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恋人編
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フローレンス様の言葉が効いているのか、さすがに伯爵家に入っては来れないようで、ここ数日はアリス嬢の訪れに悩まされることもなく、穏やかな日が続いていた。
(彼女が思い詰めて変なこと仕出かさなければいいんだけど…)
今日は、先日フローレンス様から話のあった『勉強の好きな親戚の子』がやってくる日だ。
フローレンス様は匂いに敏感になってしまったので、きつい匂いを嗅ぐと気分が悪くなるようだけれど、基本的には元気だと聞いている。先日のお茶会の時にはたまたまフレーバーティーを選んでしまったので、気分が悪くなってしまったそうだ。
だから、お腹が大きくなって身動きがとりにくくなる前に、まずは顔合わせをということで、早急に場が整えられた。
伯爵家には子供はいないが、代々受け継がれてきたこの家には子供部屋がある。
フローレンス様が身ごもっている以上、遅かれ早かれ使用することになるということで、勉強にはその子供部屋を使用することになった。
これまでミシェルの勉強時間にあてていた時間に教えることになるので、ミシェルも一緒に学べるようにとミシェルにも子供部屋の使用許可が出た。正直ありがたいが、仕事としてお給金も発生するので少し後ろめたい気もする。いや、別に手を抜く気はないんだけども。
ミシェルと手をつなぎ、子供部屋へと向かう。
パステルカラーの柔らかな色合いで整えられた部屋に、真新しい、木でできた白色の家具が置かれていた。大人用の机と椅子は私が座る用だろう。そして、子供たちが座る用の背の低い机と椅子が2組、私の机に向かい合うように用意されていた。席数はずいぶん少ないが学校の教室のようだ。
急なことなのに、さすが伯爵家の使用人。手際がいいものだ。
「わぁ!ミシェのつくえといす!もうひとつはだれの?」
今まで、ダイニングテーブルで勉強していたので専用の机が珍しいようで、ミシェルが喜んで机の周りをぐるぐる回る。
「この子のものよ」
入り口から柔らかな声がかかった。フローレンス様がもう一人の生徒を連れてきてくれたようだ。
フローレンス様の後ろに、フローレンス様と同じ色合いの頭がちょこんと見える。ずいぶん恥ずかしがりな子なのだろうか?
「初めまして、オリビアです。この子はミシェル、一緒に勉強させてくださいね」
「こんにちは、ミシェユ、5しゃいです。よろしくおねがいしましゅ」
ミシェルも私の隣に立ち一生懸命挨拶する。
相変わらず発音が怪しいところがあるが……頑張れミシェル!
棚から牡丹餅的な展開ではあるが、これからのミシェルの教育のことを考えても、子供同士で会話する機会が増えるのはいいことだと思う。これまでミシェルの周りには同じ年ごろの子供はいなかった。私たちだとどうしても評価が甘くなりがちだが、同性代の子と接することで切磋琢磨できるだろう。
小さな子供の声が聞こえたので、気になったのだろう、ちらりと顔がのぞいた。
そっとフローレンス様に背を押され、おずおずと出てくる。
「初めまして、フレイヤと申します。7歳です。オリビア先生よろしくお願いします」
フレイヤは、三つ編みにした白銀の髪を揺らし、ぺこりとお辞儀をした。
大きな丸メガネの後ろに、こぼれそうな菫色の瞳が見える。地味な装いだが、大変可愛らしい子だった。フローレンス様はその様子を微笑ましそうに見た後、私へと視線を移した。
「ビアちゃん、今日はどんなお勉強をするの?」
「そうですね。初日なので、主にはフレイヤ様の勉強の進度確認とこれから何を勉強したいかを知るための場にしたくて」
「あらぁ、ずいぶん難しそうね。じゃぁ、私は一度失礼して2時間後にまた来るわ。お勉強の後に、お茶をしましょう」
「でも、お体に負担ではないですか?」
「いいのよー。少しは動かないと出産のときに体力がなくて駄目なんですって。それに、フレイヤを御見送りしないといけないし…」
朗らかにそう笑うので、私もつられて笑う。
フローレンス様が退出し、二人を促し席に着いた。
「それでは、ミシェルはいつも通り課題をやってください。フレイヤ様はお家でどこまで習ったのかを知りたいので、まずはテストをします」
「はーい」
「はい」
少し緊張して畏まった二人に少しおかしくなりながら、それぞれに課題を渡した。
集中力の切れてきた二人は、今カードで遊んでいる。
伏せた状態でよく混ぜ、重ならないように全部床に広げたものを、交互にひっくり返して絵柄が合えば取れる、という遊びに夢中だ。
私はその隙にフレイヤ様の解いた答案の丸付けを行っていた。
ペンを置いてうーんと唸る。
(すごいわ、この子)
今回のテストは、読み書き計算の基礎と応用、そして、自分の思考を言葉にして記述するというもの。正直、半分解ければいい方だと思って準備したものだ。
それらがすべて満点だった。
(この子に学ばせないなんてもったいない。…というか、私では荷が重いのでは?アルフレッドに頼んだ方が良いんじゃ…)
ふと、視線を感じた。
顔を上げると、フレイヤ様がこちらを見ている。
「何か分からないことがありましたか?」
「……オリビア先生が、難しい顔をしていたから」
不安そうな顔をしているフレイヤ様に近づく。
そして目線を合わせるように床に膝をついた。
「フレイヤ様は基礎的な学問はしっかり修められていらっしゃいますね。あなたは、これから何を学びたいですか?」
「……植物について」
フレイヤ様は少し考えるようなそぶりを見せて、ポツリと呟いた。
その言葉に少し驚く。
「どうして、植物について学びたいのですか?」
「荒れた土地で育つ作物や、今のものよりもより丈夫な植物、薬になるような植物…そういったものを学ぶことは、国の役に立つわ」
「それは素晴らしいことですね。では、逆に苦手な分野はありますか?」
「……人とお話しすること」
「それは、克服したいことですか?」
フレイヤ様はぎゅっと手を握り、こくりと頷く。
「分かりました。私は植物については、専門外です。なので、そこまで深く教えられることはないでしょう。一般教養の範囲内ですね。ですが、将来国の役に立つためには人とコミュニケーションをとることは必要不可欠な要素となります。ですから、私は修辞法や論文の書き方をお教えしましょう。学んだことを人に伝える時に必要な技術になります」
フレイヤ様はぱぁっと顔を輝かせた。
(あら、可愛い)
「……植物についても、どなたか専門の方に指導を頼めたらいいんですけど」
フレイヤ様の可愛さに何でもしてあげたいような気持になって、そう呟くと、フレイヤ様はふるふると首を振った。
「いいのです。オリビア先生に教えてもらいます」
(かわ……!)
そのキラキラとした目に見つめられ、可愛さに悶えていると、部屋をノックする音がした。
「お勉強はどうかしら?お茶の準備ができましたよ」
どうやら、もう2時間たったらしい。フローレンス様が呼びに来てくださったようだ。
ミシェルとフローレンス様を促し、隣の部屋へと向かう。
「わぁ!おかし!!」
ミシェルが目をキラキラとさせる。
「こら、ミシェル。淑女は、お菓子に飛びついてはだめよ。ほら、きちんと席について」
「はーい!」
「うふふ、ミシェルちゃん、今日のおやつはフィナンシェよ。食べたことある?」
「ないー!」
「こら、敬語」
「ないですー」
興奮頻りのミシェルをなだめるのに奔走していると、フローレンス様がフレイヤ様に問いかけた。
「フレイヤちゃん、今日の授業はどうだった?」
いきなりの質問にギクッとする。
どうかな、初日からつまずいてないといいんだけど…。
ハラハラとフレイヤ様の方を見ていると、フレイヤ様ははんなり笑って答えた。
「楽しかった」
(はーーー!よかった!!!)
「あら、よかったわね」
フレイヤ様はこくりと頷く。
「どんなところがよかったの?」
「……オリビア先生は、これ以上学ばなくていいとおっしゃらなかったから」
その言葉にはっとした。同時に、先程不安そうに見ていたのはそのせいだったのかと納得する。確かに、あれ程出来れば、貴族の子女としてはもう学ぶことなどないと言われかねない。特に、ご両親が必要以上に学問を納めることに反対だと、そう言われるだろう。
私にも覚えのある感覚に少し心を痛める。それでも、彼女の心を守れたことにほっとする。
フローレンス様は優しく笑って、そう、と呟いた。
「ビアちゃんにお願いしてよかったわね」
フレイヤ様はまた、こくりと頷いた。
(彼女が思い詰めて変なこと仕出かさなければいいんだけど…)
今日は、先日フローレンス様から話のあった『勉強の好きな親戚の子』がやってくる日だ。
フローレンス様は匂いに敏感になってしまったので、きつい匂いを嗅ぐと気分が悪くなるようだけれど、基本的には元気だと聞いている。先日のお茶会の時にはたまたまフレーバーティーを選んでしまったので、気分が悪くなってしまったそうだ。
だから、お腹が大きくなって身動きがとりにくくなる前に、まずは顔合わせをということで、早急に場が整えられた。
伯爵家には子供はいないが、代々受け継がれてきたこの家には子供部屋がある。
フローレンス様が身ごもっている以上、遅かれ早かれ使用することになるということで、勉強にはその子供部屋を使用することになった。
これまでミシェルの勉強時間にあてていた時間に教えることになるので、ミシェルも一緒に学べるようにとミシェルにも子供部屋の使用許可が出た。正直ありがたいが、仕事としてお給金も発生するので少し後ろめたい気もする。いや、別に手を抜く気はないんだけども。
ミシェルと手をつなぎ、子供部屋へと向かう。
パステルカラーの柔らかな色合いで整えられた部屋に、真新しい、木でできた白色の家具が置かれていた。大人用の机と椅子は私が座る用だろう。そして、子供たちが座る用の背の低い机と椅子が2組、私の机に向かい合うように用意されていた。席数はずいぶん少ないが学校の教室のようだ。
急なことなのに、さすが伯爵家の使用人。手際がいいものだ。
「わぁ!ミシェのつくえといす!もうひとつはだれの?」
今まで、ダイニングテーブルで勉強していたので専用の机が珍しいようで、ミシェルが喜んで机の周りをぐるぐる回る。
「この子のものよ」
入り口から柔らかな声がかかった。フローレンス様がもう一人の生徒を連れてきてくれたようだ。
フローレンス様の後ろに、フローレンス様と同じ色合いの頭がちょこんと見える。ずいぶん恥ずかしがりな子なのだろうか?
「初めまして、オリビアです。この子はミシェル、一緒に勉強させてくださいね」
「こんにちは、ミシェユ、5しゃいです。よろしくおねがいしましゅ」
ミシェルも私の隣に立ち一生懸命挨拶する。
相変わらず発音が怪しいところがあるが……頑張れミシェル!
棚から牡丹餅的な展開ではあるが、これからのミシェルの教育のことを考えても、子供同士で会話する機会が増えるのはいいことだと思う。これまでミシェルの周りには同じ年ごろの子供はいなかった。私たちだとどうしても評価が甘くなりがちだが、同性代の子と接することで切磋琢磨できるだろう。
小さな子供の声が聞こえたので、気になったのだろう、ちらりと顔がのぞいた。
そっとフローレンス様に背を押され、おずおずと出てくる。
「初めまして、フレイヤと申します。7歳です。オリビア先生よろしくお願いします」
フレイヤは、三つ編みにした白銀の髪を揺らし、ぺこりとお辞儀をした。
大きな丸メガネの後ろに、こぼれそうな菫色の瞳が見える。地味な装いだが、大変可愛らしい子だった。フローレンス様はその様子を微笑ましそうに見た後、私へと視線を移した。
「ビアちゃん、今日はどんなお勉強をするの?」
「そうですね。初日なので、主にはフレイヤ様の勉強の進度確認とこれから何を勉強したいかを知るための場にしたくて」
「あらぁ、ずいぶん難しそうね。じゃぁ、私は一度失礼して2時間後にまた来るわ。お勉強の後に、お茶をしましょう」
「でも、お体に負担ではないですか?」
「いいのよー。少しは動かないと出産のときに体力がなくて駄目なんですって。それに、フレイヤを御見送りしないといけないし…」
朗らかにそう笑うので、私もつられて笑う。
フローレンス様が退出し、二人を促し席に着いた。
「それでは、ミシェルはいつも通り課題をやってください。フレイヤ様はお家でどこまで習ったのかを知りたいので、まずはテストをします」
「はーい」
「はい」
少し緊張して畏まった二人に少しおかしくなりながら、それぞれに課題を渡した。
集中力の切れてきた二人は、今カードで遊んでいる。
伏せた状態でよく混ぜ、重ならないように全部床に広げたものを、交互にひっくり返して絵柄が合えば取れる、という遊びに夢中だ。
私はその隙にフレイヤ様の解いた答案の丸付けを行っていた。
ペンを置いてうーんと唸る。
(すごいわ、この子)
今回のテストは、読み書き計算の基礎と応用、そして、自分の思考を言葉にして記述するというもの。正直、半分解ければいい方だと思って準備したものだ。
それらがすべて満点だった。
(この子に学ばせないなんてもったいない。…というか、私では荷が重いのでは?アルフレッドに頼んだ方が良いんじゃ…)
ふと、視線を感じた。
顔を上げると、フレイヤ様がこちらを見ている。
「何か分からないことがありましたか?」
「……オリビア先生が、難しい顔をしていたから」
不安そうな顔をしているフレイヤ様に近づく。
そして目線を合わせるように床に膝をついた。
「フレイヤ様は基礎的な学問はしっかり修められていらっしゃいますね。あなたは、これから何を学びたいですか?」
「……植物について」
フレイヤ様は少し考えるようなそぶりを見せて、ポツリと呟いた。
その言葉に少し驚く。
「どうして、植物について学びたいのですか?」
「荒れた土地で育つ作物や、今のものよりもより丈夫な植物、薬になるような植物…そういったものを学ぶことは、国の役に立つわ」
「それは素晴らしいことですね。では、逆に苦手な分野はありますか?」
「……人とお話しすること」
「それは、克服したいことですか?」
フレイヤ様はぎゅっと手を握り、こくりと頷く。
「分かりました。私は植物については、専門外です。なので、そこまで深く教えられることはないでしょう。一般教養の範囲内ですね。ですが、将来国の役に立つためには人とコミュニケーションをとることは必要不可欠な要素となります。ですから、私は修辞法や論文の書き方をお教えしましょう。学んだことを人に伝える時に必要な技術になります」
フレイヤ様はぱぁっと顔を輝かせた。
(あら、可愛い)
「……植物についても、どなたか専門の方に指導を頼めたらいいんですけど」
フレイヤ様の可愛さに何でもしてあげたいような気持になって、そう呟くと、フレイヤ様はふるふると首を振った。
「いいのです。オリビア先生に教えてもらいます」
(かわ……!)
そのキラキラとした目に見つめられ、可愛さに悶えていると、部屋をノックする音がした。
「お勉強はどうかしら?お茶の準備ができましたよ」
どうやら、もう2時間たったらしい。フローレンス様が呼びに来てくださったようだ。
ミシェルとフローレンス様を促し、隣の部屋へと向かう。
「わぁ!おかし!!」
ミシェルが目をキラキラとさせる。
「こら、ミシェル。淑女は、お菓子に飛びついてはだめよ。ほら、きちんと席について」
「はーい!」
「うふふ、ミシェルちゃん、今日のおやつはフィナンシェよ。食べたことある?」
「ないー!」
「こら、敬語」
「ないですー」
興奮頻りのミシェルをなだめるのに奔走していると、フローレンス様がフレイヤ様に問いかけた。
「フレイヤちゃん、今日の授業はどうだった?」
いきなりの質問にギクッとする。
どうかな、初日からつまずいてないといいんだけど…。
ハラハラとフレイヤ様の方を見ていると、フレイヤ様ははんなり笑って答えた。
「楽しかった」
(はーーー!よかった!!!)
「あら、よかったわね」
フレイヤ様はこくりと頷く。
「どんなところがよかったの?」
「……オリビア先生は、これ以上学ばなくていいとおっしゃらなかったから」
その言葉にはっとした。同時に、先程不安そうに見ていたのはそのせいだったのかと納得する。確かに、あれ程出来れば、貴族の子女としてはもう学ぶことなどないと言われかねない。特に、ご両親が必要以上に学問を納めることに反対だと、そう言われるだろう。
私にも覚えのある感覚に少し心を痛める。それでも、彼女の心を守れたことにほっとする。
フローレンス様は優しく笑って、そう、と呟いた。
「ビアちゃんにお願いしてよかったわね」
フレイヤ様はまた、こくりと頷いた。
応援ありがとうございます!
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