いってきます

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習慣の言葉

毎日頻繁に言葉の一つとして「いってきます」があります。仕事へ行く時、学校へ行く時、お出かけする時など、見送ってくれる人やペットに「いってきます」と声をかけてから家を出る方が多いと思います。

私は、18歳の時に京都の大学に通うために、地元の山口県を離れました。その頃から、夏休み、冬休み、春休みなど長期の休みを利用して実家のお寺に帰省し、また京都へ戻る時、本堂に安置されているご本尊(寺院などで礼拝の対象となる最も大切な仏を意味し、浄土真宗では阿弥陀如来を指す)さまと、お内仏(寺院の本堂とは別の場所にある家族用の仏壇)に手を合わせ、「いってきます」と挨拶をするようになりました。この習慣は今でも続いています。現在、私は東京と山口を行き来する生活をしていますが、必ず東京へ出発する前には、本堂とお内仏に挨拶をしています。

「いってきます」という言葉は、当たり前すぎて、逆に深く考えたことがない人も多いでしょうし、その意味さえ深く考えず、出発前の決まり文句として使っている方も多いのではないでしょうか。

実は、私自身、アメリカで生活するまで「いってきます」という言葉の意味を誤解していました。その当時、私は「いってきます」をどこかへ行く前の掛け声や、家族に出かけることを伝える合図と理解していました。アメリカで生活をはじめた当初は、どこかへ一方的に「行くこと」や「出発すること」を強調する言葉として、「I am going」(行きます)「I am leaving」(去ります)「I am off」(出発します)と言っていました。

しかし、実際にネイティブの方がこのような表現を使うことはめったにありませんでした。その代わりに使っていた表現が、「See you later」(また後で会いましょう)や「See you around」(またね)でした。再会の願いが込められた素敵な表現で、ただどこかへ出かけることを伝える日本語の「いってきます」より、よほど温かみのある表現だと感心していました。

「いってきます」の根底

しかし、これは私の誤解だったのです。日本語の「いってきます」に漢字を当てはめると「行って来ます」となり、「行って帰ってくる」ことを意味します。つまり、日本語の「いってきます」にも、英語と同じく再会の願いが込められており、実は「I will be back」(戻ってきます)や「see you again」(また会いましょう)と英訳することができるのです。

そうすると、「いってきます」とセットの言葉である「いってらっしゃい」も「無事に帰って来て欲しい」という再会の願いの意味を帯びるのです。英語の場合は「Come back safely」(無事に帰って来てね)、「Have a good time」(楽しんで来てね)というような表現になると思います。

また、「いってきます」という言葉は、この再会の願いから派生し、別のニュアンスを生みます。例えば、大事な仕事があって、朝の出勤時に気合いを入れて「いってきます」と言った場合、その意味は「仕事を頑張ってくるぞ!」というものになり、「いってらっしゃい」は「頑張って!」という応援の言葉となります。実際、私が毎回山口から東京へ戻る前にお寺で手を合わせる時の「いってきます」は、「頑張って来ます!」という思いが強いのです。

このように「いってきます」は、その言葉を発する人のシチュエーションや心持ちによって、多様な意味を持ちます。そして「いってらっしゃい」もその多様な意味に連動します。しかし、その根底には「また会いましょう」という「再会の願い」が込められているのです。

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プロフィール

大來尚順
大來尚順

1982年、山口県生まれ。僧侶でありながら講演や執筆、通訳や仏教家関係の書物の翻訳なども手掛け、活動の場を幅広く持つ僧侶。龍谷大学卒業後に渡米。米国仏教大学院に進学し修士課程を修了。その後、同国ハーバード大学神学部研究員を経て帰国。

ビジネスマンの悩みを仏教の観点から解決に導く著書『端楽(はたらく)』や、英語に訳せない日本語の奥深さを解いた『訳せない日本語』(ともにアルファポリス)が好評のほか、国内外を問わず仏教伝道活動を広く実践している。

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