2 / 23
1巻
1-2
しおりを挟む
扉の中まで押し込まれる。
「そうだ、忘れていました」
「んっ?」
唐突にフレディに手を取られた。
「消毒しておきましょうね」
チュッと音を立てて指先に口づけされる。
ななな、何をするんだ、このやんちゃ坊主が!
「忘れないで。僕はシルヴィーのものだけど、シルヴィーも僕のものになってほしいんですからね」
チュッチュッと啄まれた。
「誘惑されてきましたか?」
さらに、にっこり艶っぽく微笑まれて、カーッと顔に血がのぼる。
そうだった、コイツに口づけされたんだった‼ そんなフレディの隣で安心しきっているっておかしいだろ⁉
「ふふふ。じゃあ今度こそ、本当におやすみなさい」
優雅に去っていくチェリーブロンドの後ろ姿を見送って、俺はその場にズルズルと座り込んだのだった。
しばらくジャネットの酒場にも行かず、仕事終わりは自宅の居間でちびちびやる毎日だった。
……マジでカッツェンさんに会いたくない。特に何をされたわけでもないのに、客商売をしているいい大人がこんなことじゃ駄目だと思うけど。
今日は昼間に、城から遣いが来た。日が暮れたら幼馴染みのエルフィンがやってくる。明るいうちだと目立ちまくってお忍びにならないから、日没一歩手前くらいを狙って来るのだ。
幼馴染みが后子になって十二年。俺と同い年のアイツはジャネットに『可愛いあの子』と揶揄われるほど老けない。フレディの言う通り、アレをおっさんと呼ぶのは無理だ。
勝手口がトントンと叩かれる。
店舗兼自宅の正面玄関は、店じまいをすると完全に雨戸を閉めてしまうので、勝手口が普段から家族の玄関扱いだ。
扉を開くと懐かしくもない顔が覗く。度々忍んでくるので、商店街の俺を含めた連中は后子様に会ってもありがたがりもしない。むしろ『王様に心配かけるな、早よ帰れ』と言わんばかりだ。
「こんばんは。ジャネットからシルヴィーが変なのに憑かれてるって聞いたけど、大丈夫?」
開口一番それかよ。つか、憑かれてるってなんだ。せめて疲れてると言ってくれ。
いささかゲンナリしながら幼馴染みを招き入れる。侍従のウィレムさんと近衛騎士のカインさんが一緒に入ってくる。他にも大勢の護衛がこっそり店の外周を囲っていることだろう。
「酒場に寄ってきたんだ?」
「うん、新しいレシピ寄越せって騒ぐから、メモだけ渡してきた。……中には入れてくれなかったよ。変なのがいるからって」
「ジャネット、よくやった」
思わず呟く。ウィレムさんが優しげな眉を怪訝そうにひそめた。
「エルフィン様に害になりそうな人物なのですか?」
「いえ、よく分からないんです。何がどうってわけじゃないんですけど、強いて言うなら勘ですかね? やたら距離が近いし馴れ馴れしい。本人には言えませんが、できれば同じ空間にいたくない感じの人です」
大人げなくて悪いな。
最近はいつ酒場に行ってもいるから、宅飲みに切り替えたんだと告げると、幼馴染みは目をパチクリさせて俺を見た。その表情、とても三十歳には見えないぞ。
「シルヴィーがそんなふうに言うなんて、よっぽどじゃないか。そのひと、どこのひと?」
エルフィン――エルは勝手知ったる肉屋の台所に、ズカズカ入り込みながら袖をまくる。実家のパン屋はひとに譲ってしまったから、俺の家をその代わりのように思っているらしい。口も手も効率的に動かす姿は后子様って言うより、オカンだ。
「自称スニャータの豪商の坊。自分語りが多いから、結構情報がありそうなのに、決定的なことは何も言わない……って感じ。そのくせ俺のことは根掘り葉掘り聞いてくる」
「……それ、気持ち悪くない?」
「気持ち悪いからジャネットの店に行かないんだよ」
「なるほど」
納得したように頷いて、エルは台所を漁ってタマネギとチーズを発掘した。
「ニンニクある?」
「はいよ。何、作るんだ?」
常温野菜のストック籠の底から、ニンニクを引っ張り出して渡す。エルはすでにタマネギをみじん切りしていたので、まな板の横に置いておいた。
「ジャネットに強請られた新しい味のドレッシングだよ。いつものドレッシングは飽きたって」
「店の新作献立、后子様に作らせるのかよ。流石だな、あの女」
キャベツの山盛りを食べさせられたのを思い出す。
「あはは、ちゃっかりしてるし、豪胆だし、昔から変わらないよね」
エルはみじん切りにしたタマネギをボウルに入れて、ウィレムさんがバスケットから取り出したトマトダレと卵酢を入れた。ニンニクをひとかけすりおろして黒胡椒を削る。レモン汁も入れるのな。最後にオリーブオイルを回し入れてフォークでかき混ぜていた。エルの手元は迷いがなくて、今でも料理をしているのが分かる。
出来上がったドレッシングはペールオレンジ色で、一舐めするとこっくりしていて爽やかな味がした。
「旨いな、これ」
「ケチャップとマヨネーズが面倒くさいけど、基本は混ぜるだけだからね」
「ケチャ? マヨ?」
「トマトダレと卵酢のこと」
巷で噂の妖精の国の言葉か。
「チーズはどうすんの?」
「もう一種類、今度は白いのを作るよ」
エルはボウルに卵酢とミルクを同量くらい入れて、その中にコンソメと削りおろして粉になったチーズを三倍ほど入れる。それからまた、ニンニクをひとかけとオリーブオイルとレモンの搾り汁をぐるっと。
「混ぜたら完成」
うわぁ、濃厚!
「たっぷりレタスとクルトンのサラダに合うよ」
「これも旨い。八百屋のじーちゃん、またジャネットのところに大量納品だな。以前のタマネギドレッシングと並べたら、野菜スティックが止まらなくなりそう」
「サウザンドレッシングとシーザードレッシング」
妖精の国の言葉でなんか言っているが、オレンジ色のと白いのでいいんじゃないか。
俺は店の残りのメンチカツとじーちゃんのとこのレタスとキャベツをどんとテーブルに置く。ウィレムさんたちにも座るように促したけど、絶対に座ってくれない。十年くらい前までは、エルも申し訳なさそうな表情をしていたのに、今では何も言わなくなった。
「で、そのひとの名前と見た目の特徴を教えてくれる?」
レタスを自分で皿に取りながら、エルが真面目な表情で聞いてくる。ウィレムさんが炭酸水で割った蜂蜜とレモンの果汁をエルの前に置いた。コトリとした音がやけに響く。
「后子様が何かすると大事にならないか?」
国で二番目に偉いし、エルに言うのは実質王様に告げ口するようなものなんだよなぁ。
「スニャータのひとなんでしょ? 本当にそんなに店舗の数を持ってる豪商の息子なら、ちょっとくらい噂になってるかもよ。ちょうどアラン君とフレッド君が、スニャータの留学を終えて帰ってきてるんだ。詳しく聞いてみようか?」
ガション。
俺の麦酒がテーブルの上に広がった。
「シルヴィー、どしたの?」
エルがテキパキと台布巾で麦酒を拭き、濡れそうな皿を移動させる。エル、お前は本当にやんごとなき御方とやらなのか? 手際がよすぎて主婦にしか見えない。
「急に坊ちゃんたちの名前が出てきたから、びっくりしたんだ」
「そっか。帰ってきてるんだよ、ふたりとも。アラン君とフレッド君はリューイの学友の中じゃお騒がせ枠だから、まぁ、お城の中が賑やかになっちゃって」
エルがクスクスと笑った。なんかもやっとする。
「スニャータの脳筋王子がね、ふたりを気に入って鍛えまくったらしいよ。アラン君は近衛隊に入ったけど、フレッド君は宰相府に入ったから、近衛隊長が日参して転属のお誘いをしてるんだって」
脳筋王子……スニャータの騎士団の団長を務める、先王の第四王子だっけか? 他国の王族なんか興味はないけど、その王子の名前はエルの口からよく聞くから、覚えている。
「フレッド君なら宰相府にいるから、調べ物は得意じゃないかな。頼んでみようか」
「ちょっと待て。フレディに言うのはダメな気がする」
「フレッド君に兄貴振りたいのは分かるけど、シルヴィーの勘って意外と馬鹿にできないじゃん。スニャータの大使に問い合わせるのは、話が大きくなるから嫌でしょ? フレッド君にお願いするのが一番静かに終わるんじゃないかな」
……正論だ。
自分が関わらないと、エルはもの凄く聡い。
幼馴染みとの久しぶりの会話は、エルの旦那が迎えに来るまで続いた。相変わらず、見ている俺の目が潰れそうないい男だ。そして目の前で繰り広げられる、五年ぶりの再会みたいなイチャイチャ……
他所でやってくれないかな。
どうでもいいけど、王様がホイホイ城を抜け出すのはどうかと思う……
――仕事が早いよ、后子様!
再び俺の昼食時に襲撃してきたフレディは、とても申し訳なさそうに言った。
「本当は午前中にでも来たかったのですが」
遅刻を詫びるみたいに言われても、そもそも約束などしていない。大体それ、朝一で后子様に言われて、仕事ほっぽり投げようとしたんじゃないのか? 新人だろ、お前!
「宰相閣下と書記官殿に、外務府に繋ぎをつけてから行けと言われました。一応、今も業務中です」
……肉屋の倅のよく分からん勘に、国の偉い人が動き始めたんだけど。充分大事になってやしないか?
「まずは警邏隊だろ? なんで宰相府の文官が出てくるんだよ」
「警邏隊を呼ばなければならないようなことを、されたんですか?」
「言葉の綾だよ! まだ何もないのに国が動くって変だろ?」
俺が子どもの頃は、警邏隊も証拠がないと犯人を捕縛してくれないと大人たちが話していた。けれど王様が代わってからは、証拠がなくても自宅の周りをさりげなく警邏の巡回順路に入れてくれたり、相手が貴族でも泣き寝入りしなくてよくなったりと、随分と住みやすくなっている。
迷子の捜索でも夫婦喧嘩の仲裁でも、必要があれば動いてくれるのだ。
「だから、俺がどうしてもってなったら、警邏隊の詰所に行って相談すればいい。それにしたって、三十歳にもなる男が、酒場で男に手を握られるのが気持ち悪いって通報できるか⁉」
「そういう迂闊なところが、性犯罪に繋がるんです」
「俺は酒場でちょっと隣り合っただけの男を、押し倒す趣味はない!」
昼間っから、なんの話をしてるんだ⁉
カッツェンさんは謂わゆる雰囲気色男ってヤツだと思う。一見人好きのする笑顔と饒舌な口、無意識っぽい接触。人によってはポーッとなるかもしれない。
俺にとっては気持ち悪いだけなんだけどな!
フレディが虚を衝かれたようにこっちを見る。なんだよ、その、思いもよらないことを聞いたって表情は。俺が誰彼構わず押し倒すような男に見えるのか?
「……そっちじゃないです。シルヴィーが押し倒されたらどうするんですかって、話をしてるんです」
…………
なんですと?
「フレッド坊ちゃん? 何か幻聴が聞こえたような気がするのですが、気のせいでしょうかね?」
「子ども扱い……じゃないみたいですね、今のは。お仕置きは勘弁してあげましょう。とりあえず幻聴ではありません。酒場に出没するカッツェンとやらに、寝台に引き摺り込まれたらどうするんですか、という話です」
「ないないない!」
あるわけない。
「草臥れた三十歳のおっさんだぞ?」
「まだそんなことを言っているんですか? 后子殿下の妖精じみた若さは、この際、脇に置いておきますが、僕はあなたも相当ですよと言いませんでした? 安心できる垂れ目の優しい童顔で、若い二枚目にしか見えません。相手は歳下の可愛い男を口説いているつもりなのかもしれないんですよ」
コイツは何語を喋っているんだ? 理解が追いつかない。エルの妖精っぷりは昨夜確認したばかりとして、俺に関するフレディの認識がとてつもなくおかしい。
「仔牛を担ぐ男が可愛いか?」
思わず首を捻った。
「上目遣いで小首を傾げないでください」
そんなことしてねぇ。お前がそんなに育つから、身長差のせいだ。
「シルヴィーはお人好しで涙もろくて世話焼きな、可愛いひとです」
……中身の話か。
だとしても断固否定する。
「そういうのは、す……」
好きなひとに言ってやれと口にしかけて、はたと気付く。コイツの好きなひとって俺だっけ?
「残念です。最後まで言ってくれたら唇を塞いだのに」
目の前の物憂げな美青年がうっすらと笑った。なんか、この場所、寒くないか?
「僕はあなたが好きです。お人好しで涙もろくて世話焼きで、義理堅くて一生懸命で……あぁ言葉が足りないです。とにかくこんなにも僕が愛しく思っているシルヴィーを、ほかの誰かが見初めたっておかしくはないでしょう? 八百屋のおじいさんや魚屋の旦那さんだって、お孫さんやお嬢さんの婿がねだって言っていたじゃないですか」
なんでコイツはこんな臆面もなく、草臥れた肉屋の倅を褒めちぎるかな!
カーッと頭に血が上った。
「もう黙れ! お前はいったい何をしに来たんだ⁉ 俺に恥ずかしい思いをさせるのが目的なら、帰れ!」
お帰りはあちらとばかりに、フレディの背中をぐいぐい押す……ちくしょう、びくともしやしねぇ。胸の筋肉は厚いと思っていたけど、背中も固いな!
「ふふふ」
くそ、笑ってんじゃねぇ。一周りも歳下のくせに、余裕ぶちかましてるんじゃねぇよ。
「カッツェンとやらは気持ち悪いのに、僕だと恥ずかしいんですね」
「黙れって言っただろう⁉」
そうだよ、俺がお前を好きかは別として、お前から言われるぶんには嫌じゃないんだよ! 対象が俺ってあたりで、フレディの審美眼と趣味の悪さにドン引きだけどな!
もう、訳が分かんねぇ。
「フレディ、頼むからゆっくりしてくれ。お前と出会った時には成人一歩手前だった俺は、たいして変化してないように思えるのかもしれない。けど俺から見たら、抱っこして歩いたこともある坊ちゃんが、いきなり知らない男になって帰ってきたんだよ」
だいたい三十歳にもなった俺にとってお付き合いは、どうしたって結婚を意識したものになるだろう。俺がどう思おうと、周りはそれを期待する。将来ある若者をそんなおっさんに縛り付けてたまるかってんだ。
「それは僕の誘惑が、浸透しつつあると思っていいんでしょうか?」
「よくない」
やや食い気味に否定する。
びくともしないので押すのを諦めると、フレディは軽やかに身体を反転して俺の頬を両手で包んだ。咄嗟に唇を手のひらで隠す。
「危機回避意識が高くて何よりです」
この余裕が憎たらしい。
「この危機回避意識をカッツェンにも持ち続けてくださいね。シルヴィーは一介の肉屋の若主人のおつもりでしょうが、后子殿下の幼馴染みで親友なんです。万が一、カッツェンがよくない輩だったとして、シルヴィーを足がかりに殿下を誘い出すつもりだったらどうします?」
…………マジか?
そりゃ国も動くわな。自分の后子を溺愛している王様が、その芽を潰さないはずがない。
「宰相府が動く理由は理解していただけました?」
コクコクと首を縦に振る。肉屋の倅には想像もつかない、高度に政治的な配慮が必要なんだなってのは理解した。
「理由を探して拒否してないで、全部宰相様にお任せしたほうがいいんだってのは分かった」
そして宰相様の采配で、コイツが情報収集に当たるんだろう。もしかしたら一緒にスニャータに留学していたアラン坊ちゃんも、一枚噛むのかもしれない。
「シルヴィーは広い視野を持っているので助かります」
あはは、どこぞの后子様は時々、妙に狭くなるからなぁ。
「ひとまず心当たりの豪商が三軒あります。早速スニャータの友人に手紙を出します。外務を通さずに、個人的なものとして友人にあたってみますから、カッツェンとはあまり接触しないでくださいね」
コクコクと何度も頷く。口を隠していた手を、頬を覆っていたフレディの手が、やんわりと押さえた。手首を柔らかく掴まれて広げられる。
「危機回避意識ですけど……僕には向けなくていいですから」
チュッ。
小さな音がした。
あ?
「ではジャネット姉さんにも話を聞いてきますね」
満面の笑みで踵を返したフレディは、颯爽とうちの居間を後にした。
茫然と後ろ姿を見送る……最近こんなんばっかりだ。
「業務中に何をやってやがる」
ぽつりと呟いた俺の声は、誰にも聞かれることはなかった……たぶん。
俺のどこがいいのかなんて、フレディ本人には聞かない。こっちが恥ずかしくなるようなことを、さんざっぱら並べ立てそうだ。しかも真顔でそれをやらかすだろう。つうか、いっぺんやられたから、もう二度とやらない。
いかんいかん、道をボケッと歩いていると、余計なことを考えてしまう。
近所のジジババ夫婦の家に肉を届けるついでに八百屋に寄って野菜を預かり、その代金を肉の代金と一緒に集金する。帰りにもう一度八百屋に寄ってお金を渡すと、じーちゃんは礼だと言って一番外側の葉が萎れたキャベツを寄越した。
一枚剥けば、綺麗なドレスが現れる。
……小っ恥ずかしいことを言ったぜ。
エルフィンが言っていたんだよ。キャベツ、レタス、白菜ってヒラヒラドレスのお姫様みたいだね、とかなんとか。その時は流石妖精なんて思った。それが強烈すぎる印象を残し、そのフレーズがふと脳裏に浮かぶ時がある。エルならぴったりな表現だけど、俺が言ったら引くだろ。
「――ありがとな、シルヴィー。俺も最近膝が痛くて、角のジジババんとこまで配達に行くと、時間がかかってしょうがねぇ」
「気にすんなよ、じーちゃん。どうせついでさ」
じゃあなと笑って八百屋を後にする。さっさと帰って店番を代わらねば。そろそろ姉ちゃんはあがりの時間だ。嫁に行った彼女は、子どもの食事を用意するために帰らなきゃならない。
心持ち歩く速度を早めた時、後ろから肩を掴まれた。不意打ちに心臓がビクッとなる。ビビリじゃないけど、誰だって突然後ろから来られたら驚くだろ。
「なんだよっ」
ちょっとささくれた気持ちで、肩にかかる手を払いながら振り向くと、カッツェンさんが両手を軽く万歳して一歩後ろに下がるところだった。
「シルヴェスタ君、怒った顔もするんだね」
当たり前じゃないか。
無言で背後から忍び寄るって、なんだよ。だいたい一言声をかければ済む話で、いちいち身体に触ることないだろう!
ジャネットの店では騒ぎを起こしたくないから我慢していたものの、コイツは肉屋の客じゃない。酒場でたまたま一緒になっただけの男と友誼を結んだつもりはなかった。
「今、仕事中なんで」
なるべくそっけなく言ってその場を去ろうとすると、また手首を掴まれる。
「じゃあ今夜、いつもの酒場に来てくれないか。最近会えなくて寂しいよ」
「もっぱら宅飲みなんで勘弁してください」
振り払おうとしているのに、離れない。意外と力が強いな。手首が痛い。フレディなら外れなくても痛くないように掴んでくるんだけどな。……って、今、フレディは関係ない。
「……手を離してくれませんかね?」
「約束してくれるまで離さないよ。だって君、逃げるだろう?」
「往来の真ん中で恥ずかしくないんですか? 見られてますよ」
金物屋のお喋り女将が、らんらんとした目でこっちを見ている。二刻も立たないうちに噂を聞きつけたジャネットが、肉屋に駆け込んでくるんだろうな。
「僕は恥ずかしくないね。なにしろ余所者だから、変な噂を撒き散らされても痛くも痒くもないんだ。むしろシルヴェスタ君のほうが困るんじゃない? これからもずっとこの街に住むんでしょう? だから早く、酒場で会うって約束したほうがいいよ。野次馬がどんどん増えているしね」
一見人好きのする笑顔でカッツェンさん……もう呼び捨てでいいや。カッツェンが言った。コイツ、この街に支店を出したいとか抜かしてやがったのに、悪い噂を気にしないのか。空き店舗を探す素振りも形だけだし、やっぱり仕事をする気はないな。
「約束だけして、俺が行かないってこともあるでしょう」
「だったらこれから、君の宅飲みにお付き合いしに行こうかな。そうしたら、手を離さずに済むね」
マジ無理。
「それとも僕が宿泊してる旅籠に行くかい? 寝酒用にいいのを何本か持ち込んでるから、屋台でつまめるものを買っていけばいいさ」
「私は仕事中だと言いましたよね。配達の帰りなんです。……これ以上は勘弁してください」
あー、殴りてぇ。人を殴ったことなんかないけど。仔牛は担ぐが、喧嘩はしたことないんだよ。腕力と暴力は別もんなんだよな。でも、心の底から殴りてぇ。
いい加減、手ェ離してくんないかな。待てよ、もうちょっと引き伸ばすか。
余所者は知らないかもしれないが、そろそろ騎士団の警邏の時間だ。巡回騎士の中には、名前は知らないけど顔馴染みが幾人かいる。
遠巻きに見ていた花屋の看板息子のセオと目が合う。俺はちょっとだけ頷いて合図を送った。アイツは俺も知っている警邏隊員と付き合っているから、呼んできてくれると助かる。
頼む通じてくれと念じていると、セオが頷いて駆け出した。よし、あとは時間稼ぎだ。
「失礼ですがカッツェンさん、私とあなたはさほど親しくない。ジャネットの酒場でたまたまかち合っただけの、全くの他人ですよね」
金物屋の女将に聞こえるように声を張り上げる。女将が僅かに目を見開いた。あの様子では、俺とカッツェンはそこそこ親しい仲だと思っていたのだろう。頼むから脳内の情報を修正しておいてくれ。
「そんな他人だなんて」
カッツェンは大袈裟に肩をすくめた。
「僕は君に一目惚れしたというのに」
ぶっ込んできたな!
女将さん、鼻を膨らませて興奮しているんじゃないの! コイツの言っていること、たぶん嘘っぱちだから‼ 立ち止まっている野次馬も、口笛なんか吹いてんじゃねぇよ。
打算に満ちた瞳は俺のことを好きだなんて、これっぽっちも思っちゃいない。せいぜい、いいカモだと考えている程度だ。
なんで分かるかって?
フレディの……アイツの瞳が熱いのを知っているからだよ。
フレディの本気を測り切れていなかったのに、カッツェンの胡散臭い告白を受けてその差に愕然とする。
それにしてもコイツ、なんで俺なんだ? やっぱりエル狙いか? エルはスニャータのローズマリー王妃とフェンネル騎士団長と親しいらしいから、そっちにも繋がるのか?
ぐるぐる考えていると、掴まれていた手首を引かれてバランスを崩す。反対の手で顎を捉えられて顔が近づく。
「ふざけんなッ!」
ゴスッ。
「いってーッ」
思わず声が出た。自分でやっといてなんだが、頭突きの衝撃が半端ない。カッツェンもうっと唸って手首を掴んでいた手を離し、たたらを踏んでいる。
「往来のど真ん中で、付き合ってもない男に口づけなんてされてたまるか! アンタなんか願い下げだ。一目惚れなんて抜かしてるが、こっちは一目ドン引きだよ‼ カウンターの下でベタベタ太もも触ってきやがって、そんな相手と一緒に酒場に行くわけないだろ⁉」
言ってやったーーッ!
変な高揚と謎の爽快感を覚えて、思わず腰に手を当て仁王立ちになる。野次馬が一斉に湧いて、あたりが喧騒に包まれた。
「シルヴィー、それは聞いていませんよ!」
人混みをかき分けてやってきた警邏隊の先頭に何故かフレディがいる。彼は背後から覆い被さるようにして俺をカッツェンから引き離した。
「なんでお前がいるんだ?」
「それ、今大事ですか?」
質問返しされる。
いや、純粋な疑問だろ。俺もお前も仕事をしている時間。こんな往来で会うことはないはず。
「アラン、そいつ捕縛して! シルヴィーの手首にアザが付いてる。傷害の現行犯だ」
え、アラン坊ちゃん⁉ ぬっと出てきた長身の若者は、フレディと再会した時とは比にならないほど、俺を驚愕させた。
「シルヴィーさん、久しぶりっす」
デカい……。岩だ……。アラン坊ちゃん、同じ年齢の子よりは発育がよかったけど、これはない。俺が子どもになったような気がする。
「騎士様、僕を捕縛するなら彼も同罪ですよ。頭突きされましたからね。ここにいる皆が見ています」
カッツェンは芝居がかった仕草で野次馬を煽った。彼らを味方につけるつもりなのか?
「どう見ても正当防衛だろう」
フレディが落ち着いて言い放つ。アラン坊ちゃんがあっという間にカッツェンを縛り上げて、一緒にやってきたセオの恋人に引き渡した。それでもカッツェンは、どこか余裕めいた微笑みを浮かべている。得体の知れない悪寒が背中を伝った。
「助かった。ありがとな」
なんとかフレディに礼を言ったものの、安心したら腰が抜ける。結局、彼に支えてもらって家に帰りつき、姉ちゃんに大爆笑されたのだった。
なんでフレディがあんなところにいたのかという理由は、俺に会いに来たんだって。これは真面目な話だ。
カッツェンが真っ黒だったって、知らせに来る途中だったらしい。アラン坊ちゃんが一緒だったのは、その情報が彼に届いたタレコミだったからだ。
フレディとアラン坊ちゃんはスニャータにいる共通の友人に連盟で手紙を書き、ついでにふたりを可愛がってくれたフェンネル王子にも手紙を書いたらしい。……お貴族様スゲェな。王子様に手紙を送るなんて、庶民には恐ろしくてできないぞ。
つうか、エル。大事にしないって言ったのは誰だ? スニャータの大使には問い合わせないって言ったじゃないか。飛び越えて直接王子様ってどういうことだ。
それで、だ。
半分フレディに抱えられるみたいに帰ってきた俺に驚いて、姉ちゃんは残業してくれることになった。姉ちゃんちの子どもたちには悪いが、腰が抜けてて店に立てない。爆笑されて、情けなくて涙と鼻水が出そうだ。泣かないけど。
フレディはいつもの居間で、事の経緯を掻い摘んで説明してくれた。
手紙を受け取った脳筋と名高い前王の第四王子は、可愛い弟子の力にはなってやりたいが、内容がいまいち理解できなくて、同母の妹、つまりローズマリー王妃にそれを読ませたらしい。
他国の王妃の手を煩わせる肉屋の倅……。恐れ多すぎて、平伏したくなった。
「王妃様は懇意にしている商会に、買い物ついでに探りを入れてくださったようです」
そうしたらライバル商会のよくない情報を嬉々として教えてくれたんだと。
スニャータで三番目に大きなクレシュ商会の四男がカッツェンという名で、謂わゆる放蕩息子だ。兄三人と弟は、父の手伝いで真面目に支店を切り盛りしていて、腹心の従業員の幾人かが店舗を任されてバリバリ収益を上げているらしい。
しかし、件の四男は、職業的なヒモだ。
自分探しとのたまって国内を放浪してみたり、役者になると言って劇団に入ったものの入団三日目に主役以外はやらないと言い放って追い出されたりと、かなりイタイ男だった。仕事もせずにフラフラしていて父親に勘当され、女性の家に転がり込んだのが最初。
その女性は身包み剥がすほど貢がせて捨てる。それから水商売の若い女性の間を転々とし、そのうち婚期を逃した裕福なおひとり様を男女問わず。相手の寂しさに付け込んで甘い言葉でたらし込み、やっぱり貯蓄を使い果たすほど貢がせた。
カッツェンのずる賢いところは、一度も『結婚』を口にしないことだ。それを言ってしまったら結婚詐欺になるのが分かっているのだろう。
恋人からの好意による贈り物を受け取ったが、交際を続けるうちに性格の不一致を感じてお別れした。倫理的に褒められたことではないとはいえ、犯罪ではない。かなりスレスレではあるが。
そんなふうにかなり手広くヒモをしていたが、やりすぎて国を出たらしい。
「……俺は婚期を逃したおひとり様か?」
ひとりで酒場で飲んでいる、寂しい三十路だと思われたわけだ。違わないがムカつくな。
「シルヴィーは婚期を逃してなんかいませんよ。僕が成人するのを、待っていてくれただけじゃないですか」
「お前な……」
物憂げに微笑んで俺を見るフレディが、突然色気をダダ漏れにした。
「こんな時になんだけどさ。お前の気持ちが思い込みや刷り込みじゃないって、理解したよ。……カッツェンの打算に満ちた『一目惚れ』なんて告白が、あんまりにも薄っぺらくて白々しくて、お前の真摯な気持ちが浮き彫りになった」
小さな頃から俺だけを見ていたフレディ。笑っちゃうが、小さな子の初恋は大抵后子様の絵姿だ。アラン坊ちゃんだってポーッとなっていたから、違いが分かりやすい。
「こういうの、怪我の功名って言うんですっけ?」
「学はお前のほうがあるだろう。俺に聞くな」
俺は街の学舎で読み書きを習った程度だ。
……駄目じゃん。
「そうだ、忘れていました」
「んっ?」
唐突にフレディに手を取られた。
「消毒しておきましょうね」
チュッと音を立てて指先に口づけされる。
ななな、何をするんだ、このやんちゃ坊主が!
「忘れないで。僕はシルヴィーのものだけど、シルヴィーも僕のものになってほしいんですからね」
チュッチュッと啄まれた。
「誘惑されてきましたか?」
さらに、にっこり艶っぽく微笑まれて、カーッと顔に血がのぼる。
そうだった、コイツに口づけされたんだった‼ そんなフレディの隣で安心しきっているっておかしいだろ⁉
「ふふふ。じゃあ今度こそ、本当におやすみなさい」
優雅に去っていくチェリーブロンドの後ろ姿を見送って、俺はその場にズルズルと座り込んだのだった。
しばらくジャネットの酒場にも行かず、仕事終わりは自宅の居間でちびちびやる毎日だった。
……マジでカッツェンさんに会いたくない。特に何をされたわけでもないのに、客商売をしているいい大人がこんなことじゃ駄目だと思うけど。
今日は昼間に、城から遣いが来た。日が暮れたら幼馴染みのエルフィンがやってくる。明るいうちだと目立ちまくってお忍びにならないから、日没一歩手前くらいを狙って来るのだ。
幼馴染みが后子になって十二年。俺と同い年のアイツはジャネットに『可愛いあの子』と揶揄われるほど老けない。フレディの言う通り、アレをおっさんと呼ぶのは無理だ。
勝手口がトントンと叩かれる。
店舗兼自宅の正面玄関は、店じまいをすると完全に雨戸を閉めてしまうので、勝手口が普段から家族の玄関扱いだ。
扉を開くと懐かしくもない顔が覗く。度々忍んでくるので、商店街の俺を含めた連中は后子様に会ってもありがたがりもしない。むしろ『王様に心配かけるな、早よ帰れ』と言わんばかりだ。
「こんばんは。ジャネットからシルヴィーが変なのに憑かれてるって聞いたけど、大丈夫?」
開口一番それかよ。つか、憑かれてるってなんだ。せめて疲れてると言ってくれ。
いささかゲンナリしながら幼馴染みを招き入れる。侍従のウィレムさんと近衛騎士のカインさんが一緒に入ってくる。他にも大勢の護衛がこっそり店の外周を囲っていることだろう。
「酒場に寄ってきたんだ?」
「うん、新しいレシピ寄越せって騒ぐから、メモだけ渡してきた。……中には入れてくれなかったよ。変なのがいるからって」
「ジャネット、よくやった」
思わず呟く。ウィレムさんが優しげな眉を怪訝そうにひそめた。
「エルフィン様に害になりそうな人物なのですか?」
「いえ、よく分からないんです。何がどうってわけじゃないんですけど、強いて言うなら勘ですかね? やたら距離が近いし馴れ馴れしい。本人には言えませんが、できれば同じ空間にいたくない感じの人です」
大人げなくて悪いな。
最近はいつ酒場に行ってもいるから、宅飲みに切り替えたんだと告げると、幼馴染みは目をパチクリさせて俺を見た。その表情、とても三十歳には見えないぞ。
「シルヴィーがそんなふうに言うなんて、よっぽどじゃないか。そのひと、どこのひと?」
エルフィン――エルは勝手知ったる肉屋の台所に、ズカズカ入り込みながら袖をまくる。実家のパン屋はひとに譲ってしまったから、俺の家をその代わりのように思っているらしい。口も手も効率的に動かす姿は后子様って言うより、オカンだ。
「自称スニャータの豪商の坊。自分語りが多いから、結構情報がありそうなのに、決定的なことは何も言わない……って感じ。そのくせ俺のことは根掘り葉掘り聞いてくる」
「……それ、気持ち悪くない?」
「気持ち悪いからジャネットの店に行かないんだよ」
「なるほど」
納得したように頷いて、エルは台所を漁ってタマネギとチーズを発掘した。
「ニンニクある?」
「はいよ。何、作るんだ?」
常温野菜のストック籠の底から、ニンニクを引っ張り出して渡す。エルはすでにタマネギをみじん切りしていたので、まな板の横に置いておいた。
「ジャネットに強請られた新しい味のドレッシングだよ。いつものドレッシングは飽きたって」
「店の新作献立、后子様に作らせるのかよ。流石だな、あの女」
キャベツの山盛りを食べさせられたのを思い出す。
「あはは、ちゃっかりしてるし、豪胆だし、昔から変わらないよね」
エルはみじん切りにしたタマネギをボウルに入れて、ウィレムさんがバスケットから取り出したトマトダレと卵酢を入れた。ニンニクをひとかけすりおろして黒胡椒を削る。レモン汁も入れるのな。最後にオリーブオイルを回し入れてフォークでかき混ぜていた。エルの手元は迷いがなくて、今でも料理をしているのが分かる。
出来上がったドレッシングはペールオレンジ色で、一舐めするとこっくりしていて爽やかな味がした。
「旨いな、これ」
「ケチャップとマヨネーズが面倒くさいけど、基本は混ぜるだけだからね」
「ケチャ? マヨ?」
「トマトダレと卵酢のこと」
巷で噂の妖精の国の言葉か。
「チーズはどうすんの?」
「もう一種類、今度は白いのを作るよ」
エルはボウルに卵酢とミルクを同量くらい入れて、その中にコンソメと削りおろして粉になったチーズを三倍ほど入れる。それからまた、ニンニクをひとかけとオリーブオイルとレモンの搾り汁をぐるっと。
「混ぜたら完成」
うわぁ、濃厚!
「たっぷりレタスとクルトンのサラダに合うよ」
「これも旨い。八百屋のじーちゃん、またジャネットのところに大量納品だな。以前のタマネギドレッシングと並べたら、野菜スティックが止まらなくなりそう」
「サウザンドレッシングとシーザードレッシング」
妖精の国の言葉でなんか言っているが、オレンジ色のと白いのでいいんじゃないか。
俺は店の残りのメンチカツとじーちゃんのとこのレタスとキャベツをどんとテーブルに置く。ウィレムさんたちにも座るように促したけど、絶対に座ってくれない。十年くらい前までは、エルも申し訳なさそうな表情をしていたのに、今では何も言わなくなった。
「で、そのひとの名前と見た目の特徴を教えてくれる?」
レタスを自分で皿に取りながら、エルが真面目な表情で聞いてくる。ウィレムさんが炭酸水で割った蜂蜜とレモンの果汁をエルの前に置いた。コトリとした音がやけに響く。
「后子様が何かすると大事にならないか?」
国で二番目に偉いし、エルに言うのは実質王様に告げ口するようなものなんだよなぁ。
「スニャータのひとなんでしょ? 本当にそんなに店舗の数を持ってる豪商の息子なら、ちょっとくらい噂になってるかもよ。ちょうどアラン君とフレッド君が、スニャータの留学を終えて帰ってきてるんだ。詳しく聞いてみようか?」
ガション。
俺の麦酒がテーブルの上に広がった。
「シルヴィー、どしたの?」
エルがテキパキと台布巾で麦酒を拭き、濡れそうな皿を移動させる。エル、お前は本当にやんごとなき御方とやらなのか? 手際がよすぎて主婦にしか見えない。
「急に坊ちゃんたちの名前が出てきたから、びっくりしたんだ」
「そっか。帰ってきてるんだよ、ふたりとも。アラン君とフレッド君はリューイの学友の中じゃお騒がせ枠だから、まぁ、お城の中が賑やかになっちゃって」
エルがクスクスと笑った。なんかもやっとする。
「スニャータの脳筋王子がね、ふたりを気に入って鍛えまくったらしいよ。アラン君は近衛隊に入ったけど、フレッド君は宰相府に入ったから、近衛隊長が日参して転属のお誘いをしてるんだって」
脳筋王子……スニャータの騎士団の団長を務める、先王の第四王子だっけか? 他国の王族なんか興味はないけど、その王子の名前はエルの口からよく聞くから、覚えている。
「フレッド君なら宰相府にいるから、調べ物は得意じゃないかな。頼んでみようか」
「ちょっと待て。フレディに言うのはダメな気がする」
「フレッド君に兄貴振りたいのは分かるけど、シルヴィーの勘って意外と馬鹿にできないじゃん。スニャータの大使に問い合わせるのは、話が大きくなるから嫌でしょ? フレッド君にお願いするのが一番静かに終わるんじゃないかな」
……正論だ。
自分が関わらないと、エルはもの凄く聡い。
幼馴染みとの久しぶりの会話は、エルの旦那が迎えに来るまで続いた。相変わらず、見ている俺の目が潰れそうないい男だ。そして目の前で繰り広げられる、五年ぶりの再会みたいなイチャイチャ……
他所でやってくれないかな。
どうでもいいけど、王様がホイホイ城を抜け出すのはどうかと思う……
――仕事が早いよ、后子様!
再び俺の昼食時に襲撃してきたフレディは、とても申し訳なさそうに言った。
「本当は午前中にでも来たかったのですが」
遅刻を詫びるみたいに言われても、そもそも約束などしていない。大体それ、朝一で后子様に言われて、仕事ほっぽり投げようとしたんじゃないのか? 新人だろ、お前!
「宰相閣下と書記官殿に、外務府に繋ぎをつけてから行けと言われました。一応、今も業務中です」
……肉屋の倅のよく分からん勘に、国の偉い人が動き始めたんだけど。充分大事になってやしないか?
「まずは警邏隊だろ? なんで宰相府の文官が出てくるんだよ」
「警邏隊を呼ばなければならないようなことを、されたんですか?」
「言葉の綾だよ! まだ何もないのに国が動くって変だろ?」
俺が子どもの頃は、警邏隊も証拠がないと犯人を捕縛してくれないと大人たちが話していた。けれど王様が代わってからは、証拠がなくても自宅の周りをさりげなく警邏の巡回順路に入れてくれたり、相手が貴族でも泣き寝入りしなくてよくなったりと、随分と住みやすくなっている。
迷子の捜索でも夫婦喧嘩の仲裁でも、必要があれば動いてくれるのだ。
「だから、俺がどうしてもってなったら、警邏隊の詰所に行って相談すればいい。それにしたって、三十歳にもなる男が、酒場で男に手を握られるのが気持ち悪いって通報できるか⁉」
「そういう迂闊なところが、性犯罪に繋がるんです」
「俺は酒場でちょっと隣り合っただけの男を、押し倒す趣味はない!」
昼間っから、なんの話をしてるんだ⁉
カッツェンさんは謂わゆる雰囲気色男ってヤツだと思う。一見人好きのする笑顔と饒舌な口、無意識っぽい接触。人によってはポーッとなるかもしれない。
俺にとっては気持ち悪いだけなんだけどな!
フレディが虚を衝かれたようにこっちを見る。なんだよ、その、思いもよらないことを聞いたって表情は。俺が誰彼構わず押し倒すような男に見えるのか?
「……そっちじゃないです。シルヴィーが押し倒されたらどうするんですかって、話をしてるんです」
…………
なんですと?
「フレッド坊ちゃん? 何か幻聴が聞こえたような気がするのですが、気のせいでしょうかね?」
「子ども扱い……じゃないみたいですね、今のは。お仕置きは勘弁してあげましょう。とりあえず幻聴ではありません。酒場に出没するカッツェンとやらに、寝台に引き摺り込まれたらどうするんですか、という話です」
「ないないない!」
あるわけない。
「草臥れた三十歳のおっさんだぞ?」
「まだそんなことを言っているんですか? 后子殿下の妖精じみた若さは、この際、脇に置いておきますが、僕はあなたも相当ですよと言いませんでした? 安心できる垂れ目の優しい童顔で、若い二枚目にしか見えません。相手は歳下の可愛い男を口説いているつもりなのかもしれないんですよ」
コイツは何語を喋っているんだ? 理解が追いつかない。エルの妖精っぷりは昨夜確認したばかりとして、俺に関するフレディの認識がとてつもなくおかしい。
「仔牛を担ぐ男が可愛いか?」
思わず首を捻った。
「上目遣いで小首を傾げないでください」
そんなことしてねぇ。お前がそんなに育つから、身長差のせいだ。
「シルヴィーはお人好しで涙もろくて世話焼きな、可愛いひとです」
……中身の話か。
だとしても断固否定する。
「そういうのは、す……」
好きなひとに言ってやれと口にしかけて、はたと気付く。コイツの好きなひとって俺だっけ?
「残念です。最後まで言ってくれたら唇を塞いだのに」
目の前の物憂げな美青年がうっすらと笑った。なんか、この場所、寒くないか?
「僕はあなたが好きです。お人好しで涙もろくて世話焼きで、義理堅くて一生懸命で……あぁ言葉が足りないです。とにかくこんなにも僕が愛しく思っているシルヴィーを、ほかの誰かが見初めたっておかしくはないでしょう? 八百屋のおじいさんや魚屋の旦那さんだって、お孫さんやお嬢さんの婿がねだって言っていたじゃないですか」
なんでコイツはこんな臆面もなく、草臥れた肉屋の倅を褒めちぎるかな!
カーッと頭に血が上った。
「もう黙れ! お前はいったい何をしに来たんだ⁉ 俺に恥ずかしい思いをさせるのが目的なら、帰れ!」
お帰りはあちらとばかりに、フレディの背中をぐいぐい押す……ちくしょう、びくともしやしねぇ。胸の筋肉は厚いと思っていたけど、背中も固いな!
「ふふふ」
くそ、笑ってんじゃねぇ。一周りも歳下のくせに、余裕ぶちかましてるんじゃねぇよ。
「カッツェンとやらは気持ち悪いのに、僕だと恥ずかしいんですね」
「黙れって言っただろう⁉」
そうだよ、俺がお前を好きかは別として、お前から言われるぶんには嫌じゃないんだよ! 対象が俺ってあたりで、フレディの審美眼と趣味の悪さにドン引きだけどな!
もう、訳が分かんねぇ。
「フレディ、頼むからゆっくりしてくれ。お前と出会った時には成人一歩手前だった俺は、たいして変化してないように思えるのかもしれない。けど俺から見たら、抱っこして歩いたこともある坊ちゃんが、いきなり知らない男になって帰ってきたんだよ」
だいたい三十歳にもなった俺にとってお付き合いは、どうしたって結婚を意識したものになるだろう。俺がどう思おうと、周りはそれを期待する。将来ある若者をそんなおっさんに縛り付けてたまるかってんだ。
「それは僕の誘惑が、浸透しつつあると思っていいんでしょうか?」
「よくない」
やや食い気味に否定する。
びくともしないので押すのを諦めると、フレディは軽やかに身体を反転して俺の頬を両手で包んだ。咄嗟に唇を手のひらで隠す。
「危機回避意識が高くて何よりです」
この余裕が憎たらしい。
「この危機回避意識をカッツェンにも持ち続けてくださいね。シルヴィーは一介の肉屋の若主人のおつもりでしょうが、后子殿下の幼馴染みで親友なんです。万が一、カッツェンがよくない輩だったとして、シルヴィーを足がかりに殿下を誘い出すつもりだったらどうします?」
…………マジか?
そりゃ国も動くわな。自分の后子を溺愛している王様が、その芽を潰さないはずがない。
「宰相府が動く理由は理解していただけました?」
コクコクと首を縦に振る。肉屋の倅には想像もつかない、高度に政治的な配慮が必要なんだなってのは理解した。
「理由を探して拒否してないで、全部宰相様にお任せしたほうがいいんだってのは分かった」
そして宰相様の采配で、コイツが情報収集に当たるんだろう。もしかしたら一緒にスニャータに留学していたアラン坊ちゃんも、一枚噛むのかもしれない。
「シルヴィーは広い視野を持っているので助かります」
あはは、どこぞの后子様は時々、妙に狭くなるからなぁ。
「ひとまず心当たりの豪商が三軒あります。早速スニャータの友人に手紙を出します。外務を通さずに、個人的なものとして友人にあたってみますから、カッツェンとはあまり接触しないでくださいね」
コクコクと何度も頷く。口を隠していた手を、頬を覆っていたフレディの手が、やんわりと押さえた。手首を柔らかく掴まれて広げられる。
「危機回避意識ですけど……僕には向けなくていいですから」
チュッ。
小さな音がした。
あ?
「ではジャネット姉さんにも話を聞いてきますね」
満面の笑みで踵を返したフレディは、颯爽とうちの居間を後にした。
茫然と後ろ姿を見送る……最近こんなんばっかりだ。
「業務中に何をやってやがる」
ぽつりと呟いた俺の声は、誰にも聞かれることはなかった……たぶん。
俺のどこがいいのかなんて、フレディ本人には聞かない。こっちが恥ずかしくなるようなことを、さんざっぱら並べ立てそうだ。しかも真顔でそれをやらかすだろう。つうか、いっぺんやられたから、もう二度とやらない。
いかんいかん、道をボケッと歩いていると、余計なことを考えてしまう。
近所のジジババ夫婦の家に肉を届けるついでに八百屋に寄って野菜を預かり、その代金を肉の代金と一緒に集金する。帰りにもう一度八百屋に寄ってお金を渡すと、じーちゃんは礼だと言って一番外側の葉が萎れたキャベツを寄越した。
一枚剥けば、綺麗なドレスが現れる。
……小っ恥ずかしいことを言ったぜ。
エルフィンが言っていたんだよ。キャベツ、レタス、白菜ってヒラヒラドレスのお姫様みたいだね、とかなんとか。その時は流石妖精なんて思った。それが強烈すぎる印象を残し、そのフレーズがふと脳裏に浮かぶ時がある。エルならぴったりな表現だけど、俺が言ったら引くだろ。
「――ありがとな、シルヴィー。俺も最近膝が痛くて、角のジジババんとこまで配達に行くと、時間がかかってしょうがねぇ」
「気にすんなよ、じーちゃん。どうせついでさ」
じゃあなと笑って八百屋を後にする。さっさと帰って店番を代わらねば。そろそろ姉ちゃんはあがりの時間だ。嫁に行った彼女は、子どもの食事を用意するために帰らなきゃならない。
心持ち歩く速度を早めた時、後ろから肩を掴まれた。不意打ちに心臓がビクッとなる。ビビリじゃないけど、誰だって突然後ろから来られたら驚くだろ。
「なんだよっ」
ちょっとささくれた気持ちで、肩にかかる手を払いながら振り向くと、カッツェンさんが両手を軽く万歳して一歩後ろに下がるところだった。
「シルヴェスタ君、怒った顔もするんだね」
当たり前じゃないか。
無言で背後から忍び寄るって、なんだよ。だいたい一言声をかければ済む話で、いちいち身体に触ることないだろう!
ジャネットの店では騒ぎを起こしたくないから我慢していたものの、コイツは肉屋の客じゃない。酒場でたまたま一緒になっただけの男と友誼を結んだつもりはなかった。
「今、仕事中なんで」
なるべくそっけなく言ってその場を去ろうとすると、また手首を掴まれる。
「じゃあ今夜、いつもの酒場に来てくれないか。最近会えなくて寂しいよ」
「もっぱら宅飲みなんで勘弁してください」
振り払おうとしているのに、離れない。意外と力が強いな。手首が痛い。フレディなら外れなくても痛くないように掴んでくるんだけどな。……って、今、フレディは関係ない。
「……手を離してくれませんかね?」
「約束してくれるまで離さないよ。だって君、逃げるだろう?」
「往来の真ん中で恥ずかしくないんですか? 見られてますよ」
金物屋のお喋り女将が、らんらんとした目でこっちを見ている。二刻も立たないうちに噂を聞きつけたジャネットが、肉屋に駆け込んでくるんだろうな。
「僕は恥ずかしくないね。なにしろ余所者だから、変な噂を撒き散らされても痛くも痒くもないんだ。むしろシルヴェスタ君のほうが困るんじゃない? これからもずっとこの街に住むんでしょう? だから早く、酒場で会うって約束したほうがいいよ。野次馬がどんどん増えているしね」
一見人好きのする笑顔でカッツェンさん……もう呼び捨てでいいや。カッツェンが言った。コイツ、この街に支店を出したいとか抜かしてやがったのに、悪い噂を気にしないのか。空き店舗を探す素振りも形だけだし、やっぱり仕事をする気はないな。
「約束だけして、俺が行かないってこともあるでしょう」
「だったらこれから、君の宅飲みにお付き合いしに行こうかな。そうしたら、手を離さずに済むね」
マジ無理。
「それとも僕が宿泊してる旅籠に行くかい? 寝酒用にいいのを何本か持ち込んでるから、屋台でつまめるものを買っていけばいいさ」
「私は仕事中だと言いましたよね。配達の帰りなんです。……これ以上は勘弁してください」
あー、殴りてぇ。人を殴ったことなんかないけど。仔牛は担ぐが、喧嘩はしたことないんだよ。腕力と暴力は別もんなんだよな。でも、心の底から殴りてぇ。
いい加減、手ェ離してくんないかな。待てよ、もうちょっと引き伸ばすか。
余所者は知らないかもしれないが、そろそろ騎士団の警邏の時間だ。巡回騎士の中には、名前は知らないけど顔馴染みが幾人かいる。
遠巻きに見ていた花屋の看板息子のセオと目が合う。俺はちょっとだけ頷いて合図を送った。アイツは俺も知っている警邏隊員と付き合っているから、呼んできてくれると助かる。
頼む通じてくれと念じていると、セオが頷いて駆け出した。よし、あとは時間稼ぎだ。
「失礼ですがカッツェンさん、私とあなたはさほど親しくない。ジャネットの酒場でたまたまかち合っただけの、全くの他人ですよね」
金物屋の女将に聞こえるように声を張り上げる。女将が僅かに目を見開いた。あの様子では、俺とカッツェンはそこそこ親しい仲だと思っていたのだろう。頼むから脳内の情報を修正しておいてくれ。
「そんな他人だなんて」
カッツェンは大袈裟に肩をすくめた。
「僕は君に一目惚れしたというのに」
ぶっ込んできたな!
女将さん、鼻を膨らませて興奮しているんじゃないの! コイツの言っていること、たぶん嘘っぱちだから‼ 立ち止まっている野次馬も、口笛なんか吹いてんじゃねぇよ。
打算に満ちた瞳は俺のことを好きだなんて、これっぽっちも思っちゃいない。せいぜい、いいカモだと考えている程度だ。
なんで分かるかって?
フレディの……アイツの瞳が熱いのを知っているからだよ。
フレディの本気を測り切れていなかったのに、カッツェンの胡散臭い告白を受けてその差に愕然とする。
それにしてもコイツ、なんで俺なんだ? やっぱりエル狙いか? エルはスニャータのローズマリー王妃とフェンネル騎士団長と親しいらしいから、そっちにも繋がるのか?
ぐるぐる考えていると、掴まれていた手首を引かれてバランスを崩す。反対の手で顎を捉えられて顔が近づく。
「ふざけんなッ!」
ゴスッ。
「いってーッ」
思わず声が出た。自分でやっといてなんだが、頭突きの衝撃が半端ない。カッツェンもうっと唸って手首を掴んでいた手を離し、たたらを踏んでいる。
「往来のど真ん中で、付き合ってもない男に口づけなんてされてたまるか! アンタなんか願い下げだ。一目惚れなんて抜かしてるが、こっちは一目ドン引きだよ‼ カウンターの下でベタベタ太もも触ってきやがって、そんな相手と一緒に酒場に行くわけないだろ⁉」
言ってやったーーッ!
変な高揚と謎の爽快感を覚えて、思わず腰に手を当て仁王立ちになる。野次馬が一斉に湧いて、あたりが喧騒に包まれた。
「シルヴィー、それは聞いていませんよ!」
人混みをかき分けてやってきた警邏隊の先頭に何故かフレディがいる。彼は背後から覆い被さるようにして俺をカッツェンから引き離した。
「なんでお前がいるんだ?」
「それ、今大事ですか?」
質問返しされる。
いや、純粋な疑問だろ。俺もお前も仕事をしている時間。こんな往来で会うことはないはず。
「アラン、そいつ捕縛して! シルヴィーの手首にアザが付いてる。傷害の現行犯だ」
え、アラン坊ちゃん⁉ ぬっと出てきた長身の若者は、フレディと再会した時とは比にならないほど、俺を驚愕させた。
「シルヴィーさん、久しぶりっす」
デカい……。岩だ……。アラン坊ちゃん、同じ年齢の子よりは発育がよかったけど、これはない。俺が子どもになったような気がする。
「騎士様、僕を捕縛するなら彼も同罪ですよ。頭突きされましたからね。ここにいる皆が見ています」
カッツェンは芝居がかった仕草で野次馬を煽った。彼らを味方につけるつもりなのか?
「どう見ても正当防衛だろう」
フレディが落ち着いて言い放つ。アラン坊ちゃんがあっという間にカッツェンを縛り上げて、一緒にやってきたセオの恋人に引き渡した。それでもカッツェンは、どこか余裕めいた微笑みを浮かべている。得体の知れない悪寒が背中を伝った。
「助かった。ありがとな」
なんとかフレディに礼を言ったものの、安心したら腰が抜ける。結局、彼に支えてもらって家に帰りつき、姉ちゃんに大爆笑されたのだった。
なんでフレディがあんなところにいたのかという理由は、俺に会いに来たんだって。これは真面目な話だ。
カッツェンが真っ黒だったって、知らせに来る途中だったらしい。アラン坊ちゃんが一緒だったのは、その情報が彼に届いたタレコミだったからだ。
フレディとアラン坊ちゃんはスニャータにいる共通の友人に連盟で手紙を書き、ついでにふたりを可愛がってくれたフェンネル王子にも手紙を書いたらしい。……お貴族様スゲェな。王子様に手紙を送るなんて、庶民には恐ろしくてできないぞ。
つうか、エル。大事にしないって言ったのは誰だ? スニャータの大使には問い合わせないって言ったじゃないか。飛び越えて直接王子様ってどういうことだ。
それで、だ。
半分フレディに抱えられるみたいに帰ってきた俺に驚いて、姉ちゃんは残業してくれることになった。姉ちゃんちの子どもたちには悪いが、腰が抜けてて店に立てない。爆笑されて、情けなくて涙と鼻水が出そうだ。泣かないけど。
フレディはいつもの居間で、事の経緯を掻い摘んで説明してくれた。
手紙を受け取った脳筋と名高い前王の第四王子は、可愛い弟子の力にはなってやりたいが、内容がいまいち理解できなくて、同母の妹、つまりローズマリー王妃にそれを読ませたらしい。
他国の王妃の手を煩わせる肉屋の倅……。恐れ多すぎて、平伏したくなった。
「王妃様は懇意にしている商会に、買い物ついでに探りを入れてくださったようです」
そうしたらライバル商会のよくない情報を嬉々として教えてくれたんだと。
スニャータで三番目に大きなクレシュ商会の四男がカッツェンという名で、謂わゆる放蕩息子だ。兄三人と弟は、父の手伝いで真面目に支店を切り盛りしていて、腹心の従業員の幾人かが店舗を任されてバリバリ収益を上げているらしい。
しかし、件の四男は、職業的なヒモだ。
自分探しとのたまって国内を放浪してみたり、役者になると言って劇団に入ったものの入団三日目に主役以外はやらないと言い放って追い出されたりと、かなりイタイ男だった。仕事もせずにフラフラしていて父親に勘当され、女性の家に転がり込んだのが最初。
その女性は身包み剥がすほど貢がせて捨てる。それから水商売の若い女性の間を転々とし、そのうち婚期を逃した裕福なおひとり様を男女問わず。相手の寂しさに付け込んで甘い言葉でたらし込み、やっぱり貯蓄を使い果たすほど貢がせた。
カッツェンのずる賢いところは、一度も『結婚』を口にしないことだ。それを言ってしまったら結婚詐欺になるのが分かっているのだろう。
恋人からの好意による贈り物を受け取ったが、交際を続けるうちに性格の不一致を感じてお別れした。倫理的に褒められたことではないとはいえ、犯罪ではない。かなりスレスレではあるが。
そんなふうにかなり手広くヒモをしていたが、やりすぎて国を出たらしい。
「……俺は婚期を逃したおひとり様か?」
ひとりで酒場で飲んでいる、寂しい三十路だと思われたわけだ。違わないがムカつくな。
「シルヴィーは婚期を逃してなんかいませんよ。僕が成人するのを、待っていてくれただけじゃないですか」
「お前な……」
物憂げに微笑んで俺を見るフレディが、突然色気をダダ漏れにした。
「こんな時になんだけどさ。お前の気持ちが思い込みや刷り込みじゃないって、理解したよ。……カッツェンの打算に満ちた『一目惚れ』なんて告白が、あんまりにも薄っぺらくて白々しくて、お前の真摯な気持ちが浮き彫りになった」
小さな頃から俺だけを見ていたフレディ。笑っちゃうが、小さな子の初恋は大抵后子様の絵姿だ。アラン坊ちゃんだってポーッとなっていたから、違いが分かりやすい。
「こういうの、怪我の功名って言うんですっけ?」
「学はお前のほうがあるだろう。俺に聞くな」
俺は街の学舎で読み書きを習った程度だ。
……駄目じゃん。
81
あなたにおすすめの小説
婚約破棄された令嬢が記憶を消され、それを望んだ王子は後悔することになりました
kieiku
恋愛
「では、記憶消去の魔法を執行します」
王子に婚約破棄された公爵令嬢は、王子妃教育の知識を消し去るため、10歳以降の記憶を奪われることになった。そして記憶を失い、退行した令嬢の言葉が王子を後悔に突き落とす。
三回目の人生も「君を愛することはない」と言われたので、今度は私も拒否します
冬野月子
恋愛
「君を愛することは、決してない」
結婚式を挙げたその夜、夫は私にそう告げた。
私には過去二回、別の人生を生きた記憶がある。
そうして毎回同じように言われてきた。
逃げた一回目、我慢した二回目。いずれも上手くいかなかった。
だから今回は。
夫が妹を第二夫人に迎えたので、英雄の妻の座を捨てます。
Nao*
恋愛
夫が英雄の称号を授かり、私は英雄の妻となった。
そして英雄は、何でも一つ願いを叶える事が出来る。
そんな夫が願ったのは、私の妹を第二夫人に迎えると言う信じられないものだった。
これまで夫の為に祈りを捧げて来たと言うのに、私は彼に手酷く裏切られたのだ──。
(1万字以上と少し長いので、短編集とは別にしてあります。)
夫から『お前を愛することはない』と言われたので、お返しついでに彼のお友達をお招きした結果。
古森真朝
ファンタジー
「クラリッサ・ベル・グレイヴィア伯爵令嬢、あらかじめ言っておく。
俺がお前を愛することは、この先決してない。期待など一切するな!」
新婚初日、花嫁に真っ向から言い放った新郎アドルフ。それに対して、クラリッサが返したのは――
※ぬるいですがホラー要素があります。苦手な方はご注意ください。
王子を身籠りました
青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。
王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。
再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。
もう一度君に会えたなら、愛してると言わせてくれるだろうか
まんまる
BL
王太子であるテオバルトは、婚約者の公爵家三男のリアンを蔑ろにして、男爵令嬢のミランジュと常に行動を共にしている。
そんな時、ミランジュがリアンの差し金で酷い目にあったと泣きついて来た。
テオバルトはリアンの弁解も聞かず、一方的に責めてしまう。
そしてその日の夜、テオバルトの元に訃報が届く。
大人になりきれない王太子テオバルト×無口で一途な公爵家三男リアン
ハッピーエンドかどうかは読んでからのお楽しみという事で。
テオバルドとリアンの息子の第一王子のお話を《もう一度君に会えたなら~2》として上げました。
※画像は男の子メーカーpicrewさんよりお借りしました。
【完結】皇太子の愛人が懐妊した事を、お妃様は結婚式の一週間後に知りました。皇太子様はお妃様を愛するつもりは無いようです。
五月ふう
恋愛
リックストン国皇太子ポール・リックストンの部屋。
「マティア。僕は一生、君を愛するつもりはない。」
今日は結婚式前夜。婚約者のポールの声が部屋に響き渡る。
「そう……。」
マティアは小さく笑みを浮かべ、ゆっくりとソファーに身を預けた。
明日、ポールの花嫁になるはずの彼女の名前はマティア・ドントール。ドントール国第一王女。21歳。
リッカルド国とドントール国の和平のために、マティアはこの国に嫁いできた。ポールとの結婚は政略的なもの。彼らの意志は一切介入していない。
「どんなことがあっても、僕は君を王妃とは認めない。」
ポールはマティアを憎しみを込めた目でマティアを見つめる。美しい黒髪に青い瞳。ドントール国の宝石と評されるマティア。
「私が……ずっと貴方を好きだったと知っても、妻として認めてくれないの……?」
「ちっ……」
ポールは顔をしかめて舌打ちをした。
「……だからどうした。幼いころのくだらない感情に……今更意味はない。」
ポールは険しい顔でマティアを睨みつける。銀色の髪に赤い瞳のポール。マティアにとってポールは大切な初恋の相手。
だが、ポールにはマティアを愛することはできない理由があった。
二人の結婚式が行われた一週間後、マティアは衝撃の事実を知ることになる。
「サラが懐妊したですって‥‥‥!?」
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。
このユーザをミュートしますか?
※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。