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第02話 時が経てば状況も変わる
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時は新しい時間を常に刻むもの。
空から降ってきた雨が大地に落ち、岩からしみ出して川となり海に流れて行く。
種は芽を出し、花を咲かせて次の時を彩る花の種を風や虫に託し土に戻る。
昨日と今日、朝と夕方、何時だって変化は誰にでも平等に流れて行く。
アナベルもルーシュも子供のままではなく大人に成長をする。2人の見た目の変化だけではなく気持ちにも変化があるように、カトゥル侯爵家とディック伯爵家の関係性も変わってきた。
幼い頃は共に机を並べて2歳も年の差があるのに同じ講師の教えを受けた2人。
2人の違いは顕著に現れる。
講義の題材に1つの物語が取り上げられた。
取り上げられた物語は「塩と綿」という話。
重い荷物を運ぶ仕事をしていた男が、背負った塩の重さに耐えきれずよろけて川に落ちてしまう。すると背負った荷物が軽くなった。荷である塩が川の水で流れてしまったからだ。
男の仕事は荷を運ぶだけだったので、重い荷を運ぶよりは軽い荷の方が楽。
次第に男はわざと川に落ちて荷である塩を流す事を覚えた。
男が毎回川に嵌ってしまうので、荷運びを依頼していた者は「重量もあるし悪い事をしたな」と毎回川に嵌ってしまう男を気の毒に思い「運んでもらうだけだから」と塩よりも軽い綿を運んでもらう事にした。
荷を背負った男はいつものように川に来ると、荷の塩を流すために川に入る。しかし今回の中身は綿。どんどん水を吸って重くなってしまうのだった。
この話を講師が朗読し、講師の隣ではまだ8歳のルーシュ、6歳のアナベルにも理解しやすいように物語に添った絵を紙に描いたものが捲られていく。
ルーシュはその講義に出席したという事が1番に大事だと考え、その次に講義で語られた通りに理解する事で区切りをつけた。ルーシュにとっては読んだし内容はだいたい覚えているから問題ないというスタンス。
感想を求められても話の要約をさらに短くした言葉しか答えられなかった。
アナベルは出席をするのは当然とそこはルーシュと同じなのだが、その先が違った。
屋敷に戻ってからも両親、兄や姉、時に屋敷で働く執事や書記官、庭師にランドリーメイド、出入りの業者を捕まえてはそれぞれが物語をどう解釈をするのかを問う。
ルーシュのように通り一遍の者もいれば「相手先の発注に合わない分はどうしたんだろう」という書かれていない取引先への疑問を口にする者、「川に落ちないよう柵などはなかったのか」「人数を増やして分担すればいいのに」という者、「毎回ずぶ濡れで生乾きのままだったのかしらね?」生乾きの香りは一旦つくと取れないとボヤき始めるメイドなど面白い事に1つの物語でも人によって「着眼点」が違う事が楽しくて仕方がない。
何においても文面通りにしか捉えないルーシュは全てがそこでFIXするので横への広がりが無かった。逆にアナベルは1つを知るのにその周囲に興味を持ち、幅を広げていく。
アナベルは物語の趣旨である【楽をしようとすれは結果損をする】という事を知る目的以外に、塩や綿の製造や流通、使用用途、さらにそこから成分や品質と、あまりにも広げ過ぎて塩組合や繊維組合にも何度も足を運び顔パスになるほどだった。
アナベルが8歳、ルーシュが10歳で基本の学力は横ならびとなり、そこからはアナベルが追い越した。
が、両家の関係が良好だったのはこの頃まで。
ディック伯爵家はここから没落の一途を辿った。
ルーシュとアナベルの婚約は事業を行う上での政略的な意味合いで結ばれていた。
カトゥル侯爵家は大規模な治水工事と隣国の侵攻を防ぐ意味合いで河川に堤防を作る国家事業を国王から託された。その時、工事範囲の中間に大きなため池の水利権を持っていたのがディック伯爵家。
ルーシュの祖父である当時のディック伯爵が「侯爵家と姻戚関係になるのなら」と私欲を出した。
ため池に流入する水を一時堰き止めねば工事が出来ない事もあって、よく言えば事業提携、悪く言えば足元を見られて侯爵家は伯爵家と姻戚関係となる婚約を調えた。
その先代伯爵が亡くなったのはルーシュが15歳、アナベルが13歳の時。
ディック伯爵家はこの年、状況が大きく変わった。
★~★
塩を運ぶ話はイソップ物語の「塩を運ぶロバ 」を参考にしました。
空から降ってきた雨が大地に落ち、岩からしみ出して川となり海に流れて行く。
種は芽を出し、花を咲かせて次の時を彩る花の種を風や虫に託し土に戻る。
昨日と今日、朝と夕方、何時だって変化は誰にでも平等に流れて行く。
アナベルもルーシュも子供のままではなく大人に成長をする。2人の見た目の変化だけではなく気持ちにも変化があるように、カトゥル侯爵家とディック伯爵家の関係性も変わってきた。
幼い頃は共に机を並べて2歳も年の差があるのに同じ講師の教えを受けた2人。
2人の違いは顕著に現れる。
講義の題材に1つの物語が取り上げられた。
取り上げられた物語は「塩と綿」という話。
重い荷物を運ぶ仕事をしていた男が、背負った塩の重さに耐えきれずよろけて川に落ちてしまう。すると背負った荷物が軽くなった。荷である塩が川の水で流れてしまったからだ。
男の仕事は荷を運ぶだけだったので、重い荷を運ぶよりは軽い荷の方が楽。
次第に男はわざと川に落ちて荷である塩を流す事を覚えた。
男が毎回川に嵌ってしまうので、荷運びを依頼していた者は「重量もあるし悪い事をしたな」と毎回川に嵌ってしまう男を気の毒に思い「運んでもらうだけだから」と塩よりも軽い綿を運んでもらう事にした。
荷を背負った男はいつものように川に来ると、荷の塩を流すために川に入る。しかし今回の中身は綿。どんどん水を吸って重くなってしまうのだった。
この話を講師が朗読し、講師の隣ではまだ8歳のルーシュ、6歳のアナベルにも理解しやすいように物語に添った絵を紙に描いたものが捲られていく。
ルーシュはその講義に出席したという事が1番に大事だと考え、その次に講義で語られた通りに理解する事で区切りをつけた。ルーシュにとっては読んだし内容はだいたい覚えているから問題ないというスタンス。
感想を求められても話の要約をさらに短くした言葉しか答えられなかった。
アナベルは出席をするのは当然とそこはルーシュと同じなのだが、その先が違った。
屋敷に戻ってからも両親、兄や姉、時に屋敷で働く執事や書記官、庭師にランドリーメイド、出入りの業者を捕まえてはそれぞれが物語をどう解釈をするのかを問う。
ルーシュのように通り一遍の者もいれば「相手先の発注に合わない分はどうしたんだろう」という書かれていない取引先への疑問を口にする者、「川に落ちないよう柵などはなかったのか」「人数を増やして分担すればいいのに」という者、「毎回ずぶ濡れで生乾きのままだったのかしらね?」生乾きの香りは一旦つくと取れないとボヤき始めるメイドなど面白い事に1つの物語でも人によって「着眼点」が違う事が楽しくて仕方がない。
何においても文面通りにしか捉えないルーシュは全てがそこでFIXするので横への広がりが無かった。逆にアナベルは1つを知るのにその周囲に興味を持ち、幅を広げていく。
アナベルは物語の趣旨である【楽をしようとすれは結果損をする】という事を知る目的以外に、塩や綿の製造や流通、使用用途、さらにそこから成分や品質と、あまりにも広げ過ぎて塩組合や繊維組合にも何度も足を運び顔パスになるほどだった。
アナベルが8歳、ルーシュが10歳で基本の学力は横ならびとなり、そこからはアナベルが追い越した。
が、両家の関係が良好だったのはこの頃まで。
ディック伯爵家はここから没落の一途を辿った。
ルーシュとアナベルの婚約は事業を行う上での政略的な意味合いで結ばれていた。
カトゥル侯爵家は大規模な治水工事と隣国の侵攻を防ぐ意味合いで河川に堤防を作る国家事業を国王から託された。その時、工事範囲の中間に大きなため池の水利権を持っていたのがディック伯爵家。
ルーシュの祖父である当時のディック伯爵が「侯爵家と姻戚関係になるのなら」と私欲を出した。
ため池に流入する水を一時堰き止めねば工事が出来ない事もあって、よく言えば事業提携、悪く言えば足元を見られて侯爵家は伯爵家と姻戚関係となる婚約を調えた。
その先代伯爵が亡くなったのはルーシュが15歳、アナベルが13歳の時。
ディック伯爵家はこの年、状況が大きく変わった。
★~★
塩を運ぶ話はイソップ物語の「塩を運ぶロバ 」を参考にしました。
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