さげわたし

凛江

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第六章 アメリア その三

エイミー先生①

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(ここまでとんとん拍子に話が進むとは思わなかったわ…)
アメリアは校門から校舎を振り返り、満足気に微笑んだ。

「エイミー先生さようなら」
「はい、さようなら、暗いから気をつけてね」
「先生さようなら!また明日!」
「はい、また明日ね。寄り道しないで、気をつけて帰るのよ」
「「はーい」」
子供たちが元気に手を振ってそれぞれの方向へ帰って行く。
中にはちらほら大人の顔も見えるが、皆楽しそうに声が弾んでいる。

アメリアが夜間学校をセドリックに提案したのは、悪く言えば思いつきだった。
まさかセドリックが全面的にアメリアの言葉を受け入れ、これほど早く動いてくれるなんて。

サラトガ領に来てからの数ヶ月間、アメリアは身分を隠して領民たちと交流してきた。
そしてジャンのように学校に通えない子供たちがいることに気づいた。
領民は皆、自分たちの領主が自領ばかりか国を守った英雄だということに誇りを持っていて、敬いはすれど反発する者などほとんどいない。
セドリック自身もそれに胡座をかかず全領民を幸せにしようと必死に働いているのはわかっている。
でも、それでも、そこからこぼれ落ちる民も少なからずいるのは確かなことだ。

でもだからといって、自分に出来ることなど何もないとアメリアは思っていた。
夫人としてサラトガ公爵家の家政に全く関わっていない自分が意見する立場ではないと思っていたし、何よりアメリアが首を突っ込むことを、セドリックが受け入れてくれるとも思えなかったから。

しかし子供たちと交流を続けるうち、もどかしくなった。
子供たちに乞われるままに勉強を教えるようになり、さらに彼らの実情を知れば、尚更もどかしい気持ちが大きくなる。

子供たちは可愛く、皆アメリアの話を目をキラキラさせながら聞いてくれた。
そうしているうち、もしかしたら自分にも何か出来るかもしれないと考えた。
公爵夫人として後継を産むこと以外にも、領民の役に立てる道があるのではないかと思ったのだ。

アメリアの提案を受け入れてくれてからのセドリックの動きは早かった。
元々あった義務教育の学校に夜間部を併設し、教師として元家庭教師たちを呼び寄せた。
生徒が増えれば、もっと教師を増やす準備もあると言う。
セドリックはアメリアの希望通りの、いや、それ以上の場を築いてくれた。
生徒の中には、親子で、いや、家族で通う者もいる。
毎日可愛い子どもたちや意欲ある大人たちに囲まれて、アメリアは自分の持っている知識を総動員して教壇に立つ。
次は何を教えようか、これをどうやって教えようかと、明日への夢が広がっていく。

相変わらず屋敷では家庭菜園や料理に勤しんでいるアメリアは、もちろん使用人たちとの関係も良好なままだ。
お互い忙しくセドリックと共に食事をとる時間は減ったが、それでも顔を合わせた時は夜間学校の運営について語り合ったり、以前よりよっぽど建設的な会話ができていると思う。

やりがいのある仕事と穏やかな家庭生活を手に入れ、アメリアの生活は今、生まれてから一番充実している。
毎夜一日を終える時、アメリアは満ち足りた思いで、穏やかに床につくのだ。

今のセドリックとアメリアは、夜間学校という限定的な事のみについてではあるが、同じ方向を向けていると思う。
セドリックはアメリアの言葉を真摯に聞いてくれ、力になってくれている。
彼は以前、夫婦として心を通じ合わせたいと言っていた。
それを言葉にも態度にも出し、寄り添おうとしてくれているのを感じる。

「…これだって、心を通じ合わせてるって言えるわよね…」
最後の生徒を見送った後、アメリアはぽつりと呟いた。
夫婦の情愛とは違うが、今二人は同じ目標を持つ言わば同士だ。

情愛の類いで言えば、正直アメリアの一度冷え切ってしまった恋心はセドリックに向かっていない。
せめて子を成すために体だけでも繋げればいいだろうが、今はそれも難しいように思う。

ただ、今のアメリアには、生徒たちに寄り添い立派に送り出すという使命ができた。
生徒たちは可愛く、どの子も等しく大事だと思う。
なら、自分の子じゃなくたっていいんじゃないだろうか。

毎日子供たちと接するうち、アメリアの中にある思いが生まれた。
アメリアはずっと自分の子供を持つことにこだわってきたが、こうして心血を注げる仕事を持った今、諦めてもよいのではないかと。
それに、こうして将来サラトガ領を担っていってくれる人材を育てることだって、公爵夫人としての立派な仕事なのではないかと。

そもそも、セドリックの後継を産むのは自分じゃなくても良い。
王命の婚姻を解消することはできないし妾を持つことも難しいが、何年も後継ができなければ、話も違ってくるだろう。
後継を得るために、絶対に周囲から離縁の話が出てくるはずだ。
(そうしたら…、陛下に離縁をお願いしよう…)

アメリアはセドリックに拒まれた夜以来、ずっと考えていたのだ。
セドリックはアメリアと離縁して、新たな花嫁を迎えるのが一番良いのではないかと。
何の後ろ暗いことのない清廉潔白な花嫁なら、彼と心を通じ合わせ、幸せな夫婦になることだろう。

ただ、降嫁した王女を離縁してはセドリックの名前に傷が付くため、それ相応の理由が必要だ。
そこで、全く公爵夫人としての勤めを果たさず後継も生めない傲慢な妻ということが、きっとセドリックの名誉を守ってくれる。
本当は死んだことにでもしてくれれば堂々と平民になれると思うのだが、それは兄である国王を深く悲しませるだろうと諦めた。

そして、これもまたとても傲慢な思いかもしれないが、できることなら、離縁した後も自分をサラトガ領内に置いて欲しいとも思う。
せっかく打ち込める場所を見つけたのに、もうそれを諦めたくはない。
それに、自分にはもう離縁されても戻る場所などないのだから。

このまま、公爵夫人だった事実を明かさずに平民の『エイミー』となって、教師をしながら細々と、しかし穏やかに暮らす。
今のアメリアの、ささやかな夢である。

後継も作れない、公爵夫人としてのつとめも何一つ果たせなかった自分であっても、決して邪魔はしないから、そのくらいのわがままは許してもらえないだろうか。
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