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第一部
第二十四話――「題して……」
しおりを挟む例えばそれは、石造りの荘厳な部屋、優しい表情で。
『エデン、スプーンはこう。そうです。そしてこうやって……あらら、これは練習が必要ですね……うーむ』
『俺、いつになったらお仕事するの?』
『んーーー……。大丈夫です! 時は来ます! だから今はまだ私の元で……』
『ずっとお母さんといたい。お仕事もお母さんとしたい』
『むむむ……。私が出来ないからエデンにお願いしたいのですが……これが子育て……難しいですね』
『お母さん、あのカランコロンするやつやって』
『またあの玩具ですか!? 他にもいっぱい用意してあるのに……子供って飽きませんねぇ……』
* * *
例えばそれは、光の裂け目、向かい合う二人が。
『これでようやく、長期の仕事も終わった。早く帰ってカガラに飯でもたかりに行こう』
『いけませんわよ。あなたはそうやって、あの変なコレクションをカガラさんに集めさせているのでしょう? 大概になさいな』
『違うよ。あれは天界に散らばる謎そのものだ。研究資料として重要なんだよ。カガラにはちゃんと正式な依頼を……』
『どうかしましたか?』
『門が……小さくなっていく……』
『これは……!』
『早く、こっちに!』
『ダメです! 間に合いません! タル――』
『……なんてことだ。門が閉じたということは、ルルティア様に何かが……』
* * *
例えばそれは、岩山の頂上、不敵に笑う銀髪と。
『やあ! 意識はあるかい? 目は見える? 音は? 匂いは? 暑い? 寒い?』
『……僕は、誰なの』
『なんだいやれば出来るじゃないか僕ってやつは! 君は~……うん、アルタス! アルタスで行こう! 君の名前だよ、覚えておくといい!』
『どうして、僕を生み出したの。こんな退屈な世界に』
『アハハ! 生まれながらにして僕と同意見とは、将来が楽しみだな! そしてアルタス、君の勤務先は天界だ。君の目は、耳は、心は、全て手に取るように分かる。どうか僕に見せてくれ、天界を。ルルティアとペテロアの作り出した箱庭を。どうか僕に教えてくれ、天使達の感情って奴を。……ついでに、オルケノアの邪魔もね』
『父さんが、望むなら』
『あ、行きはあの神殿から行くと楽だから。行ってらっしゃい、アルタス』
* * *
例えばそれは、終わった世界の真っ暗な虚、一人の人間は。
『今回もダメだったみたいだ。神の器、どうすればいい』
『人間の力って、限界がある。どこまでもいけない』
『そうだ、神の器は、人間じゃなくてもいいかも』
『人間の力ってのは結局感情の昂りだった』
『感情の無いアイツらには、オマエには、そんな力生まれようが無い』
『なら、次の条件付けはこうしよう』
『よく聞いておいて』
『七柱の彼らに――』
『――誰が見ている?』
* * *
「……はあっ! ああっ! は、げほっ、ごほっ」
息の詰まる感覚に、私の意識はその世界から引き剥がされ、次の瞬間、見えたものといえば――、
「逃げ……ろ……ペテロア……!」
アルタスさんが悪魔の足で背中を貫かれる場面でした。過ぎ去る場面の数々と同時に、そこまでの流れも見えていました。二つの映像を同時に見ていた私には感情が追いつける訳もなく、何がなんやら。
「アルタス……さん……?」
なんてこぼす事しか出来ません。
するとその悪魔はこう言います。
「そうか、そういうことか。あの時のは君か。君が視ていたんだな。他人の記憶を覗くなんて、君も大概、趣味が悪いんだなペテロア」
悪魔の歪む口元は笑っているのか怒っているのか分かりません。ただ、その口調は、その口元は、ある存在を想起させます。
『“彼”は僕に多少なり似た喋りをするだろうけど、僕なんか比べ物にならない程おっかない奴だ。きっと近づいちゃいけないよ』
「やっと気付いたのかいペテロア」
そんな声に、力の入らない体で少しだけですが振り返ります。
「テテギャ……」
私の首根っこを掴んで持ち上げるのはなんと、醜悪の神格……間違えました。終界の神格テテギャだったのです。え? ずっと分かっていた? だって仕方ないでしょう。私はこの時、薄ぼんやりとした頭でようやく気付いたのですから。
「ペテロアっテ、誰のことダ。アイツは、死んだはずだロ? そんなことよりさっさと始末してヨ、ソイツ」
それはオルケノアの声でした。どうやって来たのか分かりません。悪魔の後ろに現れたのです。
「これはこれはオルケノア。焦る必要は無いだろ? テテギャが最後の一柱って言うなら――」
「いイ。待ちくたびれタ」
「はあ……君は一々、興ってものを知らないな」
冷酷な声は悪魔の言葉も聞かず、次の言葉を述べました。
「――アミア、その力を行使せヨ」
その言葉と同時、悪魔の表情は、先ほどの豊かさとは打って変わり、虚空を見つめ、まるで全ての肉体の制御を奪われた人形のようになったのです。
それがこちらに、一歩一歩踏みしめるようにして歩みを進めます。
「そろそろ時間みたいだ、ペテロア」
後方から、そんな声と同時に、いつか聞いたことのある、破けるような、不気味な音を聞きました。
「運が良ければ、向こうで会おう」
そうして、私はテテギャの手元から放り出され、空間の割れ目を落ちたのです。こちらを見下ろすテテギャの胸の辺りから、漆黒の腕が突き出されるの見ました。
「くはは、やっぱし、演技が上手いもんだ、な……」
その言葉を最後に、空間の割れ目は閉じられ、私はただ、闇の空間を落ちていき、次第に意識が薄れていったのです。
何か、忘れてはならない記憶が、確かに剥がれて行くのを感じながら。
* * *
死神の街。そこには三つの死体が転がっていた。
「これで満足したかい? どうなんだい、一人っきりの王様ってやつは」
悪魔は問いかける。無機質な白い満月に向かって黒の空を見上げる背丈の小さな神格に。
「王様? どうしてそんなに格を下げるんダ。僕は死神の神格だ。そして今やっト、唯一の神格になっタ」
それは永劫の願いをようやく遂げた者の言葉だった。しかしそれを聞く者にそんなことは伝わらない。彼の言葉は余りにも冷淡で、感情の起伏が感じられない。
「そうかい。そのまま、純粋な君でいてくれよ。唯一はきっと大変だろうけど、まあ好きにやればいい。僕にはもう関係の無いことだしね」
「オマエは、これからどうするんダ。もし邪魔をしようって言うなラ……」
オルケノアの言葉は相変わらず平坦だ。言葉をいくら選んだところで、受ける印象は変わらない。だけど彼は、情緒に少しの揺れが無くとも、これまでをやり遂げた。悪魔はそれを知っている。
「アッハハ、大丈夫大丈夫、そんなの興味無いし、君に目的なんてもう無いだろ? 邪魔なんてしようが無い」
「……確か二」
その言葉を聞いたオルケノアは消えた。現れる時と同じように、彼は消える。もうこの場の一切に興味を失ったから。
「ただの子供だな」
そんな頃を見計らったようにして、二つの影がひょっこりと現れる。
それを見て、悪魔も悪魔たる姿を解く。
「……もう行った? 行ったか。……あっぶねええええ! 見つかったら何されるか分かったもんじゃねえし!」
「あれがオルケノア……死神の神格に相応しい不気味さだ」
フーガを悪魔へと誘った元死神ディラン。そしてディランに勧誘され、ほぼ打算と好奇心でそれを引き受けた中級天使タルファ。
「そんで、今のオマエはフーガ? 悪魔? それとも――」
「うっせえな。とっととルシアの頭返せよ」
「持っててやったのになんだそりゃ……ておい! ひっぱんなー!」
「ところでフーガ。君はこれからどうすると言うんだ。ここからなんだろ? 本番は」
ディランとフーガのやり取りに割って入るタルファ。それを受け、フーガは風呂敷を片手に二人に向き直る。
「ああ、こっからだ。こっからが始まりだ。今、ようやく俺らは分水嶺に立った」
それは悪魔の制約だ。最初の約束を、今でさえ遂げられぬ悪魔の意志だ。
「ルシア、俺、もうちょっとかかりそうだけんど、もうちょっとだ」
星など瞬かぬこの終界の空に、悪魔は手を伸ばした。今は無き星に願いを掛けた。
『届かない星に、どうして人間は名前をつけるんだろうね』
『知らねえよんなこと』
『えぇ、酷いよフーガ……ちゃんと会話しようよー』
『はあ~? ……んなもん、手を伸ばす為だろ』
『手を伸ばすって?』
『名前ってのは願いだ。けんど、願いってのは願うばかりじゃ叶わねぇ』
『というと?』
『願いを叶える為に、手を伸ばす。名前がありゃあ、多少は見失わずに済むだろ?』
『……よく分かんないや』
『おい』
『でも、フーガって凄い!』
『オマエなあ……』
目を瞑れば、手元の重みを思えば、そこにはいつだって、あの丘で見た星空がある。
「――ぜってぇ取り戻すかんな、ルシア」
もはや彼しか知らぬ誓いが、満天の黒に消えて行くのだった。
第一部――「滅びゆく物語」完
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