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11.守護竜の森
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「マイリス、行こうか」
身支度と少し遅い朝食を終えたところで、王がにっこりと笑った。
昨夜、守護竜のところへ連れて行くと言っていたが、本気だったらしい。
「では、護衛のものに声を……」
「いや、いい」
「え?」
「ふたりで行こう」
「クスティ様!?」
王はマイリスの手を引いて窓へと向かう。ゆるゆる開いたり閉じたりする翼に、マイリスは嫌な予感しかしない。
「クスティ様、まさか」
その疑問に答える代わりに、王は窓をバンと開け放った。そのままひょいとマイリスを抱き上げて翼を広げる。
「まさか、このまま飛んでいらっしゃると!?」
やはりそうなのかと声をあげるマイリスに、王はもちろんだと頷いた。
調子を見るようにばさりばさり数度翼を羽ばたかせながら、まっすぐバルコニーへと歩み出る。
「そのほうが早いし、この辺りで俺に襲い掛かろうという飛ぶ生き物はいない。地上よりずっと安全だぞ」
「ですが、私を抱えてでは……」
「大丈夫だ。お前のひとり程度抱えたところで、たいした荷物ではない」
そういうものではない。せめて、誰かにひと声掛けて……。
と、思う間もなく、王がいきなり空中へと舞い上がる。大きくひらめく翼が、上へ上へとふたりを運んでいく。
「しっかり掴まっていろよ」
少し冷たい風をはらんで、力強く羽ばたいて、どんどん加速していく。馬を軽く駆けさせるくらいの速度は出ているようだ。
竜の翼は強いと言われるが、聞いている以上じゃないだろうか。
マイリスは目を瞠り、まるで模型のように小さくなった大地の様子を見つめる。
遥か彼方には、地上では丘陵に阻まれて見えないはずの、北の地とこの国を隔てる北壁山脈の稜線すら見えるほどだ。
「父の森は、飛べば一刻も掛からない程度の場所だ。母が俺に譲位してからずっと、ふたりでそこに住んでいたんだ。
時折、必要なものを運んではいたが、母が亡くなってからはそれもさっぱりだった。会うのは相当に久しぶりだな」
「では、楽しみですね」
こうなっては仕方ないと、諦めたように笑うマイリスに、王は機嫌よく滑空した。時折、腕の中のマイリスの顔を啄ばんだり、曲芸のようにくるくる回ったりしながら、ますます高く、速く飛んで行く。
王は本当に疲れたりしないのかと、心配になるほどのはしゃぎようだ。
「見えて来たぞ。あの森だ」
正面の眼下に小ぢんまりとした森が見えた。
広さはさほどでもないだろう。おそらくは、庭園や離宮も含めた王宮ほどの広さの、小さな森だ。
木々は密によく茂っている。
王の近づく気配を察してか、たくさんの小鳥も飛び立った。
小さくても実りの多い、豊かな森なんだろう。
ひゅう、と風を切って、王は滑るように高度を下げていく。
ばさり、ばさりと大きく羽ばたいて速度を落とし、木々の高さまで降りる頃には、まるで浮いていると感じるほどにゆっくりになっていた。
木々のひらけた場所には、陽光にきらめく水面があった。
「湖ですか?」
「ああ。小さめだが、深さも十分で魚も多いと聞いた。少々冷たいが、水も澄んでいる。夏になれば泳げるな」
「素敵な森ですね」
「だろう? 父と母が整えたんだ。今は、父がゆっくりと育てているところか」
湖のほとりに静かに着地すると、王はそっとマイリスを地面に下ろした。ずっと捕まっていたせいか、身体が少し固まってしまったようだ。
「父上! 俺だ! クスティが来たぞ!」
急に声を張り上げた王に、マイリスは驚いてびくりと飛び上がる。
そこへ、がさりと木々を揺らしながら大きな影が姿を現わした。
「クスティ。飛び方を覚えたばかりの雛竜のようにはしゃいでどうした。お前は成竜になって何年経ったと思っている?」
「父上、久しぶりなのだし、固いことは無しにしてくれ。それに、俺の宝を見せに来たんだからな!」
木々の影から静かに現れたのは、見上げるほどに大きな竜だった。
明るい金から青みがかった緑へと変わる青銅色の鱗や角も、翠玉のように深い緑にきらめく目も、クスティのそれとよく似た色合いだ。
その身体だけで戦馬くらいの大きさだろうか。長く伸びた首と尾を合わせれば三倍にはなるだろうし、翼を広げればもっと大きいだろう。
人を二、三人乗せても飛べるくらい、力もありそうだった。
マイリスが生粋の竜を目にするのは、これが初めてだ。その威風堂々たる体躯を、ただぽかんと見上げてしまう。
「宝というと、ようやく見つけたのか」
「ああ、俺の大切な大切な宝なんだ。いいだろう、父上」
自慢げにマイリスの肩を抱く王を、竜は目を細めて楽しそうに見つめる。
ようやく我に返ったマイリスは、慌ててぺこりと深く頭を下げた。
「守護竜殿には初にお目にかかります、マイリス・エルヴェラムです」
「ふむ……エルヴェラムか、聞いたことがあるぞ。確か、騎士の家だったか。
エイシャ……ああ、ウルリカ女王が、少々堅苦しいが信用のできる家だと話していたことがあったな」
「は、はい!」
思いがけない守護竜の言葉に、マイリスの顔が興奮で紅潮する。
まさか、守護竜に家名を覚えられていたなんて。
「前陛下にそう評していただけていたとは、光栄の極みです。守護竜どのに覚えていただけていたことも、父や祖父が知ればたいそう喜ぶかと存じます」
ふむ、と守護竜が頷いた。じっとマイリスを見つめる、その輪郭が急に朧になって、次の瞬間には人間の姿になっていた。
「父上が人型になるなんて、珍しい」
目を丸くする王に、守護竜がくすりと笑った。
「せっかくお前が伴侶を連れてきたのだ。この方がゆっくり話せるだろう?」
「あ、あの、守護竜殿、わざわざ、その、たいへんありがたく存じます」
「マイリス、あまりかしこまらなくていい。普通に話してくれ。私は身分も何も持っていないただの竜だ」
人型になった守護竜は、王よりも幾分か歳上といった風体で、よく鍛えた身体つきをしている。
竜の姿の時のような色合いの金の髪に、王とよく似た緑の目。身長は、半竜の姿の王のほうが、頭半分ほど高い。
それに、身のこなしからも察せられるように、剣も使えるんだろう。たぶん、マイリスが使えるほどには使えるのではないか。
「こちらに椅子があるはずだ。少々傷んではいるが、まだ使えると思う」
守護竜は、ふと思い出したように空に向かって少し高い声で吼えた。すぐ寄ってきた何羽かの鳥に、何かを話しかけているかのように、小さく唸る。
案内されたのは、石を削って作った小さなテーブルと椅子だった。
席についてほどなくして、鳥たちが木の実や果実を咥えてやってきた。卓上に次々と積み上がる森の実りに、マイリスの目が丸くなる。
さっきのあれは、守護竜が鳥たちにこれを頼んでいたのか。
「ちょうど、夏の実りがある時期で良かった」
「マイリス、父上の森の実りはどれもうまいんだ。何しろ、母上のために選りすぐった木ばかりだからな」
「はい……たいへん恐縮です。突然の訪問でしたのに」
どれもこれも、艶やかでよく熟れて、食べごろになったものばかりだ。
呆然としているマイリスの目の前で、王の指が、積み上がった中から真っ赤なキイチゴを摘み上げ、ぱくりと口に放り込んだ。
「甘い。マイリスも食べてみろ」
ほら、と口元に差し出されたキイチゴを、マイリスは少しの逡巡の後にぱくりと食べた。守護竜が、そのようすを楽しそうに眺めている。
たしかに、よく熟していてとても甘い。
もいだばかりとは思えないくらいだ。
「次は杏だ」
あれもこれも、次から次へ食べさせようとする王をどうにか押し留めようと、マイリスは苦戦する。
おもしろいと思っているのか、それとも微笑ましいと思っているのか。
守護竜はくっくっと笑いながらその様子を眺めていた。
「マイリス、後でエイシャを見舞ってくれるか」
「前王陛下でいらっしゃいますね。はい、もちろんです」
「エイシャもきっと喜ぶと思う。息子がいつまでもふらふらと落ち着かないことを、ずっと気に掛けていたからな」
「――母上は少し心配症だったのだ。俺なら大丈夫だと何度も言ったのに、ちっとも本気にしてくれなかった」
口を尖らせるクスティに、守護竜がやれやれと笑った。父竜の前で、王はいつにもまして子供っぽいようだ。マイリスもつられて笑ってしまう。
「クスティの返事は適当で困ったものだと、エイシャはいつも言っていたぞ」
「あ、あの、僭越ながら。クスティ様は国をよく治めてくださっておりますし、民からは賢王と慕われております。
ですから、前王陛下も守護竜殿も、どうかご心配なさらず……」
けれど、あまりあげつらって、また王がヘソを曲げても困る。
慌てるマイリスの言葉に守護竜は目を瞠り……それから、ああ、とうれしそうに頷いた。
「もちろんわかっているとも。そうでなくば、エイシャとの約束にかけて、私が正しに出張らねばならんところだ」
「退いたふりをして現王を傀儡にしようなどとは、とんだ守護竜だな」
「いい歳のくせに、親の世話が必要な未熟者でなくてよかったと言ってるのだ」
王は顔を顰め、マイリスに耳打ちするように口を寄せた。
「マイリス、父上は、何かというと母上を引き合いに出して、俺では足りんと言うんだ。この際だから、もっと俺がちゃんとしているとよく言い聞かせてやってくれ。俺の声ではどうにも聞こえなくとも、マイリスの声なら聞こえるだろう」
「え、その……」
「マイリス。クスティの言うことを何もかも聞くことはないのだからな」
困ったように守護竜と王を見比べるマイリスに、守護竜が笑いながら首を傾げた。
ですが、と、マイリスも困ったように笑い返す。
「だめだと思った時には、思い切り尻を蹴飛ばしてやれ。尻尾を掴んでぶんぶん振り回してやってもいい」
「しゅ、守護竜殿、いくらなんでもそれは不敬に過ぎますから……」
「こいつが雛の時分は、いくら言っても聞かないときにはそうしていたぞ」
子供の頃を思い出したのか、王の眉がぐぐっと寄った。
この話題はあまりよろしくない、とマイリスの背を汗が伝う。ほかに何か……と考えて、それから、ふと気になっていたことを尋ねてみることにした。
「あの……少しだけ気になっていたのですが」
「ん?」
何か? と、守護竜は頷いて先を促す。
「クスティ様の、私が呼ぶことを許されたお名前や、守護竜殿が前王陛下をお呼びになる時のお名前というのは、もしかして、竜の名なのでしょうか。
おふた方とも、私が存じ上げているお名前とは違うようなのですが」
「ああ、そんなことか。クスティは説明していないのか?」
ちらりと見やってくっくっと笑う守護竜に、王はやっぱりおもしろくなさそうな顰め面を返す。
「マイリス、ストーミアン王家は、皆、幼い時は幼名を使うんだ。幼名は親くらいしか知らないものだから、お前も聞いたことなかったんだろう。俺は、外向きにはトールヴェルト・ストーミアンだが、正式にはトールヴェルト・クスティ・ストーミアンになる。母上の正式な名乗りも、ウルリカ・エイシャ・ストーミアンだ。
だが、正式な名乗りなんぞほぼ使うことはないな」
「そうなのですか」
クスティは、親しいものだけが知る呼び名をマイリスに許してくれたのか。
「クスティは言葉が足りん。ここにエイシャがいたら、呆れ返って小言に終始するだろうな」
「――俺は父上に似たんだろう」
「私はお前よりももっと言葉を尽くしていたと思うのだがな」
「それは父上の気のせいだ」
呆れる守護竜に、王はまた憤然と眉を寄せる。
楽しい時間はあっという間に過ぎてしまう。
守護竜はとても気さくな竜だった。
それに、たしかに、王はこの竜の子なのだ。時折醸し出す雰囲気や考え方の端々に似通ったところを見つけては、マイリスは少しうれしくなる。
前王であるエイシャの墓所……花に埋もれた森の一角にしか見えなかったが、そこにも案内された。
王家の墓所は別にあるが、そこに安置された前王の棺は空だ。公にはされていないが、前王たっての願いでここに埋葬されたのだという。
ここにいるとエイシャを感じられる。
そう呟き、静かに佇む守護竜の背を、マイリスはじっと見つめる。
「クスティ様?」
「ん」
王はおもむろにマイリスを引き寄せると、しっかりと抱き締めた。
身支度と少し遅い朝食を終えたところで、王がにっこりと笑った。
昨夜、守護竜のところへ連れて行くと言っていたが、本気だったらしい。
「では、護衛のものに声を……」
「いや、いい」
「え?」
「ふたりで行こう」
「クスティ様!?」
王はマイリスの手を引いて窓へと向かう。ゆるゆる開いたり閉じたりする翼に、マイリスは嫌な予感しかしない。
「クスティ様、まさか」
その疑問に答える代わりに、王は窓をバンと開け放った。そのままひょいとマイリスを抱き上げて翼を広げる。
「まさか、このまま飛んでいらっしゃると!?」
やはりそうなのかと声をあげるマイリスに、王はもちろんだと頷いた。
調子を見るようにばさりばさり数度翼を羽ばたかせながら、まっすぐバルコニーへと歩み出る。
「そのほうが早いし、この辺りで俺に襲い掛かろうという飛ぶ生き物はいない。地上よりずっと安全だぞ」
「ですが、私を抱えてでは……」
「大丈夫だ。お前のひとり程度抱えたところで、たいした荷物ではない」
そういうものではない。せめて、誰かにひと声掛けて……。
と、思う間もなく、王がいきなり空中へと舞い上がる。大きくひらめく翼が、上へ上へとふたりを運んでいく。
「しっかり掴まっていろよ」
少し冷たい風をはらんで、力強く羽ばたいて、どんどん加速していく。馬を軽く駆けさせるくらいの速度は出ているようだ。
竜の翼は強いと言われるが、聞いている以上じゃないだろうか。
マイリスは目を瞠り、まるで模型のように小さくなった大地の様子を見つめる。
遥か彼方には、地上では丘陵に阻まれて見えないはずの、北の地とこの国を隔てる北壁山脈の稜線すら見えるほどだ。
「父の森は、飛べば一刻も掛からない程度の場所だ。母が俺に譲位してからずっと、ふたりでそこに住んでいたんだ。
時折、必要なものを運んではいたが、母が亡くなってからはそれもさっぱりだった。会うのは相当に久しぶりだな」
「では、楽しみですね」
こうなっては仕方ないと、諦めたように笑うマイリスに、王は機嫌よく滑空した。時折、腕の中のマイリスの顔を啄ばんだり、曲芸のようにくるくる回ったりしながら、ますます高く、速く飛んで行く。
王は本当に疲れたりしないのかと、心配になるほどのはしゃぎようだ。
「見えて来たぞ。あの森だ」
正面の眼下に小ぢんまりとした森が見えた。
広さはさほどでもないだろう。おそらくは、庭園や離宮も含めた王宮ほどの広さの、小さな森だ。
木々は密によく茂っている。
王の近づく気配を察してか、たくさんの小鳥も飛び立った。
小さくても実りの多い、豊かな森なんだろう。
ひゅう、と風を切って、王は滑るように高度を下げていく。
ばさり、ばさりと大きく羽ばたいて速度を落とし、木々の高さまで降りる頃には、まるで浮いていると感じるほどにゆっくりになっていた。
木々のひらけた場所には、陽光にきらめく水面があった。
「湖ですか?」
「ああ。小さめだが、深さも十分で魚も多いと聞いた。少々冷たいが、水も澄んでいる。夏になれば泳げるな」
「素敵な森ですね」
「だろう? 父と母が整えたんだ。今は、父がゆっくりと育てているところか」
湖のほとりに静かに着地すると、王はそっとマイリスを地面に下ろした。ずっと捕まっていたせいか、身体が少し固まってしまったようだ。
「父上! 俺だ! クスティが来たぞ!」
急に声を張り上げた王に、マイリスは驚いてびくりと飛び上がる。
そこへ、がさりと木々を揺らしながら大きな影が姿を現わした。
「クスティ。飛び方を覚えたばかりの雛竜のようにはしゃいでどうした。お前は成竜になって何年経ったと思っている?」
「父上、久しぶりなのだし、固いことは無しにしてくれ。それに、俺の宝を見せに来たんだからな!」
木々の影から静かに現れたのは、見上げるほどに大きな竜だった。
明るい金から青みがかった緑へと変わる青銅色の鱗や角も、翠玉のように深い緑にきらめく目も、クスティのそれとよく似た色合いだ。
その身体だけで戦馬くらいの大きさだろうか。長く伸びた首と尾を合わせれば三倍にはなるだろうし、翼を広げればもっと大きいだろう。
人を二、三人乗せても飛べるくらい、力もありそうだった。
マイリスが生粋の竜を目にするのは、これが初めてだ。その威風堂々たる体躯を、ただぽかんと見上げてしまう。
「宝というと、ようやく見つけたのか」
「ああ、俺の大切な大切な宝なんだ。いいだろう、父上」
自慢げにマイリスの肩を抱く王を、竜は目を細めて楽しそうに見つめる。
ようやく我に返ったマイリスは、慌ててぺこりと深く頭を下げた。
「守護竜殿には初にお目にかかります、マイリス・エルヴェラムです」
「ふむ……エルヴェラムか、聞いたことがあるぞ。確か、騎士の家だったか。
エイシャ……ああ、ウルリカ女王が、少々堅苦しいが信用のできる家だと話していたことがあったな」
「は、はい!」
思いがけない守護竜の言葉に、マイリスの顔が興奮で紅潮する。
まさか、守護竜に家名を覚えられていたなんて。
「前陛下にそう評していただけていたとは、光栄の極みです。守護竜どのに覚えていただけていたことも、父や祖父が知ればたいそう喜ぶかと存じます」
ふむ、と守護竜が頷いた。じっとマイリスを見つめる、その輪郭が急に朧になって、次の瞬間には人間の姿になっていた。
「父上が人型になるなんて、珍しい」
目を丸くする王に、守護竜がくすりと笑った。
「せっかくお前が伴侶を連れてきたのだ。この方がゆっくり話せるだろう?」
「あ、あの、守護竜殿、わざわざ、その、たいへんありがたく存じます」
「マイリス、あまりかしこまらなくていい。普通に話してくれ。私は身分も何も持っていないただの竜だ」
人型になった守護竜は、王よりも幾分か歳上といった風体で、よく鍛えた身体つきをしている。
竜の姿の時のような色合いの金の髪に、王とよく似た緑の目。身長は、半竜の姿の王のほうが、頭半分ほど高い。
それに、身のこなしからも察せられるように、剣も使えるんだろう。たぶん、マイリスが使えるほどには使えるのではないか。
「こちらに椅子があるはずだ。少々傷んではいるが、まだ使えると思う」
守護竜は、ふと思い出したように空に向かって少し高い声で吼えた。すぐ寄ってきた何羽かの鳥に、何かを話しかけているかのように、小さく唸る。
案内されたのは、石を削って作った小さなテーブルと椅子だった。
席についてほどなくして、鳥たちが木の実や果実を咥えてやってきた。卓上に次々と積み上がる森の実りに、マイリスの目が丸くなる。
さっきのあれは、守護竜が鳥たちにこれを頼んでいたのか。
「ちょうど、夏の実りがある時期で良かった」
「マイリス、父上の森の実りはどれもうまいんだ。何しろ、母上のために選りすぐった木ばかりだからな」
「はい……たいへん恐縮です。突然の訪問でしたのに」
どれもこれも、艶やかでよく熟れて、食べごろになったものばかりだ。
呆然としているマイリスの目の前で、王の指が、積み上がった中から真っ赤なキイチゴを摘み上げ、ぱくりと口に放り込んだ。
「甘い。マイリスも食べてみろ」
ほら、と口元に差し出されたキイチゴを、マイリスは少しの逡巡の後にぱくりと食べた。守護竜が、そのようすを楽しそうに眺めている。
たしかに、よく熟していてとても甘い。
もいだばかりとは思えないくらいだ。
「次は杏だ」
あれもこれも、次から次へ食べさせようとする王をどうにか押し留めようと、マイリスは苦戦する。
おもしろいと思っているのか、それとも微笑ましいと思っているのか。
守護竜はくっくっと笑いながらその様子を眺めていた。
「マイリス、後でエイシャを見舞ってくれるか」
「前王陛下でいらっしゃいますね。はい、もちろんです」
「エイシャもきっと喜ぶと思う。息子がいつまでもふらふらと落ち着かないことを、ずっと気に掛けていたからな」
「――母上は少し心配症だったのだ。俺なら大丈夫だと何度も言ったのに、ちっとも本気にしてくれなかった」
口を尖らせるクスティに、守護竜がやれやれと笑った。父竜の前で、王はいつにもまして子供っぽいようだ。マイリスもつられて笑ってしまう。
「クスティの返事は適当で困ったものだと、エイシャはいつも言っていたぞ」
「あ、あの、僭越ながら。クスティ様は国をよく治めてくださっておりますし、民からは賢王と慕われております。
ですから、前王陛下も守護竜殿も、どうかご心配なさらず……」
けれど、あまりあげつらって、また王がヘソを曲げても困る。
慌てるマイリスの言葉に守護竜は目を瞠り……それから、ああ、とうれしそうに頷いた。
「もちろんわかっているとも。そうでなくば、エイシャとの約束にかけて、私が正しに出張らねばならんところだ」
「退いたふりをして現王を傀儡にしようなどとは、とんだ守護竜だな」
「いい歳のくせに、親の世話が必要な未熟者でなくてよかったと言ってるのだ」
王は顔を顰め、マイリスに耳打ちするように口を寄せた。
「マイリス、父上は、何かというと母上を引き合いに出して、俺では足りんと言うんだ。この際だから、もっと俺がちゃんとしているとよく言い聞かせてやってくれ。俺の声ではどうにも聞こえなくとも、マイリスの声なら聞こえるだろう」
「え、その……」
「マイリス。クスティの言うことを何もかも聞くことはないのだからな」
困ったように守護竜と王を見比べるマイリスに、守護竜が笑いながら首を傾げた。
ですが、と、マイリスも困ったように笑い返す。
「だめだと思った時には、思い切り尻を蹴飛ばしてやれ。尻尾を掴んでぶんぶん振り回してやってもいい」
「しゅ、守護竜殿、いくらなんでもそれは不敬に過ぎますから……」
「こいつが雛の時分は、いくら言っても聞かないときにはそうしていたぞ」
子供の頃を思い出したのか、王の眉がぐぐっと寄った。
この話題はあまりよろしくない、とマイリスの背を汗が伝う。ほかに何か……と考えて、それから、ふと気になっていたことを尋ねてみることにした。
「あの……少しだけ気になっていたのですが」
「ん?」
何か? と、守護竜は頷いて先を促す。
「クスティ様の、私が呼ぶことを許されたお名前や、守護竜殿が前王陛下をお呼びになる時のお名前というのは、もしかして、竜の名なのでしょうか。
おふた方とも、私が存じ上げているお名前とは違うようなのですが」
「ああ、そんなことか。クスティは説明していないのか?」
ちらりと見やってくっくっと笑う守護竜に、王はやっぱりおもしろくなさそうな顰め面を返す。
「マイリス、ストーミアン王家は、皆、幼い時は幼名を使うんだ。幼名は親くらいしか知らないものだから、お前も聞いたことなかったんだろう。俺は、外向きにはトールヴェルト・ストーミアンだが、正式にはトールヴェルト・クスティ・ストーミアンになる。母上の正式な名乗りも、ウルリカ・エイシャ・ストーミアンだ。
だが、正式な名乗りなんぞほぼ使うことはないな」
「そうなのですか」
クスティは、親しいものだけが知る呼び名をマイリスに許してくれたのか。
「クスティは言葉が足りん。ここにエイシャがいたら、呆れ返って小言に終始するだろうな」
「――俺は父上に似たんだろう」
「私はお前よりももっと言葉を尽くしていたと思うのだがな」
「それは父上の気のせいだ」
呆れる守護竜に、王はまた憤然と眉を寄せる。
楽しい時間はあっという間に過ぎてしまう。
守護竜はとても気さくな竜だった。
それに、たしかに、王はこの竜の子なのだ。時折醸し出す雰囲気や考え方の端々に似通ったところを見つけては、マイリスは少しうれしくなる。
前王であるエイシャの墓所……花に埋もれた森の一角にしか見えなかったが、そこにも案内された。
王家の墓所は別にあるが、そこに安置された前王の棺は空だ。公にはされていないが、前王たっての願いでここに埋葬されたのだという。
ここにいるとエイシャを感じられる。
そう呟き、静かに佇む守護竜の背を、マイリスはじっと見つめる。
「クスティ様?」
「ん」
王はおもむろにマイリスを引き寄せると、しっかりと抱き締めた。
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