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本編
41 レオン
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濃い血の臭いが辺り一面に漂う中、冷たくなっていく両親を前にして、ただただ泣くことしかできなかった。
父と母と別荘地へ向かう途中で、それは起きた。
突然の襲撃。
母から馬車の座席の下に押し込められ、耳と目を塞いで震えていた。
しばらく続く、怒声と金属のぶつかり合う音。
それから、悲鳴。
それらが止み、辺りが静かになってしばらくして恐る恐る外に出ると、目にしたのは惨劇の跡だった。
近くに住む人が知らせたのか、町の自警団の人が来るまで、俺は動かない両親の傍から離れられずにいた。
両親を殺したのは、母の兄。
伯爵家を継いだ母が死ねば、自分が当主になれると思った愚かで浅はかな考えのせいだった。
帝国貴族の縁者を殺して、さすがにロズワンドの王家が傍観できるわけがなく、どうにかして伯爵家と王家に責任が向かないように躍起になっていたのは、後になって聞いた話だ。
事件直後の俺は、遺体が安置されている修道会の聖堂で、復讐することしか考えていなかった。
父と母の無念を晴らしたい。
あの時何もできなかったから、両親の仇を討つために、どんな手段ででも相手を殺す。
自分は死んだっていいと、中庭のベンチに座り、小さな手で握りしめた短剣を見つめてその手段を考えていた。
「お水を、どうぞ」
目の前に差し出されたコップ。
顔を上げると、同じ年頃の女の子が立っていた。
焦茶色の髪がふわりと揺れる。
明るいブラウンの瞳には、俺が映っている。
考えすぎて、その子の接近に全く気付かなかったようだけど、その子から感じる優しげな雰囲気は、警戒を薄れさせた。
「ありがとう……」
コップを受け取る。
「それから、お昼を一緒に食べませんか?」
女の子が手提げのカゴを少し掲げて見せながら言った。
思いもしない、突然の申し出だった。
そう言えば、最後に何かを口にしたのはいつだったか。
水の入ったコップを改めて見て、その時になって初めて自分がどれだけ渇いていたか自覚した。
「悲しくても、お腹はすくものです。心がそれに気付かない時もあるからって、私の母がよく言っていました。どんな時でも、まずは食べること」
「俺の、母もです……」
そう言って微笑んでいた母の顔を思い出して、涙が滲んだ。
「御両親との記憶は、もう、自分自身しか思い出してあげられないのです。どうか、ご自分を大切にしてください」
女の子の視線は、俺の横に置いてある短剣に向けられていた。
何かをしようとしていると、心配されていたようだ。
「隣に座ってもいいですか?」
「はい」
短剣を足元に置いて場所を空けると、女の子は俺の隣に静かに腰を下ろした。
腕に下げたカゴの中から、具が挟んであるパンを一個取り出して、俺に差し出してくる。
「ご馳走、というわけではなくて申し訳ありませんが、何も食べないよりはいいかと」
「…………ありがとうございます」
女の子の好意を、素直に受け取った。
「「いただきます」」
それを俺と女の子が同時に言ったことが何故かおかしくて、少しだけ口元を緩めながらパンを口にした。
無言で口を動かす。
隣に座る子も、必要以上には話しかけてこないから、それが心地良くて、穏やかな時間を過ごせていた。
「こちらにいらしたのですか」
パンを食べ終えた頃に男性の声が聞こえてそっちを見ると、位が高そうな神官服を着た人が出入り口に立っていた。
「あっ、ヨハンさん」
隣に座っていた女の子は、お皿代わりのナプキンに食べかけのパンを乗せてベンチに置くと、男性の所へ駆け寄って行った。
こっちに視線を向けた男性が、声を潜めて話し出す。
『エルナト様、貴女はまたご自分のお食事を……』
『お願いします、もう少しだけ……』
『時間は私が調整しますが、ですが……』
エルナト様?
聖女様……?
まさかと思って、女の子を改めて見る。
どうして聖女様が、あんな町民の方がマシなほどの格好をしているんだ?
何度も繕った形跡がある、黒い修道服を着ている。
それに……
横に置かれている食べかけの物を見る。
パンに少しの野菜とチーズを挟んだ物だ。
これも、町民が食べるような物だ。
それなりに余裕のある家庭なら、もっといい物を食べている。
自分の食事をと言っていたから、これがいつも食べているものなのか。
それを、俺に……
『ごめんなさい。私のせいで、また寄付が減らされたそうで……』
『貴女のせいではありません……』
エルナト様と、ヨハンと呼ばれた人の会話は続いていた。
それで、どんな境遇なのか推し量ることはできる。
「一人にして、ごめんなさい」
こっちに戻ってきたエルナト様は、不満のカケラも見せずに微笑みかけてきた。
ナプキンの上に置かれていた物を持って、再び食べ始める。
「いつも食事の時は一人なので、今日は貴方がいてくれてよかったです」
ニコリと笑いかけられると、一瞬、息苦しくなった。
「俺の方こそ……」
今、この時を一人で過ごしていたら何をしでかしていたか。
パンを食べ終えたエルナト様は、俺に断りを入れて、どこかへと小走りに去って行った。
両親の棺と過ごす間、礼拝堂の片隅に座り、エルナト様の姿をずっと目で追っていた。
俺だけが特別な扱いを受けたわけじゃなくて、エルナト様は、悲しみの中で慰めを求めて訪れた人に、一人一人丁寧に応じていた。
修道士に混ざり、時にはモップを持って掃除をしている、つぎはぎだらけの服を着たエルナト様の事を、誰もが聖女様その人だとは気付いていない。
極自然に人々に寄り添う姿は、俺と同じ歳のはずなのに、他者への思いやりに溢れたものだったのに、どうして彼女が、あんなにも大切にされていないのかが理解できなかった。
敬愛されて然るべき聖女であるというのに。
そんな疑問を抱きながら、エルナト様に頼まれたのだと、神官のヨハンさんにお世話になること数日。
帝国から祖父と叔父が迎えに来てくれて、両親の無念は、両者によって晴らされた。
厳しい制裁はロズワンドの王家にまで及んだと、後々聞いた。
王家の失態は、俺を聖堂に放置していたことも含まれた。
結果としてエルナト様と出会えたわけだけど、やはり俺があそこに一人でいたのは異常な状況だったようだ。
ロズワンドを離れる直前、この国の第一王子とエルナト様が婚約したと聞いた。
エルナト様の待遇は良くなるのだろうと、勝手に思っていた反面、これでもう、本当に手の届かない存在になったと、寂しい気持ちもあった。
生まれて初めて帝国へと渡った俺は、父となった祖父と兄となった叔父達に良くしてもらった。
特に、5歳年上のレインは、何をするにも俺のことを気にかけてくれて、両親にも負けないほどの愛情を注いでくれた。
ただ、もう少し大きくなって知った事だったけど、レインの生まれは少し複雑なようだった。
だからなのか、侯爵家に迷惑がかからないようにと、それだけのために生きているようなところもあって、でも、そんなレインが変わったのは、レインが一足早く騎士となり、ダイアナ様の婚約者候補に俺の名前があがるようになってからだった。
帝都に住むようになって、ずっとレインとダイアナ様と、三人で過ごしてきた。
だから、ダイアナ様が誰を見ているのか、レインが誰を想っているのか。
そばにいれば、気付かないはずがなかった。
俺は俺で彼女のことを片時も忘れることができなくて、ドールドラン大陸に最も近いあの港町での任務を希望したほどだったのに、レインまでそこについてきたのは誤算だった。
そして、あの日。
遠く離れたここに届いた情報は耳を疑った。
エルナト様が罪人として投獄されていると。
ダイアナ様の計らいもあり、すぐに高速船が星の大陸に向けて出航したが、俺達は、間に合わなかった。
彼女の遺体は無惨にも野晒しにされ、エルナト様を永久に失うことになって、滅びゆく事になるだろうドールドランに、全く同情することなどできなかった。
だから、シャーロットとして彼女と再会できた奇跡は、言葉では表せない。
出会った頃から抱いていた想いを溢れさせ、今度こそ守ると自身に誓っていた。
父と母と別荘地へ向かう途中で、それは起きた。
突然の襲撃。
母から馬車の座席の下に押し込められ、耳と目を塞いで震えていた。
しばらく続く、怒声と金属のぶつかり合う音。
それから、悲鳴。
それらが止み、辺りが静かになってしばらくして恐る恐る外に出ると、目にしたのは惨劇の跡だった。
近くに住む人が知らせたのか、町の自警団の人が来るまで、俺は動かない両親の傍から離れられずにいた。
両親を殺したのは、母の兄。
伯爵家を継いだ母が死ねば、自分が当主になれると思った愚かで浅はかな考えのせいだった。
帝国貴族の縁者を殺して、さすがにロズワンドの王家が傍観できるわけがなく、どうにかして伯爵家と王家に責任が向かないように躍起になっていたのは、後になって聞いた話だ。
事件直後の俺は、遺体が安置されている修道会の聖堂で、復讐することしか考えていなかった。
父と母の無念を晴らしたい。
あの時何もできなかったから、両親の仇を討つために、どんな手段ででも相手を殺す。
自分は死んだっていいと、中庭のベンチに座り、小さな手で握りしめた短剣を見つめてその手段を考えていた。
「お水を、どうぞ」
目の前に差し出されたコップ。
顔を上げると、同じ年頃の女の子が立っていた。
焦茶色の髪がふわりと揺れる。
明るいブラウンの瞳には、俺が映っている。
考えすぎて、その子の接近に全く気付かなかったようだけど、その子から感じる優しげな雰囲気は、警戒を薄れさせた。
「ありがとう……」
コップを受け取る。
「それから、お昼を一緒に食べませんか?」
女の子が手提げのカゴを少し掲げて見せながら言った。
思いもしない、突然の申し出だった。
そう言えば、最後に何かを口にしたのはいつだったか。
水の入ったコップを改めて見て、その時になって初めて自分がどれだけ渇いていたか自覚した。
「悲しくても、お腹はすくものです。心がそれに気付かない時もあるからって、私の母がよく言っていました。どんな時でも、まずは食べること」
「俺の、母もです……」
そう言って微笑んでいた母の顔を思い出して、涙が滲んだ。
「御両親との記憶は、もう、自分自身しか思い出してあげられないのです。どうか、ご自分を大切にしてください」
女の子の視線は、俺の横に置いてある短剣に向けられていた。
何かをしようとしていると、心配されていたようだ。
「隣に座ってもいいですか?」
「はい」
短剣を足元に置いて場所を空けると、女の子は俺の隣に静かに腰を下ろした。
腕に下げたカゴの中から、具が挟んであるパンを一個取り出して、俺に差し出してくる。
「ご馳走、というわけではなくて申し訳ありませんが、何も食べないよりはいいかと」
「…………ありがとうございます」
女の子の好意を、素直に受け取った。
「「いただきます」」
それを俺と女の子が同時に言ったことが何故かおかしくて、少しだけ口元を緩めながらパンを口にした。
無言で口を動かす。
隣に座る子も、必要以上には話しかけてこないから、それが心地良くて、穏やかな時間を過ごせていた。
「こちらにいらしたのですか」
パンを食べ終えた頃に男性の声が聞こえてそっちを見ると、位が高そうな神官服を着た人が出入り口に立っていた。
「あっ、ヨハンさん」
隣に座っていた女の子は、お皿代わりのナプキンに食べかけのパンを乗せてベンチに置くと、男性の所へ駆け寄って行った。
こっちに視線を向けた男性が、声を潜めて話し出す。
『エルナト様、貴女はまたご自分のお食事を……』
『お願いします、もう少しだけ……』
『時間は私が調整しますが、ですが……』
エルナト様?
聖女様……?
まさかと思って、女の子を改めて見る。
どうして聖女様が、あんな町民の方がマシなほどの格好をしているんだ?
何度も繕った形跡がある、黒い修道服を着ている。
それに……
横に置かれている食べかけの物を見る。
パンに少しの野菜とチーズを挟んだ物だ。
これも、町民が食べるような物だ。
それなりに余裕のある家庭なら、もっといい物を食べている。
自分の食事をと言っていたから、これがいつも食べているものなのか。
それを、俺に……
『ごめんなさい。私のせいで、また寄付が減らされたそうで……』
『貴女のせいではありません……』
エルナト様と、ヨハンと呼ばれた人の会話は続いていた。
それで、どんな境遇なのか推し量ることはできる。
「一人にして、ごめんなさい」
こっちに戻ってきたエルナト様は、不満のカケラも見せずに微笑みかけてきた。
ナプキンの上に置かれていた物を持って、再び食べ始める。
「いつも食事の時は一人なので、今日は貴方がいてくれてよかったです」
ニコリと笑いかけられると、一瞬、息苦しくなった。
「俺の方こそ……」
今、この時を一人で過ごしていたら何をしでかしていたか。
パンを食べ終えたエルナト様は、俺に断りを入れて、どこかへと小走りに去って行った。
両親の棺と過ごす間、礼拝堂の片隅に座り、エルナト様の姿をずっと目で追っていた。
俺だけが特別な扱いを受けたわけじゃなくて、エルナト様は、悲しみの中で慰めを求めて訪れた人に、一人一人丁寧に応じていた。
修道士に混ざり、時にはモップを持って掃除をしている、つぎはぎだらけの服を着たエルナト様の事を、誰もが聖女様その人だとは気付いていない。
極自然に人々に寄り添う姿は、俺と同じ歳のはずなのに、他者への思いやりに溢れたものだったのに、どうして彼女が、あんなにも大切にされていないのかが理解できなかった。
敬愛されて然るべき聖女であるというのに。
そんな疑問を抱きながら、エルナト様に頼まれたのだと、神官のヨハンさんにお世話になること数日。
帝国から祖父と叔父が迎えに来てくれて、両親の無念は、両者によって晴らされた。
厳しい制裁はロズワンドの王家にまで及んだと、後々聞いた。
王家の失態は、俺を聖堂に放置していたことも含まれた。
結果としてエルナト様と出会えたわけだけど、やはり俺があそこに一人でいたのは異常な状況だったようだ。
ロズワンドを離れる直前、この国の第一王子とエルナト様が婚約したと聞いた。
エルナト様の待遇は良くなるのだろうと、勝手に思っていた反面、これでもう、本当に手の届かない存在になったと、寂しい気持ちもあった。
生まれて初めて帝国へと渡った俺は、父となった祖父と兄となった叔父達に良くしてもらった。
特に、5歳年上のレインは、何をするにも俺のことを気にかけてくれて、両親にも負けないほどの愛情を注いでくれた。
ただ、もう少し大きくなって知った事だったけど、レインの生まれは少し複雑なようだった。
だからなのか、侯爵家に迷惑がかからないようにと、それだけのために生きているようなところもあって、でも、そんなレインが変わったのは、レインが一足早く騎士となり、ダイアナ様の婚約者候補に俺の名前があがるようになってからだった。
帝都に住むようになって、ずっとレインとダイアナ様と、三人で過ごしてきた。
だから、ダイアナ様が誰を見ているのか、レインが誰を想っているのか。
そばにいれば、気付かないはずがなかった。
俺は俺で彼女のことを片時も忘れることができなくて、ドールドラン大陸に最も近いあの港町での任務を希望したほどだったのに、レインまでそこについてきたのは誤算だった。
そして、あの日。
遠く離れたここに届いた情報は耳を疑った。
エルナト様が罪人として投獄されていると。
ダイアナ様の計らいもあり、すぐに高速船が星の大陸に向けて出航したが、俺達は、間に合わなかった。
彼女の遺体は無惨にも野晒しにされ、エルナト様を永久に失うことになって、滅びゆく事になるだろうドールドランに、全く同情することなどできなかった。
だから、シャーロットとして彼女と再会できた奇跡は、言葉では表せない。
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