャルルは静かに言いました。
「ふるさとを思い出すとき、ときとしてそういう気持ちになることがありますねぇ」
「なぁ、シャルル。俺はほんとうに、もうエレーヌの心には住んでいないのかな」
「いいえ、ピエール。あなたはまだエレーヌの心に住んでいますよ。エレーヌにとっても、きみは心のいちばん大切なところにある懐かしいふるさとなのですよ」
 ピエールはちょっと黙ったあと、
「ふるさとって、かなしいものだな」
 と、ぽつりとつぶやきました。
「いいえ」
 シャルルは首を振りました。
「ふるさとは美しいものです」


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