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天つ通い路
燻る思い出 Ⅰ
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抑圧され、囲われた生活が当たり前だった。
帝都の大学でも、自由ではあったのだが、屋敷に残してきた使用人がある種の人質のようなもので、機嫌を損ねないよう養父の意向に従い、機嫌を伺いながら過ごしていた。
戻れ、と言われて戻ってからは、元通りの生活。
季節の移ろいを見るにつけ、自分が取り残されていく心地に、もはや諦めていた。
それがある日突然、もう自由だ、と解き放たれた。
沙汰を待っていたというのに、突き放されたような心地だ。
お前はこうだから、こうしてほしい__そう言われるものだと思っていたのに。
__寧ろ、そのほうが楽だったのかもしれない。
受動的に過ごすことに慣れてしまっていた。
自分は、自分のことを選べなくなっていたのだ。
つくづく実感させられた。
__制約があるほうが、充実して過ごせていた感覚があるっていうのは、どうにも救いようがない気がする。
自由になったということだから遠乗りをしてもよいか、と翌日の昼にリュディガーへ問えば、快諾してもらえた。
彼が行動の範囲を宣告してきていたから、駄目元での要望だった。まさかここまであっさりと自分の意見を受け入れてもらえるとは思っても見なかったから、それなりに驚いた。
案内役と護衛にはリュディガー。アンブラがついてきているらしいが姿は見えず、彼の龍もまた、遥か高い上空を旋回するようにして追従しているらしいから、彼とふたりきりの状態である。
そんな彼は、得物を腰に佩いてはいるものの、甲冑も制服も纏っていない。悪目立ちすることを避けるためらしい。
こんな田舎で、見るからに龍騎士が馬に乗っていれば、それだけで確かに目立つに違いない。
気のむくまま、風の向くまま、ふらふら、と外を歩きまわってみたい、というそれだけの目的だから、目的地など当然ない。
あの屋敷に二度と来ないのであれば、一時でも封土として与えられた場所の景色を見ておいてもいいだろう、という動機だった。
__それに外へ出れば、何か思いつくかも知れないし……。
今後の身の振り方という目下の課題についてである。
外の空気の冷たさは、爽快感があって、頭が冴える心地がする。これだけでも出てきて正解だった、とマイャリスは思った。
無意識に、全景を見られたら、と思っていたのだろう、気がつけばなめらかな丘陵の、周辺一帯を一望できる場所に至っていた。
そこは、白い岩がごろごろとしたところ。
その中に、葉をすっかり落としてしまったぽつん、と立つ木を見つけ、マイャリスは馬を留めて佇む。
遠望を見るのは初めてだ。
街道沿いに、ぽつぽつ、とある家々。いくらかまとまってみえるそこは、村。あの道の先が、州都だ。
街道を手前に辿ってくれば、街道からはずれて丘の上に、自分とリュディガーが不本意な挙式を上げた教会も見える。
思わず、腹の前で右手を握りしめた。
「__イェソドは出るべきだと私は思う」
ここまで会話はほぼなかった。
それは、思案していると察してくれていた彼なりの思いやり。
「……ええ。そうするべきだとは私も思っているの」
苦笑を浮かべるマイャリスは、彼に振り返る。
やや後ろに佇む彼は、難しい顔をしていた。
彼の言う通り、留まるべきではないと認識している。
__となれば、土地勘があるのは帝都だけだものね……。州都以上によく知っている。だからといって、帝都へ行ってその後はどうするのかという、そこよね……。
それに、夢で見た。
望めば、天津御国へ引き上げる、と言われたこと。
__いっそ、引き上げてもらってしまったらいいのかしら。
幾度目かのため息が溢れた。
そこに、響き渡る鐘楼の鐘の音。
呼応するように景色の霞の彼方から、別の鐘の音が鳴った。
つられるようにして改めて景色を見、その中から鐘の音源をさぐった。
ここから馬で駆けても30分もかからないぐらいに離れたところ。街道がまとまって木々が生えた場所を貫いている。遠目にも手入れがされている印象がから、森というよりは林だろう。
それなりの規模の林の脇に、鐘を鳴らす鐘楼が見いだせた。
石垣に囲まれたそこは、野良仕事をしている者の装束から修道院だろうことはわかった。
風雨に晒された薄茶にくすんだ石造りの壁と、赤い屋根。
葺き替えられている部分もあるが、全体的に風化がすすんでいるように見受けられる。
その修道院を囲うのは、腰だめほどの高さの石垣。マイャリスが見つめる側は、修道院の裏側に当たるようで、石垣の内側には果樹園があるのが見えた。時期が時期なら、緑にあふれていただろう。
その修道院の全景をしばし眺めていると、何故か心がざわめいてきた。
__あれ、は……。
うっすら記憶のむこうに、似た建物がある。
記憶の中の構造が、今眺めている建物のそれと似ているのだ。
果樹園の周囲を改めて見る。
記憶の中の周囲の様子も、よく似ている。
石垣の脇の枝垂れた木を見つけ、マイャリスは、刹那の間に幼少期の記憶が鮮明に去来する。
「あそこ……」
間違いない。
__懐かしい……。
マイャリスは寄宿学校として世話になった修道院を眺めた。
「どうした?」
問われて、マイャリスは修道院を指さした。
「あそこ……私が入れられていた、寄宿学校です」
建物に視線を向けたまま、リュディガーに言う。
あの石垣の中でしか過ごしたことはなく、出たことはただの一度も__入学と退学のときを除き__勿論なかった。
あの石垣の中が世界の全てだったのだ、と改めて思う。
修道院の周りは木々が多く、てっきり周辺は皆そうなのだとおもっていた。これほど眺めがいい場所があって、しかもそこからこうして眺めることができていたとは知らなかった。
「あそこに、君がいた……」
「ええ。そう……。こんなところにあったの」
記憶の中のそれよりも、色があるように思う。
心象風景との差なのだろか。
「叱られてばかりだった。素行不良の娘ってことでしたから」
風がそよいで、石垣傍の木の枝__枝垂柳が目立って動いたから、マイャリスは視線をそちらへ移す。
記憶のそれより、さらに枝が伸びたようである。
「建物の裏手には、果樹園があって……。ほらあの、建物の手前側の石垣の内側。あの果樹園で食材を集めるのが仕事になっていた頃、やせ細った子が塀越しに見ていたことがあったの。私と同じぐらいで、茶色っぽい金色の髪と、目は青だったかしら……。私より、少し背が高かったように思うのだけれど……煤けて、泥まみれに汚れた子。たぶん、鉱山で働いていたのだと思うの」
どんどん蘇ってくるそのときの情景と、罪悪感。
「お腹が空いているのだと思って、こっそり果物だけでもあげたの。丁度色々実っていて、たくさんあったから。またあげられるから、来て……って。あの子、困っていたようだったから、そのとき、私さっさと建物に入って……あそこの窓見える?」
言って、果樹園の入り口脇にある窓を示す。
「あそこから、様子を伺っていたの。そしたら、暫くやっぱり悩んでいたんだけど、あの子、その場で食べないで持って帰ってしまったのよ。たぶん、家に家族がいるんだと思ったわ。大黒柱だったのかもしれないな、って思った」
「……そうか」
リュディガーの相槌に、マイャリスは彼を見る。
彼は、遠い瞳で枝垂れた木を見つめていた。
「毎日あげていた。……でも、しばらくしたら、大人に露見してしまって……とっても叱られたの。すごい剣幕で……。一番偉い人にね。__たぶん、それをあの子に見られていたのだと思う。その日は現れなくって……翌日、あの柳のところに置き手紙があったわ。もう来ない、と書いてあったの……。あぁ、嫌なものを見せてしまったなって、すごく申し訳ないことをしてしまったと思ったわ」
マイャリスははぁ、とため息を零して改めて柳を見る。柳の、あの子供がいつも立ち去っていく方向を。
「……ずっとつかえていることなの。たまに、夢でも見るぐらい。__あの子は、生きているのだろうか、と」
「__生きてるさ」
迷わずはっきり、と言うリュディガーに、マイャリスは小さく笑う。
「リュディガーは、優しいのね。そうね、生きていると思いたいわ……」
「そう信じてないのか?」
「そうであったらいい__前向きにそう思うことにはしているのよ。都合よく……」
最後は若干、吐き捨てるように言い、内心、自嘲する。
「その子供。__私だ」
__え……。
言ったのはリュディガーだ。
何故、彼がそんなことを言う。
何の冗談だ__否、そもそも、どういう意味だ。
怪訝に眉をひそめ、顔を彼に向けた。
帝都の大学でも、自由ではあったのだが、屋敷に残してきた使用人がある種の人質のようなもので、機嫌を損ねないよう養父の意向に従い、機嫌を伺いながら過ごしていた。
戻れ、と言われて戻ってからは、元通りの生活。
季節の移ろいを見るにつけ、自分が取り残されていく心地に、もはや諦めていた。
それがある日突然、もう自由だ、と解き放たれた。
沙汰を待っていたというのに、突き放されたような心地だ。
お前はこうだから、こうしてほしい__そう言われるものだと思っていたのに。
__寧ろ、そのほうが楽だったのかもしれない。
受動的に過ごすことに慣れてしまっていた。
自分は、自分のことを選べなくなっていたのだ。
つくづく実感させられた。
__制約があるほうが、充実して過ごせていた感覚があるっていうのは、どうにも救いようがない気がする。
自由になったということだから遠乗りをしてもよいか、と翌日の昼にリュディガーへ問えば、快諾してもらえた。
彼が行動の範囲を宣告してきていたから、駄目元での要望だった。まさかここまであっさりと自分の意見を受け入れてもらえるとは思っても見なかったから、それなりに驚いた。
案内役と護衛にはリュディガー。アンブラがついてきているらしいが姿は見えず、彼の龍もまた、遥か高い上空を旋回するようにして追従しているらしいから、彼とふたりきりの状態である。
そんな彼は、得物を腰に佩いてはいるものの、甲冑も制服も纏っていない。悪目立ちすることを避けるためらしい。
こんな田舎で、見るからに龍騎士が馬に乗っていれば、それだけで確かに目立つに違いない。
気のむくまま、風の向くまま、ふらふら、と外を歩きまわってみたい、というそれだけの目的だから、目的地など当然ない。
あの屋敷に二度と来ないのであれば、一時でも封土として与えられた場所の景色を見ておいてもいいだろう、という動機だった。
__それに外へ出れば、何か思いつくかも知れないし……。
今後の身の振り方という目下の課題についてである。
外の空気の冷たさは、爽快感があって、頭が冴える心地がする。これだけでも出てきて正解だった、とマイャリスは思った。
無意識に、全景を見られたら、と思っていたのだろう、気がつけばなめらかな丘陵の、周辺一帯を一望できる場所に至っていた。
そこは、白い岩がごろごろとしたところ。
その中に、葉をすっかり落としてしまったぽつん、と立つ木を見つけ、マイャリスは馬を留めて佇む。
遠望を見るのは初めてだ。
街道沿いに、ぽつぽつ、とある家々。いくらかまとまってみえるそこは、村。あの道の先が、州都だ。
街道を手前に辿ってくれば、街道からはずれて丘の上に、自分とリュディガーが不本意な挙式を上げた教会も見える。
思わず、腹の前で右手を握りしめた。
「__イェソドは出るべきだと私は思う」
ここまで会話はほぼなかった。
それは、思案していると察してくれていた彼なりの思いやり。
「……ええ。そうするべきだとは私も思っているの」
苦笑を浮かべるマイャリスは、彼に振り返る。
やや後ろに佇む彼は、難しい顔をしていた。
彼の言う通り、留まるべきではないと認識している。
__となれば、土地勘があるのは帝都だけだものね……。州都以上によく知っている。だからといって、帝都へ行ってその後はどうするのかという、そこよね……。
それに、夢で見た。
望めば、天津御国へ引き上げる、と言われたこと。
__いっそ、引き上げてもらってしまったらいいのかしら。
幾度目かのため息が溢れた。
そこに、響き渡る鐘楼の鐘の音。
呼応するように景色の霞の彼方から、別の鐘の音が鳴った。
つられるようにして改めて景色を見、その中から鐘の音源をさぐった。
ここから馬で駆けても30分もかからないぐらいに離れたところ。街道がまとまって木々が生えた場所を貫いている。遠目にも手入れがされている印象がから、森というよりは林だろう。
それなりの規模の林の脇に、鐘を鳴らす鐘楼が見いだせた。
石垣に囲まれたそこは、野良仕事をしている者の装束から修道院だろうことはわかった。
風雨に晒された薄茶にくすんだ石造りの壁と、赤い屋根。
葺き替えられている部分もあるが、全体的に風化がすすんでいるように見受けられる。
その修道院を囲うのは、腰だめほどの高さの石垣。マイャリスが見つめる側は、修道院の裏側に当たるようで、石垣の内側には果樹園があるのが見えた。時期が時期なら、緑にあふれていただろう。
その修道院の全景をしばし眺めていると、何故か心がざわめいてきた。
__あれ、は……。
うっすら記憶のむこうに、似た建物がある。
記憶の中の構造が、今眺めている建物のそれと似ているのだ。
果樹園の周囲を改めて見る。
記憶の中の周囲の様子も、よく似ている。
石垣の脇の枝垂れた木を見つけ、マイャリスは、刹那の間に幼少期の記憶が鮮明に去来する。
「あそこ……」
間違いない。
__懐かしい……。
マイャリスは寄宿学校として世話になった修道院を眺めた。
「どうした?」
問われて、マイャリスは修道院を指さした。
「あそこ……私が入れられていた、寄宿学校です」
建物に視線を向けたまま、リュディガーに言う。
あの石垣の中でしか過ごしたことはなく、出たことはただの一度も__入学と退学のときを除き__勿論なかった。
あの石垣の中が世界の全てだったのだ、と改めて思う。
修道院の周りは木々が多く、てっきり周辺は皆そうなのだとおもっていた。これほど眺めがいい場所があって、しかもそこからこうして眺めることができていたとは知らなかった。
「あそこに、君がいた……」
「ええ。そう……。こんなところにあったの」
記憶の中のそれよりも、色があるように思う。
心象風景との差なのだろか。
「叱られてばかりだった。素行不良の娘ってことでしたから」
風がそよいで、石垣傍の木の枝__枝垂柳が目立って動いたから、マイャリスは視線をそちらへ移す。
記憶のそれより、さらに枝が伸びたようである。
「建物の裏手には、果樹園があって……。ほらあの、建物の手前側の石垣の内側。あの果樹園で食材を集めるのが仕事になっていた頃、やせ細った子が塀越しに見ていたことがあったの。私と同じぐらいで、茶色っぽい金色の髪と、目は青だったかしら……。私より、少し背が高かったように思うのだけれど……煤けて、泥まみれに汚れた子。たぶん、鉱山で働いていたのだと思うの」
どんどん蘇ってくるそのときの情景と、罪悪感。
「お腹が空いているのだと思って、こっそり果物だけでもあげたの。丁度色々実っていて、たくさんあったから。またあげられるから、来て……って。あの子、困っていたようだったから、そのとき、私さっさと建物に入って……あそこの窓見える?」
言って、果樹園の入り口脇にある窓を示す。
「あそこから、様子を伺っていたの。そしたら、暫くやっぱり悩んでいたんだけど、あの子、その場で食べないで持って帰ってしまったのよ。たぶん、家に家族がいるんだと思ったわ。大黒柱だったのかもしれないな、って思った」
「……そうか」
リュディガーの相槌に、マイャリスは彼を見る。
彼は、遠い瞳で枝垂れた木を見つめていた。
「毎日あげていた。……でも、しばらくしたら、大人に露見してしまって……とっても叱られたの。すごい剣幕で……。一番偉い人にね。__たぶん、それをあの子に見られていたのだと思う。その日は現れなくって……翌日、あの柳のところに置き手紙があったわ。もう来ない、と書いてあったの……。あぁ、嫌なものを見せてしまったなって、すごく申し訳ないことをしてしまったと思ったわ」
マイャリスははぁ、とため息を零して改めて柳を見る。柳の、あの子供がいつも立ち去っていく方向を。
「……ずっとつかえていることなの。たまに、夢でも見るぐらい。__あの子は、生きているのだろうか、と」
「__生きてるさ」
迷わずはっきり、と言うリュディガーに、マイャリスは小さく笑う。
「リュディガーは、優しいのね。そうね、生きていると思いたいわ……」
「そう信じてないのか?」
「そうであったらいい__前向きにそう思うことにはしているのよ。都合よく……」
最後は若干、吐き捨てるように言い、内心、自嘲する。
「その子供。__私だ」
__え……。
言ったのはリュディガーだ。
何故、彼がそんなことを言う。
何の冗談だ__否、そもそも、どういう意味だ。
怪訝に眉をひそめ、顔を彼に向けた。
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