ちゃんと働いているのに、なぜかずっとしんどい

「ちゃんと働いているし、やりがいも感じる」のに、なんか満たされない40代のしんどさ

やめたのは、その行為だけではなかった

自分にとって意味のある行為は、している最中には意外と気づきにくいものです。

朝、庭に出る。
台所に立つ。
道具を整える。
犬の散歩に行く。
誰かの話を聞く。

本人にとっては、ただの「いつものこと」。
でも、そのいつものことが、その人を支えていることがあります。

作業療法士として働く中で、似た場面を何度も見てきました。
家庭菜園を毎日の生きがいのようにしていた人がいます。

朝になると庭に出る。
土に触れる。
芽を見る。
水をやる。
季節の変化を感じる。

それは、ただ野菜を育てているだけではありませんでした。

今日も庭に出られた。
自分にもまだできる。
誰かに野菜を分けられる。
自分には役割がある。

そういう感覚を、毎日少しずつ受け取っていたのでしょう。
ところが、転んでけがをしたことをきっかけに、家庭菜園をやめてしまう。

危ないから。
無理をしない方がいいから。
家族に心配をかけるから。

理由はどれも正しい。
正しいのだけれど、そこで失われたのは「家庭菜園」という趣味だけではありません。

外に出る理由。
体を動かす機会。
季節に触れる時間。
人に分ける役割。
自分にもできるという感覚。
「私はこういうことをしている人だ」という自分らしさ。

それらが、一緒に失われていくことがあります。
でも、本人はそれを言葉にできません。

ただ、なんとなく元気がない。
外に出るのが面倒になる。
一日が平たくなる。
何かが足りない感じだけが残る。
この「何かが足りない」の正体が、見えにくいのです。
これは高齢者だけの話ではありません。

忙しくなって、走るのをやめる。
家のことで手いっぱいになって、料理を楽しむ時間をやめる。
疲れて、人とゆっくり話すことをやめる。
余裕がなくて、文章を書くことをやめる。

どれも、一見すると「今は仕方ない」ことです。
でも、その中に、自分を支えていた行為が混ざっていることがあります。

人は環境に合わせて変わります。
それは生きるために必要な力です。
ただ、あまりに受け身に変わり続けると、自分らしさを支えていた行為まで、あっさり手放してしまう。

そして、そのあとで残るのは、名前のないモヤモヤです。
だから、しんどいときに見るべきなのは、

「何をやめたか」

だけではありません。

その行為をやめたことで、何を失ったのか。

できる感覚なのか。
自分らしさなのか。
役割なのか。
人とのつながりなのか。
生活のリズムなのか。

そこに気づけると、モヤモヤは少し輪郭を持ちはじめます。

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プロフィール

三宮孝太
三宮孝太

作業療法士・修士。北海道の急性期病院で23年、のべ5万人の「働く人」のリハビリに関わってきた。働きながら身体を壊した人、心が動かなくなった人、彼らの人生に何度も伴走するうちに、なぜ真面目に働いている人ほどしんどさを抱え込んでしまうのかという問いに直面する。それをきっかけとして2026年、株式会社DIALOGを設立。企業の健康経営支援と、個人のコンディションを整えるウェルネス事業を通じて、「働きながら、自分を取り戻せる社会」を目指す。noteでは「3ちゃん|ごきげんナビゲーター」名義で、「しんどさ」をほどく言葉を日々綴っている。

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