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第五章 幸せの刻限
43 父の思惑【1】
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「で? なんだって組に出戻ってきた? 離縁か?」
「違います! どうしてそれが一言目……?」
憮然として言うみゆきに、組長はニカっと笑いかけた。
相変わらず粋でいなせで威勢がよくて、どこか油断のならない初老の男だ。
死神と貴明の約束まで、あと十日。
みゆきと組長は、改めて組の客間で向かい合っている。
組長は客用茶碗で茶をすすり、わずかな間でしっとりと艶を帯びた娘を眺めた。
「てめえが遠慮しないよう、これでも気を遣った結果だぜ。一番言いにくそうなことを、先に言ってやったまでよ」
「だから、違います! 私は貴明さんをお慕い申しておりますし、貴明さんにも、たいへん、ものすごく、大事にしていただいていますので」
みゆきが力を込めて言うと、組長は顎のごましお無精髭をぞろりと手のひらで撫でる。
「おっ、言うねえ。じゃあ、なんだってそんな覚悟をした目をしてやがる?」
「それは……」
一瞬、見間違いでしょうとかなんとか、適当なことを言ってごまかそうかと思った。
が、無駄だ。
気付けば組長の目はらんらんと輝いて、みゆきのすべてを見逃すまいとしている。
こうされると否応なしに、父がどんな男だったかを思い出す。
この激動の時代を侠気ひとつで生き抜いてきた極道だ。弱き者を助けるのが仕事だと言って胸を張ってはいるが、その裏にどれだけ後ろ暗いところがあるのか、みゆきも知らぬ歳ではない。
暴力。損得勘定。思い切り。
連続する修羅場の中で、その三つを研ぎ澄ませて生きてきたのが、この男だ。
そういう人間は、他人の心をよく見抜く。
特に、おびえや緊張を。
(私ごときが下手にごまかそうとしても、無駄だわ)
いかに門前の小僧だったとはいえ、みゆきは箱入り娘だ。
切った張ったのやりとりで父に勝てるわけもない。
みゆきはすぐにごまかしを諦めると、畳をいざって後ろへ下がり、座布団の外に出た。
そのまま畳に指を突き、姿勢正しく頭を下げる。
「――さすがはお父様。お察しのとおりです。本日、みゆきはお父様にお願いがあって参りました」
「改まりやがって、水くせえ。まあまあ、まずはなんでも言ってみな」
父の声は妙に明るいが、やはり底にはどろりとした闇が沈んでいた。
常人ならひるむところだが、みゆきは頭を下げたまま、一気に願いを言う。
「離れをもう一度、貸してはくださいませんか。ほんの少しの間で構いません。私をひとりにしていただけませんでしょうか」
「ダメだな」
「お父様?」
慌てて顔を上げると、父親はがりがりと頭を掻いている。
「離れを貸すくらい大したこたぁねえが、ひとりになるため、って理由じゃ貸せねえよ。うっかり首でもくくられちゃあたまんねえ」
「あ……なるほど、そんなご心配をかけていたのですね」
思わず納得してしまい、みゆきは思案を巡らせた。一体どこまで説明したものか。
「ええと、首をくくらないとはお約束します。ただ、家では貴明さんがずっと一緒で、っひとりになれなくて。今日も、実家に戻ると言って、やっと自由にしていただいたのです。お父さまは笑うかもしれませんが……これは、貴明さんの、命に関わることで」
「だろうなあ。ひとの命くらいはかかってるって顔だぜ」
「……お父様。とっぴな話をしても、笑いませんか?」
みゆきが心を決めて顔を上げると、組長はその視線をどっしりと受け止めた。
浅くうなずき、無言でみゆきの言葉の続きを待つ。
みゆきは静かに息を吸い、告げた。
「死神から、貴明さんを取り戻さねばなりません」
「あん?」
組長の返事は生返事だが、ここで退いてなるものか。
退いて得るものは何もないのだ、とばかりに、みゆきはまくしたてた。
「おふざけだと思われても仕方ありません。でも、私は見たのです。貴明さんにまとわりついている死神を。私にちょっかいをかけてきたこともあります。貴明さんは北方で一度亡くなり、死神に余命をもらったのだとか。それが本当なら、あの方の寿命はあと十日」
話しながらも突飛な話だと思う。いっそすべてが作り話だったらよかったのに、とすら思う。だが、嘘だと思うには、これまでの経験が邪魔をする。
みゆきはぎゅうっと両手で拳を握り、押し殺した声で続ける。
「私は……どうにかして、貴明さんに長く生きてもらいたい。だから、死神と交渉をしたいのです。貴明さんが帝都に帰ってきて以降、死神は私がひとりのときばかりを狙って姿を現します。
貴明さんは私が死神に何かされるのを恐れて守ってくださいますが、私は、自分の身などどうなっても構わない。それより、死神と会って、貴明さんの寿命を延ばしてくれるよう頼みたい……」
「……ふうん」
ひととおり聞き終えた組長は、難しい顔で何度か自分の顔を撫でる。
みゆきは、ぐっと奥歯を噛んでから聞いた。
「やはり、信じてはいただけませんか」
「いや。やっと来たか、と思ってる」
「やっと……? え?」
みゆきは驚きに目を見開く。
「違います! どうしてそれが一言目……?」
憮然として言うみゆきに、組長はニカっと笑いかけた。
相変わらず粋でいなせで威勢がよくて、どこか油断のならない初老の男だ。
死神と貴明の約束まで、あと十日。
みゆきと組長は、改めて組の客間で向かい合っている。
組長は客用茶碗で茶をすすり、わずかな間でしっとりと艶を帯びた娘を眺めた。
「てめえが遠慮しないよう、これでも気を遣った結果だぜ。一番言いにくそうなことを、先に言ってやったまでよ」
「だから、違います! 私は貴明さんをお慕い申しておりますし、貴明さんにも、たいへん、ものすごく、大事にしていただいていますので」
みゆきが力を込めて言うと、組長は顎のごましお無精髭をぞろりと手のひらで撫でる。
「おっ、言うねえ。じゃあ、なんだってそんな覚悟をした目をしてやがる?」
「それは……」
一瞬、見間違いでしょうとかなんとか、適当なことを言ってごまかそうかと思った。
が、無駄だ。
気付けば組長の目はらんらんと輝いて、みゆきのすべてを見逃すまいとしている。
こうされると否応なしに、父がどんな男だったかを思い出す。
この激動の時代を侠気ひとつで生き抜いてきた極道だ。弱き者を助けるのが仕事だと言って胸を張ってはいるが、その裏にどれだけ後ろ暗いところがあるのか、みゆきも知らぬ歳ではない。
暴力。損得勘定。思い切り。
連続する修羅場の中で、その三つを研ぎ澄ませて生きてきたのが、この男だ。
そういう人間は、他人の心をよく見抜く。
特に、おびえや緊張を。
(私ごときが下手にごまかそうとしても、無駄だわ)
いかに門前の小僧だったとはいえ、みゆきは箱入り娘だ。
切った張ったのやりとりで父に勝てるわけもない。
みゆきはすぐにごまかしを諦めると、畳をいざって後ろへ下がり、座布団の外に出た。
そのまま畳に指を突き、姿勢正しく頭を下げる。
「――さすがはお父様。お察しのとおりです。本日、みゆきはお父様にお願いがあって参りました」
「改まりやがって、水くせえ。まあまあ、まずはなんでも言ってみな」
父の声は妙に明るいが、やはり底にはどろりとした闇が沈んでいた。
常人ならひるむところだが、みゆきは頭を下げたまま、一気に願いを言う。
「離れをもう一度、貸してはくださいませんか。ほんの少しの間で構いません。私をひとりにしていただけませんでしょうか」
「ダメだな」
「お父様?」
慌てて顔を上げると、父親はがりがりと頭を掻いている。
「離れを貸すくらい大したこたぁねえが、ひとりになるため、って理由じゃ貸せねえよ。うっかり首でもくくられちゃあたまんねえ」
「あ……なるほど、そんなご心配をかけていたのですね」
思わず納得してしまい、みゆきは思案を巡らせた。一体どこまで説明したものか。
「ええと、首をくくらないとはお約束します。ただ、家では貴明さんがずっと一緒で、っひとりになれなくて。今日も、実家に戻ると言って、やっと自由にしていただいたのです。お父さまは笑うかもしれませんが……これは、貴明さんの、命に関わることで」
「だろうなあ。ひとの命くらいはかかってるって顔だぜ」
「……お父様。とっぴな話をしても、笑いませんか?」
みゆきが心を決めて顔を上げると、組長はその視線をどっしりと受け止めた。
浅くうなずき、無言でみゆきの言葉の続きを待つ。
みゆきは静かに息を吸い、告げた。
「死神から、貴明さんを取り戻さねばなりません」
「あん?」
組長の返事は生返事だが、ここで退いてなるものか。
退いて得るものは何もないのだ、とばかりに、みゆきはまくしたてた。
「おふざけだと思われても仕方ありません。でも、私は見たのです。貴明さんにまとわりついている死神を。私にちょっかいをかけてきたこともあります。貴明さんは北方で一度亡くなり、死神に余命をもらったのだとか。それが本当なら、あの方の寿命はあと十日」
話しながらも突飛な話だと思う。いっそすべてが作り話だったらよかったのに、とすら思う。だが、嘘だと思うには、これまでの経験が邪魔をする。
みゆきはぎゅうっと両手で拳を握り、押し殺した声で続ける。
「私は……どうにかして、貴明さんに長く生きてもらいたい。だから、死神と交渉をしたいのです。貴明さんが帝都に帰ってきて以降、死神は私がひとりのときばかりを狙って姿を現します。
貴明さんは私が死神に何かされるのを恐れて守ってくださいますが、私は、自分の身などどうなっても構わない。それより、死神と会って、貴明さんの寿命を延ばしてくれるよう頼みたい……」
「……ふうん」
ひととおり聞き終えた組長は、難しい顔で何度か自分の顔を撫でる。
みゆきは、ぐっと奥歯を噛んでから聞いた。
「やはり、信じてはいただけませんか」
「いや。やっと来たか、と思ってる」
「やっと……? え?」
みゆきは驚きに目を見開く。
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