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第一部
第十九話――「私を導く群青です」
しおりを挟む――そこは遥か高い場所にある浮島でした。木や花は無く、短い雑草がびっしりと生えていて、その真ん中に石造りの神殿が鎮座しているのです。強く吹き付ける風は私のまつ毛すら攫ってしまおうという勢いで、とてもじゃないけどこの暴風の中を真っ直ぐ立っては歩けないでしょう。しかし、ポルマはそこをゆっくりと歩いて行きます。大きな片翼を地面に突き立て、風避けと踏ん張りにしています。
ポルマは振り返って私に言います。
「ペロちゃん、こ、こっちです」
差し出されるのはもう片方の大きな翼で、私はそれに包まれるようにして暴風の中を守られます。
「ポルマ! ここを知っているのですか!?」
迷い無く神殿へ向かうポルマに問います。ポルマはそれに前を向いたまま答えます。顔は見えません。
「こ……ここは、知らない。だけ、だけど、知ってるんです。初めて見たのは、きっとここでした」
暴風の中でなんとか聞き取れた言葉ははっきりとしない物言いです。
ポルマは一歩一歩を暴風に飛ばされないよう踏み締めます。そして神殿に近づいてきました。よく見えてきたそれは、外の崩れた神殿と同じ造りに見えます。まるで崩れる前の姿を再現したかのようです。外では瓦礫に潰されていた元々の入り口が、ここでは綺麗な状態で私達を迎えます。
「や、やっぱり……私、みみ、見たことが、あります……」
ポルマは先に、神殿の中に翼を入れて私を解放します。神殿に足を踏み入れると、吹き荒れていたはずの風は嘘みたいに無くなりました。しかし、振り返り外を見てみると、まだ入りきっていないポルマの翼の羽は風にはためき、『ごおお』っと言った音が怖いくらいに聞こえます。
「どうしてこんな場所が……」
「ぺぺ、ペロちゃん、誰かいます……!」
その言葉に私は身構え、ポルマと同じ方を見ます。
「なんですか、これ」
それは、広くはない神殿を埋め尽くす台座の数々。ほとんどが空席である様子ですが、そのいくつかには、天使が立っています。彼らはピクリとも動く気配は無く、まるで石像のようにして静止するばかりでした。私はそんな彼らに近づいてみます。
「天使のようです。それも翼があるということは中級天使のようです……」
肌や翼の触り心地も普通の天使と大差無く、動かないことを除けば本当にただの中級天使なのです。もしかしたらアルタスさんなら、何か見覚えが……。
「……いえ、アルタスさんはもう……」
ふっと思い浮かんだのは、置き去りにしてしまった友人で、テテギャを父と呼ぶ者。彼は天使なのかすら、もう定かではありません。そんなことに唇を噛んでいると、ポルマの声が響きます。
「ぺ、ペロちゃん! こここ、こっちに、『割れ目』が……!」
ポルマの言葉に疑問を抱きました。割れ目……? そんなもの、この神殿にはいくらだってあります。外とは違って崩れていないのだとしても、傷や欠けたような部分は多くあるのです。
そんなことを思いながらふわりと翼を補助にして、台座の上をぴょんぴょんと緩やかに跳ねポルマの声の方へ行きます。上手くは飛べないけど、ちょっとしたことが出来るようになったのは二日間の特訓による成果と言えるでしょう。しかしポルマは、翼の仕舞い方も分からないままです。ほんと、不思議な翼です。
「割れ目ってなんのことですかー?」
ポルマは台座が並んでいる部屋の一番奥にいるようで、おっきくて邪魔そうな群青の翼を目印にして向かいます。だんだん見えてきました。
「この割れ目って、もしかして……テテギャの開いていた……?」
「たた、多分……。似てる感じが、しし、しま、す……」
その『割れ目』と言うのは、テテギャの現れた割れ目と酷似していました。壁にピタリと面してあるそれは、しかし壁に出来た割れ目ではなく、空間を引き裂いたような空間の傷です。中を覗けば漆黒の闇で、その先がどうなっているかなんてこれっぽっちも分かりません。
「ぺ、ペロちゃん……これ、ど、どうしましょう」
「どうするって、ポルマ、あなたまさか……」
「いい、行ってみませんか……?」
今日のポルマは本当におかしいようでした。ちょっとしたことですら悲鳴をあげるようなポルマが、今に限ってはどうしてか勇猛果敢、というよりは蛮勇とも言えるほど突き進みます。
「本気ですか? だってこの先は……きっと終界ですよ」
終界には、町を襲撃し天使達を連れ去った死神の神格オルケノアや大鎌を持った死神達がいます。それにあの醜悪に嗤うテテギャだっているはず……。
「でで、でも、向こうにはきっと、あ、アルタスさんが、います……」
ポルマの口にした名は、テテギャの配下と思わしき者の名。私が置いて逃げ出してしまった、友達の名前。
「ポルマは、アルタスさんに会いたいですか」
「あ、い、会いたいです!」
一歩、こちらに乗り出してポルマは言いました。目を爛々と輝かせる様は、ポルマがどれだけアルタスさんに懐いているのかが窺えます。アルタスさんも隅におけません。
「そう、ですね……。向き合わなくちゃいけませんよね……」
テテギャの恐怖に負けて逃げ出した私ですが、手前のやりとりでアルタスさんが私達を拒絶していたのも事実。あの時無理にアルタスさんを連れて逃げなかったのは正解だったのかもしれません。しかしそれは言い訳でしかないと分かっています。あの場面での最善を偶然選べたのだとしても、私は向き合い方を間違ったのです。だから今一度、向き合う必要があるのです。
だって私は、あの拒絶の意味を知っているのだから。
「ふっ……!」
自分の頬をパチンと強く、両の手で叩きます。
「うひゃあ! なな、どぅど、どうしちゃったんどぅえすか!?」
もう一度強く叩き、「うひい!」なんて言ってるポルマを気にせず言います。
「……いいでしょう、行きましょうポルマ。終界に行って、今度こそアルタスさんを救いましょう」
「は、はい! 私も……ああ、アルタスさんに会いたいです!」
「何があるか分かりません。手を繋いで、一緒に入りましょう」
「わか、りました」
私とポルマは手を繋ぎ、漆黒の闇で埋め尽くされた割れ目の前に立ちます。その割れ目は体の大きなアルタスさんですら何人も並んで入れる程に大きく、ポルマの大きな翼も多少折り畳む程度で入れます。まるでもっと大きな存在のために用意されたかのようです。
「それでは、合図と一緒に行きますよ」
「う、うわわ」
いざ参ろうというところで、ポルマの気の抜けた声がします。
「どうしたのです……ってポルマ! 翼が!」
向けた視線の先で、ポルマの片翼の先端がちょうど割れ目に触れており、そこから翼がずりずりと引き込まれて行くのが見えます。
「ままま、まだ! まだ! 心の準備がまだですうううう!!」
「ポルマっていつもそうですね……仕方ありません、このまま、行きますよ!」
「ひょえええええええ!!」
こうして命懸けの救出劇は、締まりの無い始まりを迎えるのでした。
* * *
「終界に……星だト? いや、落ちていル……」
カランコロンと、チリンチリンと、ひっきりなしに音を鳴らすのは子供用の玩具達。それらから視線を外した彼は、星一つ煌めかない黒い空を見上げた。
「あア、そう言うことカ。来ちゃったのカ」
トンと手を叩き思い至った様子で彼はその名を口にする。
「……ちょっと早いけド、次は君の番だヨ。ポルマ」
そう一言、空に瞬く煌めきを握り締めるようにして言ったのだった。
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