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第七話 十月八日――手紙一度に三通登場

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 令和六年十月八日の午前八時四十五分。
 安曇学園では、学校の掃除は朝に行われるので、その日も掃除の生徒数名が美術室の前の廊下に向かったのだが、彼らはそこで手紙を発見した。

 恐怖し、また興奮した彼らはその手紙をスマホで撮影し、職員室に事態を報告した。田々中教頭は、その場で生徒たちに、手紙の話はまだ他の生徒にするなと伝えたのだが、遅かった。発見した生徒のひとりが、同級生へ、Xの手紙を画像で送ってしまったのだ。

 さらに、一時間目が終わったころ。
 一年生のあるクラスが、音楽室に向けて移動していたときに、廊下にある消火栓の上に、Xの手紙を発見した。

 二時間目が終わったころ。
 売店に、早くも昼食を買いに出かけた生徒たちがいたが、彼らは売店横の自動販売機、その前にXの手紙を発見した。

 一度に三通。
 どれも防犯カメラには映らない場所や、その死角に置かれてあった。

 発見された手紙は、やはり封筒やフォント、そして文章の文体から見て、Xが出したものだとみんなが判断した。つまり誰かのイタズラではない。先生たちは必死で、手紙は読まずに職員室へと指示するのだが、結局Xの手紙三通は、瞬く間に生徒の間に共有されてしまった。

 一度、流出が始まると、もう止まらない。
 十月八日の午後には、安曇学園の生徒の大半が、Xの手紙、その四通目、五通目、六通目の存在を知り、共有までしてしまった。唯一の救いは、かつて三通目の手紙がアップされたときと違って、まだネットには上がらず、生徒の間でだけ出回ったことだが――それも時間の問題で、誰かがアップしてしまう可能性は充分にある。

 もちろん僕もだ。
 授業を受けている最中に、ウグ先輩から手紙の画像が次々と送られてきたのである。



『私はこの学校の人間です。
私はこの学校の人間です。
何度も申し上げますが私はこの学校の人間です。

 念のため言っておきますが、ふざけているつもりは毛頭ありません。私は本当にどこからでも現れて、ひとを殺すつもりです。殺すべき人間をバァーッとやります。絶対です。愉快犯ではない。頭がおかしいわけでもない。確固たる信念、理由があって永谷を殺した。永谷は嫌い、大嫌い、死ぬべき最低の教師、もっと痛めつけてやればよかった。生きたまま前歯を全部、叩き折って、神経を全部引きちぎって、二度と運動なんかできない身体にしてやればよかった。そういう意味では学内で殺さず外でやればよかったのだけれど、そうするしかなかった。

 安曇学園の中で殺したことには理由がある。学園専門殺人犯Xにしか分からないことがある。警察ではXを捕まえることができない、教師でもきっとできない、誰にも出来ない、これは有能無能の問題ではない、想像力とか共感力の問題で、Xがどうしてこういうことをしているのかがお前たちには分からない、だが分かってほしい、分かってくれたらならそれはそれでXの目的も達せられる、でも分かるまい、ばあか。ばかばかばか、死んでしまえ、消えてなくなれ、安曇学園。

 私はこの学校の人間です。
 私はこの学校の人間です。
 何度も申し上げますが私はこの学校の人間です』



『私はこの学校の人間です。
私はこの学校の人間です。
何度も申し上げますが私はこの学校の人間です。

 昨日のニュースをご覧になりましたか、みなさん。見ていないのならネットでもなんでも確認するがいいでしょう。私のことを外部犯かと指摘する声が上がっていますが、ばか、ばか、それはばか。とんでもない思い違い。それはばかです。私は最初から申し上げている通り、この安曇学園の人間なのです。

 あの監視カメラに写っている男が誰かは知りませんが、私ではありません。正体不明の人物、仮にニセXと名付けておきましょうか、ニセXは私ではありません。たまたま防犯カメラに、ちらっと部外者が映ったからといって、それで私だと勘違いをするなんて、大馬鹿者としか言いようがない。ばか、ばか、ばあか。

 なんたるざまですか。マスメディアともあろうものがこの体たらくとは、そんなことだからマスゴミだのなんだのとネットでさんざん叩かれるのです。それでも一流大学を出た高学歴の集団ですが、それでも勝ち組の職業ですか。憎々しいたら、ありゃしない!

 基本から考え直していただきたい。XはXです。私だけです。この学校の人間です。そうですとも。

 私はこの学校の人間です。
 私はこの学校の人間です。
 何度も申し上げますが私はこの学校の人間です』







『私はこの学校の人間です。
私はこの学校の人間です。
何度も申し上げますが私はこの学校の人間です。

 昨日のニュースを見たのですか、みんな見ましたか。あんなのは出鱈目です、私はまったくあずかり知らぬことです。知らない。外部犯なんて知らない、あんなやつはまったく知らない。あれはカメラの故障ではないのですか。最悪だ。私は怒っている、怒っている、怒っているぞ。

 思えばいつもこうなのだ、私がなにかをやると邪魔が入る。悪意がないからなおたちが悪い、どうしてみんな、私の人生の邪魔をするのか、考えたこともないのか、私の苦しみ、私の殺意、私が殺人なんてしないとでもお思いか、やるぞやるぞ、また学校で殺人をしてやるぞ、そうするしかないなら、やるぞ。

 あなた方はみんなばかです。外部犯なんていません。あれはなにかの間違いです。ばかばかばかばあか、血まみれにしてやる、安曇学園は血だ、血だ、血だ、血だらけだ、次は廊下中にカッターナイフをばらまいてやろうか、昼間からやってやろうか、トイレのドアを開けたら殺人犯がバァー、ナイフがバァー、階段を下りていたらバァーっと出てきてやる、掃除用具入れを開けたらバァーっだ、ひとりで歩いていたらバァーッだ、グループで歩いていてもバァーっだ、出てくるぞ、出てくるぞ、Xは絶対にどこからでも出てきてやるぞ。

 次の犠牲者は誰だ?

 私はこの学校の人間です。
 私はこの学校の人間です。
 何度も申し上げますが私はこの学校の人間です』



 放課後、僕と高千穂翠は、生徒会室に集まった。
 ウグ先輩も来るかと思っていたが、来ていない。いちおうあのひとはOGだから、顔を出さなくてもいいのだけれど。むしろそれが自然なのだけれど。ウグ先輩以外の前生徒会メンバーはみんな顔も出さないもんな。

「礼の手紙、見たかい?」

「見たよ。陰山さんから送られてきた。また出たね、X」

 手紙が何度も来て、学校も慣れてしまったのか、今日は帰宅を命令されなかった。
 ただ、決してひとりにはなるなという伝達だけは来ていたが……。

 それにしても、心が鉛のように重い。
 次々と発見された手紙。Xが間違いなくこの学校にいるという事実。
 そして、これほどまでに手紙でアピールしているのだから、やはりXは学内の人間なのだろう。そう考えると肩が重くなる。では、あのカメラに写っていた外部犯は誰なのかということになると、やっぱりよく分からないのだけれども。

 やがて生徒会室には、佐久間君もやってきて、

「会長、ど、どうします、生徒会の活動は」

 オドオドしながら尋ねてきた。
 ルーズリーフとペンシルを机の上に置いてくれているが、

「活動といってもね……。いま、やるべきことってなにかあるかな」

「いちおう、ら、来月に文化祭がありますが」

「やるのかな、文化祭。各委員会や部活から申し出があったら動く、でいいんじゃないかな。Xのこともあるから……」

 僕がそう言うと、佐久間君は書記らしくペンシルを動かして、僕の言葉を記録したようだ。

「え、Xのことは、か、会長、記録しておいたほうがいいんですかね?」

「ん。いや、それは」

「生徒会とはまた別に、記録しておいたほうがいいんじゃない?」

 高千穂翠が涼しげに言った。

「いつなにかの役に立つか分からないし」

「そうだな。じゃあ佐久間君、頼む。X関連のこと、なるべく記録しておいてくれ」

「は、はい。分かりました。じゃあ、Xの手紙の画像とか、分かったこととか、記録します。書記ですから、ね。はい」

 最初はウグ先輩に巻き込まれたような感じで生徒会に入ってきた佐久間君だったが、やる気を出してきたようだ。いいことだと思う。

 だが肝心の会長である僕の心はいま、生徒会どころではなく、Xの方向に向いていた。

「午前中に発見されたXの手紙のことだけど」

 ついに、僕はその話題を口にした。

「Xは捕まりたいのか? 捕まりたくないのか? なんなんだ、あの手紙は」

 すると高千穂翠が、会話に参加してくれた。

「確かに、本当にXが学内の人間なら、外部犯だと思われていたほうがいいんだよね。警察や学校の目が、外に向かうんだから」

「けれどもXは、自分を学内の人間だとみんなに思ってほしいんだな。でも捕まりたくはない、と。その思考が分からない。誰かに罪をなすりつけたいのかと言うと、それも違う気がする……」

「な、なんとなく、手紙の文章が、こなれてきたような印象も、受けますね」

「そうかな。わたしには、逆上して小学生みたいな文章になっているとしか思えないけれど。……そういえば会長。もしかして、缶コーヒーいる?」

 そう言いながら高千穂翠が、なんとスクールバッグから、缶コーヒーを取り出してきた。

「あ、――いるいる」

 急に平和な提案が高千穂翠からなされたが、僕にとって、それはたまらなく魅力的な話だった。マグボトルの中のアイスコーヒーは、もうとっくに飲み干してしまっていたのだ。

「買ってきてくれたの? ありがとう。コーヒー代、あとで渡すから」

「百三十円ね」

 やはり奢ってはくれなかったか。
 自分で言っておきながら、心の中で、ちえっと思った。

「佐久間君、君はどうするの? ミネラルウォーターならあるけれど」

「あ、はあ、いただきます。ありがとうございます」

 かくして高千穂翠と佐久間君は、揃って水を飲み、僕はブラックの缶コーヒーをプシュッと開けて、グビリと飲む。

 これだぜ、これだぜ。脳みそが倍に増えていくような感覚がたまらない。世の中にはコーヒーは豆から挽くべしとか、ドリップにするべしとか、インスタントや缶コーヒーはコーヒーじゃないという方もいらっしゃるようだが、僕はそのあたり、こだわりがない。コーヒーはなんでもいい。ブラックでさえあれば。いいじゃないか、飲んでいる本人が美味いと思っていれば。

「……そうか」

「ど、どうしました、会長」

「いま、ふと思った。Xは学内の人間に容疑が向くように動いている、と。永谷先生を殺した犯人はもちろんXで、捕まりたくはない。けれども学内の人間に疑いの目を向けたい。そういうことなんじゃないか? だとしたら、手紙の動きがのんびりしているのもうなずけるんだ」

「どういうこと? うなずけるって」

「手紙が学内で何度も発見されたら、当然、Xは学内の人間だとみんな思うよな。まさに大切なのはその点であって、Xは、自分が学内の人間であることをアピールしたくてたまらないんだ。だから手紙が学内で発見さえすれば、それは急ぎでなくても構わない。三日後だろうか五日後だろうが、学校の中で見つかって、ああ、Xがまだ学校のどこかにいるんだと思わせれば、それでいいんだ。

 だから、今回の外部犯説について、Xは怒り狂ったと思うよ。自分を学内の人間だとアピールし続けているのに、マスコミは、どこの馬の骨か知らないが、謎の男をXだと報道している。あれは違う、とXはとにかくそう言いたい。手紙が一気に三枚も来たのは、それだけアピールしたかったんだよ。自分を学内犯だと」

「本当に、カフェインが入るだけでおしゃべりがいつもの十倍ね」

 高千穂翠が、目を丸くした。
 佐久間君も、戸惑ったような顔である。

「自分でも、おしゃべりになっているとは思うよ。コーヒーってすごいな。不思議なんだけれど、コーヒー以外じゃこうはならないんだ」

「すごいのは会長の頭脳と身体だと思うけれど。……でも、そうね、推理はうなずけるよ。Xは自分のことを、とにかく学内の人間だと思われたがっている。それがなぜかは分からないけれど」

「美術室からカッターを盗んだ理由も、きっとそこにあると思うんだ」

「どういうこと?」

「永谷先生が殺されたとき、凶器が普通の包丁だったら、外部犯の犯行かもとみんな思う。だが美術室のカッターナイフを盗んで使えば、Xの正体は内部犯だとみんなが思うだろう。学内の備品を使って殺害するわけだからね。……つまり、Xがカッターを使った理由もまた、Xの学内犯アピールのひとつに過ぎないと僕は見るわけだ」

「それだけのために? ……それだけのために、手紙を何枚も書いたり、カッターを盗んだり、そんなに手間のかかることを。そこまでして、Xが学内犯アピールをする理由は一体なんなの?」

「そこまでは分からない。だが、この事件の謎はその一点から必ず解ける。そんな気がするんだ」

「…………あっ」

 そのとき佐久間君がスマホを取り出して、わたわた操作し始めた。

「あ、う、鵜久森先輩から、メッセージ? です。珍しいな。さっきから会長にメッセージを送っているけれど反応がない。たぶん一緒にいると思うけれど、職員室に連れてきてよ、だそうです」

「メッセージ? ……ああ」

 僕はスマホを取り出して、しくじった、と思った。
 確かにウグ先輩から連絡が入っているが、推理に夢中で気が付かなかった。

「職員室なんて、なんの用事だろうな」

「分かりませんが、あ、ああ、先輩からメッセージが次々届きます。おいこら、早く来なさい、あと五秒、どっかあん、だそうで。……ああ、こんなに次々と送ってこられても困る。格安スマホだから反応悪いし。へ、返事は書けるけど送信そのものが遅い」

「もう無視してもいいと思うよ。いまから向こうに行くんだから」

「は、はい。これ、ラインってどうやって消したら、ええと、あ、スマホを消すだけでいいのか。はい、ごめんなさい、行きます」

 いまいちスマホの操作に不慣れらしい佐久間君だったが、とりあえず画面をいったん消して、ポケットに突っ込んだ。それから僕ら三人は生徒会室を出て、鍵をかけてから、職員室に向かったわけだが。

 ……え!?

 なにかいま、違和感を抱いた。
 ささいな、けれどもなにか不気味な気配。
 なにか、なにかが気になった。それがなにか、うまく言えないが、どこか――なんだ?



 職員室に入ると、片隅に置かれたソファの上に座り込み、肩をふるわせているポニーテールの女子生徒が目に飛び込んできた。

 その横にいるのは、ウグ先輩と保健の巽《たつみ》先生だ。
 ふたりとも困り顔をしている。

「やあやあ、会長たち。来たかい。佐久間君、さっきはごめんねえ。私からメッセージなんて普段はしないから、驚いたろ、はっはっは」

「は、はあ、いえ、どうも、はあ」

「あの、鵜久森先輩。僕ら、来ましたけれど。……どうしたんです?」

「見ての通りだよ。女の子が泣いている。一年三組、家庭科部の兎原美姫うさぎはらみきさんだ」

「兎原さんって……」

 どこかで聞いたような、と思っていたら、隣の高千穂翠が、

「Xの三通目の手紙を、ネットにあげたひと」

 と説明した。ウグ先輩が「そうだよ」とうなずいた。

「すごいな、副会長。よく覚えている」

「普通よ。会長、もうカフェインが切れた?」

「そうらしいな。面目ない。……それで、その兎原さんがどうしたんです?」

「泣いちゃってねえ。今日、四通目、五通目、六通目のXの手紙が、もう生徒みんなの間に出回ってしまっただろう? そんな空気になったのは、あたしのせいだ、って」

「確かにネットにアップしたのは軽率だったかもね。でも、もう済んだことだから。それに兎原さんがアップしなくても、きっと他の誰かがアップしていたよ」

 僕なりにフォローをしてみたが、兎原さんは小さくうなずいて、――かと思うと首を振って、

「でも、でも、やっぱりあたし、最低です。ふだん、ネットの炎上なんて嫌というほど見てるのに、Xの手紙を見つけた瞬間、わああって興奮しちゃって、アップしちゃって。あれのせいで、今回のXの手紙も、みんなインスタとかラインとか、アプリとかで共有するようになっちゃって、学校も本当に変なことになって」

「変なことになったのはXのせいだろう。君のせいじゃない」

「いえ、あたしのせいです!」

 兎原さんは泣き続ける。
 職員室の、他の先生たちもちょっと困ったようにこちらを見ている。
 すると巽先生が、笑いながら、

「最初は先生方も、兎原さんを慰めていたんだけれどねえ、ずっと泣いているからねえ。校長先生もいま、Xの手紙の件で、警察の方の応対をされているし。なにしろいつまでも涙が止まらないから、先生、鵜久森さんを呼んだんだけれどね、ダメでねえ。そこで生徒会のみんなを呼んで、慰めようと思ったんだけれどねえ」

「はあ」

 といっても、僕らはメンタルヘルスの人間じゃないから、兎原さんをうまく慰めるなんてできないけれど、とにかく僕は、

「兎原さん、なにか飲みたいものでもある? 奢ろうか」

「…………」

「そうだ、飲みたいものはなに? 好きなものは?」

「……コーヒー」

「わ、奇遇だな。僕もコーヒーが大好きなんだ。よし、自販機のコーヒーを飲みにいこう」

「缶コーヒーは苦手です」

 ここにいた。
 彼女、アンチ缶コーヒーか。

「先輩が奢ろうと言ってくれるのだから、貰っておけばいいじゃない。兎原さん、あなた、一年生でしょう?」

 高千穂翠が、ちょっと怖い顔をしたが、

「まあ、まあ、まあ、副会長。誰しも好みはあるものだよ。そうだ、職員室には来客用の高級アイスコーヒーがあるだろう。これを彼女にあげよう」

「鵜久森さん、あなた、どうしてそんなこと知っているの。うーん、生徒さんが職員室でコーヒーねえ。でもまあ、たまにはいいでしょう。教頭せんせえい、冷蔵庫の中のコーヒー、この子にあげてもいいですかねえ!?」

 巽先生が声を張り上げると、職員室の奥にいた教頭先生が手を挙げて、指でマルを作った。堅物一辺倒の先生かと思っていたが、案外、優しいじゃないか。

「教頭先生、今日は校長先生と一緒じゃないんですね」

「そりゃあ四六時中とはいかないよ。でもまあ、いつも一緒にいるからねえ。知っているかい、校長先生と教頭先生、小学校から一緒らしいよ。当時は一年生と六年生で、まあ親分と子分みたいなもんだったらしいけれど」

「そんな時代から一緒なんですか、すごいですね。上下関係まで一緒なんて。……あれ、ところで僕に高級アイスコーヒーは?」

「あんたはなしよ。兎原さんにだけ」

「そ、そんなぁ!! 殺生なッ!!」

 僕は情けない声をあげた。その声があまりに酷かったのか、巽先生もウグ先輩も笑い出し、高千穂翠は「声が大きい……」なんてぽつりとつぶやくし、佐久間君まで僕から顔を背けた。笑っているらしい。なんだよ、みんなで。

 でも、兎原さんまでつられて笑ってくれている。
 なら、まあいいか。

「おっ、なんか、みんなで集まってる」

「マジだ。鵜久森先輩もいる。こんにちはっす」

 声をかけられたので振り返ると、それは意外な二人組であった。
 猿田来夢と里村宗之助。二年二組のイケメンコンビが、なぜだか僕らのところにやってきたわけだが、すぐに気が付いたのは、彼らは僕らというより鵜久森先輩に話しかけてきたのである。

「やあ、イケメン君。相変わらず女の子をたらしこんでるかい」

「やめてくださいよ、自分、そんなにチャラチャラしてないですよ」

「学校がこんな事態なのに、ニコニコしながら私に声をかけてくるその態度がチャラチャラしているというのさ」

「本当よね。若いとはいえ、職員室でその態度はどうかしらねえ、あんたたち」

「笑顔なのは仕方がないっす。鵜久森先輩の顔を見られただけで、自分、もう幸せですもん」

「まーた。どう思います、先生? いつもこの調子なんですよ、このひと」

 鵜久森先輩と巽先生は、台詞とは裏腹になんだか楽しげで、猿田来夢と里村宗之助の相手をしている。僕らも目の前にいるのに、まるで蚊帳の外だ。居心地が悪いこと、この上ない。

「鵜久森先輩、生徒会の集まりっすかね。お、佐久間君もいるじゃん。どうして?」

「あ、はあ、ぼく、生徒会の書記になったので」

「マジかよ。面白いね、ははっ。――あ、自分と里村、学習委員の仕事で来たので、これで。失礼します」

 猿田と里村は、さっさと立ち去り、職員室の中にいた別の先生に話しかけ始めた。
 学習委員の仕事か。そういう仕事、サボりそうな雰囲気だけれど、やることはちゃんとやっているわけか、あのふたり。

 いや、普通だ。普通のことをしているだけだ。
 それなのに僕ときたら、どうして『見直した』みたいなテンションになっているんだか、まったく。

「それにしても鵜久森先輩、本当に顔が広いですね。猿田君とも知り合いなんですか」

 僕がそう言うと、ウグ先輩はニコニコ笑って、

「うん、これでも前生徒会長だからね。といっても、出会いはナンパみたいなもんだったよ。廊下を歩いていたら、いきなりあっちから声をかけられたから。はっはっは」

「鵜久森先輩、猿田先輩に声をかけられたんですか。いいなあ、かっこいいですよね、猿田先輩」

 兎原さんは、もう立ち直ったのか、ウグ先輩と軽快なトークを繰り広げる。

「まあ、顔はかっこいいけれどね、彼はちょっと軽すぎるよね、はっはっは。ところで佐久間君も、猿田君たちと知り合いなんだね?」

「ま、まあ、一年生のとき、同じクラスだったんで。それだけです」

 佐久間君はそう言いながらうつむいて、しかしちょっと横を向いて、まだ職員室の中にいる猿田来夢と里村宗之助に複雑な視線を送っていた。

「あらあら、ほんと、なんだか青春の光景ね。かっこいい男の子に、女の子がきゃーきゃー言って、うふふ。先生が高校生のときもそうだったわ、懐かしいわねえ」

「わたしはきゃーきゃー言っていませんけれど」

 高千穂翠は、刺々しい視線を猿田・里村ペアの背中に向けながら言った。 

「どちらかと言えば、ああいう軽そうなひとは苦手です」

「副会長、辛辣だね。はっは、そうだね、誰もが振り向くわけではないよね。うん、私だって、はっは」

「そうなんですか? そういえば鵜久森先輩って、誰かと付き合ったりしてないんですか? それこそ猿田先輩みたいなひととは、お似合いだと思いますけれど」

「ないない。……フリーだよ、フリー。素敵な男性がいたらいいんだけれどね。優しいひとがいいなあ」

「ちょっと、あなたたち。……兎原さんが立ち直ったなら、もう職員室から出ていきなさい。はい、お開き。今日も集団で下校しなさいね」

 自分もおしゃべりに加わっていたくせに、巽先生ときたら、急に僕らを追い出しにかかろうとする。まったく、いい加減なひとだ。

 仕方が無いので、僕らは職員室を出て、もうこの日はそのまま帰宅しようかとなったわけだが、しかし職員室を出る瞬間、僕は猿田来夢と里村宗之助を視界の片隅に捉えながら、ふと思った。

 あのふたり、事件当日はアリバイがなかったな。
 そして、仮に殺人事件が生徒の犯行だとしたら。
 複数犯ならば、三十分以内に可能かもしれない。そういう話だった。

 猿田と里村が、永谷先生を殺害し、その後の手紙を学内に置いていく。
 その動機は? そこが外部犯と、なにか関係しているのか?



『この話は、絶対に他言無用なんだけれど』

 僕はその日、帰宅してから、下村と陰山さんにインスタでDMを送った。

『二組の猿田君と里村君は事件当時、ふたりで二組の教室に残っていたそうだ。それを目撃したひとは、誰かいるかな? それとなく、知り合いに尋ねてくれないか』

 ふたりから返事が来たのは、揃って二時間ほど経ってからだった。
 下村からは、

『目撃者はいないみたいだな』

 と返ってきた。
 陰山さんからは、

『教室で見たひとはいない。でも、校門の近くで見たひとはいる。事件当日の夕方、猿田君と里村君ともうひとり、知らないひとが一緒にいたんだって』

「もうひとり?」

 僕は思わず声に出して、髪の毛を掻きむしってしまった。
 誰だよ、そのひとりって。もしかして例の外部犯か? それが猿田たちと一緒にいた?

 謎が謎呼ぶ、とはまさにこのことだった。
 僕は、インスタントのホットコーヒーを自分で作って飲んだが、何杯飲んでも今夜は頭がうまく回転しない。分からなかった。猿田と里村とあとひとりとは、誰だ?

 九月二十日。
 あの日、殺人事件が起きたとき。
 安曇学園で、いったいなにが起きていたんだ!?
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