大切を押し付けられた聖女

ざっく

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婚約白紙

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王城の、王族と、その方々に許された者しか入ることが出来ないバラ園。
そこには真っ白なテーブルクロスに覆われた真っ白なテーブルと、その上を彩る色とりどりのお菓子とお茶。
そんな美しい光景の中、陽の光に当たってさらに輝く金髪をなびかせて、この国の王太子が座っている。
私は、テーブルに着くことも許されず、その前にじっと立っているだけだ。
輝く金髪と晴れ渡った初夏の空のような青い瞳。女性でも羨むほど白い肌と完璧に配置されたパーツ。誰よりも整った容姿を持つ王太子が、温度のない視線を私に向けた。
感情を乗せないと、本当に人形みたいだな。
なんて、現状と全く関係ないことを考えた。
「チェルシー・オルダマン侯爵令嬢」
彼――王太子、サミュエル・ドヴォクオークリー殿下は、書類を読み上げるように私の名前を呼ぶ。
「はい」
彼の婚約者であるはずの私は、返事をする以外に言葉を発することを許されていない。
「エメラルドが懐妊した。彼女と早急に婚姻を行うことになった。あなたとの婚約は白紙となった」
一息で言い終わると、伝えることは終わったとばかりに紅茶のカップを持ち上げた。
――は?
などと声を発したら、きっと、冷たい視線で睨まれるのだろう。
簡単な、とても簡単な伝達。
今までやってきた私の苦労も努力も我慢も諦めさえ、全てなかったことにする一言に、私は。
「かしこまりました」
そう返事をするしかできなかった。

私、チェルシーは元々、平民だ。
田舎の農家の生まれで、大家族の一員としてごく普通に暮らしていた。
田舎の農家での子供たちは、労働力だ。
毎日毎日、土を掘り返し、草をむしり、水を運んでいた。
ただ、なんとなくチェルシーが植えた作物は良く育つな~と言われていただけの娘。
私が十二の年、天候不順によって、村に飢饉が襲った。
だが、チェルシーが世話をしていた植物だけは、全く影響を受けなかったのだ。
その事実を領主さまが知り、教会が知り、私は聖女となった。
聖女なんて、童話の中だけの存在かと思っていた。
聖女はいるだけで、多くの恵みを与え、国を豊かにするのだと言い伝えられている。
だから、私はとても大切にされるはず。
大家族の中で、いてもいなくても同じ。きっと行方不明になっても2,3日気が付かれないかもしれないような、そんなに役に立たない娘。
そんな私が、きっと大切にされる。
私は、そのまま二度と家族には会えず、王都へと連れて行かれた。
どきどきしながら初めて足を踏み入れた絢爛豪華な城の中は、キラキラ眩しくて、あんまり楽しくなかった。
城で、大勢の貴族の見世物になり、当然のように王太子の婚約者となった。不満だと、私にだけ分かるように表情を歪めて見せる男性の婚約者に。
何もかも、誰かが決めた幸せで、光栄に思えと、大切を押し付けてくる。
泣いても拒否をしても、「こんなに良くしてあげているのに」と私が悪者になる。なんて我儘な女だと蔑まれる。
それでも、私を大切にしなければいけないから、私は、大切を押し付けられるのだ。
そんな中で、何故王太子が私との婚約を白紙にできたのかは知らない。
エメラルド――とは、公爵令嬢のことだろう。王太子の従姉妹だっただろうか。
華やかで美しく、お姫様のような女性だ。
彼女は、いつも大勢の人に囲まれて微笑んでいた。

王太子の前を辞し、部屋に戻ると、荷物がすっかりまとめられていた。
すぐにやってきた執事によって、城を下がるように伝えられた。
婚約者でなくなったから、城にいる理由がなくなった。だから、後見人であるオルダマン侯爵家に帰るのだと。
十二歳の時、王都に連れて来られて三年間暮らした場所だ。その後、城で三年間暮らし、先日、私は十八歳になり、成人したところだった。
「分かりました。準備を」
そう言うと、一瞬、侍女たちに不愉快そうに見られたが、気が付かないふりをする。
いつもいつも、気が付かないふりをしているから、どんどんあからさまになってきている。その表情に気が付いて、咎めて欲しいのだろうか。
自分では動いてはいけないと言われているから、着替えも食事も入浴も全てやってもらわないといけない。
その度に嫌そうな表情をされることが苦痛だと訴えて何になるだろう。
そうやって使用人を入れ替えても、濡れ衣を着せられて辞めさせられたと、彼らは周囲に訴えるのだろう。新しく来た使用人も、同じ表情をする。
何度繰り返しても同じこと。
平民が聖女へと取り上げられて、いい気になってわがまま放題だと言われ続けるのだ。

すぐに整えられた荷物と共に馬車に乗せられる。
荷物の確認はしない。絶対に持ち出したいものなどない。なんなら、荷物などなくてもいい。
「お世話になりました」
最後の挨拶だけはした。
二度と戻って来たくなんかない。ここから出られてうれしいと思っていても、表情だけは辛そうに。悔しそうに。
その表情で、彼らは満足するのだから。

馬車は、間もなくオルダマン侯爵邸に到着する。
高位の貴族であるオルダマン侯爵は、城のごく近くに屋敷を構えるほどの権力者だ。
「チェルシー。おかえり」
この方が後見になってくれたことだけが、私の幸せだ。
「ただいま戻りました。お父様」
私は、ようやく肩の力を抜いて、笑顔で挨拶をした。
そして、帰ってきてしまったことに罪悪感を抱く。
農民の娘だった私を、王太子の婚約者となれるまで教育してくれたのは、この家の人たちだ。
「そんな顔をしなくてもいい。疲れただろう。早めの夕食にしよう」
オルダマン侯爵の言葉に従って、使用人たちが私の荷物をあっという間に運んでくれる。
この家で暮らしていた時に私の世話をずっとしていてくれたアナが、嬉しそうに「おかえりなさいませ」と言ってくれた時は、涙がにじんでしまった。

お父様は、急な病で最愛の奥様を亡くし、呆然自失のところに聖女となった娘の後見をお願いされた不憫な方だ。
貴族のしきたりなど全く知らない、嫌なことは嫌だと言って泣き叫んでいた頃の私に「そうか」と同意してくれた初めての人。
「やらなければならないことがあるということは、気持ちを紛らわせてくれる」
そう言いながら、私に文字を教えてくれた。
「チェリー!勉強ばかりでは面白くないだろう?ピクニックに行こう!」
私をチェリーと愛称で呼び、一緒に遊んでくれたお兄様。ダイナン・オルダマン侯爵令息。
私の五歳も年上で、幼い私によく付き合って遊んでくれた。
「ダイナン。お前はもう少し勉強をしろ」
「父上。勉学はメリハリが大切なのです。やる時は思い切り、休む時も思い切りです」
「お前が勉強を思い切りやっているのを見たことがない」
「短期集中型なので」
ぽんぽんと弾むように交わされる親子の会話。
「チェリーは私と刺繍をするのよ」
そこに、オルダマン侯爵家長女のソフィアが参戦するのもいつものことだ。
ソフィアは、私がこの家に来てすぐに隣国へ嫁いで行ってしまったが、それまではいつも淑女が身につけておいた方がよいことを楽しみながら教えてくれていた。
「姉上……!チェリーは頑張りすぎだ。俺と遊びたいだろう?」
「チェルシー、ダイナンを甘やかしてはいけない」
そんな家族の会話に、私を自然と参加させてくれている。
家族と離されてしまったけれど、私はこの家族の傍で、とても幸せだった。
温かくて柔らかな空気に包まれて、この家にいた三年間は、大切にされたと感じられた。
本当はお城になんか行きたくなかった。
だけど、侯爵もダイナンも何も言わないけれど。オルダマン侯爵家の名を貰った私が、王太子の婚約者になることを望まれていた。
家庭教師に、聖女として王族に嫁ぐことこそ、オルダマン家の力をさらに高めるのだと幾度となく教わったのだ。
私が来て1年経った頃、ソフィアは隣国へ行ってしまった。
ダイナンが領地経営を学ぶために周辺国へ留学すると聞いた。
何故、私だけが城に行くのが嫌だとわがままが言えるだろうか。

嫁ぐのも勉強するのも、全ては領民のため。私は、オルダマン侯爵家の人たちのために。
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