りんねに帰る

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第二部

第四十三話――約束

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 エンジェル・ラダー。
 それは雲の隙間から差し込む光を、まるで天使の降りる梯子のようだと例えた言葉だ。
 あの日レリィナにそれを言ったのは、なんとなく、それだけ思い出したから。
 鮮明に思い出せたのは多分、寝ている間の夢の中。
 懐かしい記憶だった。教えてくれたのはママ。私を照らす光の柱を見たママが言っていた。

「あれはね、『エンジェル・ラダー』って言ってね、あの光に照らされるのは天使様から愛されている証拠なのよ」

 あの日の私はとても喜んだ。「それじゃあ、天使様に頼んでみる。ママもパパも、村のみんなを愛してくれるように」と跳ねながら言ったのを覚えている。

 名もなき村だった。人里離れたそこは豊かさとは無縁だったけど、貧困かと言われればそうでもない。カルニィルという花の香料を生産して生計を立てている村で、その香料はアステオ聖教会の儀式にも多く使われるものだから、買い手に困ることも無い。

 ある時、村の大人達が行き倒れの旅人を拾ってきた。旅人と言うにはあまりに若く、その背丈を見ても彼はまだ子供だった。それこそ、私より少しおっきいくらいのものだ。継ぎ接ぎが多く見られる黒いローブに身を包み、フードを深く被るせいで顔があまり見えない。しかし、その見てくれからは想像もつかないほど礼儀正しく、毎日のお祈りも欠かさない信心深さも相まって、村の大人達に受け入れらるのもすぐだった。彼は自らをエデンと名乗った。

 あの頃の引っ込み思案な私も例に漏れず、エデンの人当たりの良さに心をすぐ許した記憶がある。エデンの被るフードに憧れて、ママにあんなのが欲しいとせがんだ。ママは「女の子だからねえ、かわいいのを作ってあげるわね」と言って、毛皮でフードの付いたポンチョを作ってくれた。エデンのとは少し違ったけど、それでも私は嬉しくて、それを着てエデンの元によく遊びに行った。

 村には私の他にも何人か子供がいて、みんなエデンに夢中だった。子供達は新しいものが好きだから。

 その日、村の子供達で集まってエデンに村の案内をしていた。大人が一回案内はしていたはずだからあの日はきっと、遊んでくれていたのだと思う。

「ねえエデン、あなたはどこから来たの?」と、一人の女の子が聞いた。するとエデンは「それは……」と言って目を伏せた。そして二歩三歩歩いた頃に言った

「ずっと遠いところかな。悪い奴らに故郷を追われて、逃げてきたんだ」

「それってひどいね……。私だったら、許せないよ」

「うん、僕だって許したつもりは無いんだ。お母さんの仇を取りたいよ」

 寂しげに笑ったエデンの静かな双眸には、風に揺れる蝋燭の火の如く、今にも消えてしまいそうに明滅する光が見えた。それになんとなく見惚れていると、エデンはこちらを向いて「どうかした?」なんて声を掛けて来た。それになんて返したらいいかわからず、ママに作ってもらったポンチョを深く被って返答を誤魔化した。すると、エデンに耳打ちするように幼馴染のディニが言った。

「あいつ恥ずかしがりなんだよ。エデンに話しかけられて照れてやんの」

 そんな言葉に続いて、他の男子達も「やーい、気弱ー!」、「照れ屋ー!」、「恥晒しー!」なんて野次を飛ばすものだから、なんだか本当に恥ずかしくなって私は逃げ出した。

 あの頃の私はすぐに泣いたしすぐに逃げた。弱い女の子だった。そして逃げた時に決まって行く場所があった。それは村で一番高い物見櫓の上。そこから見渡すカルニィルの花畑はとっても鮮やかで、風に乗せられて来る花の香りを嗅いでいると気持ちが落ち着くのだ。

 この村は香料を作るために集まった人達で発展させた村で、この花畑が村の大部分を占める。花畑の傍に、花から成分を抽出するための大きな蒸留設備があって、その更に隣の土地にみんなの家が集まって建てられている。だから畑を見渡す用の物見櫓に登って南の方を向けば、見えるのは花畑だけ。街からも離れた村だから、花畑の向こうも草原や山が続いている。つまり見慣れたものしか無い場所だから、村のみんなは仕事でも無ければ立ち寄らない。だからここでは一人っきりになれる。嫌なことがあった時や喧嘩をした時、私はここに来て一人で座っていたり、手摺にもたれかかってぼけ~っと遠くを見ていたりする。

 ディニはいつも私の失敗や出来ないことを馬鹿にしてくる嫌な奴だ。だけど私とディニは、村の中で唯一同い年で家も隣。一緒に育ったようなものだった。だから二人だけの時は言い返したりもするのに、私は人数が多いとダメになる。エデンに憧れてママに作ってもらったこのポンチョも、エデンがずっと深く被っているのを見て「これだ……!」と思った部分も少しある。まあ、それを身に付けたところで、結局逃げて来てしまったから意味も無い。

 今頃みんなは、エデンと村を回っている。さっきはみんなの家の方に行ってたから、そろそろ蒸留設備の方に向かっているくらいだろうか。どうしうようかな。戻んないとみんなに嫌われちゃうかな。と、どうせ戻る気も無いのにそんなことを考えながら鼻腔を満たす香りに心を預けていると、ドスン、と上の方から物音がした。屋根の上に何かが落っこちて来たみたいだ。でもここは、村で一番高い物見櫓。何かが落ちてくるなんて、そんなことありっこ無い。無い。無い……。

「……ひゃっ」

 ぎし、ぎし、と踏みしめるような音が屋根に響く。それに驚いて静かな悲鳴を上げる。何か生き物がいる。鳥? だけど屋根には鳥避けもあるって聞いたし……。でも鳥しか来れない高さだし……。

「……よ、よし」

 ここで何故だか勇気を振り絞った私は、息を呑んで喉を鳴らした。手摺から少し身を乗り出し、体を捻って上を向き、屋根を鳴らす者の正体をいざ暴かんと。――そこには茫漠たる青天井と、棉吹草の飛ばした棉のような雲が浮かんでいる。つまるところ何も無かった。と、そう思った時、覗いた天井の縁とは別の縁から、「よいしょ」という声がした。その縁から手摺に器用に着地するのは黒い影。エデンだ。

「え、えでん……? ――きゃっ」

「っ……! 危ない!」

 エデンの着地を見ながら、更に体を捻った結果、私の体は手摺に乗ることを失敗し、滑るように外へ転がろうとしていた。物見櫓の高さは大人でも見上げて首が痛くなるくらいだった。落ちればひとたまりも無い。こう言う時って、案外悲鳴とか出す暇も無い。視界に映るひっくり返った花畑が私を抱き止めようとしていた。が、実際それは思い込みでしかなく、落下は手摺から完全に離れたくらいのところで止まっていた。空中にてひっくり返ったままぷらーんとなっている。強い圧迫を感じる足の辺りを見てみれば、エデンだ。手摺から身を乗り出して、白い手で私の足を掴んでいる。捲れた黒いフードからこちらを見つめるのは、白い肌の綺麗な顔立ちに安堵の表情を湛える幼さの目立つ少年。髪の毛は目の冴えるような黄金色。それは、普段着ている継ぎ接ぎの目立つ黒いローブとは酷く不釣り合いな、何処かの王子様みたいな容姿だった。死の淵にあったのに、そんな感慨に思考を満たす。そのせいで一瞬硬直した時間の流れが、エデンの言葉によってまた動き出した。

「……大丈夫? えっと……」

「あ……うん、大丈夫」

「ちょっと引っ張るから痛いかもしれないけど、少し我慢して」

 そんな気遣いの直後、エデンは私の体をまるで小枝を拾い上げる如く引き上げた。

「すごい……」とびっくりしてエデンの腕を見ていると、エデンは慌てて私を下ろして、その腕をローブの袖を引っ張ってさっと隠した。

「……えっと、忘れていたらごめん。君の名前を教えて欲しい」

 言いづらそうにしながら、エデンは私の名前を尋ねてくる。そういえば私、見ているばかりで話したことは無かった。

「私の名前は、クィルナ・ミティナよ」

 エデンはそれを聞くや否や、私の手をぱっと握ってこう言った。

「クィルナ、ごめん。今のことは秘密にしてほしい。出来れば忘れて欲しいんだ」

「それって、その顔とか、髪の毛も?」

 言われたエデンはハッと焦った表情を浮かべ、すぐさまフードを深く被り直す。そんな仕草を見ていると、イタズラのバレた子供が大目玉を下手くそに避けようとしているみたいで可笑しかった。
 フードの奥で困った顔をするエデンは、「そ、そうだ」と思い付いたように言って花畑の方を見た。

「今、みんな村の外れでかくれんぼをしてるんだ。クィルナは来ないの? きっと楽しいよ」

「……行かない。私ここが好きだから」

 これも本音だけど、あんな逃げ出し方をしておいて、なんて言って入れて貰えばいいのかもわからないって感じ。

「どうしてエデンはこんなとこ来たの? そっちこそ、向こうで一緒に遊べばいいじゃん」

 そう言ってみると、エデンはちらとこっちを見てまた視線を戻し、腐らせた牛乳でも嗅いだみたいに顔をくちゃっとして言った。

「クィルナってなんだか、変な子だね」

「へ?」

 エデンの言葉にびっくりしてそっちを見た。するとエデンはまたはっとした顔になる。

「あ、いや、違う。何て言うか、ここが好きなんて言う割に、こんなとこって言ってるからさ」と手をあたふたさせながら弁明を図っている。そして最後に落ち着いた様子で、私の目を見据えて言った。

「それに、こんな風が気持ちよくて花が綺麗なのに、そんな寂しそうな顔をしてる」

 確かに、肌を撫でて髪を梳く風は気持ちいい。その風に香りを乗せる花も綺麗で、さっきは青空の綺麗さにも気が付けた。隣にはみんなに人気のエデン。それでも笑顔でいない。私はずっとこんな子だった。

「ふん、変だなんてこと一つも無いよ。だって寂しい時でも、一人になりたくなるし、ママじゃなくて、柔らかい風に撫でて欲しい時もあるの」

「――」

「な、なによ」

 口を開け、ポカンとした顔でこちらを見て固まるエデン。動くのは風に揺れるフードだけ。何か言いたいことでもあるのか、それともこっちに来てみたはいいが絶望的なつまらなさに後悔しているのか、その真意はわからなかった。数秒経った頃、エデンは「驚いた……」と言って、その硬直の訳を語った。

「君は、僕のお母さんに似てる。性格は全然違うけど、白金色の髪の毛とか、灰色の瞳とか、今みたく僕の知らないことを教えてくれることとか」

「そう、なんだ。でも最後のは親なら当たり前だと思うけど」

 戸惑いながらそう返した私は、エデンの方が変な子だと思った。ここでふと、さっきの言葉を思い出す。

「……ところで、今のは覚えててもいいやつ? それとも忘れて欲しい?」

「う、それは……。せめて、二人の秘密にしてくれないかな……」

 ここで私はこんなことを言った。向こうばかり求めるものだから、少し意地悪のつもりだったかも知れないし、私のちょっとした欲だったのかも知れない。

「いいよ。その代わり、また村に来てね」

「また?」

「そのうち、旅に出ちゃうんでしょ? だから約束。またこの村に遊びに来て。また私に会いに来て。カルニィルの香料は色んなところで使われるから、この香りと一緒に、忘れちゃダメだよ」

「……うん、約束するよ。忘れない」

 この頃の私の気持ちは多分、初恋みたいなものだった。偶然出会った少し年上の人に惹かれてしまう、とっても普通の子供の初恋。叶えようも何も、そんな気持ちの名前すら知らなかった。そんな淡い気持ちを淡い約束で形にしたのだ。
 その時の私は気付いていなかった。花畑を見るエデンの色がとても寂し気だったことも、その約束が呪いとなることも。


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