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雪女
やさしさに包まれて
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騒動がひと段落ついたところで、ちょっと寄り道して帰りませんか、と遥が悠弥を誘った。
小春の保育園から朝霧不動産へ戻る途中の高台に公園があった。
駐車場に車を停めて、芝生広場をぐるりと囲む遊歩道を並んで歩く。山道で肝の冷える思いをした後とあって、開けた視界と街路灯の明かりがありがたい。
「さっきは本当にありがとうございました。私、自分のことを過信していました。戻れるつもりでいたんです」
「俺も、あんなに恐ろしい場所だとは思いませんでしたよ。本気で命の危険を感じたのは初めてだったかも」
あれほどまでに一寸先も見えない暗闇は経験したことがなかったし、できればもう二度と経験したくはない。
「高原さんの連絡先を教えてもらえたのは幸運でした。そういえばあの人、電話をかけた次の瞬間に俺の後ろに居たんですよ! もう驚くのを通り越してツッコミ入れちゃいましたよ」
冗談めかした言葉に、遥は小さく、ふふっ、と笑ってくれた。
駐車場のちょうど反対側まで歩いたところが、盆地の夜景を眼下に臨む展望スペースになっている。
手前の自販機で冷たいお茶を買って、遥に手渡した。
幸いなことに、悠弥たち以外に人影はない。ベンチに並んで腰掛け、しばらく景色を眺めていた。
目まぐるしい1日だった。深呼吸をして、ようやく浮き足立っていた気持ちが落ち着くのを感じた。
「ずっと言えなかったことがあるんです……。悠弥さんも、もう気付いているみたいですけれど……」
ぽつりと語りはじめたその横顔は、微笑を浮かべているように見える。だが声は微かに震えていた。
悠弥はゆっくりと頷いて、続きの言葉を待った。
「私も……あやかしの血を引いているんです。母は、猫又という猫のあやかし。私も小春ちゃんと同じ、あやかしとの混血なんです」
遥が隠していたこと。
思い返せば、不自然なことはいくつもあった。
大袈裟なほどにあやかしの肩を持つ発言や、あやかしたちとの打ち解けかた。
山姫の迷い家まで迎えに来た白猫……。
「ごめんなさい……ずっと……黙っていてごめんなさい。騙すつもりなんてなくて……。でも、言い出すのが怖かった。悠弥さんが離れていってしまうかもって、不安だった」
上ずった声で、視線は地面に落としたまま。
「そんなことで、俺が遥さんを嫌いになるわけないじゃないですか」
顔を上げた遥の瞳が揺らぐ。
「そう……ですよね」
遥が目を細めて笑うと、同時に大粒の涙がいくつもこぼれ落ちた。
「もう、本当に私ったら、臆病で……どうしようもないですよねぇ……」
「俺がもっと早く気付いてあげられていたらよかった」
肩を抱くと、遥は少し震えていた。
「ごめん。本当に」
かぶりを振り、遥が顔を上げる。
「私、このまま悠弥さんが気づかなくてもいいかもって思っていたんです。あやかしの血筋を隠したまま、ずっと一緒にいられるなら……それでもいいかもって……」
遥の髪を撫でて、そのまま静かに抱き寄せた。
「打ち明けてくれて、ありがとう」
悠弥の胸に顔を埋めて、遥は声を上げて泣いた。
遥が泣き止むまで、悠弥はそっと抱きしめ続けた。
松本家の引越しは晴天に恵まれた。
引越し業者が到着する前の早朝、悠弥は新居の鍵を渡すために現地へ赴いた。
「朝早くにすみません、本当に……東雲さんと朝霧さんには足を向けて寝られないです」
悠弥は、そんな大袈裟な、と笑って新しい鍵を手渡した。
「あのあと小春と、もう一度ちゃんと話したんです。小春がどこまで理解できたかはわからないけど……。寂しいけど、二人でおかあさんが帰ってくるのを待とうって、決めました」
春奈が人間の姿を取り戻す方法は、結局みつからないままだった。
「何か困ったことがあったら、なんでもご相談ください。家のことでも、他の相談でも」
「ありがとうございます。小春のことで、何かと相談ごとが出てくると思うので、また寄らせてください」
武史の表情は、どこか晴れ晴れとしていた。
「おにいちゃん! こんどあそびに行くね!」
縁の下を覗いて鳴家を探していた小春が駆け寄る。
「ああ、いつでもおいで。俺も遥さんも楽しみにしてるよ。もう一人で遠くへいっちゃダメだぞ」
「うん。やくそく!」
小指をつないで、約束を交わす。
「小春ね、もうお山へは探しにいかない。おかあさん、近くにいてくれるから」
そう言って無邪気に笑う小春の髪を、季節外れの冷たい風が揺らしていった。
小春の保育園から朝霧不動産へ戻る途中の高台に公園があった。
駐車場に車を停めて、芝生広場をぐるりと囲む遊歩道を並んで歩く。山道で肝の冷える思いをした後とあって、開けた視界と街路灯の明かりがありがたい。
「さっきは本当にありがとうございました。私、自分のことを過信していました。戻れるつもりでいたんです」
「俺も、あんなに恐ろしい場所だとは思いませんでしたよ。本気で命の危険を感じたのは初めてだったかも」
あれほどまでに一寸先も見えない暗闇は経験したことがなかったし、できればもう二度と経験したくはない。
「高原さんの連絡先を教えてもらえたのは幸運でした。そういえばあの人、電話をかけた次の瞬間に俺の後ろに居たんですよ! もう驚くのを通り越してツッコミ入れちゃいましたよ」
冗談めかした言葉に、遥は小さく、ふふっ、と笑ってくれた。
駐車場のちょうど反対側まで歩いたところが、盆地の夜景を眼下に臨む展望スペースになっている。
手前の自販機で冷たいお茶を買って、遥に手渡した。
幸いなことに、悠弥たち以外に人影はない。ベンチに並んで腰掛け、しばらく景色を眺めていた。
目まぐるしい1日だった。深呼吸をして、ようやく浮き足立っていた気持ちが落ち着くのを感じた。
「ずっと言えなかったことがあるんです……。悠弥さんも、もう気付いているみたいですけれど……」
ぽつりと語りはじめたその横顔は、微笑を浮かべているように見える。だが声は微かに震えていた。
悠弥はゆっくりと頷いて、続きの言葉を待った。
「私も……あやかしの血を引いているんです。母は、猫又という猫のあやかし。私も小春ちゃんと同じ、あやかしとの混血なんです」
遥が隠していたこと。
思い返せば、不自然なことはいくつもあった。
大袈裟なほどにあやかしの肩を持つ発言や、あやかしたちとの打ち解けかた。
山姫の迷い家まで迎えに来た白猫……。
「ごめんなさい……ずっと……黙っていてごめんなさい。騙すつもりなんてなくて……。でも、言い出すのが怖かった。悠弥さんが離れていってしまうかもって、不安だった」
上ずった声で、視線は地面に落としたまま。
「そんなことで、俺が遥さんを嫌いになるわけないじゃないですか」
顔を上げた遥の瞳が揺らぐ。
「そう……ですよね」
遥が目を細めて笑うと、同時に大粒の涙がいくつもこぼれ落ちた。
「もう、本当に私ったら、臆病で……どうしようもないですよねぇ……」
「俺がもっと早く気付いてあげられていたらよかった」
肩を抱くと、遥は少し震えていた。
「ごめん。本当に」
かぶりを振り、遥が顔を上げる。
「私、このまま悠弥さんが気づかなくてもいいかもって思っていたんです。あやかしの血筋を隠したまま、ずっと一緒にいられるなら……それでもいいかもって……」
遥の髪を撫でて、そのまま静かに抱き寄せた。
「打ち明けてくれて、ありがとう」
悠弥の胸に顔を埋めて、遥は声を上げて泣いた。
遥が泣き止むまで、悠弥はそっと抱きしめ続けた。
松本家の引越しは晴天に恵まれた。
引越し業者が到着する前の早朝、悠弥は新居の鍵を渡すために現地へ赴いた。
「朝早くにすみません、本当に……東雲さんと朝霧さんには足を向けて寝られないです」
悠弥は、そんな大袈裟な、と笑って新しい鍵を手渡した。
「あのあと小春と、もう一度ちゃんと話したんです。小春がどこまで理解できたかはわからないけど……。寂しいけど、二人でおかあさんが帰ってくるのを待とうって、決めました」
春奈が人間の姿を取り戻す方法は、結局みつからないままだった。
「何か困ったことがあったら、なんでもご相談ください。家のことでも、他の相談でも」
「ありがとうございます。小春のことで、何かと相談ごとが出てくると思うので、また寄らせてください」
武史の表情は、どこか晴れ晴れとしていた。
「おにいちゃん! こんどあそびに行くね!」
縁の下を覗いて鳴家を探していた小春が駆け寄る。
「ああ、いつでもおいで。俺も遥さんも楽しみにしてるよ。もう一人で遠くへいっちゃダメだぞ」
「うん。やくそく!」
小指をつないで、約束を交わす。
「小春ね、もうお山へは探しにいかない。おかあさん、近くにいてくれるから」
そう言って無邪気に笑う小春の髪を、季節外れの冷たい風が揺らしていった。
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