トップの力 ジョンソン・エンド・ジョンソンで学んだ経営の極意

「話せばわかる」より「聴けばわかる」を心がけよ

現代日本の名経営者といえば、必ずそのひとりとして稲盛和夫氏の名が挙がるだろう。京セラの創業者というだけでなく、日本航空の立て直しは稲盛氏の手腕の賜であった。しかし、そんな稲盛氏でさえ、若いころに「聴く」ことを忘れ、ピンチに陥ったことがあるという。

稲盛氏が仲間とともに立ち上げた京セラのスタートは、順調な滑り出しだった。だが、創業3年目に労働争議が起きた。若い社員たちが長時間労働の改善と賃上げを要求したのである。要求が受け入れられなければ、全員辞めるという。

稲盛氏は彼らを自宅に呼び、膝と膝を突き合わせて交渉した。交渉は3日間に及ぶ。最後は「絶対に裏切らない、裏切ったら俺を刺し殺してもいい」と語る稲盛氏に、若い社員たちは泣きながら折れたという。このとき稲盛氏は、若い社員たちの話を聴き、彼らと自分との間にある溝に気づいた。世界に誇るセラミックの会社をつくるという稲盛氏の夢や理想は、社員も共有しているものの、彼らと稲盛氏ではそこにかなりの温度差があったのだ。

世界一になるという夢や目標があれば、肉体的どんなにつらくても耐えられる。稲盛氏は自分がそうなのだから社員も同じはず、多少の辛さは我慢してついてきてくれると思い込んでいた。だが、そうではなかったのだ。どんなに価値のある夢や目標で、みんながそこに共感していても、それだけではメシを食ってはいけない。若い社員たちには、優先すべきは自分たちの生活があった。

「もし、自分の技術者としてのロマンを追うためだけに経営を進めれば、たとえ成功しても従業員を犠牲にして花を咲かせることになる。だが、会社にはもっと大事な目的があるはずだ。会社経営のもっともベーシックな目的は、将来にわたって従業員やその家族の生活を守り、みんなの幸せを目指すものでなければいけない。そう割り切ると、なにか胸のつかえがスーッととれる思いがした」と稲盛氏は自著の中で述べている。

若い社員たちは、団体交渉の中で、おそらくはじめて自分たちの率直な思いを語ったのだろう。自分の信念で邁進していた稲盛氏は、それまで若い社員たちの声を聞いてはいても、「聴いて」いなかったのである。よく「話せばわかる」というが、上に立つ人ほど「聴けばわかる」を心がけなければいけない。

「聴く力」は伝える力を倍増させる

トップには、語るべきことがたくさんある。会社はどこに向かっているのか、そして今どこにいるのか、これからどうするのか、社員に伝えなければいけないことは多い。トップの言葉が正しく社員に伝わるためには、話す技術より大切なことがある。それは、トップが社員から信頼され、信用されることである。

トップやリーダーは「できる人」である。才覚があって実績もある。才覚や実績からは信頼が生まれる。したがって、トップやリーダーは信頼される人なのだ。しかし、信頼だけでは言葉の魂までは伝わらない。聴き手に言葉の魂を伝えるためには、話し手に対する信用が必要なのだ。信用できる人とは、自分に関心をもち、尊重してくれ、誠意を持って応じてくれる人である。尊重・関心・誠意とは、「聴く」ことから得られる産物だ。つまり、信用を得るための一つの柱が「聴く」ことなのである。

心理学には「好意の返報性」という法則がある。話し手が聴き手の尊重・関心・誠意を感じ取れば、話し手も聴き手に対し尊重・関心・誠意を覚えることとなる、というものだ。話し手の言葉に込められた魂が、正しく聴き手に伝わるかどうかは、聴き手が話し手を信用し、尊敬しているかによって大きく違ってくる。いわば、「聴く力」によって「伝える力」が強くなるのである。

トップやリーダーは、才覚、実績はあって当たり前。人が安心して、よろこんでついて行けるのは、才覚、実績があるだけでなく、人として尊敬でき信用できる人である。そのためには、今日から「8聴き2しゃべり」を実行することを強くおすすめしたい。

次回に続く


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プロフィール

新 将命
新 将命

株式会社国際ビジネスブレイン代表取締役社長。
1936年東京生まれ。早稲田大学卒。シェル石油、日本コカ・コーラ、ジョンソン・エンド・ジョンソン、フィリップスなどグローバル・エクセレント・カンパニー6社で社長職を3社、副社長職を1社経験。2003年から2011年7月まで住友商事株式会社のアドバイザリー・ボード・メンバー。2014年7月より株式会社ティーガイアの社外勤取締役を務める。
現在は長年の豊富な経験と実績をベースに、国内外で「リーダー人材育成」を使命に取り組んでいる、まさに「伝説の外資系トップ」と称される日本のビジネスリーダー。
代表的な著書に『他人力のリーダーシップ論』『仕事と人生を劇的に変える100の言葉』『経営者が絶対に「するべきこと」「してはいけないこと』(いずれもアルファポリス)などがある。

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