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大晦日 Ⅹ

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「__では、内覧といくか?」

「内覧?」

「勝手に見繕ったんだ。一応、君の所感を聞いておきたい」

 肩を竦めて冗談めかしていうリュディガーに、キルシェはくすり、と笑った。

 さて、とキルシェから、外套を奪うように取ったリュディガーは、その外套を手袋を持つ側の腕にかけ、周囲を改めて示す。

「まぁ、見た通り、ここは南向きの部屋で、居間と__台所だな」

 言って彼が示した先には扉も仕切りもないが、奥まった空間があって、そこはどうやら台所らしかった。

 リュディガーと彼の父がかつて借りていた部屋も、居間と続き間のような台所だった。キルシェの知る限り、これが一般的で、居間の暖炉を炊事場に使う場合もある。

「水は、共同の水場から汲んでくるのね?」

「そうなるな。私がするから、しないでくれよ」

 キルシェに釘を差すように行って、リュディガーは次へと促すので素直に従う。

 廊下へ出、扉1つぶんずれたところの向かい側に扉があり、彼はそれを開けた。

 ぎぃ、と蝶番の音がよく響くのは、何もない空間だからだ。

「ここは、貯蔵と物置に」

 これまたがらんどうの、小窓があるだけの部屋。一人用の寝台が一台おけるぐらいの広さで、備え付けの棚板が壁の一部に渡されている。

 __ここが一杯になることなんてあるのかしらね……。

 それほど、自分の私物も彼の私物も少ない。

 これから増えていくのは違いないだろうが、これが一杯になる前に、彼の下賜された封土と屋敷へ移ってしまうのではないか。

 __あぁ……そうだわ。あちらの屋敷のことも考えないとならない、のよね……おそらく。

 どれほどの調度品があるのかさえ知らない屋敷。

 場所でさえ、詳しく知らないのだ。

 __呆れてしまうわ……。

 それこそ大事なことではないか。

 __布支度なんて言ってた私は、浅はかだわ……。

 それよりも優先すべきは山積している。

 リュディガーが独断で決めてしまってもいいだろうが、それをしないのが彼の主義なのだろう。

 __いえ……リュディガーはそういう人だわ……。

 以前、彼のもとへ嫁がされたとき、すべて彼が整えてくれていたから、今回もそうなのだろう、と勝手に思い込んでいた。

 我ながら改めて至らなさを悔いて、内心ため息を零していれば、彼は物置とした部屋の扉から、扉2つ分置いた並びにある扉を開ける。

「ここは、ご不浄と浴室だ」

 床と壁がタイル貼りの部屋。

 タイルは明るい青緑で、物置の窓よりも縦に長い、等間隔に並んだ窓から入る光を反射して、物置よりも遥かに明るい。

「浴室だが、水は下の共同の水場から運ばなければならないから__」

「では、洗濯をする部屋とご不浄ですね」

「ああ。公衆浴場が近所にある」

 公衆浴場は、帝都の一般家庭ではよく利用される。

 蓬莱の文化が根付いている帝国では、公衆浴場は帝都が出来上がる頃から馴染みがある文化だ。

 キルシェには、父親の方針で軟禁生活だったから馴染みがなかったものの、大学の浴場が公衆浴場に近いのだろうと、学友らの話から察していた。

 更に廊下の奥の部屋__居間の並びにあたる部屋。

 その部屋は、居間よりもやや狭い。

「ここは東向きの部屋で、寝室にするつもりだ」

「そう」

 硝子が嵌められた扉を隔てて、露台がある事に気づき、キルシェは吸い寄せられるようにそちらへ歩み寄る。

 そして、露台への扉を開けて外へ出た。

 真下はさきほど歩いてきた道だ。

 道を挟んで建物があるが、向かいは三階建で、しかもほぼ正面に道があるから視界は開け、開放感がある。

 よくよく注意してみれば、建物の合間にビルネンベルクの帝都の屋敷の屋根がちらり、と見えた。

 ビルネンベルクの屋敷は、こうしてみるとわかりやすい。

 中央のしべを車軸に見立て、八つの花弁が車輪のように四方へ向けて配された紋の旗が、帝国の国旗とともに屋根に掲げられ棚引いているのだ。

 その紋は、八つ矢車菊紋と呼ばれるビルネンベルクの紋である。

「確かに、近いのね」

「スープの冷めない距離__とはいかないが、冷め切らない距離にはなるか……。そのぐらいの」

 彼の表現はまさしく、という距離に見える。

「ここのことは、先生は……」

「今日話すつもりでいた。それもあって、君には確認しておきたかったんだ」

「そうだったの……」

 __私にその気がないのなら、引き払うから、話すこともなかったということよね……。

 キルシェは、申し訳無さから、小さくため息を零した。

 白い息を見送って、気を取り直してから室内へと戻り、硝子戸を締める。

「朝は清々しいでしょうね、ここ」

「ああ、そう思って」

 ふふ、とキルシェは笑った。

 居間ほどではないが、寝るためにするにはいくらか広い気がする。

 __衣装箪笥を置いても……。あれ?
 
 キルシェはふと気になって、廊下へと出、確認する。

 他に扉__残る部屋がない。

 この寝室と、居間と、浴室と物置の扉があるだけだ。

「__どうした?」

 怪訝にしたリュディガーが、扉の枠に手を置いて頭上から問うてきた。

「リュディガー、他に部屋は?」

「ないな」

「……他に寝室は……ない?」

「ああ、そうだが?」

「ぇ……」

「え?」

 キルシェは、背後のリュディガーの向こうに広がる寝室になる部屋を見る。

 寝台を1つと衣装箪笥1つを置くだけでは、広い印象を覚える部屋。

「あぁ……なるほど」

 リュディガーはひとりごちて納得する声を漏らした。

「確かに、あの婚姻での屋敷では、寝室は別だったな。主寝室とは名ばかりの」

 そう。

 リュディガーは私室にある寝台で寝ていて、自分だけ主寝室。

 形骸化した婚姻関係で、婚姻してそれが無効になるまで白い結婚だった。

「そもそも、ここを借りたとき、屋敷を下賜されるなんて思ってもみなかった。だから、ここに住むのは、夫婦になってからで……」

 腰に手を回しながら抱き寄せて密着するリュディガーに、キルシェは身を弾ませた。

「__一部屋でいいだろう、と」

 その声音が妙に色っぽく、含みを持たせて囁き、加えて腰に回された手が、腰のくびれの輪郭をなぞるものだから、キルシェの心臓は早鐘を打つ。

 __つまりは……ここで、一緒に寝る……。

 否、正しくは、寝ることになったかも___だが。

 ここでなくとも、今後、婚姻を結んだら、今度こそ、夫婦らしく寝所は一緒になる。

 今のように彼の腕に抱かれ、甘やかな香りと温もりに包まれながら。

 しかし、果たして自分は、今こうされているだけでも中々に苦しいのに、彼と褥をともにして生きていられるのだろうか__。

 いつぞや見かけた、半裸のリュディガーの姿。

 療養中の彼が、検診で典医に診せた際にたまたま遭遇したその姿が、鮮明に蘇る。

 ただでさえ上背がある彼の、普段の穏やかな彼とは違って武人らしい筋骨隆々とした体躯。その背には、龍帝従騎士団の証である鷲獅子の紋が彫られていて、雄々しさとともに荒々しくも目に焼き付いている。

 __あれが、覆いかぶさってくる……の。

「キルシェ?」

 ごくり、と思わず生唾を飲んでいれば、名を呼ばれて弾かれるように我に返る。

「きょ、今日みたいに揉めたりしたら……」

 結婚しても、そうしたことは起こるだろう。

 現に、仮初めの夫婦となったときも、ぶつかりあった事があるのだ。

「そうしたら、私が居間で寝るさ。居づらいというのなら、君はビルネンベルクの屋敷へ行けば良い」

「えぇぇ……」

 ビルネンベルクならば、いくらでも居ていい、と言いそうだが、しばらくそれをからかわれそうではある。

「もう一室、というのであれば、越せばいい__とりあえず、ここにしたんだ。だから、色々話し合わねばならない、と言った意味がわかったか?」

「本当に……その通りね……」

 火照った頬を抑えつつ、キルシェは落ち着こうと深呼吸を繰り返した。

 それを直ぐ側で見守るリュディガーは、くつくつ、と笑う。

 キルシェはリュディガーを振り仰ぐ。

「__封土のこと、聞かせて? お屋敷のことも」

 無論、と応じるリュディガーは、いつになく穏やかな眼差しで、数瞬見つめ合った後、当然のように彼は口づけた。

 そういえば、抱擁だけでなく口づけも、いつぶりのことだったのだろう__。
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