ちゃんと働いているのに、なぜかずっとしんどい

「ちゃんと働いているし、やりがいも感じる」のに、なんか満たされない40代のしんどさ

「あれ、なんかしんどい。自分は何に向かって頑張っているんだ?」

Getty Images

ちゃんとやっているのに、どこか満たされない日があります。

手を抜いているわけではない。
ちゃんと仕事もしている。
家のことも回している。
人との約束も守っている。
頼まれたことにも、できる範囲で応えている。

やりがいがないわけでもない。
役に立てたと思える日もある。

それでも、ふとした瞬間に思うことがあります。

「あれ、自分は何に向かって頑張っているんだろう」

頑張っていないわけではない。
でも、頑張ったわりに、自分の中に力が戻ってくる感じが薄い。

働いている。
暮らしている。
役割も果たしている。

なのに、自分の輪郭が少しずつぼやけていく。
毎日の行為から、自分に力を戻してくれる意味が、少しずつ痩せている。

今回は、その見えにくい重さを考えてみたいと思います。

日々の手応えは、行為の量ではなく「自分が戻ってくる感覚」にある

頑張った一日のあとに、少しだけ充実を感じる日があります。

疲れてはいる。
でも、悪くない疲れです。

「あれは自分なりにうまくできた」
「少し難しかったけど、やりきれた」
「こういうことをしている自分は、嫌いじゃない」

そう思える日。

そういう疲れは、ただ消耗した感じとは少し違います。
体は重くても、自分の中に何かが残っている。

大事なのは、行為の量だけではありません。
人は、自分にとって大切な行為を通して、

「自分にもできる」
「これをしている自分は、自分らしい」

という感覚を得ています。

たとえば、料理が得意な人がいます。

手際よく材料を切る。
味を見ながら整える。
冷蔵庫にあるもので、ぱっと一品作る。

「自分はこういうことができる」
「誰かの生活を整えている」
「料理をしている自分は、けっこう自分らしい」

そんな感覚が、そこにある。
人は、自分を能力だけで説明するより、行為で説明する方がしっくりくることがあります。

「手先が器用です」より、「ものを作っているときが自分らしい」
「人と話せます」より、「誰かの話を聞いているときが自分らしい」

それは、行為や役割が、自分らしさを支えているからです。
そして、そこには小さな挑戦と達成があります。

少し難しいけれど、できた。
前よりうまくできた。
誰かに届いた。
自分なりに工夫できた。

この感覚があると、人は内側から支えられます。
逆に、同じ行為でも、そこから「できている感覚」や「自分らしさ」が抜けてしまうと、急に重くなる。

Getty Images

仕事はしている。
家のこともしている。
役割も果たしている。
でも、ただこなしているだけになる。
やっているのに、自分が戻ってこない。


ここに、見えにくいしんどさがあります。

ご感想はこちら

「ちゃんと働いているのに、なぜかずっとしんどい」 記事一覧

プロフィール

三宮孝太
三宮孝太

作業療法士・修士。北海道の急性期病院で23年、のべ5万人の「働く人」のリハビリに関わってきた。働きながら身体を壊した人、心が動かなくなった人、彼らの人生に何度も伴走するうちに、なぜ真面目に働いている人ほどしんどさを抱え込んでしまうのかという問いに直面する。それをきっかけとして2026年、株式会社DIALOGを設立。企業の健康経営支援と、個人のコンディションを整えるウェルネス事業を通じて、「働きながら、自分を取り戻せる社会」を目指す。noteでは「3ちゃん|ごきげんナビゲーター」名義で、「しんどさ」をほどく言葉を日々綴っている。

出版をご希望の方へ