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第五章 Side A
閑話 ザイフリート中将の独白
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ガブリエル・ザイフリートはヒューゲンの武門であるザイフリート伯爵家の長男として生を受けた。父はヒューゲン海軍で大将をしており、その血を受け継いで、ガブリエルもがっしりとした体つきをしていた。
一方、顔は美貌の母親に似た甘いマスクで社交界では令嬢たちに大人気の令息であった。そんな彼はすでにいい年ではあるのだが、まだ未婚なのだ。
彼にもかつて婚約者がいたが、成婚前に病に倒れ、帰らぬ人となってしまった。それからガブリエルは独身を貫いている。
別に、婚約者が忘れられないわけではない。むしろ病弱な婚約者に留守がちな自分の代わりに伯爵家を守ってもらうことは気が引けて、亡くなった時は不謹慎にも苦労をかけずにすんでよかったとまで思った。
女性に騒がれ続け、訓練所にまで毎日押しかけられているガブリエルとしては、軍は男の世界であり、そこに厚かましくもやってくる女たちは嫌悪の対象でもあったのだ。
守ってやるのだから女は家で大人しくしていろと思う反面、弱弱しすぎるのも嫌だ、という、要は彼の我儘な好みの問題で未婚なのである。
ガブリエル・ザイフリートは25歳にして自分の好みの女もわからない初心な男だったのだ。
ヒューゲンの国防が窮地に立たされたのは去年のことだ。ヒューゲンの東の隣国に北東の大国・ポートレット帝国が攻めてきたのだ。同盟国であったヒューゲンは騎士団を派遣してなんとかその侵攻をくい止めたが、敵はそこまで迫っているのだ。
海から攻められる可能性もある。海では長年、最強の海軍を有するブルテンとポートレット帝国が一歩も引かない攻防戦を繰り広げていたが、ついにその年に海馬部隊が敗戦するという事態が発生し、ブルテンは猛将であったアーチボルト大将を失った。
海から敵がくる可能性が高まったのだ。
その年のブルテンとエスパルの連合軍は新大将の指揮のもと、なんとかポートレット帝国をしりぞけた。新大将はガブリエルと同年代であるはずだが、大した働きだ。
「我がヒューゲンもエスパルとブルテンの同盟に参加することとなった。しいては、海軍を率いて戦線に合流してくれ。」
国王陛下から指示があったのは冬のことだ。
ヒューゲン軍の代表は父である大将に代わり、ガブリエルが務めることとなった。異国語を使いこなせるという点からもガブリエルが適任だ。父はエスパル語が話せないから。
そうして対面したブルテン軍の対象は真っ赤な髪をした長身の賢そうな男だった。前アーチボルト大将が筋骨隆々としたたくましい男であったので、少し拍子抜けする思いだ。
そして、驚いたことに、彼は会議の場に妹を連れてきていた。
ブルテンやエスパルにヒューゲンではありえない女性兵がいることは知っていたが、まさか重役会議に出てくるほど女性兵が重用されているとは思いもしなかった。
彼女はエリザベス・アーチボルトと名乗り、すらりとした体つきで美しい茶髪をポニーテールにした綺麗な女性だった。年は20歳前後といったところだ。
剣を下げているが、本当に使えるのだろうか。グラナドス大将には”アーチボルトの隠し刀”などと呼ばれていたが、そんなことがありえるのだろうか。
そして迎えた初戦、彼女が最初に登場したのは通信の魔道具から響く声だった。
『通信の魔道具の指示を敵兵が傍受しているのではないかと考えています。』
上官の言葉をエスパル語に訳しただけなのだろうが、まるで彼女の意見であるかのように聞こえた。そして、声を聴いただけで彼女だとわかってしまったことにもむっとした。
「盗聴だなんて、不可能だ。ルクレツェン魔法大国の技術が帝国に流出したということになる。」
『他に原因もあるかもしれませんが、魔道具の通信内容が漏れている可能性がある以上、対策を講じるべきです。どうやら敵国はエスパル語に精通していない様子。連絡が必要な場合はエスパル語で連絡を取り合いましょう。それでも連絡は最小限にするべきです。』
ヒューゲン軍では通信の魔道具を使わなければ連携がとれない。魔道具の使用をやめた二か国が盛り返したのに対して、ヒューゲン軍はどんどん帝国軍に対して劣勢に追い込まれていき、ブルテン軍から援軍をもらうこととなってしまった。
実は、ヒューゲンではあわよくば今回の海戦でブルテンとエスパルに通信の魔道具を売りつけたいという思惑があったのだが、これでは買われることはなさそうだ。
そして、次に会ったのはまさかのヒューゲン軍の軍船の上だ。
「ザイフリート少将にアーチボルト大将より伝令です!」
知らない男に抱えられて飛んできた彼女にぎょっとした。第一線の船にいるはずではなかったのか?
「右手から来る敵船は先日、ブルテンの司令船を襲ったものと同じであると思われます。正体はルクレツェン魔法大国製の魔道具で、軍船の数倍の速さで運行可能な超快速船です。
周囲では風魔法による防御盾が形成され、砲弾をはじき返す場合があります。」
「魔道具だと?いや、ありえない。ルクレツェンの魔道具は我がヒューゲンに優先的に取引されている。そんな魔道具は聞いたことがない。」
「では、ルクレツェン製ではないのかもしれませんが、実際にそのような魔道具なのです。現状、考えられる対策としては、長距離砲で真正面かつ近距離から攻撃することです。
おそらくあの船たちはまっすぐにここを狙ってくると思います。」
「なぜこの船の位置がわかるんだ?」
「おそらく、先日の通信の魔道具のやりとりを傍受してこちらの位置を割り出したのではないかと思います。」
「いや、ありえない。ルクレツェンは鎖国国家で我が国以外とは交易をしていないんだぞ?」
「今はそれどころではないのです、ザイフリート中将。」
向きになって食い下がるガブリエルに年下の女性がなだめるように言い聞かせる。その態度にいらっとしたが確かに急いで対策を取らねばならないのだ。
そして、彼女の指示が的確であり、確実に敵の勢いをそぐものであることは認めざるをえなかった。
しかし結局、ヒューゲン軍は大事な本船に敵軍の上陸を許してしまった。腕に覚えのあるガブリエルでも厳しい量の兵がなだれ込んでいる。
彼女はどうなった?女のくせに海にでるからこんなことになるんだ!
周りにまで気を配る余裕のないガブリエルが内心悪態をついているときに、背後にいた兵がやられた。まずい、と思ったのもつかの間、誰かが背後の敵兵を倒したのを感じた。
ちらりと視線をやったガブリエルは目を見張る。
そこに立っていたのは彼女だった。
「女!?何で戦場に***女!?」
動揺する帝国軍をいなしながら彼女はガブリエルのために逃げ道を作ろうとしていた。彼女の剣技は本物で、女というハンデを乗り越えるための過去の努力が良くわかるものだった。
ガブリエルをかばった拍子に隙ができた彼女は帝国兵に腹を蹴とばされ、剣を手放して船のへりへと全身をしたたかに打ち付けてうずくまってしまった。
「女のくせに****惨たらしく殺してやる!!!」
帝国兵はうずくまった彼女の髪をつかんで顔を覗き込むと、げへへと嫌らしく笑った。
「まずは***綺麗な顔**切り刻んでやる!楽しく遊んで****皮を***!」
ガブリエルは退路を進んでいるところだったが、助けなければと体が動いた。彼女の顔に刃が近づいていく。
「やめろ!!」
その瞬間突風がおこり、ガブリエルは後方に飛ばされる。肉の切れる音が響き、目を開けるとそこには帝国軍の死体と真っ赤な血に汚れた白髪の男が立っていた。
突然のことに何が起きたのかと、戦闘が止まった。
男は虚ろな目でこちらを見ると、手をあげて何かをした。兵たちの叫び声と海に落ちる音から敵船と本船のあいだにかかっていた梯子が落ちたのだろう。
男はよろよろと彼女に近づくと首元に手をやって安心したように息を吐いた。そしてぎろりとこちらを睨む。
「後はお前の軍でなんとかしろよ。」
男は流ちょうなヒューゲン語でそう言うと、ガブリエルの制止も聞かずに彼女を抱えて飛び立っていった。
一方、顔は美貌の母親に似た甘いマスクで社交界では令嬢たちに大人気の令息であった。そんな彼はすでにいい年ではあるのだが、まだ未婚なのだ。
彼にもかつて婚約者がいたが、成婚前に病に倒れ、帰らぬ人となってしまった。それからガブリエルは独身を貫いている。
別に、婚約者が忘れられないわけではない。むしろ病弱な婚約者に留守がちな自分の代わりに伯爵家を守ってもらうことは気が引けて、亡くなった時は不謹慎にも苦労をかけずにすんでよかったとまで思った。
女性に騒がれ続け、訓練所にまで毎日押しかけられているガブリエルとしては、軍は男の世界であり、そこに厚かましくもやってくる女たちは嫌悪の対象でもあったのだ。
守ってやるのだから女は家で大人しくしていろと思う反面、弱弱しすぎるのも嫌だ、という、要は彼の我儘な好みの問題で未婚なのである。
ガブリエル・ザイフリートは25歳にして自分の好みの女もわからない初心な男だったのだ。
ヒューゲンの国防が窮地に立たされたのは去年のことだ。ヒューゲンの東の隣国に北東の大国・ポートレット帝国が攻めてきたのだ。同盟国であったヒューゲンは騎士団を派遣してなんとかその侵攻をくい止めたが、敵はそこまで迫っているのだ。
海から攻められる可能性もある。海では長年、最強の海軍を有するブルテンとポートレット帝国が一歩も引かない攻防戦を繰り広げていたが、ついにその年に海馬部隊が敗戦するという事態が発生し、ブルテンは猛将であったアーチボルト大将を失った。
海から敵がくる可能性が高まったのだ。
その年のブルテンとエスパルの連合軍は新大将の指揮のもと、なんとかポートレット帝国をしりぞけた。新大将はガブリエルと同年代であるはずだが、大した働きだ。
「我がヒューゲンもエスパルとブルテンの同盟に参加することとなった。しいては、海軍を率いて戦線に合流してくれ。」
国王陛下から指示があったのは冬のことだ。
ヒューゲン軍の代表は父である大将に代わり、ガブリエルが務めることとなった。異国語を使いこなせるという点からもガブリエルが適任だ。父はエスパル語が話せないから。
そうして対面したブルテン軍の対象は真っ赤な髪をした長身の賢そうな男だった。前アーチボルト大将が筋骨隆々としたたくましい男であったので、少し拍子抜けする思いだ。
そして、驚いたことに、彼は会議の場に妹を連れてきていた。
ブルテンやエスパルにヒューゲンではありえない女性兵がいることは知っていたが、まさか重役会議に出てくるほど女性兵が重用されているとは思いもしなかった。
彼女はエリザベス・アーチボルトと名乗り、すらりとした体つきで美しい茶髪をポニーテールにした綺麗な女性だった。年は20歳前後といったところだ。
剣を下げているが、本当に使えるのだろうか。グラナドス大将には”アーチボルトの隠し刀”などと呼ばれていたが、そんなことがありえるのだろうか。
そして迎えた初戦、彼女が最初に登場したのは通信の魔道具から響く声だった。
『通信の魔道具の指示を敵兵が傍受しているのではないかと考えています。』
上官の言葉をエスパル語に訳しただけなのだろうが、まるで彼女の意見であるかのように聞こえた。そして、声を聴いただけで彼女だとわかってしまったことにもむっとした。
「盗聴だなんて、不可能だ。ルクレツェン魔法大国の技術が帝国に流出したということになる。」
『他に原因もあるかもしれませんが、魔道具の通信内容が漏れている可能性がある以上、対策を講じるべきです。どうやら敵国はエスパル語に精通していない様子。連絡が必要な場合はエスパル語で連絡を取り合いましょう。それでも連絡は最小限にするべきです。』
ヒューゲン軍では通信の魔道具を使わなければ連携がとれない。魔道具の使用をやめた二か国が盛り返したのに対して、ヒューゲン軍はどんどん帝国軍に対して劣勢に追い込まれていき、ブルテン軍から援軍をもらうこととなってしまった。
実は、ヒューゲンではあわよくば今回の海戦でブルテンとエスパルに通信の魔道具を売りつけたいという思惑があったのだが、これでは買われることはなさそうだ。
そして、次に会ったのはまさかのヒューゲン軍の軍船の上だ。
「ザイフリート少将にアーチボルト大将より伝令です!」
知らない男に抱えられて飛んできた彼女にぎょっとした。第一線の船にいるはずではなかったのか?
「右手から来る敵船は先日、ブルテンの司令船を襲ったものと同じであると思われます。正体はルクレツェン魔法大国製の魔道具で、軍船の数倍の速さで運行可能な超快速船です。
周囲では風魔法による防御盾が形成され、砲弾をはじき返す場合があります。」
「魔道具だと?いや、ありえない。ルクレツェンの魔道具は我がヒューゲンに優先的に取引されている。そんな魔道具は聞いたことがない。」
「では、ルクレツェン製ではないのかもしれませんが、実際にそのような魔道具なのです。現状、考えられる対策としては、長距離砲で真正面かつ近距離から攻撃することです。
おそらくあの船たちはまっすぐにここを狙ってくると思います。」
「なぜこの船の位置がわかるんだ?」
「おそらく、先日の通信の魔道具のやりとりを傍受してこちらの位置を割り出したのではないかと思います。」
「いや、ありえない。ルクレツェンは鎖国国家で我が国以外とは交易をしていないんだぞ?」
「今はそれどころではないのです、ザイフリート中将。」
向きになって食い下がるガブリエルに年下の女性がなだめるように言い聞かせる。その態度にいらっとしたが確かに急いで対策を取らねばならないのだ。
そして、彼女の指示が的確であり、確実に敵の勢いをそぐものであることは認めざるをえなかった。
しかし結局、ヒューゲン軍は大事な本船に敵軍の上陸を許してしまった。腕に覚えのあるガブリエルでも厳しい量の兵がなだれ込んでいる。
彼女はどうなった?女のくせに海にでるからこんなことになるんだ!
周りにまで気を配る余裕のないガブリエルが内心悪態をついているときに、背後にいた兵がやられた。まずい、と思ったのもつかの間、誰かが背後の敵兵を倒したのを感じた。
ちらりと視線をやったガブリエルは目を見張る。
そこに立っていたのは彼女だった。
「女!?何で戦場に***女!?」
動揺する帝国軍をいなしながら彼女はガブリエルのために逃げ道を作ろうとしていた。彼女の剣技は本物で、女というハンデを乗り越えるための過去の努力が良くわかるものだった。
ガブリエルをかばった拍子に隙ができた彼女は帝国兵に腹を蹴とばされ、剣を手放して船のへりへと全身をしたたかに打ち付けてうずくまってしまった。
「女のくせに****惨たらしく殺してやる!!!」
帝国兵はうずくまった彼女の髪をつかんで顔を覗き込むと、げへへと嫌らしく笑った。
「まずは***綺麗な顔**切り刻んでやる!楽しく遊んで****皮を***!」
ガブリエルは退路を進んでいるところだったが、助けなければと体が動いた。彼女の顔に刃が近づいていく。
「やめろ!!」
その瞬間突風がおこり、ガブリエルは後方に飛ばされる。肉の切れる音が響き、目を開けるとそこには帝国軍の死体と真っ赤な血に汚れた白髪の男が立っていた。
突然のことに何が起きたのかと、戦闘が止まった。
男は虚ろな目でこちらを見ると、手をあげて何かをした。兵たちの叫び声と海に落ちる音から敵船と本船のあいだにかかっていた梯子が落ちたのだろう。
男はよろよろと彼女に近づくと首元に手をやって安心したように息を吐いた。そしてぎろりとこちらを睨む。
「後はお前の軍でなんとかしろよ。」
男は流ちょうなヒューゲン語でそう言うと、ガブリエルの制止も聞かずに彼女を抱えて飛び立っていった。
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