なお、ナイキ自身も無策だったわけではない。2026年5月期の卸売部門売上高は275億ドルと前期比6%増加しており、専門店との関係修復に着手している姿勢は見て取れる。ヒルCEOが掲げる「スポーツ・オフェンス」戦略も、スポーツ専門店を含む卸売チャネルとの関係を立て直し、競技性能を軸にブランドを再構築する狙いを持つとされる。ただし直営店・自社EC部門の売上高は前期比6%減と落ち込みが続いており、D2C偏重からの軌道修正が業績数値に表れるまでには、なお時間を要する見通しだ。スポーツマーケティングに詳しい戦略コンサルタントの高野輝氏はこう指摘する。
「ナイキの躓きは戦略そのものが間違っていたというより、D2C化を急ぐ過程で専門店という”現場”との接点を失ったことが大きい。スポーツシューズは試着や専門知識に基づく提案の価値が依然として高いカテゴリーであり、アシックスはそこを疎かにしなかった」
アシックスの好業績を語るうえで欠かせないのが、姉妹ブランド「オニツカタイガー」の存在だ。本格的な競技用・ランニング用シューズは「アシックス」ブランドが担う一方、オニツカタイガーはファッション・ライフスタイル領域へ完全に軸足を移し、ナイキやアシックス本体とは異なる市場で独自のポジションを築いている。2026年12月期上期のオニツカタイガー事業の売上高は895億円(前年同期比35.9%増)、営業利益率は39.6%(前年同期比3.2ポイント上昇)に達し、全地域で2桁以上の成長を記録した。この高収益性を評価し、アシックスは2027年1月1日付でオニツカタイガー事業を分社化する方針も明らかにしている。
この圧倒的な高収益構造を支えるのが、大きく3つの仕掛けだ。
第一に、脱・スポーツ用品価格である。値引き販売を極力行わず、パリのシャンゼリゼ通りや東京・新宿といった主要都市の一等地に旗艦店を構え、ハイブランド(ラグジュアリー)に近い価格帯・立ち位置を確立してきた。
第二に、インバウンド需要と越境ECの組み合わせだ。円安を追い風に、訪日外国人がオニツカタイガーを土産として購入する動きが広がり、WWDJAPANの報道では免税売上比率が4割以上に達しているとされる。母国に帰国した後もECサイトで買い続けてもらう顧客ループを構築している点も特徴で、日本経済新聞クロストレンドは越境ECをテコにした顧客生涯価値(LTV)向上策を伝えている。
第三に、直営店を中心としたブランドコントロールである。卸売比率を抑え、直営店・自社ECでの販売を軸にすることで中間マージンを圧縮し、高い粗利率を確保する構造を作り上げた。
「オニツカタイガーの強みは、機能性を競うスポーツ用品市場から距離を置き、”歴史”や”物語”を価値の源泉に据えた点にある。値引きに頼らないブランドは景気変動への耐性も高く、収益の安定装置として機能している」(高野氏)
ナイキが直面したのは、スニーカーブームの一巡とレトロモデルの供給過多という構造問題だった。特定カテゴリーへの依存度が高かった分、トレンドの反転がそのまま業績の重荷となった。
これに対しアシックスは、「本格スポーツ(機能性)」を担うアシックス本体と、「ファッション性・高収益」を担うオニツカタイガーという、性格の異なる二つの柱を併存させることに成功している。一方がトレンドの影響を受けやすい局面でも、もう一方がそれを補う関係が築かれており、これが「売上1兆円・高い利益率」を同時に実現する基盤になっていると考えられる。むろん、インバウンド消費や為替は変動要素であり、円高局面や訪日客数の減速が業績に影響を与えるリスクは残る。ただし、専門性の高いランニングシューズという収益基盤と、プレミアムなライフスタイルブランドという収益基盤を併せ持つ経営体制そのものが、単一カテゴリー依存よりも外部環境の変化に強いポートフォリオであることは間違いない。