しかし、この一方的なブロック文化は、確実に本人のキャリアへ跳ね返る。大企業や外資系など、まともで働きやすい会社ほど、採用時に前職での働きぶりを確認する「リファレンスチェック」を厳格に行う。引き継ぎの対話すらできずに業者を使って逃げた人間を、「その程度の会社にしかいられなかったのか」「なんて無責任なんだ」と冷徹に評価して弾き出す。信用社会において、無責任な辞め方の記録は一生つきまとうのだ。筆者自身、外資系企業入社の際にリファレンスチェックや素性調査を受けたが、前職上司が良いようにPRしてくれたこともあって入社が決まった。ブロックなどしてしまっていたらアウトだったのは間違いない。表面上、リファレンスチェックは「任意」となっているが、断れば「やましいことがあるのか?」と当然疑われるので事実上拒否は難しい。キャリアを真剣に考える人ほど、退職代行なんて使うべきではないのは明らかだ。
そしてもう一つ、Z世代社員の労働観を象徴するのが「静かな退職」だ。
これは実際に会社を辞めるわけではなく、「決められた業務範囲内のことだけをこなし、それ以上の努力や情熱を一切仕事に注がない」という働き方を指す。退職代行にかけこむ勇気すらない彼らは、これを「ワークライフバランスを保つための賢い防衛術」だと自画自賛する。「給料以上の仕事をするのはコスパが悪い」「頑張っても評価されないなら、最低限のことだけやって自分のペースでお気楽に働くのが一番タイパが良い」というわけだ。
だが、ここでZ世代社員の致命的な「勘違い」を指摘しておきたい。「静かな退職」が話題になるたび、労働者が会社を見限ったという構図で語られがちだが、実際の主語は従業員ではなく「会社」である。彼らは会社を搾取対象にしてベーシックインカムのように都合よく利用しているつもりかもしれないが、実態は会社から戦力外通告を受け、結果として「静かな解雇」を許容されているに過ぎない。
日本企業は解雇規制が厳しいため、明示的に「お前はいらない」とは言えない。だから代わりに「戦略的放置」という手法が使われる。重要な会議には呼ばない、大きなプロジェクトから外す、誰でもできる簡単な仕事だけをやらせる。これは投資における「損切り」と全く同じ構造だ。会社はこれ以上リソースを投入しても回収できないと判断した人材に対し、育成を諦め、最小コストで維持するか自然退職を待つのである。
ここに静かな退職の最大の逆説がある。成果を出している人間、期待をかけられている人間は、そもそも放置などされない。上司が声をかけ、新しい仕事が降り、責任が増える。つまり、静かな退職が「できる」環境にいること自体が、すでに会社から戦力外判定を受けた何よりの証拠なのだ。
Z世代社員は「面倒な摩擦から逃げられてタイパが良かった」「自分が主体的に選んだ賢い働き方だ」と錯覚しているかもしれない。だが、変化の早い現代社会は、その牧歌的な時間を永遠には保証してくれない。いざ労働市場に放り出された時、20代であれば年齢というポテンシャルで許される余地はある。だが、無菌室に引きこもり、摩擦から逃げ続けたまま30代・40代になれば、スキルも実績も人間関係の構築力も持たない「市場価値ゼロ」の中高年ができあがる。「自分が選んでいる」という錯覚に気づかないまま、中身が空っぽのまま年齢だけを重ねていくこと。それこそが、Z世代が直面している唯一にして最大のリスクなのである。