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第5章 学園編、試験に夏休み。夏休み前半戦
調香、自分だけの香りってこそばゆい
しおりを挟む「……この香りが、好きです。」
ソバルトさんに提示されて、俺が6種類の中から選んだ香りは、ベルガモットという柑橘類の香りだった。フレッシュで瑞々しい香りに、ほんのり苦みを感じさせる香りだ。
「畏まりました。……では、調香の準備をさせて頂きます。」
選定した香り以外の小瓶を、他の店員さんに片付けさせたソバルトさんは、部屋にある戸棚からいくつかの別の小瓶を取り出した。色とりどりの液体が入った小瓶を、一つ一つ丁寧に横一列で並べる。
最後に空の小瓶を1つだけ、列を外して中央にコトンッと置いた。
白い手袋を恭しくつけて、金の持ち手がついた杖をどこからともなく手に持つ。準備が出来たとばかりに、穏やかな口調でソバルトさんが告げる。
「……それでは、先ほど選んで頂いたものを主軸に、ヒズミ様をイメージした香りを調香致します。」
ソバルトさんが、右手でそっと木の杖も持ち上げた。小さく勢いをつけると、軽やかに杖で小瓶の口を打ち付ける。
静寂な部屋にガラスが奏でるキーンッ、と涼し気な音色が響いた。
「っ!」
打ち付けられた小瓶の口から、香玉となった水の球体が、ぽわりと独りでに生み出されて宙へと浮く。きっと、水魔法の応用だろう。
ソバルトさんは小気味よく、次々と小さな小瓶を杖で打ち鳴らした。数回打ち付ける瓶もあれば、ちょんっとほんの少し触る程度に鳴らすものまで。
打ち付ける度に、大小さまざまな香玉が生み出され、陽の光を反射しながら、ゆらゆらと宙へ浮く。
ソバルトさんは両手を広げる。頭上に大きな水球を1つ作り出すと、そこに香玉を集め出した。透明な水の中に、色とりどりの大きさも違う香玉が集まっていく。
とぷんっと水音がして、香玉が透明な球へと入り込んだ。
「……すごいな……。こうやって作るのか」
日本では見ることなど決してなかった、ファンタジックな光景に目が釘付けだ。香水を作るときって、スポイトで液体を吸い上げて混ぜ合わせるという、比較的シンプルな作業だったはず。
魔法を駆使して香りを混ぜ合わせていくなんて、さすがは魔法の世界。
「……私も、調香の過程を見るのが好きなんだ。ヒズミのおかげで久々に見れるよ」
隣に座るエストも、水球が織りなす美しい光景に言葉を零した。
色とりどりの香玉が、水球の中でパシャッ、パシャッ!と花火のように弾けた。線状の水飛沫が、キラキラと透明な球に溶けてゆく。
香玉が弾ける度に、水球はうっすらと色を変えていった。
色の変化が止まったのを見計らい、ソバルトさんが中央に置いた空の小瓶を、カキンッと杖で打ち付ける。それに合わせ、頭上の水球の形が崩れてい、瓶の中へ水がスゥーと注がれていった。
頭上の水球が消えた頃には、空の小瓶の半分ほどが深い青色で満たされていた。そっと、ソバルトさんがガラスの蓋で栓をする。
ソバルトさんは、ほうっと、どこか満足げに息を吐いて手を下げた。
「……私のインスピレーションが刺激された、とても興味深い配合となりました。」
そう言って艶のあるテーブルの上に、柔らかなベルベットのクッションに乗せられた小瓶を俺に差し出す。蓋を開けるように促されて開けると、ふわっと周囲に香りが広がった。
作られた香りは、柑橘系にの瑞々しさに、スゥーと突き抜けるようなカルダモンの爽快感、最後にふんわりと少しだけ甘くスズランの香り。
清々しいのに、最後に包み込ような甘さが残り香になる、落ち着いた香りだった。鼻をくすぐる香りに、思いっきり息を吸い込んでだ。
「……ヒズミにとても良く似合っている。澄んだ香りに、清楚な花の柔らかさを感じる。」
傍に座っていたエストも、周囲に広がった香りを楽しんだのだろう。満足げに頷いて、目を細めている。
「……とても、良い香りです。……ずっと、香りを楽しんでいたいくらい……」
うっとりと香りに浸って紡いだ言葉に、ソバルトさんは嬉しそうに微笑んだ。
「お気に召して頂けて、嬉しゅうございます。……香水でも十分に楽しめますが、ヒズミ様は強く香るものが苦手だとおっしゃっていたので、やはりボディミストが良いでしょう」
ソバルトさんは、ボディミストを制作してくると言い、調香した香水を持って部屋の外へと出て行った。ほんの数分で、細長い瓶を持って部屋に戻って来る。
「……お待たせいたしました。こちらが、ヒズミ様だけのボディミストです。」
そう言って丁寧に布で包み、目の前に差し出された瓶の美しさに驚いた。
深い青色の液体がたっぷりと入った、片手よりやや長い瓶。銀色の蓋には、三日月と複雑な幾何学模様がうっすらと彫られている。
ガラス上部にも、三日月と小さな星が控えめに白く彫られていた。
ソバルトさんは、丁寧に紫色の箱に瓶を仕舞って銀色のリボンを施すと、エストへとその箱を渡した。
「私から、ヒズミにプレゼントさせてほしい。久々に良い光景を見れたお礼に……。」
氷の貴公子は、銀色の瞳に蕩ける様な甘い熱を映しながら、俺に妖艶に微笑んだ。氷が解けて現れた、涼やかでも艶やかな美貌は、もはや凶器だ。
こんな至近距離で、そんな微笑みをされてしまえば、男の俺でも心臓が大きく跳ねる。
「そんな……、さすがに悪い。」
月や星を思わせる銀色の瞳に、吸い込まれそうになる。呆けた中で何とか零した言葉を、エストは左右に首を緩く動かして拒んだ。
耳元に唇を近づけられ、そっと囁かれる。
「私から、ヒズミに与えたいだ。……どうか、受け取って?」
宥めつつも決して拒ませない、低く甘い声で術中へと導かれる。
鼓膜を震えさせ、思考へと入り込んできた甘い声に、ふるっと身体が戦慄いた。エストに丁寧な手つきで箱を手渡される。
気が付いたときには、相手の思うがまま。
エストであれば、それもまた良いのかもしれないと思うのは、友人よりも更に親しい、友愛に近いものを感じるからだろうか。
「……ありがとう。大切に使うよ。」
俺の言葉に満足げに頷いたエストは、ふと俺の胸元を見た。今日は暑いから、ソルに助言された通り胸元の襟を少し開けている。
琥珀色の宝石がチラリと見えるくらいに。
「……それに、これは意趣返しだからな。」
「?」
ぼそっとエストが呟いた言葉に、エストの隣にいたソバルトさんは、「おやおや。」と朗らかに笑った。
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