僕は作業療法士として、人が何かを「できる」「できない」という場面を長く見てきました。
そこでよく思うのが、人の能力って、本人の中だけにあるわけじゃないんですよね。
たとえば、ある動作が苦手な人がいる。
時間もかかるし、危なっかしい。
だったら周りがやってしまった方が早い。
実際、その場は早く終わります。
でも、毎回それをやっていると、その人は自分でやる機会を失います。
考える機会も減る。
試す機会も減る。
失敗する機会も減る。
すると、しばらくして、「やっぱりこの人には無理だね」という評価が完成する。
でも、ちょっと待ってください。
本当に能力がなかったのか。
それとも、できるようになるための経験が、そもそも少なかったのか。
作業療法では、この違いをかなり気にします。
本人だけを見て、
「できる人」
「できない人」
と決めてしまうと、見誤るからです。
仕事も、たぶん似ています。
部下が判断できない。
だから上司が判断する。
上司が判断するから、部下は判断する経験を積まない。
そして、
「やっぱり判断できないな」
となる。
本人の能力を評価しているつもりで、自分たちがつくった状況を評価していることがあります。
これは少し怖いです。
では、理屈が分かれば簡単に任せられるのか。
たぶん、そんなこともありません。
なぜなら仕事って、ただのタスクじゃないからです。
難しい案件を片づける。
トラブルを収める。
誰かから、「助かりました」と言われる。
これ、普通に気持ちいいんですよね。
「自分ならできる」
という感覚が返ってくる。
心理学では、このような有能感は、人の動機づけを支えるものの一つとして考えられています。
さらに、長く担当している仕事には、
「これは自分の仕事」
という感じも出てきます。
会社の仕事なんですけどね。
なぜか、ちょっと自分のものになる。
顧客のクセも知っている。
過去の経緯も知っている。
Excelの謎の数式が壊れたときの直し方まで知っている。
もう、ほぼ飼育です。
こうなると、仕事を誰かに渡すことは、
単にタスクを一個減らすことではなくなります。
自分が知っている場所。
自分が役に立てる場所。
「まだ自分はできる」と確認できる場所。
そこまで少し手放すことになる。
なので、
「もっと部下を信じて任せましょう」
だけでは、たぶん足りません。
人はそんなに爽やかにはできていない。