2 / 87
1巻
1-2
しおりを挟む
何故かというと、魔法陣のようなものが書かれた燭台の上に、光の玉が浮いているからだ。それが、薄暗い廊下を照らしている。
(あれ、どう見ても宙に浮かんでるよね……。意味分かんない)
おかしなことばかり起きているが、今感じている寒さは本物だ。そこまで考えた時、結衣の頭に突拍子もない考えが浮かんだ。
(ここは明らかに日本じゃない。それどころか、もしかして私……異世界に来てしまったんじゃ?)
それはもはや、ほとんど確信に近かったが、結衣は認めたくなかった。だから否定してもらえることを期待して、黒髪の青年を問い詰める。
「ねぇ、ちょっと訊いてもいいですか? 私は日本の片田舎にある訓練所にいたのに、なんで西洋文明のど真ん中にいるんですか? あなた達のその古臭い格好は、お祭りじゃないなら何? それにそこら中にあるオカルトじみたものは、いったい何なの!?」
結衣は一息にまくしたてた。だが黒髪の青年は至って冷静に、淡々と応じる。
「セイヨウ文明というのがどこの文明かは存じ上げませんが、我々の名誉のために言わせて頂ければ、この服装は古臭くなどありません。むしろ最新の流行です。そして、お祭りだからこんな格好をしているわけでもありません。『オカルト』というものも存じませんが、周りにあるのは魔法を用いた照明器具です。燃料は魔石になります」
「えっ、魔法!?」
「何ですか、急に」
いきなり大声を上げた結衣に驚いた様子で、黒髪の青年が僅かに身を引いた。結衣は慎重に確かめる。
「魔法って、えーと、箒で空を飛ぶとか、人を蛙にするみたいな術のこと?」
「まさか。魔法で空を飛ぶことは出来ません。せいぜい少しの間、宙に浮く程度です。そもそも、何故箒で空を飛ぶのか分かりませんね……、箒は掃除用具では? それに、変化の魔法はせいぜい髪の色を変えるくらいで、かなり熟練した者でも目の色を変えるのがやっとです。動物に化けるなんて、とても……」
「他には何ができるの?」
「魔法には戦闘で使うものと、生活に使うものがあります。その照明器具は、生活に使う魔法の代表的なものですね」
「あなたも魔法を使えるんですか? 良かったら見せて下さい! 見たい!」
だんだん興奮してきた結衣は、黒髪の青年に頼み込む。魔法なんて目にしたらここが異世界であることを認めざるを得なくなるが、見られるものなら見てみたかった。だが、黒髪の青年は首を横に振る。
「駄目ですよ。神殿内では緊急時以外、魔法の使用は禁止されていますので。ここは魔法を使わずに生活する、修行の場でもあるのです」
「そうなんですか」
文明の利器を使わず、山ごもりをするような感覚なんだろうかと、結衣は首をひねる。
「でも、あの明かりも魔法なんですよね?」
「あれは必要な道具ですから、例外です」
結衣はなるほどと頷いて、更に質問する。
「魔法を使う時って、呪文を唱えたりするんですか?」
「もちろん唱えますよ。魔力に効果をもたせるためには、意思を込めた言葉を口にする必要がありますから。当たり前のことでしょう? まあ、呪文の代わりに魔法陣を使う場合もありますが……。しかし、何故そんなに魔法について知りたいのですか?」
黒髪の青年は怪訝な顔をする。
結衣がどう答えようか考えていると、金髪の青年がやんわりと口を出した。
「オスカー、ドラゴンの導き手殿の住んでいた所には、魔法使いがいなかったのかもしれないよ」
「ああ、なるほど。都市部でなければ、そう多くいませんから、不思議ではありませんね。魔法使いになるには、知識と訓練が必要です。教師のいないような所にお住まいだったのでしょう」
黒髪の青年は納得した様子を見せる。
(まあ、一人もいないんだけどね……)
結衣は心の中で呟いた。どう説明すればいいか分からなかったので、金髪の青年が取り成してくれて助かった。
金髪の青年は見れば見る程優しそうだし、柔らかい笑みが、結衣のささくれ立った心を癒してくれる。溺れかけたところを助けてくれたのが彼なので、恋愛でいう吊り橋効果みたいなものかもしれないが、きっと良い人だと思う。
彼は壁の照明器具を示して、結衣に訊く。
「ドラゴンの導き手殿には、ああいった物も珍しいのですか?」
「え、ええ、はい。でも似たような物は、私が住んでる所にもあるんですよ。そっちは電気で動くんですけど」
「デンキ?」
「うーん、雷の力って言えばいいのかな」
「なるほど、あなたの一族は雷を操るんですね」
「いやそんな大層なものじゃないです……」
ファンタジー世界の住人らしい解釈に、結衣は苦笑いする。だが金髪の青年が楽しそうなので、まあいいかと思って流すことにした。それに、気になることがある。
「ところで、さっきから何なんです? その呼び方」
「どれですか?」
「ドラゴンの導き手、ってやつです」
結衣がずばり問うと、二人の青年は顔を見合わせた。そして黒髪の青年が答える。
「それについて説明する前に、お召し替え下さい。長話をしていると、お風邪を召してしまいますから」
そう言うなり、黒髪の青年は近くの部屋の扉を開けた。そして、結衣を中に押し込む。
「お前達、この方の着替えを頼むぞ」
中にいたのは、白い帽子とローブを身に着けた六人の女性だった。それぞれ金髪、銀髪、茶髪に赤髪と、帽子の下からカラフルな髪が覗いていて、結衣は花畑にいるみたいな気分になる。髪だけでなく、目の色も青や緑や茶色と様々だった。だが、みんな肌が白く、彫りの深い顔立ちをしている。
彼女達は、ぱっと花が咲くような笑みを浮かべ、結衣のもとへ近寄ってきた。
「まあ、この方がドラゴンの導き手様なのですか?」
「小柄で可愛らしい方! 初めまして。私どもは、こちらの神殿に仕える神官でございます。お会い出来て光栄ですわ」
笑顔で歓迎してくれる彼女達につられて、結衣も笑みを浮かべる。
「ど、どうも」
思わずぺこりと会釈してしまうのは、日本人の悲しい性だ。結衣の笑みを見て、彼女達の熱気は更に高まった。
「こちらこそ、どうぞよろしくお願いします!」
「さあこちらへ、ドラゴンの導き手様!」
「まずはお風呂に入りましょう。こんなにお体を冷やされて、おいたわしいですわ!」
「え? え? ちょっと待って」
獲物を見るような目を向けられて尻込みする結衣に、金髪の青年は爽やかに笑ってみせた。
「彼女達はあなたの味方ですから、ご安心下さい。ではまた後でお会いしましょう、ドラゴンの導き手殿」
「私達は一度失礼します。――さあ参りましょう、陛下。あなた様にもお召し替え頂かなくては。お風邪を召されたら公務に差し支えます」
「ああ、分かってるよ。オスカー」
そんな会話を最後に、青年達は扉を閉めた。
残された結衣は、狼の群れに放り込まれた兎さながらの心細さを覚えた。いっそのこと逃げ出してしまいたい。
だがその願いは叶わず、わけが分からないまま、風呂場へと連れていかれた。
一時間後、ようやく白ローブの女性達から解放された結衣は、ぐったりしていた。
ずぶ濡れの衣服は洗濯すると言って取り上げられたので、彼女達に用意してもらった服を着ている。首には今も、オカリナのような笛を下げていた。
結衣は一人の女性に先導されて廊下を歩きながら、長い袖を指先で摘まんで溜息を吐く。
(まさか、家族でもない人達に服を着せられるなんて……。着物とかなら分かるけど、この服なら自分で着られるのに)
今の結衣は無地の白いシャツと紺色のロングスカート、そして紺色の靴を身に着けている。見た目はシンプルだが、非常に着心地が良い。きっと上等な服なのだろう。
彼女達は風呂で結衣を洗おうとしてきたが、それは断固として拒否した。必死に説得してようやく引き下がってもらったものの、お陰で精神的に疲れている。
前を歩く白ローブの女性の背中を眺めていたら、風呂場での苦労を思い出して、結衣はうなだれた。そこで、女性が足を止める。
「こちらでございます。すぐにお茶をお持ちいたしますね」
白ローブの女性は白木の扉をノックした後、すっと押し開いて結衣を中へ通す。その白い石造りの部屋には大きな窓があり、開放的で広々としていた。応接室みたいな場所なのか、中央に青い敷物が敷かれ、同じ色の長椅子と白木のローテーブルが置かれていた。そこに、泉で会った青年達がいる。
彼らと話せということだろうか。結衣が意図を探るように女性を振り返ると、彼女はお辞儀をして扉を閉めた。
仕方なく、結衣は部屋の中央へ進む。
金髪の青年は長椅子に座っており、黒髪の青年はその左横に立っていた。黒髪の方が、結衣に向かいの長椅子を示して言う。
「お疲れ様です、ドラゴンの導き手様。どうぞお掛け下さい」
「はい……」
結衣はそちらへ向かいながら、そういえば金髪の青年が、「また後で」と言っていたなと思い出す。そして何かしらの説明を受けられるに違いないと期待して、金髪の青年に対面する形で座る。彼は仕事でもしていたのか、テーブルに広げていた紙束を纏めて隅に寄せた。
結衣はその紙を盗み見てみたが、何が書いてあるかは分からなかった。そこに並んでいる文字はアルファベットに似ていたが、英語とは全く違う言語のようだ。
結衣が椅子に落ち着いたところで、先程の女性が部屋に入ってきた。彼女はテーブルにお茶を並べると、すぐに出ていく。
黒髪の青年に手振りで飲むように勧められたものの、結衣は口を付ける気にはならなかった。白磁のカップに入った赤茶色のお茶からは良い香りがしているが、毒が入っていないとも限らないからだ。
結衣が途方に暮れた顔で二人の青年を順番に見ると、金髪の青年が優しい口調で言った。
「今の状況が、さっぱり理解出来ないというお顔をしておいでですね。お気持ちはよく分かりますよ。不安だとは思いますが、まずはお互いに自己紹介をしましょう。私はアレクシス・ウィル・リヴィドール三世と申します。アレクと呼んで下さい」
金髪の青年――アレクは、にこやかに笑う。結衣はその笑顔に思わず見とれながら、名前を呟いた。
「アレク……さん?」
「はい、よろしくお願いします」
結衣が名前を呼ぶと、アレクは一層嬉しそうに笑った。
癒し効果抜群の笑みを前に和んでしまった結衣は、慌てて表情を引き締める。アレクの持つ魅力のせいか、それとも彼が纏う穏やかな空気のせいか、危うく警戒心をなくしてしまうところだった。
今の状況がよく分かっていない上に、この人達がどんな人間かも分からないというのに。彼らがもし犯罪者だったらどうするんだと、結衣が頭の中で自分を叱咤していると、今度は黒髪の青年が名乗った。
「私はこの国の宰相を務めさせて頂いております、オスカー・レドモンドと申します。どうか、私のことはオスカーとお呼び下さい」
アレクとオスカーは、期待を込めて結衣をじっと見つめる。
結衣は迷ったものの、意を決して口を開いた。
「結衣です、菊池結衣。あっ、ここだと、たぶんユイ・キクチかな。ユイでいいです」
彼らが名前で呼ぶように言ってくれたので、結衣も無難に合わせておいた。嫌になったら、後で訂正すればいい。
アレクは不思議そうに、結衣の名を呟く。
「ユイ、でよろしいんですか? 聞き慣れない響きですが、可愛らしいお名前ですね」
「いえ、そんな、日本ではありふれた名前です。でもありがとう」
それは社交辞令ではなく、純粋な感想のようだった。だから結衣は謙遜しつつも、礼を言う。名前を褒められるのは嬉しいものだ。
(アレクさんってモテそう。格好良いのはもちろんだけど、こうやって自然に褒めちゃうところとか)
ただ、これほど面と向かって褒められたことがない結衣には、ちょっとばかりむずがゆい。
アレクは結衣にもう一度にっこり微笑みかけると、すっと姿勢を正し、右手を左胸に当ててお辞儀した。
「改めまして。ユイ殿、ようこそリヴィドール国へ。ドラゴンを教え導く存在であるあなたの来訪を、心から歓迎します。どうかそんなに警戒なさらず、楽になさって下さい。我々はあなたを絶対に傷つけないと誓います」
「は、はい」
ひとまず、結衣は頷いた。
今のところ自分の身は安全であるらしいと思えたが、それでもまだ混乱している。質問したいことが山程あるが、何をどう訊けばいいか分からない。
(なによ、ドラゴンを教え導くって。――え? ちょっと待って、ドラゴン?)
結衣の頭の中に、火を吹く恐ろしいドラゴンの絵が浮かんだ。
(いや、まあ、魔法があるんだし、ドラゴンが一匹くらいいても不思議じゃないのかもしれないけど……。わけ分かんないなあ、もう。あれ、そういやリヴィドールって、さっきも聞いたような……あ!)
そこで、先程のアレクの自己紹介を思い出す。
「アレクさんの名前にも、リヴィドールってついてましたよね。ここじゃポピュラーな名前なんですか?」
結衣が何気なく訊くと、オスカーが呆れ果てた様子で言った。
「この方はリヴィドール国の現国王だからです」
「は? 王様?」
結衣は目を瞬かせる。そして、アレクを上から下まで眺めた。
「でもアレクさん、王冠を被ってない……」
「王冠は特別な儀式や式典の時くらいしか被りません。重くて動きづらいですから」
アレクが微笑み、目を細めて答える。
彼には煌びやかなオーラがあると結衣にも感じられるが、それでも王だとは信じがたい。結衣が王と聞いて連想するのは、上から目線の偉ぶったオジサンだ。穏やかで優しそうなアレクとは真逆である。
「本当に? 本当に王様なんですか?」
「はい」
「私、こんな風に普通に話しちゃってますけど、いいんですか? いきなり無礼者って言われて、牢屋行きになったりしないですよね」
結衣の言葉に、アレクは目を丸くした。
「まさか。ドラゴンの導き手であるあなたを牢に送れる者など、この国にはいません。私とて同じです。あなたは聖竜が選んだ導き手。私にとっても敬うべき方なのです」
「はあ……」
そんなことを、当たり前のように言われても困る。結衣は唖然として、アレクの顔を見返した。どうもピンときていない様子の結衣に、オスカーが苦笑する。
「よく分からないという顔をしておいでですね。まずはあなたが今置かれている状況と、これから私どもがお願いしようとしていることについて、お話ししましょう」
そこでようやく、オスカーによる説明が始まった。
――ここでは古来より、人間と魔族が戦争を繰り返してきた。
好戦的な魔族が人間の土地へ攻め入ってくるので、その度に人間達は、魔法の力と団結力によって、それに対抗してきた。
だが一度、人間が滅ぶぎりぎりのところまで魔族に侵攻されたことがある。その時、神に遣わされた聖竜が現われて、人間達を救った。
それ以来、聖竜は絶えず遣わされている。彼らは人間の中から盟友と呼ばれる相棒を選び、その人間と共に戦うのだ。
人間達は聖竜に感謝し、やがて、聖竜を神の使いと崇める聖竜教会が出来た――
「この神殿は、その聖竜教会の本部です。この部屋は、応接室に当たります」
オスカーの話を聞いた結衣は少しの間、黙って考えた。そして自分がちゃんと理解できているか確かめるため、彼に問いかける。
「本部っていうのはつまり、セイリュウ教会っていう宗教の一番大事な場所ってことですか?」
「ええ、そうです。ここには聖竜教会で最高位に座す教会長がいらっしゃいますし、優秀な人材も多く揃っています。この国に数ある神殿の中でも、一番重要な施設です」
オスカーはそこで一度息を吐き、きっぱりと言った。
「この教会には、聖竜の寝床があるのです」
それまでほとんど無表情だった彼の顔に、初めてはっきりと感情が表れた。畏敬と親しみを混ぜ合わせたような、そんな感情だ。
彼の横にいるアレクがどこか誇らしげに頷くのを見て、彼らにとって『セイリュウ』が重要な存在であることは結衣にも分かった。だが、それがどんなものかは全く想像できず、思わず右手を上げて話を止める。
「待って待って……ちょっとごめんなさい」
オスカーは常識のように語っているが、結衣にしてみれば、へんてこりんな神話にしか思えない。彼女は指先で額を押さえて頭痛をこらえた。
「その、セイリュウって何ですか?」
結衣の質問に、青年達はきょとんとした。だが、すぐにアレクが苦笑しながら答える。
「聖竜は聖竜ですよ。聖なるドラゴン、月神セレナリアの使い――そんな言葉を、一度は耳にしたことがあるはずです。ユイ殿は、その聖竜に選ばれた人間なのです」
今度は結衣の方がきょとんとする番だった。
「えっと……そもそもドラゴンって、トカゲに羽が生えたような見た目で、口から火を噴く伝説の生き物のことで合ってます?」
ドラゴンと言えばそれしか思い浮かばないし、お伽話に出てくる生き物だとばかり思っていた。それだけに、現実に生きていると言われても、どうもピンと来ない。
すると、アレクが噴き出した。
「伝説ですって? どんな田舎にも、野良ドラゴンの一頭くらいはいるでしょう?」
「野良? そこらをうろついてるってこと? 駄目だ、全然イメージできない」
結衣が頭を抱えていると、オスカーがふと気付いた様子で質問する。
「ユイ様、先程のニホンというのは、町の名前でしょうか?」
「え? いえ、国の名前です。東の果てにある国、ってよく言われます」
「東の果ての国、ですか。東にある国で、そのような名の国は聞いたことがありません。それに魔法を見て驚いていたことや、ドラゴンを知らないことを考えると……。なるほど、あなたはこことは違う世界から招かれたのですね。そういった導き手の例が、文献にもあります」
興味深そうに結衣をじろじろと見ながら、オスカーが何度も首肯する。すっかり自分の考えに納得している彼に対し、アレクは怪訝な顔をしていた。
「まさか異界人だと言うのかい? オスカー。よく見た方が良い。彼女の耳は獣の耳ではないし、肌が鱗で覆われてもいない。手に水かきがあるようにも見えないよ。もしそう見えるなら、医者を呼ぶから遠慮なく言ってくれ」
そんな風に見えたら、確かに医者が必要だろう。アレクの言葉に、結衣はもっともだと頷いた。するとオスカーが、むっとして眉を寄せる。
「真面目な顔で失礼なことをおっしゃらないで下さい、陛下。私はまだ、頭も目も耄碌していません! 私が思うに、彼女はこの世界の人間と、よく似た人間が住む世界からいらしたのでしょう」
「ああ、なるほど。本の挿絵に出てきた異界人は我々とは全く違う姿をしていたから、そんなことは思いつきもしなかったよ」
アレクはそこで、ようやく納得がいったようだ。
「話が全然かみ合わないし、子どもでも知ってる昔話を知らないから、なんだかおかしいとは思っていたんだ」
なるほどなるほどと何度も頷くアレクに、結衣はそろりと右手を上げて問いかける。
「えっと、何なんです? 獣の耳とか、鱗とか、水かきって」
そんなの、人間というよりモンスターではないか。
すると、勘違いしていて申し訳ないと謝ってから、アレクが説明する。
「今まで異世界からおいでになった導き手は、どの方も異形の持ち主だったのです。獣の耳を持つ方、肌が鱗で覆われた方、手に水かきを持ち、一日の半分を水の中で過ごさないと乾いて衰弱してしまう方など……。けれど、あなたはあんまりにも普通なので、全く気付きませんでした」
普通と言われて、これ程嬉しいと思ったのは初めてだった。もし最初から異世界人扱いされていたら、結衣はキレていたかもしれない。
「へぇ、色んな世界があるんだ……。面白いなあ。SF映画みたい」
前に見たスペースアクションものの映画を思い浮かべて、結衣は呟いた。その映画には色んな人種が出てくるので、ああいうものかとなんとなく理解する。
「エスエフエイガ、ですか?」
「あー……ただの独り言です」
興味を示すアレクに、結衣は適当に返した。上手く説明出来る自信がなかったのだ。それよりも、結衣は異世界人のことをもっと詳しく知りたくて、話を元に戻す。
「他には、どんな人がいたんですか?」
「その他は、この世界の人間ばかりです。と言っても、文献に残っている導き手の情報は今お話ししたことくらいで、詳細は不明なのです」
アレクがそう説明すると、オスカーが補足した。
「人間が魔族と戦争を繰り返してきたというお話を、先程したでしょう? 過去の導き手の記録は戦争により、ほとんど失われたのです。魔族はとにかく破壊を好むので、後に残るのは荒野ばかりです。人間は彼らに奪われた領土を、聖竜と共に少しずつ取り返していき、アレクシス陛下の祖父に当たる初代国王の手によって、ようやく全て取り戻したのですよ。初代国王のお力によって、荒れ果てた大地はこのように緑溢れる土地に戻り――」
話すうちに熱が入り始めたオスカーは、話が横に逸れたことに気付き、咳払いをした。
「とにかく、数少ない文献によれば、異世界から来た導き手は、どの方も変わった見た目をしていたらしいのです。念のために確認いたしますが、ユイ様ご自身は、異世界から来たと思われますか?」
「たぶんそうだと思います。私にはまだ信じられないんですけど、私がいた所には、魔法もドラゴンも存在しませんから。……でも、やっぱり夢なのかな。異世界の人と、こんな風に普通に話せるわけないし……」
「ああ、それは聖竜様のお力です。導き手を召喚した際、こちらの世界にすぐ馴染むようにして下さるんだそうですよ。言葉が通じるのもそのためですし、水が合わなくて体を壊すといったこともなくなるそうで」
「なるほど……」
オスカーの説明は、納得のいくものだった。でなければ、半日は水に浸からないと弱ってしまう異世界人は、とてもじゃないが生きていけなかっただろう。その異世界人に比べれば、結衣にとって、この世界は遥かに快適だと思えた。
「言われてみれば、お二人共どう見ても外国人なのに、日本語が通じてますもんね。混乱してて気付きませんでした」
そのことに気付いてみると、まるで映画の日本語吹き替え版を見ているような気分になった。
(あれ、どう見ても宙に浮かんでるよね……。意味分かんない)
おかしなことばかり起きているが、今感じている寒さは本物だ。そこまで考えた時、結衣の頭に突拍子もない考えが浮かんだ。
(ここは明らかに日本じゃない。それどころか、もしかして私……異世界に来てしまったんじゃ?)
それはもはや、ほとんど確信に近かったが、結衣は認めたくなかった。だから否定してもらえることを期待して、黒髪の青年を問い詰める。
「ねぇ、ちょっと訊いてもいいですか? 私は日本の片田舎にある訓練所にいたのに、なんで西洋文明のど真ん中にいるんですか? あなた達のその古臭い格好は、お祭りじゃないなら何? それにそこら中にあるオカルトじみたものは、いったい何なの!?」
結衣は一息にまくしたてた。だが黒髪の青年は至って冷静に、淡々と応じる。
「セイヨウ文明というのがどこの文明かは存じ上げませんが、我々の名誉のために言わせて頂ければ、この服装は古臭くなどありません。むしろ最新の流行です。そして、お祭りだからこんな格好をしているわけでもありません。『オカルト』というものも存じませんが、周りにあるのは魔法を用いた照明器具です。燃料は魔石になります」
「えっ、魔法!?」
「何ですか、急に」
いきなり大声を上げた結衣に驚いた様子で、黒髪の青年が僅かに身を引いた。結衣は慎重に確かめる。
「魔法って、えーと、箒で空を飛ぶとか、人を蛙にするみたいな術のこと?」
「まさか。魔法で空を飛ぶことは出来ません。せいぜい少しの間、宙に浮く程度です。そもそも、何故箒で空を飛ぶのか分かりませんね……、箒は掃除用具では? それに、変化の魔法はせいぜい髪の色を変えるくらいで、かなり熟練した者でも目の色を変えるのがやっとです。動物に化けるなんて、とても……」
「他には何ができるの?」
「魔法には戦闘で使うものと、生活に使うものがあります。その照明器具は、生活に使う魔法の代表的なものですね」
「あなたも魔法を使えるんですか? 良かったら見せて下さい! 見たい!」
だんだん興奮してきた結衣は、黒髪の青年に頼み込む。魔法なんて目にしたらここが異世界であることを認めざるを得なくなるが、見られるものなら見てみたかった。だが、黒髪の青年は首を横に振る。
「駄目ですよ。神殿内では緊急時以外、魔法の使用は禁止されていますので。ここは魔法を使わずに生活する、修行の場でもあるのです」
「そうなんですか」
文明の利器を使わず、山ごもりをするような感覚なんだろうかと、結衣は首をひねる。
「でも、あの明かりも魔法なんですよね?」
「あれは必要な道具ですから、例外です」
結衣はなるほどと頷いて、更に質問する。
「魔法を使う時って、呪文を唱えたりするんですか?」
「もちろん唱えますよ。魔力に効果をもたせるためには、意思を込めた言葉を口にする必要がありますから。当たり前のことでしょう? まあ、呪文の代わりに魔法陣を使う場合もありますが……。しかし、何故そんなに魔法について知りたいのですか?」
黒髪の青年は怪訝な顔をする。
結衣がどう答えようか考えていると、金髪の青年がやんわりと口を出した。
「オスカー、ドラゴンの導き手殿の住んでいた所には、魔法使いがいなかったのかもしれないよ」
「ああ、なるほど。都市部でなければ、そう多くいませんから、不思議ではありませんね。魔法使いになるには、知識と訓練が必要です。教師のいないような所にお住まいだったのでしょう」
黒髪の青年は納得した様子を見せる。
(まあ、一人もいないんだけどね……)
結衣は心の中で呟いた。どう説明すればいいか分からなかったので、金髪の青年が取り成してくれて助かった。
金髪の青年は見れば見る程優しそうだし、柔らかい笑みが、結衣のささくれ立った心を癒してくれる。溺れかけたところを助けてくれたのが彼なので、恋愛でいう吊り橋効果みたいなものかもしれないが、きっと良い人だと思う。
彼は壁の照明器具を示して、結衣に訊く。
「ドラゴンの導き手殿には、ああいった物も珍しいのですか?」
「え、ええ、はい。でも似たような物は、私が住んでる所にもあるんですよ。そっちは電気で動くんですけど」
「デンキ?」
「うーん、雷の力って言えばいいのかな」
「なるほど、あなたの一族は雷を操るんですね」
「いやそんな大層なものじゃないです……」
ファンタジー世界の住人らしい解釈に、結衣は苦笑いする。だが金髪の青年が楽しそうなので、まあいいかと思って流すことにした。それに、気になることがある。
「ところで、さっきから何なんです? その呼び方」
「どれですか?」
「ドラゴンの導き手、ってやつです」
結衣がずばり問うと、二人の青年は顔を見合わせた。そして黒髪の青年が答える。
「それについて説明する前に、お召し替え下さい。長話をしていると、お風邪を召してしまいますから」
そう言うなり、黒髪の青年は近くの部屋の扉を開けた。そして、結衣を中に押し込む。
「お前達、この方の着替えを頼むぞ」
中にいたのは、白い帽子とローブを身に着けた六人の女性だった。それぞれ金髪、銀髪、茶髪に赤髪と、帽子の下からカラフルな髪が覗いていて、結衣は花畑にいるみたいな気分になる。髪だけでなく、目の色も青や緑や茶色と様々だった。だが、みんな肌が白く、彫りの深い顔立ちをしている。
彼女達は、ぱっと花が咲くような笑みを浮かべ、結衣のもとへ近寄ってきた。
「まあ、この方がドラゴンの導き手様なのですか?」
「小柄で可愛らしい方! 初めまして。私どもは、こちらの神殿に仕える神官でございます。お会い出来て光栄ですわ」
笑顔で歓迎してくれる彼女達につられて、結衣も笑みを浮かべる。
「ど、どうも」
思わずぺこりと会釈してしまうのは、日本人の悲しい性だ。結衣の笑みを見て、彼女達の熱気は更に高まった。
「こちらこそ、どうぞよろしくお願いします!」
「さあこちらへ、ドラゴンの導き手様!」
「まずはお風呂に入りましょう。こんなにお体を冷やされて、おいたわしいですわ!」
「え? え? ちょっと待って」
獲物を見るような目を向けられて尻込みする結衣に、金髪の青年は爽やかに笑ってみせた。
「彼女達はあなたの味方ですから、ご安心下さい。ではまた後でお会いしましょう、ドラゴンの導き手殿」
「私達は一度失礼します。――さあ参りましょう、陛下。あなた様にもお召し替え頂かなくては。お風邪を召されたら公務に差し支えます」
「ああ、分かってるよ。オスカー」
そんな会話を最後に、青年達は扉を閉めた。
残された結衣は、狼の群れに放り込まれた兎さながらの心細さを覚えた。いっそのこと逃げ出してしまいたい。
だがその願いは叶わず、わけが分からないまま、風呂場へと連れていかれた。
一時間後、ようやく白ローブの女性達から解放された結衣は、ぐったりしていた。
ずぶ濡れの衣服は洗濯すると言って取り上げられたので、彼女達に用意してもらった服を着ている。首には今も、オカリナのような笛を下げていた。
結衣は一人の女性に先導されて廊下を歩きながら、長い袖を指先で摘まんで溜息を吐く。
(まさか、家族でもない人達に服を着せられるなんて……。着物とかなら分かるけど、この服なら自分で着られるのに)
今の結衣は無地の白いシャツと紺色のロングスカート、そして紺色の靴を身に着けている。見た目はシンプルだが、非常に着心地が良い。きっと上等な服なのだろう。
彼女達は風呂で結衣を洗おうとしてきたが、それは断固として拒否した。必死に説得してようやく引き下がってもらったものの、お陰で精神的に疲れている。
前を歩く白ローブの女性の背中を眺めていたら、風呂場での苦労を思い出して、結衣はうなだれた。そこで、女性が足を止める。
「こちらでございます。すぐにお茶をお持ちいたしますね」
白ローブの女性は白木の扉をノックした後、すっと押し開いて結衣を中へ通す。その白い石造りの部屋には大きな窓があり、開放的で広々としていた。応接室みたいな場所なのか、中央に青い敷物が敷かれ、同じ色の長椅子と白木のローテーブルが置かれていた。そこに、泉で会った青年達がいる。
彼らと話せということだろうか。結衣が意図を探るように女性を振り返ると、彼女はお辞儀をして扉を閉めた。
仕方なく、結衣は部屋の中央へ進む。
金髪の青年は長椅子に座っており、黒髪の青年はその左横に立っていた。黒髪の方が、結衣に向かいの長椅子を示して言う。
「お疲れ様です、ドラゴンの導き手様。どうぞお掛け下さい」
「はい……」
結衣はそちらへ向かいながら、そういえば金髪の青年が、「また後で」と言っていたなと思い出す。そして何かしらの説明を受けられるに違いないと期待して、金髪の青年に対面する形で座る。彼は仕事でもしていたのか、テーブルに広げていた紙束を纏めて隅に寄せた。
結衣はその紙を盗み見てみたが、何が書いてあるかは分からなかった。そこに並んでいる文字はアルファベットに似ていたが、英語とは全く違う言語のようだ。
結衣が椅子に落ち着いたところで、先程の女性が部屋に入ってきた。彼女はテーブルにお茶を並べると、すぐに出ていく。
黒髪の青年に手振りで飲むように勧められたものの、結衣は口を付ける気にはならなかった。白磁のカップに入った赤茶色のお茶からは良い香りがしているが、毒が入っていないとも限らないからだ。
結衣が途方に暮れた顔で二人の青年を順番に見ると、金髪の青年が優しい口調で言った。
「今の状況が、さっぱり理解出来ないというお顔をしておいでですね。お気持ちはよく分かりますよ。不安だとは思いますが、まずはお互いに自己紹介をしましょう。私はアレクシス・ウィル・リヴィドール三世と申します。アレクと呼んで下さい」
金髪の青年――アレクは、にこやかに笑う。結衣はその笑顔に思わず見とれながら、名前を呟いた。
「アレク……さん?」
「はい、よろしくお願いします」
結衣が名前を呼ぶと、アレクは一層嬉しそうに笑った。
癒し効果抜群の笑みを前に和んでしまった結衣は、慌てて表情を引き締める。アレクの持つ魅力のせいか、それとも彼が纏う穏やかな空気のせいか、危うく警戒心をなくしてしまうところだった。
今の状況がよく分かっていない上に、この人達がどんな人間かも分からないというのに。彼らがもし犯罪者だったらどうするんだと、結衣が頭の中で自分を叱咤していると、今度は黒髪の青年が名乗った。
「私はこの国の宰相を務めさせて頂いております、オスカー・レドモンドと申します。どうか、私のことはオスカーとお呼び下さい」
アレクとオスカーは、期待を込めて結衣をじっと見つめる。
結衣は迷ったものの、意を決して口を開いた。
「結衣です、菊池結衣。あっ、ここだと、たぶんユイ・キクチかな。ユイでいいです」
彼らが名前で呼ぶように言ってくれたので、結衣も無難に合わせておいた。嫌になったら、後で訂正すればいい。
アレクは不思議そうに、結衣の名を呟く。
「ユイ、でよろしいんですか? 聞き慣れない響きですが、可愛らしいお名前ですね」
「いえ、そんな、日本ではありふれた名前です。でもありがとう」
それは社交辞令ではなく、純粋な感想のようだった。だから結衣は謙遜しつつも、礼を言う。名前を褒められるのは嬉しいものだ。
(アレクさんってモテそう。格好良いのはもちろんだけど、こうやって自然に褒めちゃうところとか)
ただ、これほど面と向かって褒められたことがない結衣には、ちょっとばかりむずがゆい。
アレクは結衣にもう一度にっこり微笑みかけると、すっと姿勢を正し、右手を左胸に当ててお辞儀した。
「改めまして。ユイ殿、ようこそリヴィドール国へ。ドラゴンを教え導く存在であるあなたの来訪を、心から歓迎します。どうかそんなに警戒なさらず、楽になさって下さい。我々はあなたを絶対に傷つけないと誓います」
「は、はい」
ひとまず、結衣は頷いた。
今のところ自分の身は安全であるらしいと思えたが、それでもまだ混乱している。質問したいことが山程あるが、何をどう訊けばいいか分からない。
(なによ、ドラゴンを教え導くって。――え? ちょっと待って、ドラゴン?)
結衣の頭の中に、火を吹く恐ろしいドラゴンの絵が浮かんだ。
(いや、まあ、魔法があるんだし、ドラゴンが一匹くらいいても不思議じゃないのかもしれないけど……。わけ分かんないなあ、もう。あれ、そういやリヴィドールって、さっきも聞いたような……あ!)
そこで、先程のアレクの自己紹介を思い出す。
「アレクさんの名前にも、リヴィドールってついてましたよね。ここじゃポピュラーな名前なんですか?」
結衣が何気なく訊くと、オスカーが呆れ果てた様子で言った。
「この方はリヴィドール国の現国王だからです」
「は? 王様?」
結衣は目を瞬かせる。そして、アレクを上から下まで眺めた。
「でもアレクさん、王冠を被ってない……」
「王冠は特別な儀式や式典の時くらいしか被りません。重くて動きづらいですから」
アレクが微笑み、目を細めて答える。
彼には煌びやかなオーラがあると結衣にも感じられるが、それでも王だとは信じがたい。結衣が王と聞いて連想するのは、上から目線の偉ぶったオジサンだ。穏やかで優しそうなアレクとは真逆である。
「本当に? 本当に王様なんですか?」
「はい」
「私、こんな風に普通に話しちゃってますけど、いいんですか? いきなり無礼者って言われて、牢屋行きになったりしないですよね」
結衣の言葉に、アレクは目を丸くした。
「まさか。ドラゴンの導き手であるあなたを牢に送れる者など、この国にはいません。私とて同じです。あなたは聖竜が選んだ導き手。私にとっても敬うべき方なのです」
「はあ……」
そんなことを、当たり前のように言われても困る。結衣は唖然として、アレクの顔を見返した。どうもピンときていない様子の結衣に、オスカーが苦笑する。
「よく分からないという顔をしておいでですね。まずはあなたが今置かれている状況と、これから私どもがお願いしようとしていることについて、お話ししましょう」
そこでようやく、オスカーによる説明が始まった。
――ここでは古来より、人間と魔族が戦争を繰り返してきた。
好戦的な魔族が人間の土地へ攻め入ってくるので、その度に人間達は、魔法の力と団結力によって、それに対抗してきた。
だが一度、人間が滅ぶぎりぎりのところまで魔族に侵攻されたことがある。その時、神に遣わされた聖竜が現われて、人間達を救った。
それ以来、聖竜は絶えず遣わされている。彼らは人間の中から盟友と呼ばれる相棒を選び、その人間と共に戦うのだ。
人間達は聖竜に感謝し、やがて、聖竜を神の使いと崇める聖竜教会が出来た――
「この神殿は、その聖竜教会の本部です。この部屋は、応接室に当たります」
オスカーの話を聞いた結衣は少しの間、黙って考えた。そして自分がちゃんと理解できているか確かめるため、彼に問いかける。
「本部っていうのはつまり、セイリュウ教会っていう宗教の一番大事な場所ってことですか?」
「ええ、そうです。ここには聖竜教会で最高位に座す教会長がいらっしゃいますし、優秀な人材も多く揃っています。この国に数ある神殿の中でも、一番重要な施設です」
オスカーはそこで一度息を吐き、きっぱりと言った。
「この教会には、聖竜の寝床があるのです」
それまでほとんど無表情だった彼の顔に、初めてはっきりと感情が表れた。畏敬と親しみを混ぜ合わせたような、そんな感情だ。
彼の横にいるアレクがどこか誇らしげに頷くのを見て、彼らにとって『セイリュウ』が重要な存在であることは結衣にも分かった。だが、それがどんなものかは全く想像できず、思わず右手を上げて話を止める。
「待って待って……ちょっとごめんなさい」
オスカーは常識のように語っているが、結衣にしてみれば、へんてこりんな神話にしか思えない。彼女は指先で額を押さえて頭痛をこらえた。
「その、セイリュウって何ですか?」
結衣の質問に、青年達はきょとんとした。だが、すぐにアレクが苦笑しながら答える。
「聖竜は聖竜ですよ。聖なるドラゴン、月神セレナリアの使い――そんな言葉を、一度は耳にしたことがあるはずです。ユイ殿は、その聖竜に選ばれた人間なのです」
今度は結衣の方がきょとんとする番だった。
「えっと……そもそもドラゴンって、トカゲに羽が生えたような見た目で、口から火を噴く伝説の生き物のことで合ってます?」
ドラゴンと言えばそれしか思い浮かばないし、お伽話に出てくる生き物だとばかり思っていた。それだけに、現実に生きていると言われても、どうもピンと来ない。
すると、アレクが噴き出した。
「伝説ですって? どんな田舎にも、野良ドラゴンの一頭くらいはいるでしょう?」
「野良? そこらをうろついてるってこと? 駄目だ、全然イメージできない」
結衣が頭を抱えていると、オスカーがふと気付いた様子で質問する。
「ユイ様、先程のニホンというのは、町の名前でしょうか?」
「え? いえ、国の名前です。東の果てにある国、ってよく言われます」
「東の果ての国、ですか。東にある国で、そのような名の国は聞いたことがありません。それに魔法を見て驚いていたことや、ドラゴンを知らないことを考えると……。なるほど、あなたはこことは違う世界から招かれたのですね。そういった導き手の例が、文献にもあります」
興味深そうに結衣をじろじろと見ながら、オスカーが何度も首肯する。すっかり自分の考えに納得している彼に対し、アレクは怪訝な顔をしていた。
「まさか異界人だと言うのかい? オスカー。よく見た方が良い。彼女の耳は獣の耳ではないし、肌が鱗で覆われてもいない。手に水かきがあるようにも見えないよ。もしそう見えるなら、医者を呼ぶから遠慮なく言ってくれ」
そんな風に見えたら、確かに医者が必要だろう。アレクの言葉に、結衣はもっともだと頷いた。するとオスカーが、むっとして眉を寄せる。
「真面目な顔で失礼なことをおっしゃらないで下さい、陛下。私はまだ、頭も目も耄碌していません! 私が思うに、彼女はこの世界の人間と、よく似た人間が住む世界からいらしたのでしょう」
「ああ、なるほど。本の挿絵に出てきた異界人は我々とは全く違う姿をしていたから、そんなことは思いつきもしなかったよ」
アレクはそこで、ようやく納得がいったようだ。
「話が全然かみ合わないし、子どもでも知ってる昔話を知らないから、なんだかおかしいとは思っていたんだ」
なるほどなるほどと何度も頷くアレクに、結衣はそろりと右手を上げて問いかける。
「えっと、何なんです? 獣の耳とか、鱗とか、水かきって」
そんなの、人間というよりモンスターではないか。
すると、勘違いしていて申し訳ないと謝ってから、アレクが説明する。
「今まで異世界からおいでになった導き手は、どの方も異形の持ち主だったのです。獣の耳を持つ方、肌が鱗で覆われた方、手に水かきを持ち、一日の半分を水の中で過ごさないと乾いて衰弱してしまう方など……。けれど、あなたはあんまりにも普通なので、全く気付きませんでした」
普通と言われて、これ程嬉しいと思ったのは初めてだった。もし最初から異世界人扱いされていたら、結衣はキレていたかもしれない。
「へぇ、色んな世界があるんだ……。面白いなあ。SF映画みたい」
前に見たスペースアクションものの映画を思い浮かべて、結衣は呟いた。その映画には色んな人種が出てくるので、ああいうものかとなんとなく理解する。
「エスエフエイガ、ですか?」
「あー……ただの独り言です」
興味を示すアレクに、結衣は適当に返した。上手く説明出来る自信がなかったのだ。それよりも、結衣は異世界人のことをもっと詳しく知りたくて、話を元に戻す。
「他には、どんな人がいたんですか?」
「その他は、この世界の人間ばかりです。と言っても、文献に残っている導き手の情報は今お話ししたことくらいで、詳細は不明なのです」
アレクがそう説明すると、オスカーが補足した。
「人間が魔族と戦争を繰り返してきたというお話を、先程したでしょう? 過去の導き手の記録は戦争により、ほとんど失われたのです。魔族はとにかく破壊を好むので、後に残るのは荒野ばかりです。人間は彼らに奪われた領土を、聖竜と共に少しずつ取り返していき、アレクシス陛下の祖父に当たる初代国王の手によって、ようやく全て取り戻したのですよ。初代国王のお力によって、荒れ果てた大地はこのように緑溢れる土地に戻り――」
話すうちに熱が入り始めたオスカーは、話が横に逸れたことに気付き、咳払いをした。
「とにかく、数少ない文献によれば、異世界から来た導き手は、どの方も変わった見た目をしていたらしいのです。念のために確認いたしますが、ユイ様ご自身は、異世界から来たと思われますか?」
「たぶんそうだと思います。私にはまだ信じられないんですけど、私がいた所には、魔法もドラゴンも存在しませんから。……でも、やっぱり夢なのかな。異世界の人と、こんな風に普通に話せるわけないし……」
「ああ、それは聖竜様のお力です。導き手を召喚した際、こちらの世界にすぐ馴染むようにして下さるんだそうですよ。言葉が通じるのもそのためですし、水が合わなくて体を壊すといったこともなくなるそうで」
「なるほど……」
オスカーの説明は、納得のいくものだった。でなければ、半日は水に浸からないと弱ってしまう異世界人は、とてもじゃないが生きていけなかっただろう。その異世界人に比べれば、結衣にとって、この世界は遥かに快適だと思えた。
「言われてみれば、お二人共どう見ても外国人なのに、日本語が通じてますもんね。混乱してて気付きませんでした」
そのことに気付いてみると、まるで映画の日本語吹き替え版を見ているような気分になった。
応援ありがとうございます!
0
お気に入りに追加
1,132
1 / 5
この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。
このユーザをミュートしますか?
※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。