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34 庇護は覚悟、向こう見ず
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「結局、みんなの詳しい情報手に入んなかったじゃん」
「おおよそお前の報告通りだ。ガルドは間違いなくあの少女だな……大学生か?」
「にしては大人っぽいね~。五十代だとばっかり思ってた」
「お前と中身を入れ換えたらちょうど良いだろうな」
「え、私学生のころでもあんなに可愛いくなかったよ?」
「そうだろうな」
残念そうな顔をしているぷっとんを放置してディンクロンは思考を詰めてゆく。
「あんな会話程度で情報が引き出せるわけがない。調査は続けろ」
「ちょっと、人にばっかり任せないで」
ぷっとんは自分のギルドホームでミルクプリンをシュークリームに乗せて一気に頬張っている。甘党だが健康を気にしてリアルでは食べない好物を、この世界で心置きなく食べ続けていた。
擬似的な満腹感も得られるが、ぷっとんはそれを解除している。あの数分だけ維持されてすぐに解けてしまう感覚など、魔法のようなものだと思っていた。
「ジャスティンは固定回線でも問題ないだろう。早急にガルド・夜叉彦・マグナの身元を洗え。特にガルドのは急げ。親が強く出てくる」
「未成年の可能性、濃厚になっちゃったし」
「あの写真だけでは信じられんが、話してみると分かった。全く、思い込みというのは恐ろしい」
ディンクロンはピンクの愛らしいリボンがついたソファに深く腰掛けながら、半透明の文字データポップアップを呼び出す。ウェブブラウザの簡易表示だが、内容は暗号化を掛けた重要文書である。ギルドホームはしっかりとシールされ、データの類いがフロキリの公式にも見れないほど厳重に、二人以外に漏れないように偽装処理を済ませていた。
そうまでして守りながら二人で情報を整理してゆく。
「夜叉彦は首都圏だよね。年齢もあのメンバーでは若い方で、なおかつ新婚さん」
「収入はそれほど高くないと言っていた。ゲームの維持費を考えると都内在住というのは怪しい。二十三区は除外、都下と埼玉千葉を範囲内に」
「八王子は分かるけど、違う県ってことはなくない? 仲間にまで嘘言う?」
「可能性はある」
画面には六人に見せなかった情報があれこれと乗っている。過去の事件、要注意人物で顔が割れているもの、防げなかった過去の被害者に関すること。
その中から世界地図を拡大表示する。
「ねえ」
「……今の私にはお前に指示する権限はない。暗黙の了解があるとはいえ、身分で言えば私はもう令状をとれないからな。やりたいならお前がやれ」
ディンクロンが話の流れを断ち切り突然そんな話を始めた。
「……しないって。アンタが持ってたヤマなんだから。アタシは作戦に賭けてるだけ」
幼女のような妖精が小さな手でフォークを持つ。白いクリームがべっとりとついており、自然に惹かれるようにそれを口で残さず回収した。
リアルと違い、生クリームを触った時のベトつきは感じない。
「ただちょっとあの子達に罪悪感があるだけだって」
「やりたくはないが、いざとなったら彼らを餌にしてでも大物を釣る」
「……それ」
「死にはしない。分かっているだろう?」
「サイアクだよ、それ。……私も同罪だけど」
ぷっとんがディンクロンにしか見せない弱気な顔で小さく呟く。VRデータで食べるシュークリームは、味覚再現が中途半端でベタついた甘さしかない。
それを荒々しくフォークで指す。
「最近……病院行った?」
「一昨日」
「そう」
世界地図の、点滅移動する赤いポイントを見る。ランダムに移動するように見えるそれは、一昔前のスーパーコンピュータを使用して誤魔化しているらしい「データの移動経路」のログだった。
「田岡のデータのトレースはもう望み薄だ。奴を救い出すために他の武器がいる」
「だからってっ!」
ティーテーブルにデザートが乗った皿を叩きつけながら、ぷっとんが叫ぶ。
「ロンベルを犠牲にしてもいいっていうの!?」
「……そうは言っていない」
責められた形になるディンクロンが、猫特有のヒゲを一瞬ピクリと動かしたあとに答える。
「私たちにはもう、手段を選んでいる余裕はない……」
表情筋の送信をカットするすべを持つ彼が本当はひどく悔しそうな顔をしているのが、長年共にいるぷっとんには嫌というほどわかった。
「どうだい、調子。あんま心配してないけどな。ほら、君の腕は知ってるわけだし。早めに君たち同士で共食いしてくれると助かるぜ」
<ハァ……相変わらず紳士的なようで実は失礼な物言い。ワタクシ、その上っ面だけ取り繕ったカンジが嫌いですの。いいこと? アンタのためじゃありませんのっ、ガルド様のためですの!>
「おぉー助かるなー、俺は君のこと嫌いじゃないぜー」
<棒読みで言われてもちっとも嬉しくありませんの!……やつらは最近随分静かにしてやがるので、そのままで居ていただけると楽ですの>
ヤジコー社製のフルダイブ機を売り払ってスペースの空いた寝室で、ベッドに腰掛けながら榎本は定期連絡をしていた。以前は相棒のストーカーだった阿国相手だが、思っていたほど悪い関係ではない。
最近はすっかりストーカー業から足を洗っているらしく、榎本はその認識を改め始めていた。話してみると案外悪い女ではない。
おだてて警護を依頼したこともあり、彼女に相対する榎本の口調はやけに丁寧だ。だが女性に向き合う際にキザになる彼にとっては、ほぼ素の口調であった。
「君のことだから大丈夫だとは思うが、油断するなよ? 当日は仲の良いプレイヤー達や鈴音舞踏絢爛衆も来てくれるが、どいつもこいつも引きこもり体型だからな」
<頼りになりませんの>
「そう言ってやるな、金のある奴はハワイまで『執事』やってくれるらしいから」
それは、前回の世界大会で榎本にも一人着いてきた、一種の体のいい「使いっぱしり」のことであった。
<くぅ! うらやましい! ワタクシだって立派なメイドになり得ますのよ!? ……ハッ、メイドになれば……あの麗しい大きな背中をお流ししたり、朝に紅茶をベッドにお持ちしたり、ああ! あわよくばお洋服をお召し変えるの!>
「そういうのはない」
<じゃあ、ガルド様をワタクシの執事にしますの。それもそれで夢のよう……毎朝あの方に起こしていただいて、朝食はあの方の作ったフレンチトーストを食べますの! 『お嬢様、このままでは遅刻だ……』なあんて言って! お姫様ダッコで高速道路を白馬で駆けますのよ! きゃあ、どうしましょう興奮が止まらない!>
「戻ってこい」
まず姫ダッコで乗馬など姿勢が矛盾している。榎本はそう考えるものの、ツッコミを入れる暇もなく阿国の話が続く。
<夜なんて、夜なんて、眠れない夜に呼びつけて『眠れないのか?』なんて言っちゃって! 一対一で決闘ですの! あの方にワタクシは一撃も加えられず、そのまま大剣で切り裂かれてダウンして眠りますのよ。ああ、最高の安眠ですの……>
通信の向こうで阿国がうっとりしているのが想像できるような声であった。榎本はその最後の下りに、相棒の影響力を感じとる。
あいつもそういうやつだ。眠れない夜に徹夜でログインすることも多い。
「……なんか、想像以上にガルドに似てるな」
<え?>
「戦闘が好きで、真面目にそんなこと考えてるところとか」
<似てる? あの方と?>
「そういうところが、俺もほっとけないのかもなぁ……」
<あ、あ、あなたなどに面倒見られているつもりはありませんの!>
「はは、そういうことにしといてやるよ」
榎本がそう笑うと阿国は挨拶もなしに通話を切った。ぶちりという音の切れ間と、後の部屋の空虚な無音がこめかみと耳の境目に混じりあう。
「……面白い奴だが、ガルドには会わせねぇよ。オフとオンをごっちゃにしてるやつには」
ガルドは強いやつだ。これが「もし永遠にガルドがオッサンゲーマーのままだったならば」自分が守るまでもないだろう。榎本はそうぼんやりと思い返しながら、この部屋で一時期暮らしていた少女を思う。すらりとしていて小さな背中だった。あの姿を知っていいのは、相棒である自分が面会を許した、害のない一部の人間達だけだ。
強い庇護欲を胸にベッドに潜る。不思議とゆっくり眠れそうだった。
ロンド・ベルベットのメンバーが戦闘訓練を終えて帰宅し、明日に備えて寝静まるころ。
マカロンカラーに包まれたぷっとん渾身のチートマイスターギルドホームには、まだ例の二人が残っていた。
戦闘を行うでもなく、ただひたすらフロキリの中で会話と情報収集を行っている。デザートがこんもりと乗ったテーブルの上は半透明のデータポップアップが何重にも広げられ、何事かが表示されては電子の海に溶けて消えていった。
「絶対なにか仕掛けてくるに決まってる、なのになんにも出来ないなんて……」
聞こえてくる声は、紛れもなく女の声だ。合成音声ではあるが、彼女の本当の声もそうだということをディンクロンはよく知っている。少女趣味なアバターとは正反対にグラマラスで色気があり、それを武器にして男社会で戦っている女だ。
以前の仕事先で同僚だった彼女は、良いところまで出世した自分に並ぶほど才能豊かで先見の明があり、そして優秀だった。自分を越えるほどの愛国心も持ち合わせている。その才能が男社会で完全に発揮できていないことに悔しさを感じる程度には、目の前の彼女に強く肩入れしていた。
「出ないに越したことは無いがな」
「だからこそ最悪の事態は考えておいた方がいいんじゃないの。これで奴等の目的が上位プレイヤーの抹殺とかだったらどうすんの……防げるのに判断ミスで死なせるのが、一番サイアク」
最後の一言がワントーン下がり、殺気のようなものが節々から感じられる。ディンクロンはその意見には反対を示した。
「いや、敵の目的は恐らく素体だ。やつらの計画が真実ならば……」
「あーら、分からないじゃない。それにハワイじゃないところで起こるかもしれないし。そりゃあ優秀なプレイヤーが一同に介するのはハワイなんだけど……ううん、私の希望ね。外国じゃ私たち動けないもの。行って欲しくないの。自分達であの人たちを守りたい……そうね、コロシは無いと思う」
そう言って、小さくて短い足を組んで座り直す。リアルではハイヒールで誇張され見惚れるほど美しい仕草も、今の姿ではどこか笑いを誘った。子豚がポーズを決めているようにしか見えない。
しかしディンクロンは頬をぴくりともせず思考を続けた。
地元のプライドある警察が外国の調査チームを受け入れるとは思えない。ハワイでは自分達の好きには動けないはずだった。しかしアメリカの警察に日本側が持つ情報を提供するのは避けたい。ディンクロン個人はどうでもよいと思っているのだが、彼の上が眉をしかめる。
彼らが飛行機に乗ってしまうと、自分達二人はもう動けないのだ。目と口を閉じ、事件が解決されるのをじっと待つことしかできない。
ディンクロンも反論はしたものの、飛行機に乗せることを回避できるならばぜひともそうしたかった。
「どちらにしろ奴らの動きが掴めないうちは後手になる。それが国内にしろ、国外にしろ、我々の杞憂で事件にならないにしろ、だ」
リサーチ力不足は大きな課題であった。
「せめて打って出るくらい攻勢に出れればいいのに……せっかく国のしがらみが無いんだから、アンタなんとかしなさいよ」
「それが出来れば苦労しない。圧倒的な人員不足だ」
「ほんとそれね。もっと百人とかいーっぱいスタッフがいればなぁ。アンタの部下でもこのヤマには触らせてないんでしょ?」
ディンクロンの部下は有能だが、今回の事件を取り扱える情報取り扱いの権限を持たないものばかりであった。
「こればかりは法を呪う」
「やんなっちゃうわ、闇に葬られる事件だとは思うけど……部下に終身刑のリスクがあることはさせられないし、上も許さないし。それでも人員増員ナシってサイアクじゃない!?」
彼女はまた皿をテーブルに強く置き、次の皿を手に取りスプーンに持ち変えた。皿には卵色をしたプリンと生クリームやフルーツが乗っている。
小さな口を目一杯広げ、それを喰らいはじめる。明らかにストレス発散だと分かる食べ方であった。
「……現実での彼らの情報収集、どうなっている」
「え、ああ……うん」
ディンクロンが期待した返事は出なかった。濁しつつプリンアラモードを食べるのを止めない彼女に報告を催促する。
「うう、だって~がんばったんだよ~。でもさ、今回の件は流石に国家権力借りれなくってさー……まだ分かんないんだ……メロ以外のロンド・ベルベットの個人情報」
「お前……」
「だってえー! 日本サーバーとはいえ中国経由のアメリカだしぃ、足跡残したらバレちゃうし! 時間かけてやっとこさ手に入れた情報も……みんなも真面目に住所にデコイ入れてるみたいでさ。マグナは三時間おきに移動する謎のハイテク住所、夜叉彦の住所は新宿御苑、榎本のなんて六本木の怪しいクラブだよ? ジャスもガルドもそれっぽいかなーって思ったら警察の派出所だったし。ほんとにみんな一般人なのかなぁ。メロの住所は羊蹄山山頂に出ちゃってさ、ベルベットにこっそり教えてもらったからわかったけど……>
ぷっとんの愚痴に近い吐露を延々と聞き、一言嫌味を刺す。
「それでもプロか」
「うぐぐ……あ、大まかな場所とか、聞き取りのプロファイルはとれてるよ? 粗めだけど写真と音声と指紋もあるし。でも静脈と政府配布のナンバーとか、本名とか、仕事先まではぼんやりなの。探偵とかにお願いしたばっかりで、ジャスティンと榎本の本名とかくらいは分かったけどぉ」
「わかっている情報、全て寄越せ」
「外経由は避けさせて。明日そっちに顔出すから」
ネットを介してこうした機密情報をやり取りするのを、ぷっとんはいつも避けた。印刷した紙媒体資料を手渡しするのが常套手段であり、忙しい身にも関わらず、基本的には自分で渡してくる。
珍しくぷっとんのマンションに呼びつけられた時は、レトルト粥と桃缶、冷えピタを持参するのもお決まりのことだった。
ディンクロンは自宅に設置してあるフルダイブ機前のチェアから立ち上がり、ヘッドセットを眉間から抜きながら外した。先程までの余韻が後を引いている。
敵への怒り、ぷっとんからストレートに伝えられた罪の意識、そしてロンド・ベルベットの守りたい笑顔が心をえぐる。一つため息をついてデスクに向かった。
電気を落とし真っ暗にした自室に、煌々と電子機器のランプだけが灯っている。モダンでモノトーンなコーディネートをしており、電気をつけたとしても間接照明で薄暗いはずの部屋だった。デスクにはミネラルウォーターの柔らかすぎるペットボトルが置かれている。飲み干したあと、くしゃりと潰すのがディンクロンのお気に入りだ。
そのペットボトルを半分一気に飲みながら、手に入れた情報を整理してゆく。電子機器を使用せずに、自前の脳みそを回転させ記憶に上塗りしていった。
話していた時の内容を思い出しながら必要な情報を抜粋する。紙ベースにすら残すのを嫌ったディンクロンは、デスクに座り脳内で方眼用紙をイメージする。想像だけで万年筆を滑らせ、人物相関図をひき、重要な情報は蛍光マーカーで線を引くイメージをした。
その相関図に、もやもやとプレイヤー達のリアルでの顔が荒く現れる。ディンクロンの記憶でもってしても、会ったことのない人間の顔はおぼろげでしかなかった。画像はぷっとんが印刷された状態で持っており、ディンクロンはそれを数分見ただけに過ぎない。
それは、秋葉原で行われたというロンド・ベルベット六人でのオフ会を撮影したものだという。このことをディンクロン達は事前に察知できず後手に回り、手に入ったのは本人達の自撮り写真データ程度であった。
プレイヤーネームのメモと共に写っていたのは、五人の男と一人の少女。
ガルドが少女であることにディンクロンは大層驚いた。まさかの事実である。それを知り思わず水を吹き出し、ぷっとんがけたたましく笑いツボに入り苦しんでいたのを思い出した。
あの女は時おりこうして人をからかって遊ぶ。悪女だ。
ガルドの秘密とぷっとんへの苛立ちを胸にしまいこみ、忙しそうな彼女が手を回しきれていない部分のリサーチを開始した。
この写真を紙で持ち歩きディンクロンが職場で広げ部下を使い探していれば、もっとスムーズにリサーチが進んだことだろう。しかし彼は規律に厳しく情報管理は徹底していた。一人でのリサーチには限度がある。
顔写真を大っぴらにネットにアップロードしている榎本、名古屋で顔の知られたネトゲの有名人ジャスティン、幼馴染みが暴露し個人情報が駄々漏れになっているメロの三名の身元はすぐに判明した。
しかしガルドや夜叉彦、マグナの本名は、二ヶ月後のハワイ行き当日の空港まで知られることは無かったのである。
「おおよそお前の報告通りだ。ガルドは間違いなくあの少女だな……大学生か?」
「にしては大人っぽいね~。五十代だとばっかり思ってた」
「お前と中身を入れ換えたらちょうど良いだろうな」
「え、私学生のころでもあんなに可愛いくなかったよ?」
「そうだろうな」
残念そうな顔をしているぷっとんを放置してディンクロンは思考を詰めてゆく。
「あんな会話程度で情報が引き出せるわけがない。調査は続けろ」
「ちょっと、人にばっかり任せないで」
ぷっとんは自分のギルドホームでミルクプリンをシュークリームに乗せて一気に頬張っている。甘党だが健康を気にしてリアルでは食べない好物を、この世界で心置きなく食べ続けていた。
擬似的な満腹感も得られるが、ぷっとんはそれを解除している。あの数分だけ維持されてすぐに解けてしまう感覚など、魔法のようなものだと思っていた。
「ジャスティンは固定回線でも問題ないだろう。早急にガルド・夜叉彦・マグナの身元を洗え。特にガルドのは急げ。親が強く出てくる」
「未成年の可能性、濃厚になっちゃったし」
「あの写真だけでは信じられんが、話してみると分かった。全く、思い込みというのは恐ろしい」
ディンクロンはピンクの愛らしいリボンがついたソファに深く腰掛けながら、半透明の文字データポップアップを呼び出す。ウェブブラウザの簡易表示だが、内容は暗号化を掛けた重要文書である。ギルドホームはしっかりとシールされ、データの類いがフロキリの公式にも見れないほど厳重に、二人以外に漏れないように偽装処理を済ませていた。
そうまでして守りながら二人で情報を整理してゆく。
「夜叉彦は首都圏だよね。年齢もあのメンバーでは若い方で、なおかつ新婚さん」
「収入はそれほど高くないと言っていた。ゲームの維持費を考えると都内在住というのは怪しい。二十三区は除外、都下と埼玉千葉を範囲内に」
「八王子は分かるけど、違う県ってことはなくない? 仲間にまで嘘言う?」
「可能性はある」
画面には六人に見せなかった情報があれこれと乗っている。過去の事件、要注意人物で顔が割れているもの、防げなかった過去の被害者に関すること。
その中から世界地図を拡大表示する。
「ねえ」
「……今の私にはお前に指示する権限はない。暗黙の了解があるとはいえ、身分で言えば私はもう令状をとれないからな。やりたいならお前がやれ」
ディンクロンが話の流れを断ち切り突然そんな話を始めた。
「……しないって。アンタが持ってたヤマなんだから。アタシは作戦に賭けてるだけ」
幼女のような妖精が小さな手でフォークを持つ。白いクリームがべっとりとついており、自然に惹かれるようにそれを口で残さず回収した。
リアルと違い、生クリームを触った時のベトつきは感じない。
「ただちょっとあの子達に罪悪感があるだけだって」
「やりたくはないが、いざとなったら彼らを餌にしてでも大物を釣る」
「……それ」
「死にはしない。分かっているだろう?」
「サイアクだよ、それ。……私も同罪だけど」
ぷっとんがディンクロンにしか見せない弱気な顔で小さく呟く。VRデータで食べるシュークリームは、味覚再現が中途半端でベタついた甘さしかない。
それを荒々しくフォークで指す。
「最近……病院行った?」
「一昨日」
「そう」
世界地図の、点滅移動する赤いポイントを見る。ランダムに移動するように見えるそれは、一昔前のスーパーコンピュータを使用して誤魔化しているらしい「データの移動経路」のログだった。
「田岡のデータのトレースはもう望み薄だ。奴を救い出すために他の武器がいる」
「だからってっ!」
ティーテーブルにデザートが乗った皿を叩きつけながら、ぷっとんが叫ぶ。
「ロンベルを犠牲にしてもいいっていうの!?」
「……そうは言っていない」
責められた形になるディンクロンが、猫特有のヒゲを一瞬ピクリと動かしたあとに答える。
「私たちにはもう、手段を選んでいる余裕はない……」
表情筋の送信をカットするすべを持つ彼が本当はひどく悔しそうな顔をしているのが、長年共にいるぷっとんには嫌というほどわかった。
「どうだい、調子。あんま心配してないけどな。ほら、君の腕は知ってるわけだし。早めに君たち同士で共食いしてくれると助かるぜ」
<ハァ……相変わらず紳士的なようで実は失礼な物言い。ワタクシ、その上っ面だけ取り繕ったカンジが嫌いですの。いいこと? アンタのためじゃありませんのっ、ガルド様のためですの!>
「おぉー助かるなー、俺は君のこと嫌いじゃないぜー」
<棒読みで言われてもちっとも嬉しくありませんの!……やつらは最近随分静かにしてやがるので、そのままで居ていただけると楽ですの>
ヤジコー社製のフルダイブ機を売り払ってスペースの空いた寝室で、ベッドに腰掛けながら榎本は定期連絡をしていた。以前は相棒のストーカーだった阿国相手だが、思っていたほど悪い関係ではない。
最近はすっかりストーカー業から足を洗っているらしく、榎本はその認識を改め始めていた。話してみると案外悪い女ではない。
おだてて警護を依頼したこともあり、彼女に相対する榎本の口調はやけに丁寧だ。だが女性に向き合う際にキザになる彼にとっては、ほぼ素の口調であった。
「君のことだから大丈夫だとは思うが、油断するなよ? 当日は仲の良いプレイヤー達や鈴音舞踏絢爛衆も来てくれるが、どいつもこいつも引きこもり体型だからな」
<頼りになりませんの>
「そう言ってやるな、金のある奴はハワイまで『執事』やってくれるらしいから」
それは、前回の世界大会で榎本にも一人着いてきた、一種の体のいい「使いっぱしり」のことであった。
<くぅ! うらやましい! ワタクシだって立派なメイドになり得ますのよ!? ……ハッ、メイドになれば……あの麗しい大きな背中をお流ししたり、朝に紅茶をベッドにお持ちしたり、ああ! あわよくばお洋服をお召し変えるの!>
「そういうのはない」
<じゃあ、ガルド様をワタクシの執事にしますの。それもそれで夢のよう……毎朝あの方に起こしていただいて、朝食はあの方の作ったフレンチトーストを食べますの! 『お嬢様、このままでは遅刻だ……』なあんて言って! お姫様ダッコで高速道路を白馬で駆けますのよ! きゃあ、どうしましょう興奮が止まらない!>
「戻ってこい」
まず姫ダッコで乗馬など姿勢が矛盾している。榎本はそう考えるものの、ツッコミを入れる暇もなく阿国の話が続く。
<夜なんて、夜なんて、眠れない夜に呼びつけて『眠れないのか?』なんて言っちゃって! 一対一で決闘ですの! あの方にワタクシは一撃も加えられず、そのまま大剣で切り裂かれてダウンして眠りますのよ。ああ、最高の安眠ですの……>
通信の向こうで阿国がうっとりしているのが想像できるような声であった。榎本はその最後の下りに、相棒の影響力を感じとる。
あいつもそういうやつだ。眠れない夜に徹夜でログインすることも多い。
「……なんか、想像以上にガルドに似てるな」
<え?>
「戦闘が好きで、真面目にそんなこと考えてるところとか」
<似てる? あの方と?>
「そういうところが、俺もほっとけないのかもなぁ……」
<あ、あ、あなたなどに面倒見られているつもりはありませんの!>
「はは、そういうことにしといてやるよ」
榎本がそう笑うと阿国は挨拶もなしに通話を切った。ぶちりという音の切れ間と、後の部屋の空虚な無音がこめかみと耳の境目に混じりあう。
「……面白い奴だが、ガルドには会わせねぇよ。オフとオンをごっちゃにしてるやつには」
ガルドは強いやつだ。これが「もし永遠にガルドがオッサンゲーマーのままだったならば」自分が守るまでもないだろう。榎本はそうぼんやりと思い返しながら、この部屋で一時期暮らしていた少女を思う。すらりとしていて小さな背中だった。あの姿を知っていいのは、相棒である自分が面会を許した、害のない一部の人間達だけだ。
強い庇護欲を胸にベッドに潜る。不思議とゆっくり眠れそうだった。
ロンド・ベルベットのメンバーが戦闘訓練を終えて帰宅し、明日に備えて寝静まるころ。
マカロンカラーに包まれたぷっとん渾身のチートマイスターギルドホームには、まだ例の二人が残っていた。
戦闘を行うでもなく、ただひたすらフロキリの中で会話と情報収集を行っている。デザートがこんもりと乗ったテーブルの上は半透明のデータポップアップが何重にも広げられ、何事かが表示されては電子の海に溶けて消えていった。
「絶対なにか仕掛けてくるに決まってる、なのになんにも出来ないなんて……」
聞こえてくる声は、紛れもなく女の声だ。合成音声ではあるが、彼女の本当の声もそうだということをディンクロンはよく知っている。少女趣味なアバターとは正反対にグラマラスで色気があり、それを武器にして男社会で戦っている女だ。
以前の仕事先で同僚だった彼女は、良いところまで出世した自分に並ぶほど才能豊かで先見の明があり、そして優秀だった。自分を越えるほどの愛国心も持ち合わせている。その才能が男社会で完全に発揮できていないことに悔しさを感じる程度には、目の前の彼女に強く肩入れしていた。
「出ないに越したことは無いがな」
「だからこそ最悪の事態は考えておいた方がいいんじゃないの。これで奴等の目的が上位プレイヤーの抹殺とかだったらどうすんの……防げるのに判断ミスで死なせるのが、一番サイアク」
最後の一言がワントーン下がり、殺気のようなものが節々から感じられる。ディンクロンはその意見には反対を示した。
「いや、敵の目的は恐らく素体だ。やつらの計画が真実ならば……」
「あーら、分からないじゃない。それにハワイじゃないところで起こるかもしれないし。そりゃあ優秀なプレイヤーが一同に介するのはハワイなんだけど……ううん、私の希望ね。外国じゃ私たち動けないもの。行って欲しくないの。自分達であの人たちを守りたい……そうね、コロシは無いと思う」
そう言って、小さくて短い足を組んで座り直す。リアルではハイヒールで誇張され見惚れるほど美しい仕草も、今の姿ではどこか笑いを誘った。子豚がポーズを決めているようにしか見えない。
しかしディンクロンは頬をぴくりともせず思考を続けた。
地元のプライドある警察が外国の調査チームを受け入れるとは思えない。ハワイでは自分達の好きには動けないはずだった。しかしアメリカの警察に日本側が持つ情報を提供するのは避けたい。ディンクロン個人はどうでもよいと思っているのだが、彼の上が眉をしかめる。
彼らが飛行機に乗ってしまうと、自分達二人はもう動けないのだ。目と口を閉じ、事件が解決されるのをじっと待つことしかできない。
ディンクロンも反論はしたものの、飛行機に乗せることを回避できるならばぜひともそうしたかった。
「どちらにしろ奴らの動きが掴めないうちは後手になる。それが国内にしろ、国外にしろ、我々の杞憂で事件にならないにしろ、だ」
リサーチ力不足は大きな課題であった。
「せめて打って出るくらい攻勢に出れればいいのに……せっかく国のしがらみが無いんだから、アンタなんとかしなさいよ」
「それが出来れば苦労しない。圧倒的な人員不足だ」
「ほんとそれね。もっと百人とかいーっぱいスタッフがいればなぁ。アンタの部下でもこのヤマには触らせてないんでしょ?」
ディンクロンの部下は有能だが、今回の事件を取り扱える情報取り扱いの権限を持たないものばかりであった。
「こればかりは法を呪う」
「やんなっちゃうわ、闇に葬られる事件だとは思うけど……部下に終身刑のリスクがあることはさせられないし、上も許さないし。それでも人員増員ナシってサイアクじゃない!?」
彼女はまた皿をテーブルに強く置き、次の皿を手に取りスプーンに持ち変えた。皿には卵色をしたプリンと生クリームやフルーツが乗っている。
小さな口を目一杯広げ、それを喰らいはじめる。明らかにストレス発散だと分かる食べ方であった。
「……現実での彼らの情報収集、どうなっている」
「え、ああ……うん」
ディンクロンが期待した返事は出なかった。濁しつつプリンアラモードを食べるのを止めない彼女に報告を催促する。
「うう、だって~がんばったんだよ~。でもさ、今回の件は流石に国家権力借りれなくってさー……まだ分かんないんだ……メロ以外のロンド・ベルベットの個人情報」
「お前……」
「だってえー! 日本サーバーとはいえ中国経由のアメリカだしぃ、足跡残したらバレちゃうし! 時間かけてやっとこさ手に入れた情報も……みんなも真面目に住所にデコイ入れてるみたいでさ。マグナは三時間おきに移動する謎のハイテク住所、夜叉彦の住所は新宿御苑、榎本のなんて六本木の怪しいクラブだよ? ジャスもガルドもそれっぽいかなーって思ったら警察の派出所だったし。ほんとにみんな一般人なのかなぁ。メロの住所は羊蹄山山頂に出ちゃってさ、ベルベットにこっそり教えてもらったからわかったけど……>
ぷっとんの愚痴に近い吐露を延々と聞き、一言嫌味を刺す。
「それでもプロか」
「うぐぐ……あ、大まかな場所とか、聞き取りのプロファイルはとれてるよ? 粗めだけど写真と音声と指紋もあるし。でも静脈と政府配布のナンバーとか、本名とか、仕事先まではぼんやりなの。探偵とかにお願いしたばっかりで、ジャスティンと榎本の本名とかくらいは分かったけどぉ」
「わかっている情報、全て寄越せ」
「外経由は避けさせて。明日そっちに顔出すから」
ネットを介してこうした機密情報をやり取りするのを、ぷっとんはいつも避けた。印刷した紙媒体資料を手渡しするのが常套手段であり、忙しい身にも関わらず、基本的には自分で渡してくる。
珍しくぷっとんのマンションに呼びつけられた時は、レトルト粥と桃缶、冷えピタを持参するのもお決まりのことだった。
ディンクロンは自宅に設置してあるフルダイブ機前のチェアから立ち上がり、ヘッドセットを眉間から抜きながら外した。先程までの余韻が後を引いている。
敵への怒り、ぷっとんからストレートに伝えられた罪の意識、そしてロンド・ベルベットの守りたい笑顔が心をえぐる。一つため息をついてデスクに向かった。
電気を落とし真っ暗にした自室に、煌々と電子機器のランプだけが灯っている。モダンでモノトーンなコーディネートをしており、電気をつけたとしても間接照明で薄暗いはずの部屋だった。デスクにはミネラルウォーターの柔らかすぎるペットボトルが置かれている。飲み干したあと、くしゃりと潰すのがディンクロンのお気に入りだ。
そのペットボトルを半分一気に飲みながら、手に入れた情報を整理してゆく。電子機器を使用せずに、自前の脳みそを回転させ記憶に上塗りしていった。
話していた時の内容を思い出しながら必要な情報を抜粋する。紙ベースにすら残すのを嫌ったディンクロンは、デスクに座り脳内で方眼用紙をイメージする。想像だけで万年筆を滑らせ、人物相関図をひき、重要な情報は蛍光マーカーで線を引くイメージをした。
その相関図に、もやもやとプレイヤー達のリアルでの顔が荒く現れる。ディンクロンの記憶でもってしても、会ったことのない人間の顔はおぼろげでしかなかった。画像はぷっとんが印刷された状態で持っており、ディンクロンはそれを数分見ただけに過ぎない。
それは、秋葉原で行われたというロンド・ベルベット六人でのオフ会を撮影したものだという。このことをディンクロン達は事前に察知できず後手に回り、手に入ったのは本人達の自撮り写真データ程度であった。
プレイヤーネームのメモと共に写っていたのは、五人の男と一人の少女。
ガルドが少女であることにディンクロンは大層驚いた。まさかの事実である。それを知り思わず水を吹き出し、ぷっとんがけたたましく笑いツボに入り苦しんでいたのを思い出した。
あの女は時おりこうして人をからかって遊ぶ。悪女だ。
ガルドの秘密とぷっとんへの苛立ちを胸にしまいこみ、忙しそうな彼女が手を回しきれていない部分のリサーチを開始した。
この写真を紙で持ち歩きディンクロンが職場で広げ部下を使い探していれば、もっとスムーズにリサーチが進んだことだろう。しかし彼は規律に厳しく情報管理は徹底していた。一人でのリサーチには限度がある。
顔写真を大っぴらにネットにアップロードしている榎本、名古屋で顔の知られたネトゲの有名人ジャスティン、幼馴染みが暴露し個人情報が駄々漏れになっているメロの三名の身元はすぐに判明した。
しかしガルドや夜叉彦、マグナの本名は、二ヶ月後のハワイ行き当日の空港まで知られることは無かったのである。
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