薄幸系オメガ君、夜の蝶になる

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26 羽黒様も、実は

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 ルームの奥のシートには、驚いて目を見開いている羽黒。彼はいつものように持参した手土産をテーブルに置き、一息ついたところだった。
 毎回恒例になっているこの手土産、実は羽黒の秘書が手配している。羽黒から聞いた蛍の嗜好や、秘書自身が流行りをリサーチした中から羽黒に数点を提案し、了承が降りたら、それを運転手に指示。時には最初から羽黒の希望で指示がされる場合もあるが、どうにしても羽黒の退勤前には用意されているのだった。その内容は、有名パティスリーの菓子だったり、話題のブーランジェリーのクロワッサンやブリオッシュやサンドウィッチの三段ボックスだったり、老舗和菓子店の和菓子詰め合わせだったり、毎回多種多様だ。
 
 まあ、それはともかくとして。

 仕事を終えて手土産持参で来店し、シートに腰を下ろして蛍を待っていたら、想定より早く蛍がドアを開けた。しかも挨拶もそこそこに、

「同伴してください!」
 
とまずまずの音量で叫ばれた。これには羽黒もびっくり。

「あ、うん、いいけど…」

 と反射で答えてしまった。反射というのは、別に羽黒が普段からイエスマンという訳ではなく、蛍の顔を見るとオートマでYESが発動するようになっているというだけである。なので羽黒が蛍に言われた事の意味を理解したのは、いいけどと答えてから数秒後の事だった。

「…同伴?」

「ほんとですか?!やったあ!!」

 首を傾げる羽黒と、VIPルームを入ってすぐのところで飛び上がって喜ぶ蛍。何をしてあげても喜ぶ蛍だが、ここまで喜ぶのは初めてだなと羽黒は目を緩ませた。

(同伴か)

 蛍と、同伴。同伴においてのルールは店によって様々だが、『nobilis』の場合、出勤時間から最大2時間程度までなら店入りの遅れを許容される。とはいえ、本当に2時間も遅く入るキャストは居らず、大概1時間遅れくらいでの入店が多い。2時間も遅らせてしまうと、いくら同伴客を連れて来たとしても予告無く来店する指名客や他の客が拾えなくなるからだ。通常、キャストは複数の指名卓を掛け持ちしてなんぼなので、勤務時間が短くなるのはその分リスクなのである。 
 その辺りのキャスト側の事情はさておき。とにかくここで重要なのは、同伴になると店に遅れる正当な理由が出来るという事だ。意外と思われるだろうが、羽黒はあちこちの店を利用してきてそれなりに遊び慣れてはいるものの、指名キャストを作らなかった為、一度も同伴というものをした事が無かった。そのシステムに興味も無かった。
 しかし、蛍ととなれば話は別だ。蛍さえ良いというのなら、仕事の終業時間をどれだけ調整してでも、連れて行ってやりたい店はたくさんある。買い物に連れて行くのも良い。蛍はそう何かを欲しがる素振りは無いが、百貨店でも連れ歩けば必要な物くらいは出てくるだろう。父親の残した服を私服にしていると言っていたから、服や靴を買ったり、専門店で作らせるのも良いかもしれない。食べるものだって、いつものような配達ではなく、店で出来たてをその場で思う存分食べさせてやりたい。『羽黒様、これめちゃくちゃおいしいです~』と言う時の蛍の顔は、羽黒の中ではいくら積んでも惜しくないプライスレスの笑顔である。
 しかし、羽黒はここでふと思った。何故いきなり同伴なんて言い出したのだろうかと。今まで同伴のどの字も言われた事がなかったし、そもそも『nobilis』では同伴自体に積極的ではないと、以前キャストの誰かに聞いた事もある。となると、店にせっつかれたという訳ではない筈だが、蛍は何故急にそんな事を?

(誰かに何か言われたのか?)

 自分が蛍を指名で呼び始めた事で一部キャストの間でゴチャゴチャしたのを思い出し、一瞬気色ばむ羽黒。しかしすぐにスッと穏やかな表情に戻す。これは本人にズバリと、しかし何気無く聞くべきだろうと判断。隣に座り、鼻歌を口ずさみながらグラスに氷を入れ始めた蛍に問いかけてみた。

「でもまた急に同伴だなんて、どうしたの?」

「え?」

「あ、いやね。僕は嬉しいけど、ほたる君は同伴とかには興味が無いと思ってたから」

 笑顔のままキョトンと羽黒の顔を見る蛍に、羽黒は少し慌てて言葉を付け足した。ズバリ過ぎて嫌がっていると思われるかもしれないと思ったからだったのだが、蛍はあっさり答える。

「う~ん…はい、確かにさっきまでは無かったです。店長にも、お客様に店外で会うのはリスクもあるし自己責任になるから、別にしてもしなくてもいいっても言われましたし…」

「あ、そうなんだね」

 してもしなくてもいいとな。林店長のとぼけた表情が脳裏をよぎる。やはり『nobilis』はそういうスタンスの店だった。羽黒の記憶に間違いは無かったらしい。しかしそれなら、余計に蛍が同伴に興味を持った理由がわからない。
 首を傾げかけた羽黒に、蛍は続けた。

「でも、林店長が羽黒様は安心だろうって。俺もそう思いますし!」

それを聞いて『林店長グッジョブ』と密かに右拳をぐっと握る羽黒。ところが次に耳に入って来た言葉に、羽黒の時が止まった。

「だから俺、羽黒様とスタバ行ってみたくて!!」

「…スタバ?」

「スタバ!!俺、行った事なくて!結構高いって聞いてます!羽黒様はお金持ちだし、よく行かれるんじゃないですか?」

「えーっと…」

 歯切れの悪い返事をする羽黒。
 実は羽黒も、名前だけは知っているものの、セレブ過ぎるという、蛍とは逆の意味でスタバ未経験だった。


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