2021東京ヤクルトスワローズ 高津流 燕マネジメント

「幻の第7戦、先発は奥川だった――」
歴史的激闘!日本シリーズの舞台裏

「幻の第7戦」の先発は奥川だった

――結果的に第6戦で日本一に輝きましたが、球団公式YouTubeを見ると、「今日決まってよかったです。明日、投げる予定だったので」と奥川投手が語っている場面が流れました。これは第7戦での先発、あるいはリリーフ登板、どのような想定だったのですか?

高津 先発です。CSファイナルでジャイアンツを完封した後、すぐに監督室に呼んで、日本シリーズの初戦と7戦目の先発を告げました。京セラドーム大阪での第1戦を終えたときにも、「もう一回、投げるからね」ということはベンチにいる時点で言ってありました。

――シーズン中はずっと「中10日」ペースを守ってきた奥川投手ですが、ここで初めて「中7日」登板を託すつもりだったんですね。

高津 実現はしなかったけれど、そのつもりでした。

――そうなれば、第7戦の先発を奥川投手に託し、第2戦で登板した高橋奎二投手も「第二先発」として待機できる。だからこそ、第6戦でスコット・マクガフ投手を回またぎさせて2回1/3イニングを投げさせることも可能となったんですね。

高津 あの試合は結局延長12回までもつれましたが、勝ったら終わりですが、負けた場合、引き分けた場合、それぞれを考慮に入れた上で、スコットを最後まで投げさせるという判断をしました。第6戦に関しては、先発の高梨の降板タイミング、二番手の(アルバート・)スアレスの回またぎ、いずれも勝ち、負け、引き分けをすべて想定した上での継投でしたね。

――第6戦は延長12回の死闘となりました。仮にこの試合が引き分けに終わった場合、第8戦の開催も現実味を帯びることになりました。第7戦までは当然のこととして、第8戦のシミュレーションはどの程度なされていたんですか?

高津 詳しいことは言えないけど、第2戦を1勝1敗で終えたときに、当初のプランから別のプランに変更しました。それで試合が進んでいって、第4戦が終わって3勝1敗となったときにまたプランを変えました。このときには第8戦のプランも入っていましたね。

――つまり、日本シリーズ当初は「プランA」でスタートしたものの、第2戦終了後に「プランB」となり、第5戦後には、第8戦も見据えた「プランC」になったということですか?

高津 言えることと、言えないことがあるんですけど、まぁ、そういうことです(笑)。で、3勝1敗で第5戦を迎えるときにはすでに第8戦を考えてはいました。第6戦も延長12回表、ツーアウトランナーなしだったので、「引き分けもあるな」という思いで第8戦のイメージはしていました。

――結果的には二死走者なしから塩見泰隆選手が出塁し、代打の川端慎吾選手にタイムリーヒットが出てついに勝ち越し。そのまま日本一を決めました。

高津 まさか、あそこから1点を取れるとは思っていなかったですね。当たりはよくなかったけれど、今年は本当に川端には助けられました。

――日本シリーズについては、まだまだ伺いたいことがあります。ぜひ次回もこの続きをお願いいたします。

高津 今はまだ来年のことは考えられないけど、今シーズンのことなら、じっくりとお話しできるので、ぜひ次回もよろしくお願いいたします。

 

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プロフィール

髙津臣吾
髙津臣吾

1968年広島県生まれ。東京ヤクルトスワローズ監督。広島工業高校卒業後、亜細亜大学に進学。90年ドラフト3位でスワローズに入団。93年ストッパーに転向し、20セーブを挙げチームの日本一に貢献。その後、4度の最優秀救援投手に輝く。2004年シカゴ・ホワイトソックスへ移籍、クローザーを務める。開幕から24試合連続無失点を続け、「ミスターゼロ」のニックネームでファンを熱狂させた。日本プロ野球、メジャーリーグ、韓国プロ野球、台湾プロ野球を経験した初の日本人選手。14年スワローズ一軍投手コーチに就任。15年セ・リーグ優勝。17年に2軍監督に就任、2020年より現職。

著書

明るく楽しく、強いチームをつくるために僕が考えてきたこと

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2021年、20年ぶりの日本一へとチームを導いた東京ヤクルトスワローズ髙津臣吾監...
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