鏡境のことほぎ

いつはる

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変化

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タンギー伯爵領はその日を境に空気を変えつつある。それは緩やかに、だが確実に領民に根付こうとしている。

ジョエル帰都の日、伯爵一家と共に見送る学友の中にヤニックとエステルの姿があった。
「王都に来たら是非顔を見せてくれ」
ヤニックと握手を交わす。他の学友らとも肩を叩きながら挨拶を交わした。
「ジョエル殿下!」
エステルの声。ジョエルは小さく微笑むと何も言わずに馬車に乗る。

「演習も兼ねタンギーの騎士達が領境まで護衛。領境にて護衛が入れ替わります」
迎えの馬車と共に来た王家直属文官の説明をぼんやりと聞きながら、ジョエルは出発までの短い時間に見た領民らの事を考えた。

神罰が下った男らに関わる者は、怯える者もいれば開き直る者も。ただどちらも周囲の目が気になるのか声は小さい。
晴れやかな者、仕事に勤しむ者、我関せずと変わらぬ者……多々あれど、ひとつ違うのが朝神殿に向かう者が増えた事。斯く言う自分も人一倍早く神殿に向かった。

イネスと会える僅かな時間もジョエルにとっては貴重だった。たとえイネスの心は神に向けられたとしても、イネスの傍らにいたいと言う自分の想いは変わらない。皆と共に祈祷し神殿を出る際二言三言話をすれば、直ぐに帰都の準備で慌ただしくなった。
イネスもまた直ぐに従軍、終わればカイユテ大神殿に戻るのだ。もうタンギー伯爵領への心残りは薄まってた。
暫く走ると集落が見え、そこで休憩となった。

◇◇◇

休憩の合図と共に馬を降り水場に向かったイネスに
「お疲れではありませんか?」
とひとりの騎士が話し掛けてきた。
「大丈夫です、使いやすい馬具をありがとうございます」
貴人を警護しての移動だ、さほど早くない進行のおかげか身体はまだ楽。自分の為に奇跡を使う事がない様にと周りの騎士から騎乗のコツなどを聞くイネス。そこへ、馬車を降りたジョエルが駆け寄って来た。

「イネス神官、何故ここに?」
「演習に交ぜていただきました」
そう応えるイネスの姿をジョエルは怪訝そうな目で見る。
「その出で立ちは……」
「タンギー領の皆さんから是非にといただきました」
外套を捲り中を見せる、神官衣に合わせた革鎧を身に付けていた。鎧には細かく模様が刻まれ無骨さの中にも女性が身に付ける物としての配慮がうかがえるが、素朴な神官衣姿になんとも不釣り合いに見え、ジョエルは如何ともし難い気持ちで話を聞いた。
「何があるか分からないからと、体格に合う鎧を探してくれたそうで。この模様、何かわかりますか?」
指差す先は鳥の模様
「これ、無事に帰れます様にと願いがこもった伝統の模様だそうです。こちらは……」
嬉しそうに説明する。
「人の手の入った物には関わった人達の想いが込められている様で……守る為に来た自分が守られてるって感じです」
と笑う。すると周りの騎士達の持ち物自慢がはじまり、それは出発まで続いた。

◇◇◇

あの穏やかなイネスが戦場にいくのか……
似合わぬ革鎧、それでも彼女は無事に使命を果たすのだろう。神に守られた人なのだから……
胸に溢れる愛しさ、それなのに近寄りがたい。これは愛や恋とは違うのだろうか……
騎士らと談笑するイネスを、ジョエルはぼんやりと眺めた。

◇◇◇

クレマンは留守を長男夫婦に託すと、隣国に接する山へと兵を進めた。

騎乗したままでも行ける緩やかな坂を登ると、目の前に少し開けた場所に出る。そこを拠点に夜営の準備をする。視線の先、灌木と疎らに生える針葉樹の間に煙が見える。隣国の兵も近くまで来ている様だ。
ジョエルと入れ替わりで王家直属武官が今回の出兵に同行している。
「斥候を出しますか?それとも使者の準備を?」
そう相談していた時、騎士がひとり慌てながらクレマンと武官の前に駆け寄って来た。
「敵将から使者と書状が届きました」

書状の内容は会談の提案。敵将と数名がこちらの陣に出向こうと言ってきた。何か裏があるか、それとも不都合な事案が隣国で起きたのだろうか。
話し合いの結果、明日昼に会談する事となった。

時間になり現れたのは、何度となく剣を交えた敵将と副官、そして隣国の武官の三名。剣を差し出し戦意がない事を示す。
戦となればお互い熱くなる質であるクレマンと敵将。今回はそれなりの覚悟をしての出兵が、出鼻から挫かれた。

「神に守られし神官の話を聞き申した」
挨拶もそこそこに前のめりに話し出す。あの出来事が既に隣国まで伝わっている事に驚いていると、是非会いたいと懇願してきた。
同じ神を信仰する国同士、確かに隣国は神殿の力が強く信仰心が我が国より篤い。たかがひとりの女神官の為に出向いたと言うのか?と思っていると、この度の小競り合いは敵国側の賠償で手打ちにしたいと言い始めた。
「聞けば年齢よわいにそぐわぬ力を持つ女神官とか。その尊顔を拝し王に自慢したいものよ」
と豪快に笑う。

◇◇◇

イネスがその場に現れ礼をすると、敵将らは膝を着き最上の礼で応える。
その後話し合いは滞りなく進み、書面を整えると後日の会談を決めお開きとなった。誰ひとり傷つく事なく帰路に着く。同行した武官はクレマンより先に騎士数名と共に王都へ向け出発した。

あまりの状況に拍子抜けするクレマンを、伯爵夫人は呆れ顔で出迎え
「今までで最高の勝ち戦ですわ」
と破顔一笑した。
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