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村上誠一、五十五歳。
エフティ建材の営業部次長。
家では「いればいる」程度の存在で、職場では「なんでもやってくれる人」として二十七年が過ぎた。
帰り道の駅ビルで、偶然、街角ピアノと出会う。
三十三年間、誰にも言わなかった。
ショパン国際ピアノコンクール三位。
一九九三年の秋、恩師が亡くなった夜にステージで止まったこと。
それからずっと、鍵盤に触れなかったこと。
だが、四小節が鳴った。
動画が拡散し、家族が初めて父を「見た」。
妻・久美子が「止まったことと逃げたことは違う」と言った。
息子・翔が部屋に来て楽譜を眺めた。
娘・麻央が「分からんのに弾くの?大人はそういうことをするのか」と聞いた。
命日の演奏会まで、一ヶ月。
先生が「心の声だ」と言い続けた曲・・ショパン夜想曲第二十番を、三十三年分の沈黙の後に弾く。
止まっても、立ったことは残る。
文字数 12,087
最終更新日 2026.11.07
登録日 2026.11.07
誰にでも、うまく終われなかった恋がある。
28歳の芹沢奏は、10年前に別れた元恋人・橘日向から突然SNSで連絡を受ける。二人はそれぞれ別の恋人と、安定した日常を送っていた。再会は、ただの懐かしい再会のはずだった。
しかし話せば話すほど、二人は気づいてしまう。あの別れが「必然」ではなかったかもしれないことに。お互いが「言えなかった」だけで、すれ違っていたということに。
浮気でも不倫でもない。けれど心は、誰よりも深いところへ戻っていく。
時間が変えたもの。時間が変えられなかったもの。そして、今からでも変えられるもの。
大人になってから読む、もう一つの青春の物語。
文字数 6,204
最終更新日 2026.11.07
登録日 2026.11.07
緑ヶ丘地方裁判所・特設更生分室。
担当判事の烏丸護(38歳)は、法廷ではエースと恐れられる冷徹な男だ。
だが判決を言い渡した後、彼は必ず「生き物の話」を始める。
ウグイスの縄張りで境界線を語り、ミツバチの針で献身の代償を語る。
法律では届かない場所に、生態学の言葉は静かに落ちていく。
その法廷に書記官として赴任した築地遥(33歳)は、
法律に傷つけられた過去を持ちながら、諦めきれずに司法の世界に残った女性だ。
烏丸の説諭を間近で聞き続けるうち、気づいてしまった。
被告人に向けられた言葉が、いつも自分自身にも刺さってくることを。
法廷では威圧感があるのに、お弁当を前にするとフリーズする。
生き物の話なら早口でいくらでも語れるのに、遥の笑顔には赤くなる。
そのギャップが、遥には少し、困る。
法律と感情のあいだで生きる人たちの、静かで少し温かい物語。
文字数 4,552
最終更新日 2026.11.07
登録日 2026.11.07
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