物語好きの女性・霧島紗弥は、原因不明の進行性筋萎縮症により、二十代で歩く力を失う。
しかし彼女は、家族を守るために“夢の中の神”へ自らの足を差し出した。
父の命、母の命、そして甥の命――紗弥が払った代償は、確かに誰かを救っていた。
家族に見捨てられ、車椅子で小さなアパートに暮らす紗弥。
それでも彼女は、静かにキーボードを叩き続ける。
足がなくても、言葉は歩けるから。
やがて兄は、自分たちの行いと紗弥の“選択”を知り、崩れ落ちる。
紗弥はただ微笑み、赦し、物語を紡ぎ続ける。
犠牲と救済、因果と絆。
静かな奇跡が巡る、優しくて痛い物語。
文字数 1,516
最終更新日 2026.08.16
登録日 2026.08.16
生前、男は神社の賽銭箱をこじ開け、
自分の欲望を鎮めるために金を奪った。
死後、彼が立ったのは「賽銭地獄」。
背中には三百キロの賽銭箱が張り付き、
奪った価値が硬貨となって増殖し続ける。
賽の河原では祈りの残骸が崩れ、
三途の川では六文銭すら存在しない。
返すべき賽銭はどこにもなく、
返す相手もいない。
男は永遠に、
価値のない硬貨を背負い、
神にも地獄にも届かぬまま歩き続ける。
文字数 1,579
最終更新日 2026.08.15
登録日 2026.08.15
幼い頃から隣家の鮎浜美咲の“影”として生きてきた形代あやめ。
持ち物も、恋人も、人生の選択も、美咲に奪われ続けた末、
横領の罪まで押しつけられたあやめは、絶望の果てに身を投げる。
しかし死ねなかった。
二度と歩けない体で目覚めた病室で、あやめは気づく。
美咲への憎しみが、どこか欠けている――恨みきれない自分がいる。
療養のために帰った山間の村には、
髪や爪を白い陶器の壺に納めて作る「形代人形」の古い風習があった。
あやめは気まぐれに、美咲の髪と爪を入れた人形を作るのであった。
文字数 1,392
最終更新日 2026.08.14
登録日 2026.08.14
他者を欺く技を磨き、嘘で富を得る“詐欺師の村”。
村人たちは長年の欺瞞で魂が蝕まれ、寿命を削られるため、洞窟で影を切る儀式を行っていた。
村に戻った三人は、国家が極秘に開発した“癌の特効薬”を献上する。
しかしそれは、生物兵器だった。
村人たちは歓喜のまま毒を飲み、影の儀式を前に崩れ落ちる。
小さな嘘で生き延びてきた村が、巨大な嘘に沈んでいく。
最後の蝋燭が消えたとき、影は闇に溶け、村は静かに滅びた。
文字数 940
最終更新日 2026.08.13
登録日 2026.08.13
山深い里には「山の神は清らかな魂を喰う」という古い因習があり、子どもは七歳まで本当の名を隠すために穢れた偽名を与えられて育つ。
真名を授ける役目の老婆が死んだことで、少女・醜女だけが真名を持たないまま成長する。
父・琥珀は密かに娘の真名を胸にしまっていたが、五歳の夏、悪夢の中でその名を叫んでしまう。
醜女はその響きを聞き、翌朝ひとりで山へ消えるのであった。
文字数 1,094
最終更新日 2026.08.12
登録日 2026.08.12
主人公は毎晩、森の奥の土で作られた古いかまくらに線香を供える“儀式”を夢の中で繰り返している。
意味は分からないが、体が覚えており、儀式はいつしか神聖なものになっていた。
ある日、白装束の人物が現れ、かまくらの穴を黙々と土で塞ぎ始める。
主人公が掻き出すと、白装束は無言で埋め戻す。
静かな攻防が続き、主人公は怒鳴り、暴れ、掴みかかるが、白装束は機械のように作業を続ける。
やがて白装束の覆いが落ち、現れたのは――主人公自身の顔だった。
文字数 972
最終更新日 2026.08.11
登録日 2026.08.11
町に住む少年・まさるは、悪意ではなく“純粋な興味”で、他者を危険へと追い込む子だった。
焚き火、池の縁、高い場所――境界に立つ者を見つけると、迷いなく押す。
それは遊びであり、まさるにとっては“汚れなき楽しみ”だった。
語り手は夏祭りの夜、まさるの投げる石が徐々に凶器へ変わっていく瞬間に、その本質を垣間見る。
翌朝、学校で植木鉢が落ちてきた時、語り手は悟る。
まさるが愛しているのは、命が揺らぐ“その刹那”そのものだと。
文字数 1,142
最終更新日 2026.08.10
登録日 2026.08.10
主人公の少年は、母親が毎朝作るオレンジ色の野菜ジュースに「毒」が混ぜられていると信じている。
泡立つジュースの様子や、母親が台所で“毒”と書かれた黄色い液体をジューサーに入れているのを見たことから、少年は「ママは僕を殺そうとしている」と確信する。
母親は優しい声で飲ませようとするが、目は笑っておらず、肩を強く押さえるなど、少年には脅迫的に感じられる。少年は半分だけ飲むが、喉に化学的な刺激を覚え、恐怖を深めていく。
文字数 1,222
最終更新日 2026.08.09
登録日 2026.08.09
死を決意して富士の樹海へ入った青年は、古びた民家で老夫婦に救われる。
温かな食事、柔らかな寝床、問いかけない微笑み。
やがて心身は整い、青年は村を出る――はずだった。
しかし都会に戻った彼の胸には、囲炉裏の煙の匂いが残り続ける。
半年後、理由もなく、狂おしいほど村が恋しくなる。
気づけば青年の足は、再び樹海へ向かっていた。
「自殺村」は、死を防ぐために作られた。
だが本当に“生き返った”者は、どれだけいるのだろうか。
文字数 1,785
最終更新日 2026.08.08
登録日 2026.08.08
北村里史は一人っ子として育った。しかし、幼い頃から夜更けにだけ聞こえる“兄の声”があった。
体を持たず、後頭部の奥で優しく語りかけてくる影の兄。
事故で脳死と宣告された里史は、奇跡的に生還する。彼の延髄の代わりに働いていたのは、退化した寄生双生児――兄の名残だった。
命を繋ぎ、役目を終え、静かに消えていく兄の気配。
だが、後頭部の皮膚の下では、今も微かな脈が残っている。
それは幻か、愛か、恐怖か。
里史は知っている。自分は一人ではない、と。
文字数 1,251
最終更新日 2026.08.07
登録日 2026.08.07
老人・金田松吉は、病院の待合室で大声で個人情報を話し、さらに金地金を大量に所持していることを軽々しく漏らしてしまう。
その会話を偶然聞いていた主人公は「危ないな」と思うが、何もできないまま帰宅する。
その夜、ニュースで松吉が強盗被害に遭い、金地金を奪われたことが報じられる。
病院での“たった一度の会話”が、誰かの耳に届き、影を呼び寄せたのかもしれない――という現実的な恐怖を描く短編。
文字数 867
最終更新日 2026.08.06
登録日 2026.08.06
人嫌いの主人公は都会を離れ、静かな生活を求めて山奥へ向かう。
古い立て札のある禁忌の山に迷い込み、怪我を負いながら進んだ末に民家へ辿り着く。
家族は親切に迎え入れ、主人公は安心して眠る。
翌朝、怪我したはずの左足の親指が「綺麗にもげ落ちて」消えている。
家族は、山には祟り神が棲み、かつて逃げた生贄の“続きを食い続ける”怪異があると語る。
主人公はその生贄と勘違いされ、供物として選ばれてしまった。
村人に拘束され、戸板に縛られたまま山へ運ばれていく。
木々がざわめき、腐葉土の匂いが濃くなる中、主人公はただ奥へ奥へと連れて行かれる。
祟り神の永遠の飢えを満たすために。
文字数 1,361
最終更新日 2026.08.05
登録日 2026.08.05
和歌山・田辺市本宮町の山深い古道を歩いていた主人公は、
人気のない曲がり角でうっかり道を外れ、
半ば土に埋もれた古い地蔵の前で粗相してしまう。
慌てて謝罪し、持っていた水で地蔵を丁寧に洗い流すと、
苔むした台座に「龍神地蔵」の文字が浮かび上がった。
その夜、主人公は奇妙な夢を見る。
文字数 726
最終更新日 2026.08.04
登録日 2026.08.04
隣家の五歳のたけし君は、天使のような笑顔を持つ一方で、
金魚やインコ、猫など、近所の小さな生き物を残酷に殺す“幼い悪意”を秘めていた。
語り手だけがその本性を知っていたが、ある日、語り手が渡した段ボール箱で遊んでいたたけし君は、道路へ飛び出し、トラックに轢かれて死ぬ。
葬儀では涙が流れたものの、町の人々の心には「やっと終わった」という安堵が潜んでいた。
しかし、たけし君の悪意は死んでも消えない。
夜になると、語り手の耳には、かつて彼が殺した生き物たちの気配や、幼い笑い声が響く。
たけし君は、死後もなお、この町で“遊び続けている”のかもしれない。
文字数 1,259
最終更新日 2026.08.03
登録日 2026.08.03
山深い村に残っていた古い因習――家督を継ぐ長男以外は「おじろく」「おばさ」として一生を家に捧げる制度。
彼らは戸籍上も“厄介”として扱われ、感情を殺し、ただ働くためだけに生かされていた。
語り手の父は子を外へ逃がしたが、父の死後、抑圧されていた叔父叔母たちが突如として家督を奪い合い、互いに殺し合う。
従順だった彼らは、掟が消えた瞬間、長年押し込められていた攻撃性を露わにし、家は血と炎で滅びた。
残ったのは焼け跡と語り手の悪夢だけ。
因習は終わったはずなのに、語り手の心の中ではまだ生きている。
文字数 1,054
最終更新日 2026.08.02
登録日 2026.08.02
井原誠司のスマートフォンに、二十五年前の番号から着信が入る。
その番号は、学生時代に交流していた“綾”という女性のものだった。
綾は当時から「監視されている」「盗聴器がある」と怯え続け、
ある夜には車内の盗聴器を切り離すと言い張り、
別の日には「車ごと山から落ちる」と泣きながら電話をしてきた。
誠司が必死に止める中、
ガタガタガタ――という激しい振動音と悲鳴が響き、
通話は途切れた。
事故のニュースを何度も確認したが、
綾が本当に死んだのか、そもそも実在したのか、
誠司には確信が持てないまま記憶は深い闇に沈んでいった。
そして今夜。
二十五年前の番号が再び鳴る。
文字数 929
最終更新日 2026.08.01
登録日 2026.08.01
夜腰悦子は産院で出産を終え、家族と幼なじみに囲まれた幸福の絶頂にいる。
しかし、鏡の中だけが異常を映す。
血まみれの悦子、裂けた産着、痙攣する赤子、警察官、手錠――そこには“罪を犯した悦子”が立っている。
現実の世界は温かく穏やかだが、鏡の世界は鉄と肉の匂いを放つ。
悦子は自分が貼り付けた「幸福のフィルター」に気づきながらも、赤子を抱きしめ、幻想の側に微笑む。
鏡の悦子は唇で告げる。
『お前が殺したんだよ』
幸福と血の二重世界が同時に存在し、悦子はその境界で静かに微笑むのであった。
文字数 1,220
最終更新日 2026.07.31
登録日 2026.07.31
1925年、桜の散る夜に生まれた少女・登志子は、三歳で流行病に倒れた。
樋口家は幼くして亡くなった魂が荒ぶることを恐れ、手毬、髪飾り、ランドセル、化粧道具、振袖――
生きていれば迎えるはずだった節目の品々を、毎年供え続けた。
やがて二十歳を迎える年、家は“冥婚”を決意する。
相手は、戦地ルソンで戦死と報せられた青年・中島礼治。
静かに執り行われた冥婚ののち、奇跡のように礼治は生還する。
彼は言う――
「夢の中で、登志子という女と結婚した」
帰宅した礼治を待っていたのは、
振袖をまとい、鏡の前で髪を梳く“花嫁”だった。
文字数 1,354
最終更新日 2026.07.30
登録日 2026.07.30
果てしなく広がる湿地帯に囲まれた、名もなき故郷。
そこでは古くから、沼に沈んだ命が山を肥やし、
山が満ちれば田畑が実ると信じられてきた。
底なしの泥は、獣も旅人も分け隔てなく飲み込み、
その犠牲は静かに土へと還る。
人々はその循環を“掟”として受け入れ、
毎年、松明を掲げて湿地の縁に立ち、祈りを捧げる。
誰かが姿を消す夜、
村はただ黙って家路につく。
湿地は忘れない。
この土地を満たしてきた命の重さを。
文字数 869
最終更新日 2026.07.29
登録日 2026.07.29
飛騨山地の奥深く、豪雪と断崖に囲まれた小さな集落には、古くから「舟を祀る」奇妙な風習があった。
一本の巨木を丸ごと刳り抜いた刳舟(まるきぶね)を、家の屋根裏に吊るし、家族は毎晩その舟の中で眠る。
理由は誰も知らない。ただ、先祖が海から来たという曖昧な伝承だけが残っていた。
ある夜、前触れもなく大規模な山崩れが村を襲う。
家々は土石流に呑まれ、木造の家は次々と押し潰された。
しかし、村人たちは奇跡的に生き延びる。
屋根裏に吊るされた刳舟が、激流の中でも壊れず、彼らを守りながら麓まで運んだからだ。
文字数 1,028
最終更新日 2026.07.28
登録日 2026.07.28