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【シェントと過ごす時間】

45.隠した表情

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思いがけずシェントが厭う者じゃなくなったと分かったあの夜から数日が経った。梓はあの日以来シェントと会っていない。魔物討伐や他の用事が重なったんだろう。そう解釈することにしているが、もしこれが気を遣ってとのことだったらもうシェントに気を遣うのは止めようと思っている。
──神子に気を遣うのが癖づいて変えられないのだったらそれはそれで好きにやっていることだもんね。
言いたいことは言い切ったのだからと思っていたら静かな部屋に久しぶりのノックが響いた。ドアが開く。


「こんにちは」
「こんにちは、樹」


部屋に入ってきたシェントの手には書類や本がある。それならと机の片づけをする梓に「ありがとうございます」と微笑んだシェントが椅子に座った。

「今日もお仕事お疲れ様です」
「ふふ、お陰様で仕事が捗っていますよ。樹は読書中でしたか……それは」
「はい。どうせならこの世界のことでも勉強しようと思って花の間の書架にあった歴史や地理系統の本を読んでいます。結構面白いですね」
「それはよかった……よければ今度絵本も読んでみてください。あの視点もなかなか面白いものですよ」
「絵本ですか?ありがとうございます。今度読んでみますね」

シェントからの思わぬオススメに梓が微笑んで頷けば、シェントも微笑む。

「ああそうだ、お茶置いときますね」
「樹」

あまり話しすぎると仕事が出来ないだろうと思い梓は最後にシェントのお茶でも用意しようとしたが、シェントがぎこちない笑みを浮かべて梓を見上げた。首を傾げる梓を見た視線は気まずげに揺れ、その手は迷うように動いている。

「あの夜のことですが」
「はい」
「樹は魔力を回復するのは別に昼だけじゃなく夜でもいいと言ってくれましたね。ですがそれは触れない前提あってのこと」
「シェントさん」
「樹」

もしや先ほど抱いた心配は当たったのかと呆れる梓をシェントが待てとばかりに声を重ねた。困った表情をしつつも真剣なシェントに梓も口を閉じる。


「あなたが言ってくれたように私もあなたがどう過ごせたら嬉しいのか知りたいんです。恥ずかしながら私にはあなたが嬉しいと思うことがよく分かりません。今だって私が悩み続けたことがあなたには呆れたものに見えてしまう……けれど私があなたに触れてしまえることがあなたの不安になったのではと考えずにはいられないんです。あなたの正直な気持ちを教えてほしい」


真剣なシェントを見て梓は徐々に顔が熱くなっていくのが分かった。あなたのことが知りたいと真正面から訴えてくるシェントの目を見ていられない。
──シェントさんは私とどう過ごしていこうか真剣に考えてくれているだけ。そのために私の気持ちを聞いているだけ。
梓は何度も自分に言い聞かせて首を振る。
──神子じゃなくて私自身と話そうとしてくれているのに私がこんな反応してたら駄目だ。
なにせ梓の様子がおかしいのにシェントが気づいてしまった。瞬く目を見て梓は恥ずかしさに蓋をする代わりに口を開いた。

「気にしてくれてありがとうございます。触れてしまうことですが……シェントさんですし大丈夫ですよ。だから夜に来られても問題ありません」
「そう……ですか」

返事はしているがシェントは先ほどの梓の変化が気になっているらしく、話を聞いているのか聞いていないのかよく分からない。
梓は刺さる視線から逃れようとカップを取りに行き、シェントの目は梓を追う。

──これは、苺?

隣を通り過ぎた梓から甘い苺の香りがした。梓がよく紅茶に苺ジャムをいれていることを思い出したシェントの口元が緩む。紅茶を飲むときの梓はいつも幸せそうな顔をしているからだ。梓はふうふうと息をかけたあと紅茶を口に含みホッと肩の力を抜いて──
『シェントさんですし大丈夫ですよ』
目が合うと微笑む。
どうしてだろう。シェントは本に伸ばしていた手を自分の口元に移し狼狽える。自分のものではないような熱を顔に感じながら、遅れて脳に届いた梓の言葉を反芻する。そして湧き上がってくる感情に、また、戸惑う。
──嬉しいんだろうか。
感情を言葉にすると気持ちは高ぶりそのぶんだけ恥ずかしさを覚えてしまう。
──いや、少し落ち着かなければ。
シェントは持ち前の冷静さで異常な自分を客観視し、気持ちを落ち着けようと息を吐く。それは流石といえるのだが抑えきれなかった感情は口から零れて、


「大丈夫なんですか」


声は弾んでいる。
シェントの呟きを呼び声と聞き間違えたのだろう。梓がカップを手に眉を寄せた。

「はい、どうしたんですか」
「いえ、何も。お茶ありがとうございます」
「どういたしまして」

机に置かれたカップを見て微笑むシェントに梓も微笑み返したあと本を手にソファに座る。
部屋に入ってきた風でカーテンが揺れた。何かを書き留めるペンの合間に、ページをめくる音が聞こえる。ソファに座っていた梓がだらしなくソファに寝転がって、シェントはお手本のような姿勢を崩して時々伸びをする。梓がお茶のおかわりをして、ついでにと声をかけたシェントもついでにとお茶を貰って、時間は過ぎ──


「んぇ、れ?」


薄暗くなった部屋のなか梓は一人目を覚ました。どうやら寝てしまっていたらしい。自分にかけられていた布団をとりながらぼおっとする頭で机を見ればシェントはおらず机は片付いている。
──なんか申し訳なくなるぐらい私ダラダラしてるなあ。
仕事をしている人の隣で呑気に読書をして寝落ちしているなんて殺意を向けられてもおかしくないだろう。梓は布団をベッドに戻しながらこれじゃ駄目だなと眉を寄せる。
──私も仕事がしたいなあ。仕事というよりやるべきこと?とにかく……何かしたい。
けれどどれだけ考えても具体的な何かは浮かばず、それどころか梓は大きな欠伸をしてしまう。これは今考えても無駄だろう。梓は気持ちを切り替えようとじっとりと汗をかいた肌にくっつく髪を後ろで適当に結び顔を洗った。冷たい水が気持ちよくてこのままお風呂に入ってしまいたくなる。
──でもその前にご飯。
キュウと鳴く腹の音を聞きながら梓は顔を拭く。顔だけでも洗ってしまえば生まれ変わったようにさっぱりして気持がいい。ああでもこれから暑くなることを考えたら対策を打たないと寝られない夜が続くことになりそうだ。どうしようかなと考えながら花の間に続くドアを開ける。



「なんてことしてくれたのよっ!?どう責任を取るつもり!」



そして聞こえた知らない女性の怒鳴り声にドアを閉めようかと本気で悩んでしまう。
お腹がまた悲しく鳴いた。





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