しんべえ -京洛異妖変-

陸 理明

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第三話 妖怪と犬和郎

秀次の采配

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 町のものたちは仰天した。
 ただでさえ、かつて見たことのない凶暴そうな巨大獣が町中をのし歩いているというのに、普段は聚楽第の城主とは思えないほど浮名を流し遊んでいる豊臣秀次が、鎧兜に身を固め、大身の槍をかいこんだ兵を連れて乗り込んできたのだ。
 しかも、胴丸をつけた足軽二十名が鉄砲を握り、すべての火縄に火がつけられている。
 つまり、いつでも撃てるということであった。
 秀次率いる兵たちの動きは迅速だった。
 逃げ出してくる町人の波を遡り、〈無瞳子の虎〉が向かっていると思われる方角を割り出すと、邪魔をすれば斬り捨てんばかりの迫力でまっしぐらに突進していくのだ。
 いかに巨獣の恐ろしさに我を忘れていようと、完全武装の兵たちの姿に怯えないものはいない。
 激流を昇る魚のように、秀次らは三階建ての遊女屋「灘屋」に到着した。
 灘屋について秀次は詳しい。
 よく利用している遊女屋であるし、以前、ここから狙撃される親兵衛と揉めたことのある場所だからだ。
 ここの格子のない窓から、京の都を見渡すのが秀次の楽しみの一つだった。
 店先で腰を抜かしている馴染みの亡八を見つけると、

「どうなっている?」

 と、やや強い口調で問いただす。亡八は、

「でかい化け物みたいな獣がやってきて、階段を昇っていきました」
「上には誰がいる?」
「お塁が客と……」

 お塁という女郎のことは知っていた。
 同時に、お塁のおつきの禿が親兵衛と親しいということも。
 その禿――喝食と話をするためだけにお塁を座敷に呼んだことがあるぐらいだ。
 親兵衛を自分の配下に口説き落とすために、まずは周りの人間から話を聞き出そうという、以前叔父の秀吉が人をたらすのに使っていた工夫を凝らしていたのだ。
 それに、喝食本人と会話をするのもそれなりに面白かった記憶がある。

「お塁がおるとなると、あの禿もいるな」

 これは親兵衛に恩を売るよい機会だと考えた。
 どのみち、京に被害を与える妖魅を退治するのは主人たる彼の仕事だ。
 ついでに一石二鳥となればこしたことはない。
 秀次は即座に決断を下した。
 小牧・長久手での失敗のように状況に流されることは二度としない。

「槍を持った五人組は中に入って化け物を追い詰めろ。弓組は――おれとともに前の家の屋根にあがっていつでも撃てる準備をしろ。鉄砲組もだ。急げ!」

 いかに化け物退治でも、京の都で鉄砲をおいそれと撃つわけにはいかない。
 初手は弓を使うしかない。
 幸い、柳の馬場は夜でも昼間のように明るい。
 的を外すことはないだろう。
 秀次は灘屋の前の店の内部を駆けまわり、階段をのぼり、屋根に上がりやすい場所をみつけると器用に登った。
 そこからは灘屋のすべてが一望できる。
〈無瞳子の虎〉と思しき影も見えた。
 
「かなりでかいな」

 さすがは前田玄以の恐れる妖魅である。
 あんなものがどこから来たのか、普通なら想像もできない。
 巨勢金岡という画家の描いた写生画から抜け出たものとはとても信じられなかっただろう。
 確かに、あれを相手にするのならば、親兵衛やら宝蔵院胤栄やらといった個々の武力の強い討ち手か、多数の兵の力が必要になってくる。
 だが、闇雲に暴れまわるということがないのが不気味だった。
 明らかに何らかの目的をもって灘屋に入り込んでいるように見える。
 格子越しに三階に登り切ったのが見えた。
 矢で狙うにしても、格子が邪魔すぎる。
 せめて、秀次がよく使う座敷のように、広く開け放たれた窓に近寄ってくれれば。
 そう考えていると、まるで彼の願いをかなえるかのように窓に人影が現れた。
 ただの塊にしか見えなかったが、それは女郎の腰をかついで引っ張ってくる小さな禿の姿だった。
 記憶にある喝食のものだった。
 それを狙うかのように〈無瞳子の虎〉も窓側に近づいてくる。

「でかしたぞ、小娘!」

 秀次は喝食がさらに窓に寄ってくるのを期待して、弓組を配置させる。

(理由はわからんが、〈無瞳子の虎〉ヤツはあの禿を目的としているようだ。ならば、ちこう近寄ってくれば射殺せる!)

 喝食が窓口に手をかけたとき、秀次が叫んだ。

「おい、そこな禿、身を伏せよ! かかれえい、射てい!」

 一つの通りを隔てた程度の距離ならば、京都所司代の兵たちの腕をもってすれば過たず的に命中させられる。
 十数本の矢が〈無瞳子の虎〉の胴体にズドドドと突き刺さって化け物の矢衾を産み出した。

             ◇◆◇

 本能寺は正門としての東門には、秀吉の意向で外から閉鎖されていたが、他の門は内側から閂で閉められていた。
 潜り戸も同様だったが、それを忍びの術で土塀を越えて敷地内に侵入した宗矩が外し、胤栄も中に入ることができた。
 宗矩が侵入した途端、異感が首筋に忍び込んできた。
 四肢が抜けたような感覚――つま先から音が聞こえるような……
 加えて、猛烈な脱力感と眩暈。毛穴からどっと汗が吹き出す。膝をつきそうになった
 かろうじて耐えると、少しして動けるようになる。
 なのに、潜り戸から入ってきた胤栄の方はそういったそぶりも見せず、いつものままだ。
 この異感について問うと、

「妖気が漂いすぎて歪みが生じておるのだ。拙僧のように御仏にお仕えし修業を怠らなければ無事だが、、何もしておらねば影響を受ける。もしくは、人間離れの度合いによって変わるというところか」
「それを御坊に言われると堪えます」
「言うではないか」

 とはいえ、宗矩にもこの場所の異常さは理解できた。
 かの織田信長が死んだ地。
 ほとんどの建物が焼け落ち、その廃材さえも片付けられずに放置されたままのため、とても寂しい場所に見えた。
 豊臣秀吉――かつては羽柴秀吉といった天下人は、自分の主君であったものが死んだ地をどうしてこのように放置しているのか。
 信長の死体はでていないというから、捜索はしたのだろう。
 その際に死んだ者を慰めるための整理というものをする気はなかったのだろうか。
 宗矩の目には、この惨状から秀吉の信長への憎しみが読み取れた。
 さらにいえば、秀吉は主君の遺児を家臣とし、血に連なる女どもを次々に妾としているという。
 忠義敬愛の心があればできないことだ。
 
(関白は、織田さまを腹の底では憎んでいたのだろうな。そうでなければ、こんな風に放ってはおかない。意図的な無視を感じる。もののふのあはれすら感じ取れないこの有り様が、関白の本心なのだろう)

 宗矩は京に来て、豊臣家に仕えようと考えていたが、その気はなくなっていた。
 面識の出来た秀次ならばとにかく、関白秀吉には武士としての心を感じ取れないのだ。
 空っぽな虚栄心。
 なるほど、多くの名のある武将たちから、百姓あがりの猿面冠者と蔑まれていた訳が分かる。
 宗矩が仕官したくなる相手ではなかった。

(では、どなたにするか。加賀の前田か、関東の北条か。それとも、三河の徳川か……)

 さっさと声もかけずに歩いていく胤栄の後を追いつつ、そのようなことを考えて油断していると、主要伽藍のほかに高僧の住院を墓所とした塔頭たつちゅうが並んでいる。
 その中の一つ、地面が大きく掘られ、土が盛り上がっている。
 覗き込むと一人が降りられるような空間があった。
 石室のようだ

「これは巨勢家の墓か。どうやら、ここに巨勢金岡の遺した品が埋められているとみえる。噂に聞く天賦の才を持つ画家のな」

 梯子があることから降りて確認しようとした二人の周囲が翳った。
 月明かりが遮られたのである。
 何に?
 雲一つなさそうな夜空のどこに?
 
「きええいいいい!」

 宗矩は振り向きざまに抜刀した。
 新陰流に単体としての居合術はない。
 抜けば合撃で相手の手首を落とすのみ。
 だが、雷鳴の如き抜き打ちは堅い肉に食い込んだだけであった。
 その肉を持つものは……

 蝙蝠の翼の生えた馬面の巨大な”禽”であった。



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