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もっと欲しい

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ミア視点

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窓から闇を照らす月の光が差し込んでいる。
昼間は温かく光が差し込んでいた室内は、今はわずかな明かりが灯るだけだ。

薄暗い室内に私の声が落ちた。

「私は……ジョシィが欲しいの」

今度は震えていない。震わせていない。これは本心だったからだ。

「公爵夫人にでもなりたいのか」
「ハッ、まさか。私は”歌姫”よ。貴族になんてなれない──私はジョシィだけが欲しいの」

そう、ジョシィだけ。

お堅くて、仰々しくて、同じ人間の癖に自分たちだけは違うと思い上がって……貴族なんて反吐が出る。
同じ貴族以外は家畜扱い! 貴族でなければ同じ人間とも思わないような魔物の世界なんて、まっぴら。

でも、ジョシィだけは違う。
ジョシィだけは、私を人間として見てくれる。同じ人間、世界に一人だけの"ミア"として。

──あぁ、ジョシィに会いたい。

「それを聞いて安心した。俺はクリスティーナとこの公爵家が欲しい。お互い利になる話でよかったよ」

騎士様は仄暗い瞳を光らせながら、力なく口端だけ持ち上げ笑った。

「それで、兄上だけ連れてその後はどうするつもりなのか……いや、聞かないでおこう。子どももそちらで育ててくれるなら願ったりだ」

子ども、という単語にぐっと言葉に詰まる。

「……子どもはいない」

「は?」

「同じことを言わせないで。出来ていないわ。出来るはずないもの……ジョシィは私を抱いていないわ。一度もね」

そう。ジョシィと私は一度も寝ていない。

肩書だけの"妻"に囚われた可哀想なジョシィは律儀にも私に触れられなかった。

それこそが私への愛だとわかっているけれど……

「だから魔法使い様に相談したのに……。ここに来ても中々二人きりになれないし、計算が狂ったわ。他の客の子どもでも出来てたら誤魔化しようがあったのに、それも宿っていなかったみたいだし。……そうね、騎士様の子どもならジョシィに似るわよね? そういう"協力"もしてくれるのかしら?」

誘うようにワンピースの裾から足をするすると出すと、うんざりとした表情で手をひらりと振られた。

「ジョエルの代わりなんて御免だ」
「あはは。あーおもしろい。騎士様ったら怒っちゃって」

騎士様が見つめる前で、家から持ってきた荷物の中から隠し持っていた小袋を取り出した。
もう残りは三個になってしまった。また、貰わなくてはいけない。
小指の爪ほどの大きさの黒い丸薬を口に含み、噛み砕く。

「──まぁ。そんなに怖い顔をしないで。まるで旦那様に怒られているみたいで悲しくなってしまうわ」

すると魔法のように私の喉から流れる声は、あの女の声となった。
この邸に来てじっくりと観察した口真似をしてみると、騎士様は驚いたようにこちらを凝視する。

ゆっくりと近づき、騎士様の隣に腰を下ろすと同時によく鍛えられた膝の上に手を乗せる。

「旦那様がかまってくれなくて寂しいの。だから、クリフお願い。欲しいの」

騎士様が苦いものを飲み込んだように、やめてくれと唸った。

「ふふっ。ねぇ、後ろからなら、どう? 同じ赤毛でしょ」

ひざに乗せた手を上へ滑らせようとしたが、ため息交じりに避けられてしまった。
どうやら本当に似ているらしい。

「これも"魔法"か?」
「ええ。魔法使い様からもらった"魔法"よ」

この丸薬が口の中から消えるまで私の声はあの女のままになるが、騎士様が知りたがっている"魔法"を教えてあげることにしよう。

それは、私とジョシィが知り合い恋に落ちる話しだ。
私たちの愛を知れば、この可哀想な騎士様もきっと勇気が出るわ。
みんな素直になればいいのに。






普段は各地の花街の酒場や娼館で歌って客を集め、もちろん娼婦としても日銭を稼いでいる。
そうやって私の母も同じように生きて来た。

母は「私は元々貴族令嬢だった」「いつか迎えに来てくれる」が口癖で、いつもここじゃないどこかの話をしていた。

本当かどうかはわからないけれど、母が貴族としての振る舞いや知識を他の娼婦たちに教えることで貴族の客が取れるようになったとも世話役から聞いたことがある。

機嫌の良い日の母は私の頭を撫でながら聖母のような顔で「両親の愛の結晶だ」と言っていたし、機嫌の悪い日は私の何かが母の気に障ったのか、急に怒り出し泣いて取り乱して自分の中で抑えきれなくなったものを私にぶつけて甘えるのだ。

落ち着いた頃に謝ると、母はまた「愛しい子」と泣いて謝ってくれた。
私はそれを許していた。

許すことが愛だと教わっていたから。

そんな母は客から受けた傷がたたったのか、病だったのか、とにかく死んだ。
苦しんで寝ている母は「あの人は貴族だから連絡さえ取れれば薬と医者を呼んでくれる」と最後までしつこかった。
そう世話役に伝えると「可哀想に」と言っていた。

そういえば子供趣味な客も、私のことを可哀想だと言っていた。
私は私のことをちょっとも可哀想なんかでは無いと思ったけど、どうらや母も私も”可哀想”らしい。

そんな私とジョシィが出会ったのは今から一年前だった。

その頃、既にルートンの領主様の"お気に入り"になっていた私は、領主様のおもてなしで振る舞われる"御馳走"としても気に入られていた。

領主様の館に出入りして貴族のおもてなしをする"御馳走"という特別感を演出するため、ベールを被り顔を隠し歌を披露した。
お貴族様は平民等とは違って隠されたものを暴く──こういう、わかりにくい演出がお好みらしい。

その日も、貴族に好まれる流行りの華やかな曲調の歌を歌っていた。

華美で、軽くて、中身の無い歌。
綺麗な上澄みだけを見せて、中の煮詰まってどろどろとした怒りや悲しみを隠して見ないふりをしている。

まるで貴族という生き物を表しているようだと思っていた。
正直つまらない。この曲は仰々しいだけで何も訴えるものも感じない。

その場にいる貴族たちも私の歌なんて聞いちゃいなかった。
背景の飾りと一緒だ。その場を飾るだけだ。

ほら。一番偉そうなところに座っている、あの若い男もつまらなそうな顔をしている。
あの男はこの前まで父親だろうか、年上の男と一緒に並んで座っていたのに、今日は一人だ。

そのつまらなそうにグラスを傾げ、私を見ていたのがジョシィだった。
ジョシィはつまらなそうに、私のことをじっと見ていた。

なぜかその視線が気になった。

私がつまらないと正面から言われているようで。

心の中を覗かれた気分だった。

恥ずかしかった。

つまらないことをしている自分を見られたくないと思った。

どうせ周りのお貴族様は私の歌なんか聞いちゃいない。

女を片手に抱き空っぽの自分を大きく見せようと誇示することに忙しく、私の歌なんて聞いていない男たちと違って、つまらそうな顔でも私の歌を聞いてくれているジョシィに向かって歌った。

華美で、軽くて、中身の無い歌を、それを私の"歌"に変えて。

歌い終わり、ジョシィの顔を見ると満足そうに頷いてくれた。

たぶん、その時にはもう恋に落ちていた。

その他のお貴族様からもよくやった! と拍手が鳴り、どうやら満足して頂けたようで領主様からの報酬が跳ねあがった。

初めて歌うことが楽しいと感じた瞬間だった。

その宴の終盤。領主様から「北の間に行け。歌の褒美があるそうだ」と指示があった。
そう。勘違いしちゃいけない。私は歌う娼婦なのだから。

指示された北の間にいたのはジョシィだった。
本当に先ほどの歌を褒めるつもりだけだったようで、全くそういった気配が無く、私は戸惑った。だから──

「お褒めいただきこの上なく幸せでございます。恐れながら、また趣向の異なる歌もお聞きいただければと存じます。いかがでしょうか……寝所で」

この男は娼婦から誘われるのがお好みなのかもしれないと思った。

だから私は出来るだけ艶っぽく誘った。
お貴族様の中には"相手から誘ってきたのだ"という言い訳が必要な場合もあるらしいことを知っているから。

本当にくだらない。
勝手にこの男に期待して、勝手に裏切られた気持ちになった。

ベールで見えないはずなのに、私の表情が見えたかのようにジョシィは軽快に笑った。

「いいや、遠慮しておくよ。君は素晴らしい歌を歌えるんだ。歌手として応援したい」

つい、ベールの中からジョシィの目をまじまじと見返してしまった。

歌手に? 私が?

「最初の……あの最近の流行りの曲を歌っている時の君はなんともつまらなそうだったけれど、中盤からの静かな曲はいいね。心に沁みるようだったよ。感じ入ってしまった」

そう語るジョシィの目に嘘は見つけられなかった。
私の歌を聞いてくれた。
私を認めてくれた。

もうそれだけで、胸が高鳴った。

あぁ、欲しい。
もっと、もっと欲しい。

そう、思ってしまった。

「──そのようにおっしゃって頂けて、心から喜びが溢れてきます。私も歌うことがとても好きなのです。今は領主様のご厚意で皆さまの前で歌わせて頂いておりますが、いよいよ……歌だけでは……その……厳しいと……」

悲しげに聞こえるように、喉を震わせた。
ベールをかぶっているおかげで、涙は流さなくて済んだ。

「なので本日、ついにどなたかの寝所に侍ることになってしまったのです。どうか私を少しでも哀れだと思ってくださるのでしたら、私の初めてのお客様になっていただけませんか? 私の歌を認めてくださったあなた様ならと……お願いしたいのです」

旅の一座のお姉さま方が聞いていたら笑われてしまうだろう。
私の初めてなんてとっくの昔のことで思い出すら残っていない。
むしろ、私たちの中でそんなものを思い出にする女なんていやしない。

しかし、この部屋には私とジョシィしかいない。
誰も見ていないのだ。
誰も、私たちがこれからすることを見て咎める者などいない。

それに彼もこういった接待は初めてじゃないだろうと私は思っていた。
だって、ここの領主様はこういった接待がお好みで、私もこうしてやって来た貴族の接待に侍ることは初めてではない。

所謂、日常なのだ。これが。

是と答えるに違いないと思っていたのに、ジョシィの答えは違っていた。

「──いや。すまないが、私は君を歌手として後援したいんだ。
それに、私は最近婚約してね。その事が頭に過ると、そうそう遊んでいてはいけないと思うようになってしまって」

困ったものだよ、と照れたように笑うジョシィに今度は胸を刺されたかのように苦しくなった。

「それはそれは……心よりお祝い申し上げます。とても愛情深いご様子とお見受けいたします。……さぞ素敵なお姫様なのでしょう。幸せな方ですわ」

「あぁ。昔から知っていたのだけれど、久しぶりに見たらすっかり大人になっていて驚いた。まだ小さな女の子だと思っていたのに……。彼女は昔からとても綺麗な瞳をしている子でね。あの瞳で見られると、自分の底まで見られているような気になるんだ。──遊んでいては嫌われてしまうからね、気を付けないと」

ああいけない喋りすぎたな、と照れたように笑んだ表情が目に焼き付いた。

「君もすぐ戻ったら怒られてしまうかな? もうしばらく、ここで休むといい。不自然じゃない時間になったら戻りなさい」

婚約者のことを語っていた時のジョシィの目は、愛しい人を見ているような温かさがあった。とても幸せそうな顔だった。

私もその目で見られたい。
私を、その目で見つめてほしい。

心の奥で顔も知らない女に嫉妬していた。

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