子どもじゃないから、覚悟して。~子爵の息子、肉屋の倅を追い詰める。~

織緒こん

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1巻

1-2

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 扉の中まで押し込まれる。

「そうだ、忘れていました」
「んっ?」

 唐突にフレディに手を取られた。

「消毒しておきましょうね」

 チュッと音を立てて指先に口づけされる。
 ななな、何をするんだ、このやんちゃ坊主が!

「忘れないで。僕はシルヴィーのものだけど、シルヴィーも僕のものになってほしいんですからね」

 チュッチュッとついばまれた。

「誘惑されてきましたか?」

 さらに、にっこりつやっぽく微笑ほほえまれて、カーッと顔に血がのぼる。
 そうだった、コイツに口づけされたんだった‼ そんなフレディの隣で安心しきっているっておかしいだろ⁉

「ふふふ。じゃあ今度こそ、本当におやすみなさい」

 優雅に去っていくチェリーブロンドの後ろ姿を見送って、俺はその場にズルズルと座り込んだのだった。


 しばらくジャネットの酒場にも行かず、仕事終わりは自宅の居間でちびちびやる毎日だった。
 ……マジでカッツェンさんに会いたくない。特に何をされたわけでもないのに、客商売をしているいい大人がこんなことじゃ駄目だと思うけど。
 今日は昼間に、城から遣いが来た。日が暮れたら幼馴染おさななじみのエルフィンがやってくる。明るいうちだと目立ちまくってお忍びにならないから、日没一歩手前くらいを狙って来るのだ。
 幼馴染おさななじみが后子ごうしになって十二年。俺と同い年のアイツはジャネットに『可愛いあの子』と揶揄からかわれるほどけない。フレディの言う通り、アレをおっさんと呼ぶのは無理だ。
 勝手口がトントンと叩かれる。
 店舗兼自宅の正面玄関は、店じまいをすると完全に雨戸を閉めてしまうので、勝手口が普段から家族の玄関扱いだ。
 扉を開くと懐かしくもない顔がのぞく。度々忍んでくるので、商店街の俺を含めた連中は后子ごうし様に会ってもありがたがりもしない。むしろ『王様に心配かけるな、早よ帰れ』と言わんばかりだ。

「こんばんは。ジャネットからシルヴィーが変なのにかれてるって聞いたけど、大丈夫?」

 開口一番それかよ。つか、かれてるってなんだ。せめて疲れてると言ってくれ。
 いささかゲンナリしながら幼馴染おさななじみを招き入れる。侍従のウィレムさんと近衛このえ騎士のカインさんが一緒に入ってくる。他にも大勢の護衛がこっそり店の外周を囲っていることだろう。

「酒場に寄ってきたんだ?」
「うん、新しいレシピ寄越せって騒ぐから、メモだけ渡してきた。……中には入れてくれなかったよ。変なのがいるからって」
「ジャネット、よくやった」

 思わずつぶやく。ウィレムさんが優しげな眉を怪訝けげんそうにひそめた。

「エルフィン様に害になりそうな人物なのですか?」
「いえ、よく分からないんです。何がどうってわけじゃないんですけど、いて言うなら勘ですかね? やたら距離が近いし馴れ馴れしい。本人には言えませんが、できれば同じ空間にいたくない感じの人です」

 大人げなくて悪いな。
 最近はいつ酒場に行ってもいるから、宅飲みに切り替えたんだと告げると、幼馴染おさななじみは目をパチクリさせて俺を見た。その表情かお、とても三十歳には見えないぞ。

「シルヴィーがそんなふうに言うなんて、よっぽどじゃないか。そのひと、どこのひと?」

 エルフィン――エルは勝手知ったる肉屋の台所に、ズカズカ入り込みながら袖をまくる。実家のパン屋はひとに譲ってしまったから、俺の家をその代わりのように思っているらしい。口も手も効率的に動かす姿は后子ごうし様って言うより、オカンだ。

「自称スニャータの豪商のぼん。自分語りが多いから、結構情報がありそうなのに、決定的なことは何も言わない……って感じ。そのくせ俺のことは根掘り葉掘り聞いてくる」
「……それ、気持ち悪くない?」
「気持ち悪いからジャネットの店に行かないんだよ」
「なるほど」

 納得したようにうなずいて、エルは台所をあさってタマネギとチーズを発掘した。

「ニンニクある?」
「はいよ。何、作るんだ?」

 常温野菜のストック籠の底から、ニンニクを引っ張り出して渡す。エルはすでにタマネギをみじん切りしていたので、まな板の横に置いておいた。

「ジャネットに強請ねだられた新しい味のドレッシングだよ。いつものドレッシングは飽きたって」
「店の新作献立、后子ごうし様に作らせるのかよ。流石さすがだな、あの女」

 キャベツの山盛りを食べさせられたのを思い出す。

「あはは、ちゃっかりしてるし、豪胆だし、昔から変わらないよね」

 エルはみじん切りにしたタマネギをボウルに入れて、ウィレムさんがバスケットから取り出したトマトダレと卵酢を入れた。ニンニクをひとかけすりおろして黒胡椒くろこしょうけずる。レモン汁も入れるのな。最後にオリーブオイルを回し入れてフォークでかき混ぜていた。エルの手元は迷いがなくて、今でも料理をしているのが分かる。
 出来上がったドレッシングはペールオレンジ色で、一めするとこっくりしていてさわやかな味がした。

うまいな、これ」
「ケチャップとマヨネーズが面倒くさいけど、基本は混ぜるだけだからね」
「ケチャ? マヨ?」
「トマトダレと卵酢のこと」

 ちまたで噂の妖精の国の言葉か。

「チーズはどうすんの?」
「もう一種類、今度は白いのを作るよ」

 エルはボウルに卵酢とミルクを同量くらい入れて、その中にコンソメとけずりおろして粉になったチーズを三倍ほど入れる。それからまた、ニンニクをひとかけとオリーブオイルとレモンのしぼじるをぐるっと。

「混ぜたら完成」

 うわぁ、濃厚!

「たっぷりレタスとクルトンのサラダに合うよ」
「これもうまい。八百屋のじーちゃん、またジャネットのところに大量納品だな。以前のタマネギドレッシングと並べたら、野菜スティックが止まらなくなりそう」
「サウザンドレッシングとシーザードレッシング」

 妖精の国の言葉でなんか言っているが、オレンジ色のと白いのでいいんじゃないか。
 俺は店の残りのメンチカツとじーちゃんのとこのレタスとキャベツをどんとテーブルに置く。ウィレムさんたちにも座るようにうながしたけど、絶対に座ってくれない。十年くらい前までは、エルも申し訳なさそうな表情かおをしていたのに、今では何も言わなくなった。

「で、そのひとの名前と見た目の特徴を教えてくれる?」

 レタスを自分で皿に取りながら、エルが真面目な表情で聞いてくる。ウィレムさんが炭酸水で割った蜂蜜はちみつとレモンの果汁をエルの前に置いた。コトリとした音がやけに響く。

后子ごうし様が何かすると大事にならないか?」

 国で二番目に偉いし、エルに言うのは実質王様に告げ口するようなものなんだよなぁ。

「スニャータのひとなんでしょ? 本当にそんなに店舗の数を持ってる豪商の息子なら、ちょっとくらい噂になってるかもよ。ちょうどアラン君とフレッド君が、スニャータの留学を終えて帰ってきてるんだ。詳しく聞いてみようか?」

 ガション。
 俺の麦酒ビールがテーブルの上に広がった。

「シルヴィー、どしたの?」

 エルがテキパキと台布巾で麦酒ビールを拭き、濡れそうな皿を移動させる。エル、お前は本当にやんごとなき御方とやらなのか? 手際がよすぎて主婦にしか見えない。

「急に坊ちゃんたちの名前が出てきたから、びっくりしたんだ」
「そっか。帰ってきてるんだよ、ふたりとも。アラン君とフレッド君はリューイの学友の中じゃお騒がせ枠だから、まぁ、お城の中がにぎやかになっちゃって」

 エルがクスクスと笑った。なんかもやっとする。

「スニャータの脳筋王子がね、ふたりを気に入ってきたえまくったらしいよ。アラン君は近衛このえ隊に入ったけど、フレッド君は宰相府に入ったから、近衛このえ隊長が日参して転属のお誘いをしてるんだって」

 脳筋王子……スニャータの騎士団の団長を務める、先王の第四王子だっけか? 他国の王族なんか興味はないけど、その王子の名前はエルの口からよく聞くから、覚えている。

「フレッド君なら宰相府にいるから、調べ物は得意じゃないかな。頼んでみようか」
「ちょっと待て。フレディに言うのはダメな気がする」
「フレッド君に兄貴振りたいのは分かるけど、シルヴィーの勘って意外と馬鹿にできないじゃん。スニャータの大使に問い合わせるのは、話が大きくなるから嫌でしょ? フレッド君にお願いするのが一番静かに終わるんじゃないかな」

 ……正論だ。
 自分が関わらないと、エルはものすごさとい。
 幼馴染おさななじみとの久しぶりの会話は、エルの旦那が迎えに来るまで続いた。相変わらず、見ている俺の目が潰れそうないい男だ。そして目の前で繰り広げられる、五年ぶりの再会みたいなイチャイチャ……
 他所よそでやってくれないかな。
 どうでもいいけど、王様がホイホイ城を抜け出すのはどうかと思う……


 ――仕事が早いよ、后子ごうし様!
 再び俺の昼食時に襲撃してきたフレディは、とても申し訳なさそうに言った。

「本当は午前中にでも来たかったのですが」

 遅刻をびるみたいに言われても、そもそも約束などしていない。大体それ、朝一で后子ごうし様に言われて、仕事ほっぽり投げようとしたんじゃないのか? 新人だろ、お前!

「宰相閣下と書記官殿に、外務府に繋ぎをつけてから行けと言われました。一応、今も業務中です」

 ……肉屋のせがれのよく分からん勘に、国の偉い人が動き始めたんだけど。充分おおごとになってやしないか?

「まずは警邏けいらたいだろ? なんで宰相府の文官が出てくるんだよ」
警邏けいらたいを呼ばなければならないようなことを、されたんですか?」
「言葉のあやだよ! まだ何もないのに国が動くって変だろ?」

 俺が子どもの頃は、警邏けいらたいも証拠がないと犯人を捕縛してくれないと大人たちが話していた。けれど王様が代わってからは、証拠がなくても自宅の周りをさりげなく警邏けいらの巡回順路に入れてくれたり、相手が貴族でも泣き寝入りしなくてよくなったりと、随分と住みやすくなっている。
 迷子の捜索でも夫婦喧嘩げんかの仲裁でも、必要があれば動いてくれるのだ。

「だから、俺がどうしてもってなったら、警邏けいらたい詰所つめしょに行って相談すればいい。それにしたって、三十歳にもなる男が、酒場で男に手を握られるのが気持ち悪いって通報できるか⁉」
「そういう迂闊うかつなところが、性犯罪に繋がるんです」
「俺は酒場でちょっと隣り合っただけの男を、押し倒す趣味はない!」

 昼間っから、なんの話をしてるんだ⁉
 カッツェンさんはわゆる雰囲気色男ってヤツだと思う。一見人好きのする笑顔と饒舌じょうぜつな口、無意識っぽい接触。人によってはポーッとなるかもしれない。
 俺にとっては気持ち悪いだけなんだけどな!
 フレディが虚をかれたようにこっちを見る。なんだよ、その、思いもよらないことを聞いたって表情かおは。俺が誰彼構わず押し倒すような男に見えるのか?

「……そっちじゃないです。シルヴィーが押し倒されたらどうするんですかって、話をしてるんです」

 …………
 なんですと?

「フレッド坊ちゃん? 何か幻聴げんちょうが聞こえたような気がするのですが、気のせいでしょうかね?」
「子ども扱い……じゃないみたいですね、今のは。お仕置きは勘弁してあげましょう。とりあえず幻聴げんちょうではありません。酒場に出没するカッツェンとやらに、寝台にまれたらどうするんですか、という話です」
「ないないない!」

 あるわけない。

草臥くたびれた三十歳のおっさんだぞ?」
「まだそんなことを言っているんですか? 后子ごうし殿下の妖精じみた若さは、この際、脇に置いておきますが、僕はあなたも相当ですよと言いませんでした? 安心できる垂れ目の優しい童顔で、若い二枚目にしか見えません。相手は歳下とししたの可愛い男を口説くどいているつもりなのかもしれないんですよ」

 コイツは何語をしゃべっているんだ? 理解が追いつかない。エルの妖精っぷりは昨夜確認したばかりとして、俺に関するフレディの認識がとてつもなくおかしい。

仔牛こうしかつぐ男が可愛いか?」

 思わず首をひねった。

「上目遣いで小首をかしげないでください」

 そんなことしてねぇ。お前がそんなに育つから、身長差のせいだ。

「シルヴィーはお人好しで涙もろくて世話焼きな、可愛いひとです」

 ……中身の話か。
 だとしても断固否定する。

「そういうのは、す……」

 好きなひとに言ってやれと口にしかけて、はたと気付く。コイツの好きなひとって俺だっけ?

「残念です。最後まで言ってくれたら唇をふさいだのに」

 目の前の物憂ものうげな美青年がうっすらと笑った。なんか、この場所、寒くないか?

「僕はあなたが好きです。お人好しで涙もろくて世話焼きで、義理堅くて一生懸命で……あぁ言葉が足りないです。とにかくこんなにも僕が愛しく思っているシルヴィーを、ほかの誰かが見初みそめたっておかしくはないでしょう? 八百屋のおじいさんや魚屋の旦那さんだって、お孫さんやお嬢さんの婿むこがねだって言っていたじゃないですか」

 なんでコイツはこんな臆面もなく、草臥くたびれた肉屋のせがれめちぎるかな!
 カーッと頭に血が上った。

「もう黙れ! お前はいったい何をしに来たんだ⁉ 俺に恥ずかしい思いをさせるのが目的なら、帰れ!」

 お帰りはあちらとばかりに、フレディの背中をぐいぐい押す……ちくしょう、びくともしやしねぇ。胸の筋肉は厚いと思っていたけど、背中も固いな!

「ふふふ」

 くそ、笑ってんじゃねぇ。一周りも歳下とししたのくせに、余裕ぶちかましてるんじゃねぇよ。

「カッツェンとやらは気持ち悪いのに、僕だと恥ずかしいんですね」
「黙れって言っただろう⁉」

 そうだよ、俺がお前を好きかは別として、お前から言われるぶんには嫌じゃないんだよ! 対象が俺ってあたりで、フレディの審美眼しんびがんと趣味の悪さにドン引きだけどな!
 もう、訳が分かんねぇ。

「フレディ、頼むからゆっくりしてくれ。お前と出会った時には成人一歩手前だった俺は、たいして変化してないように思えるのかもしれない。けど俺から見たら、抱っこして歩いたこともある坊ちゃんが、いきなり知らない男になって帰ってきたんだよ」

 だいたい三十歳にもなった俺にとってお付き合いは、どうしたって結婚を意識したものになるだろう。俺がどう思おうと、周りはそれを期待する。将来ある若者をそんなおっさんに縛り付けてたまるかってんだ。

「それは僕の誘惑が、浸透しんとうしつつあると思っていいんでしょうか?」
「よくない」

 やや食い気味に否定する。
 びくともしないので押すのを諦めると、フレディは軽やかに身体を反転して俺の頬を両手で包んだ。咄嗟とっさに唇を手のひらで隠す。

「危機回避意識が高くて何よりです」

 この余裕が憎たらしい。

「この危機回避意識をカッツェンにも持ち続けてくださいね。シルヴィーは一介の肉屋の若主人のおつもりでしょうが、后子ごうし殿下の幼馴染おさななじみで親友なんです。万が一、カッツェンがよくないやからだったとして、シルヴィーを足がかりに殿下を誘い出すつもりだったらどうします?」

 …………マジか?
 そりゃ国も動くわな。自分の后子ごうし溺愛できあいしている王様が、その芽を潰さないはずがない。

「宰相府が動く理由は理解していただけました?」

 コクコクと首を縦に振る。肉屋のせがれには想像もつかない、高度に政治的な配慮が必要なんだなってのは理解した。

「理由を探して拒否してないで、全部宰相様にお任せしたほうがいいんだってのは分かった」

 そして宰相様の采配さいはいで、コイツが情報収集に当たるんだろう。もしかしたら一緒にスニャータに留学していたアラン坊ちゃんも、一枚むのかもしれない。

「シルヴィーは広い視野を持っているので助かります」

 あはは、どこぞの后子ごうし様は時々、妙に狭くなるからなぁ。

「ひとまず心当たりの豪商が三軒あります。早速スニャータの友人に手紙を出します。外務を通さずに、個人的なものとして友人にあたってみますから、カッツェンとはあまり接触しないでくださいね」

 コクコクと何度もうなずく。口を隠していた手を、頬をおおっていたフレディの手が、やんわりと押さえた。手首を柔らかく掴まれて広げられる。

「危機回避意識ですけど……僕には向けなくていいですから」

 チュッ。
 小さな音がした。
 あ?

「ではジャネット姉さんにも話を聞いてきますね」

 満面の笑みできびすを返したフレディは、颯爽さっそうとうちの居間を後にした。
 茫然ぼうぜんと後ろ姿を見送る……最近こんなんばっかりだ。

「業務中に何をやってやがる」

 ぽつりとつぶやいた俺の声は、誰にも聞かれることはなかった……たぶん。


 俺のどこがいいのかなんて、フレディ本人には聞かない。こっちが恥ずかしくなるようなことを、さんざっぱら並べ立てそうだ。しかも真顔でそれをやらかすだろう。つうか、いっぺんやられたから、もう二度とやらない。
 いかんいかん、道をボケッと歩いていると、余計なことを考えてしまう。
 近所のジジババ夫婦の家に肉を届けるついでに八百屋に寄って野菜を預かり、その代金を肉の代金と一緒に集金する。帰りにもう一度八百屋に寄ってお金を渡すと、じーちゃんは礼だと言って一番外側の葉がしおれたキャベツを寄越した。
 一枚けば、綺麗なドレスが現れる。
 ……ずかしいことを言ったぜ。
 エルフィンが言っていたんだよ。キャベツ、レタス、白菜ってヒラヒラドレスのお姫様みたいだね、とかなんとか。その時は流石さすが妖精なんて思った。それが強烈すぎる印象を残し、そのフレーズがふと脳裏に浮かぶ時がある。エルならぴったりな表現だけど、俺が言ったら引くだろ。

「――ありがとな、シルヴィー。俺も最近ひざが痛くて、角のジジババんとこまで配達に行くと、時間がかかってしょうがねぇ」
「気にすんなよ、じーちゃん。どうせついでさ」

 じゃあなと笑って八百屋を後にする。さっさと帰って店番を代わらねば。そろそろ姉ちゃんはあがりの時間だ。嫁に行った彼女は、子どもの食事を用意するために帰らなきゃならない。
 心持ち歩く速度を早めた時、後ろから肩を掴まれた。不意打ちに心臓がビクッとなる。ビビリじゃないけど、誰だって突然後ろから来られたら驚くだろ。

「なんだよっ」

 ちょっとささくれた気持ちで、肩にかかる手を払いながら振り向くと、カッツェンさんが両手を軽く万歳して一歩後ろに下がるところだった。

「シルヴェスタ君、怒った顔もするんだね」

 当たり前じゃないか。
 無言で背後から忍び寄るって、なんだよ。だいたい一言声をかければ済む話で、いちいち身体に触ることないだろう!
 ジャネットの店では騒ぎを起こしたくないから我慢していたものの、コイツは肉屋の客じゃない。酒場でたまたま一緒になっただけの男と友誼ゆうぎを結んだつもりはなかった。

「今、仕事中なんで」

 なるべくそっけなく言ってその場を去ろうとすると、また手首を掴まれる。

「じゃあ今夜、いつもの酒場に来てくれないか。最近会えなくて寂しいよ」
「もっぱら宅飲みなんで勘弁してください」

 振り払おうとしているのに、離れない。意外と力が強いな。手首が痛い。フレディなら外れなくても痛くないように掴んでくるんだけどな。……って、今、フレディは関係ない。

「……手を離してくれませんかね?」
「約束してくれるまで離さないよ。だって君、逃げるだろう?」
往来おうらいの真ん中で恥ずかしくないんですか? 見られてますよ」

 金物屋のおしゃべ女将おかみが、らんらんとした目でこっちを見ている。二刻も立たないうちに噂を聞きつけたジャネットが、肉屋に駆け込んでくるんだろうな。

「僕は恥ずかしくないね。なにしろ余所者よそものだから、変な噂をらされても痛くもかゆくもないんだ。むしろシルヴェスタ君のほうが困るんじゃない? これからもずっとこの街に住むんでしょう? だから早く、酒場で会うって約束したほうがいいよ。野次馬がどんどん増えているしね」

 一見人好きのする笑顔でカッツェンさん……もう呼び捨てでいいや。カッツェンが言った。コイツ、この街に支店を出したいとか抜かしてやがったのに、悪い噂を気にしないのか。空き店舗を探す素振そぶりも形だけだし、やっぱり仕事をする気はないな。

「約束だけして、俺が行かないってこともあるでしょう」
「だったらこれから、君の宅飲みにお付き合いしに行こうかな。そうしたら、手を離さずに済むね」

 マジ無理。

「それとも僕が宿泊してる旅籠はたごに行くかい? 寝酒用にいいのを何本か持ち込んでるから、屋台でつまめるものを買っていけばいいさ」
「私は仕事中だと言いましたよね。配達の帰りなんです。……これ以上は勘弁してください」

 あー、殴りてぇ。人を殴ったことなんかないけど。仔牛こうしかつぐが、喧嘩けんかはしたことないんだよ。腕力と暴力は別もんなんだよな。でも、心の底から殴りてぇ。
 いい加減、手ェ離してくんないかな。待てよ、もうちょっと引き伸ばすか。
 余所者よそものは知らないかもしれないが、そろそろ騎士団の警邏けいらの時間だ。巡回騎士の中には、名前は知らないけど顔馴染かおなじみが幾人いくにんかいる。
 遠巻きに見ていた花屋の看板息子のセオと目が合う。俺はちょっとだけうなずいて合図を送った。アイツは俺も知っている警邏けいら隊員と付き合っているから、呼んできてくれると助かる。
 頼む通じてくれと念じていると、セオがうなずいて駆け出した。よし、あとは時間稼ぎだ。

「失礼ですがカッツェンさん、私とあなたはさほど親しくない。ジャネットの酒場でたまたまかち合っただけの、全くの他人ですよね」

 金物屋の女将おかみに聞こえるように声を張り上げる。女将おかみわずかに目を見開いた。あの様子では、俺とカッツェンはそこそこ親しい仲だと思っていたのだろう。頼むから脳内の情報を修正しておいてくれ。

「そんな他人だなんて」

 カッツェンは大袈裟おおげさに肩をすくめた。

「僕は君に一目惚ひとめぼれしたというのに」

 ぶっ込んできたな!
 女将おかみさん、鼻を膨らませて興奮しているんじゃないの! コイツの言っていること、たぶん嘘っぱちだから‼ 立ち止まっている野次馬も、口笛なんか吹いてんじゃねぇよ。
 打算に満ちた瞳は俺のことを好きだなんて、これっぽっちも思っちゃいない。せいぜい、いいカモだと考えている程度だ。
 なんで分かるかって?
 フレディの……アイツの瞳が熱いのを知っているからだよ。
 フレディの本気を測り切れていなかったのに、カッツェンの胡散臭うさんくさい告白を受けてその差に愕然がくぜんとする。
 それにしてもコイツ、なんで俺なんだ? やっぱりエル狙いか? エルはスニャータのローズマリー王妃とフェンネル騎士団長と親しいらしいから、そっちにも繋がるのか?
 ぐるぐる考えていると、掴まれていた手首を引かれてバランスを崩す。反対の手であごとらえられて顔が近づく。

「ふざけんなッ!」

 ゴスッ。

「いってーッ」

 思わず声が出た。自分でやっといてなんだが、頭突きの衝撃が半端はんぱない。カッツェンもうっとうなって手首を掴んでいた手を離し、たたらを踏んでいる。

往来おうらいのど真ん中で、付き合ってもない男に口づけなんてされてたまるか! アンタなんか願い下げだ。一目惚ひとめぼれなんて抜かしてるが、こっちは一目ドン引きだよ‼ カウンターの下でベタベタ太もも触ってきやがって、そんな相手と一緒に酒場に行くわけないだろ⁉」

 言ってやったーーッ!
 変な高揚と謎の爽快感そうかいかんを覚えて、思わず腰に手を当て仁王立におうだちになる。野次馬が一斉に湧いて、あたりが喧騒けんそうに包まれた。

「シルヴィー、それは聞いていませんよ!」

 人混みをかき分けてやってきた警邏けいらたいの先頭に何故なぜかフレディがいる。彼は背後からおおかぶさるようにして俺をカッツェンから引き離した。

「なんでお前がいるんだ?」
「それ、今大事ですか?」

 質問返しされる。
 いや、純粋な疑問だろ。俺もお前も仕事をしている時間。こんな往来おうらいで会うことはないはず。

「アラン、そいつ捕縛して! シルヴィーの手首にアザが付いてる。傷害の現行犯だ」

 え、アラン坊ちゃん⁉ ぬっと出てきた長身の若者は、フレディと再会した時とは比にならないほど、俺を驚愕きょうがくさせた。

「シルヴィーさん、久しぶりっす」

 デカい……。岩だ……。アラン坊ちゃん、同じ年齢の子よりは発育がよかったけど、これはない。俺が子どもになったような気がする。

「騎士様、僕を捕縛するなら彼も同罪ですよ。頭突きされましたからね。ここにいる皆が見ています」

 カッツェンは芝居がかった仕草で野次馬をあおった。彼らを味方につけるつもりなのか?

「どう見ても正当防衛だろう」

 フレディが落ち着いて言い放つ。アラン坊ちゃんがあっという間にカッツェンを縛り上げて、一緒にやってきたセオの恋人に引き渡した。それでもカッツェンは、どこか余裕めいた微笑ほほえみを浮かべている。得体の知れない悪寒おかんが背中を伝った。

「助かった。ありがとな」

 なんとかフレディに礼を言ったものの、安心したら腰が抜ける。結局、彼に支えてもらって家に帰りつき、姉ちゃんに大爆笑されたのだった。


 なんでフレディがあんなところにいたのかという理由は、俺に会いに来たんだって。これは真面目な話だ。
 カッツェンが真っ黒だったって、知らせに来る途中だったらしい。アラン坊ちゃんが一緒だったのは、その情報が彼に届いたタレコミだったからだ。
 フレディとアラン坊ちゃんはスニャータにいる共通の友人に連盟で手紙を書き、ついでにふたりを可愛がってくれたフェンネル王子にも手紙を書いたらしい。……お貴族様スゲェな。王子様に手紙を送るなんて、庶民には恐ろしくてできないぞ。
 つうか、エル。おおごとにしないって言ったのは誰だ? スニャータの大使には問い合わせないって言ったじゃないか。飛び越えて直接王子様ってどういうことだ。
 それで、だ。
 半分フレディに抱えられるみたいに帰ってきた俺に驚いて、姉ちゃんは残業してくれることになった。姉ちゃんちの子どもたちには悪いが、腰が抜けてて店に立てない。爆笑されて、情けなくて涙と鼻水が出そうだ。泣かないけど。
 フレディはいつもの居間で、ことの経緯をつまんで説明してくれた。
 手紙を受け取った脳筋と名高い前王の第四王子は、可愛い弟子の力にはなってやりたいが、内容がいまいち理解できなくて、同母の妹、つまりローズマリー王妃にそれを読ませたらしい。
 他国の王妃の手をわずらわせる肉屋のせがれ……。恐れ多すぎて、平伏したくなった。

「王妃様は懇意こんいにしている商会に、買い物ついでにさぐりを入れてくださったようです」

 そうしたらライバル商会のよくない情報を嬉々として教えてくれたんだと。
 スニャータで三番目に大きなクレシュ商会の四男がカッツェンという名で、わゆる放蕩ほうとう息子むすこだ。兄三人と弟は、父の手伝いで真面目に支店を切り盛りしていて、腹心の従業員の幾人いくにんかが店舗を任されてバリバリ収益を上げているらしい。
 しかし、くだんの四男は、職業的なヒモだ。
 自分探しとのたまって国内を放浪してみたり、役者になると言って劇団に入ったものの入団三日目に主役以外はやらないと言い放って追い出されたりと、かなりイタイ男だった。仕事もせずにフラフラしていて父親に勘当され、女性の家に転がり込んだのが最初。
 その女性は身包みぐるがすほどみつがせて捨てる。それから水商売の若い女性の間を転々とし、そのうち婚期をのがした裕福なおひとり様を男女問わず。相手の寂しさに付け込んで甘い言葉でたらし込み、やっぱり貯蓄を使い果たすほどみつがせた。
 カッツェンのずる賢いところは、一度も『結婚』を口にしないことだ。それを言ってしまったら結婚詐欺になるのが分かっているのだろう。
 恋人からの好意による贈り物を受け取ったが、交際を続けるうちに性格の不一致を感じてお別れした。倫理的にめられたことではないとはいえ、犯罪ではない。かなりスレスレではあるが。
 そんなふうにかなり手広くヒモをしていたが、やりすぎて国を出たらしい。

「……俺は婚期を逃したおひとり様か?」

 ひとりで酒場で飲んでいる、寂しい三十路みそじだと思われたわけだ。違わないがムカつくな。

「シルヴィーは婚期をのがしてなんかいませんよ。僕が成人するのを、待っていてくれただけじゃないですか」
「お前な……」

 物憂ものうげに微笑ほほえんで俺を見るフレディが、突然色気をダダ漏れにした。

「こんな時になんだけどさ。お前の気持ちが思い込みや刷り込みじゃないって、理解したよ。……カッツェンの打算に満ちた『一目惚ひとめぼれ』なんて告白が、あんまりにも薄っぺらくて白々しくて、お前の真摯しんしな気持ちが浮き彫りになった」

 小さな頃から俺だけを見ていたフレディ。笑っちゃうが、小さな子の初恋は大抵后子ごうし様の絵姿だ。アラン坊ちゃんだってポーッとなっていたから、違いが分かりやすい。

「こういうの、怪我の功名って言うんですっけ?」
「学はお前のほうがあるだろう。俺に聞くな」

 俺は街の学舎で読み書きを習った程度だ。
 ……駄目じゃん。


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