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35 皇帝夫妻の本音
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皇帝夫妻はスクワート王子のやけどの痕を治癒した軟膏に興味を持ったらしい。
ミスティナはレイナルトと応接間に案内されてから、そのことについて熱心に質問されていた。
室内の端に四名の護衛たちが控える中、黒髪の皇帝は腕を組んでいる。
その姿は若いころ病弱だったという噂を払拭する威厳があった。
「つまりあの軟膏は、古い時代の薬術を再現したものということか。信じがたいことではあるが、スクワート王子の額に肉……いや、やけどの痕が綺麗に消えていたことも確認している」
皇帝の隣に座る長い黒髪の皇妃は、ほとんど話さなかった。
しかし警戒を解く様子もなく、ミスティナをじっと見つめている。
(レイと皇帝夫妻は、まだ一度も言葉を交わしていないわね)
皇帝は厳かに言う。
「改めて、ミスティナ王女殿下。スクワート王子があなたに対して無礼な振る舞いをしたこと、我が国からも厳粛に抗議させてもらうことにする。もともとスクワート王子は目に余る行動が多く、あの国との貿易には難があってな……」
皇帝の唸る姿を見つめたまま、ミスティナは強かに提案した。
「皇帝陛下、一度は途絶えておりましたが、ローレット王国は再びグレネイス帝国の取引相手としてお力になれるはずです。そのための用意も進めていました」
「ほお。話を聞かせてくれないか」
ミスティナは親友のフレデリカから届いた返書から、ローレット王国の鉱石産地の視察について説明する。
皇帝は興味深げな様子で質問を繰り返し、ふたりのやりとりは終始弾んだ。
(この様子だと、アランが即位してからの両国は、友好的な国交や貿易の協定が結べそうね)
話が一段落着くと、今まで黙っていたレイナルトが顔を上げる。
そしてごまかすことを許さないような、硬質な視線を皇帝夫妻に向けた。
「なぜあのような者が出席する場に、わざわざミスティナ王女を招待したのですか」
皇帝はミスティナからレイナルトに視線を移す。
先ほどまでの和やかさは消えていた。
「聞くまでもないことを。おまえがローレット王国との友好のため、ミスティナ王女を帝国に招くと言い出して、すでに半月以上が過ぎていた。帝国と王国は複雑な関係のため、事情の確認に呼んだまでだ」
「それなら俺だけに謁見の時間を設ければいいでしょう。わざわざ俺に敵意を持つものばかりの夜会に、彼女宛ての招待状を送る必要はありません。スクワート王子の件も、あなたたちは予期していたはずです」
レイナルトは皇帝夫妻と睨み合う。
応接間ではレイナルトと国王からせめぎ合うような魔力が流れ出し、室内は震えた。
「俺はこれ以上、彼女を悪趣味な場に連れてくるつもりはありません。あなたたちと当分会わせるつもりもない」
「なにを偉そうに。ローレット王国との友好とは建前で、どうせ望むまま、王女を脅迫まがいでさらったのだろう」
「それがなにか?」
「おまえのそのような振る舞いを、世界中が恐れているんだぞ! ミスティナ王女をこのまま拘束することは私が許さん!」
「俺は彼女を手放したりしません。……ティナ、もういいだろう」
レイナルトが席を立とうとしたことに気づき、ミスティナは彼の腕を取ってそれを留めた。
「皇帝陛下夫妻のご心配には及びません。レイナルト殿下は最良の方法で、私を助け出してくれただけです」
誰も予想もしなかった言葉だったらしい。
応接間が静まり返る中、ミスティナは堂々と続けた。
「レイナルト殿下がローレット王国へ送った密書は的確です。そのおかげで両国に争いはなく、誰一人血を流さず、私はグレネイス帝国へ来ることができました」
ミスティナはレイナルトから古城でもてなされた待遇、そしてローレット王国の王子アランを助け出した経緯を、彼の大胆な機転として語る。
その話術に、皇帝夫妻も驚いたように聞き入っていた。
もちろん、諸々あったレイナルトの手荒な部分はすべて省いている。
「つまりレイナルトの判断は、すべて必要な選択だったと……」
「はい。おふたりはそのようなレイナルト殿下を信頼しつつも、心配されているのですよね?」
皇帝は向かいに座る息子に視線を向ける。
レイナルトは黙ったまま、しかしミスティナを見守るようにその隣にいた。
「私たちはレイナルトがミスティナ王女を脅迫まがいで呼び出し、妻にするため強引に監禁したのだと勘ぐっていたが……。どうやら違うようだな」
その辺については、ミスティナもレイナルトも無言を貫いた。
「皇帝陛下夫妻は、もし私がレイナルト殿下の婚約者であることを拒否すれば、息子の振る舞いをたしなめようと考えられたのではありませんか? 夜会へお招きくださったのは、私たちの様子を見極めるために思えました」
皇帝夫妻は本音を言い当てられたのか、顔を見合わせながら黙り込む。
ミスティナはハンドバッグから、小さな遮光瓶を取り出した。
「私から皇帝陛下に感謝を込めて。もしよろしければ、どうぞ」
ミスティナはその瓶の粒を一粒食べて、毒ではないことを示す。
それからテーブルに薬瓶を置いた。
「これは動悸を静めるハーブ薬です。疲労回復にも効果がありますので、気軽にお使いいただけます」
皇帝は腕を組むように上着の下に忍ばせて、胸をさすっている手を止める。
先ほどまでのいかめしい顔は、恥ずかしそうに笑っていた。
「気づかれていたのか。立場上、あがり症なことは隠していたつもりだったのだが」
「それでも息子のレイナルト殿下の振る舞いが行き過ぎれば、厳しい態度でいさめようという親心が伝わりました」
「はははっ。ミスティナ王女にはなにもかも見抜かれているようで、お恥ずかしいかぎりだ!」
皇帝は毒見役も通さず、もらった薬をためらいなく飲む。
もちろんミスティナが先に口をつけているが、普段の皇帝らしからぬ振る舞いだった。
レイナルトや皇妃、背後に立つ護衛たちも驚いた様子で沈黙している。
「今まで口にすることもなかったが……私はレイナルトが強く育ってくれたことに感謝しているんだよ」
皇帝は視線を伏せたまま、今までの思いを吐露するように呟いた。
「ただそれゆえに、父親として守ってやれなかった罪悪感がある。私の代わりに手を汚し、帝国を支え続ける息子に……」
皇帝の眼差しが、ふとミスティナに向かう。
その瞳に光が宿った。
「だが久々に会ったレイナルトはどこか変わったように思う。それはミスティナ王女のおかげなのだろうな。ただ孤独に慣れすぎた愚息が妻を娶ると聞いて、どのような心境の変化かと私たちは心配していたが……」
皇帝は隣に座る皇妃と視線を交わし、信じられないといった様子で笑っている。
「あのレイナルトがねぇ……」
ぽつりと口にした皇妃に、ミスティナは微笑みかける。
「皇妃殿下、私のために招待状に同封してくださった来場者リストの同封、とても助かりました。ありがとうございます」
「……『そのくらい覚えておきなさい』という嫌味だとは、考えないのね」
「まさか! 私に将来の皇太子妃としての洗礼を体験させてくれているのだと、感謝しています」
皇妃はミスティナとレイナルトの様子を見極めるために、この夜会に招待したのだろう。
そしてミスティナが息子の妃になることを嫌がれば、今のうちに自分で引き返せるようにと、判断の場を与えようとしていた。
「皇妃殿下、お気づかいありがとうございます。よろしければ、こちらをどうぞ」
ミスティナは小さな香油瓶をいくつか出す。
そのうちのひとつを開けると、部屋に柑橘類の爽やかな香りが広がった。
「この香りにはリラックス効果があります」
皇妃の表情に、はじめて不意を付かれたような動揺が宿る。
「私が緊張していたことまで、あなたには見破られていたみたいね」
「それほどまでに、皇妃殿下は私のことを案じてくださったのですよね?」
ミスティナから笑顔を向けられ、皇妃がためらいがちに言った。
「それだけじゃないわ……。私たち、あなたに嫌われたくなかったのよ」
「え?」
「私も夫も、ずっとずっと娘ができることに憧れていたんだもの」
まったく予期していない答えに、ミスティナは目を瞬いた。
皇帝夫妻はスクワート王子のやけどの痕を治癒した軟膏に興味を持ったらしい。
ミスティナはレイナルトと応接間に案内されてから、そのことについて熱心に質問されていた。
室内の端に四名の護衛たちが控える中、黒髪の皇帝は腕を組んでいる。
その姿は若いころ病弱だったという噂を払拭する威厳があった。
「つまりあの軟膏は、古い時代の薬術を再現したものということか。信じがたいことではあるが、スクワート王子の額に肉……いや、やけどの痕が綺麗に消えていたことも確認している」
皇帝の隣に座る長い黒髪の皇妃は、ほとんど話さなかった。
しかし警戒を解く様子もなく、ミスティナをじっと見つめている。
(レイと皇帝夫妻は、まだ一度も言葉を交わしていないわね)
皇帝は厳かに言う。
「改めて、ミスティナ王女殿下。スクワート王子があなたに対して無礼な振る舞いをしたこと、我が国からも厳粛に抗議させてもらうことにする。もともとスクワート王子は目に余る行動が多く、あの国との貿易には難があってな……」
皇帝の唸る姿を見つめたまま、ミスティナは強かに提案した。
「皇帝陛下、一度は途絶えておりましたが、ローレット王国は再びグレネイス帝国の取引相手としてお力になれるはずです。そのための用意も進めていました」
「ほお。話を聞かせてくれないか」
ミスティナは親友のフレデリカから届いた返書から、ローレット王国の鉱石産地の視察について説明する。
皇帝は興味深げな様子で質問を繰り返し、ふたりのやりとりは終始弾んだ。
(この様子だと、アランが即位してからの両国は、友好的な国交や貿易の協定が結べそうね)
話が一段落着くと、今まで黙っていたレイナルトが顔を上げる。
そしてごまかすことを許さないような、硬質な視線を皇帝夫妻に向けた。
「なぜあのような者が出席する場に、わざわざミスティナ王女を招待したのですか」
皇帝はミスティナからレイナルトに視線を移す。
先ほどまでの和やかさは消えていた。
「聞くまでもないことを。おまえがローレット王国との友好のため、ミスティナ王女を帝国に招くと言い出して、すでに半月以上が過ぎていた。帝国と王国は複雑な関係のため、事情の確認に呼んだまでだ」
「それなら俺だけに謁見の時間を設ければいいでしょう。わざわざ俺に敵意を持つものばかりの夜会に、彼女宛ての招待状を送る必要はありません。スクワート王子の件も、あなたたちは予期していたはずです」
レイナルトは皇帝夫妻と睨み合う。
応接間ではレイナルトと国王からせめぎ合うような魔力が流れ出し、室内は震えた。
「俺はこれ以上、彼女を悪趣味な場に連れてくるつもりはありません。あなたたちと当分会わせるつもりもない」
「なにを偉そうに。ローレット王国との友好とは建前で、どうせ望むまま、王女を脅迫まがいでさらったのだろう」
「それがなにか?」
「おまえのそのような振る舞いを、世界中が恐れているんだぞ! ミスティナ王女をこのまま拘束することは私が許さん!」
「俺は彼女を手放したりしません。……ティナ、もういいだろう」
レイナルトが席を立とうとしたことに気づき、ミスティナは彼の腕を取ってそれを留めた。
「皇帝陛下夫妻のご心配には及びません。レイナルト殿下は最良の方法で、私を助け出してくれただけです」
誰も予想もしなかった言葉だったらしい。
応接間が静まり返る中、ミスティナは堂々と続けた。
「レイナルト殿下がローレット王国へ送った密書は的確です。そのおかげで両国に争いはなく、誰一人血を流さず、私はグレネイス帝国へ来ることができました」
ミスティナはレイナルトから古城でもてなされた待遇、そしてローレット王国の王子アランを助け出した経緯を、彼の大胆な機転として語る。
その話術に、皇帝夫妻も驚いたように聞き入っていた。
もちろん、諸々あったレイナルトの手荒な部分はすべて省いている。
「つまりレイナルトの判断は、すべて必要な選択だったと……」
「はい。おふたりはそのようなレイナルト殿下を信頼しつつも、心配されているのですよね?」
皇帝は向かいに座る息子に視線を向ける。
レイナルトは黙ったまま、しかしミスティナを見守るようにその隣にいた。
「私たちはレイナルトがミスティナ王女を脅迫まがいで呼び出し、妻にするため強引に監禁したのだと勘ぐっていたが……。どうやら違うようだな」
その辺については、ミスティナもレイナルトも無言を貫いた。
「皇帝陛下夫妻は、もし私がレイナルト殿下の婚約者であることを拒否すれば、息子の振る舞いをたしなめようと考えられたのではありませんか? 夜会へお招きくださったのは、私たちの様子を見極めるために思えました」
皇帝夫妻は本音を言い当てられたのか、顔を見合わせながら黙り込む。
ミスティナはハンドバッグから、小さな遮光瓶を取り出した。
「私から皇帝陛下に感謝を込めて。もしよろしければ、どうぞ」
ミスティナはその瓶の粒を一粒食べて、毒ではないことを示す。
それからテーブルに薬瓶を置いた。
「これは動悸を静めるハーブ薬です。疲労回復にも効果がありますので、気軽にお使いいただけます」
皇帝は腕を組むように上着の下に忍ばせて、胸をさすっている手を止める。
先ほどまでのいかめしい顔は、恥ずかしそうに笑っていた。
「気づかれていたのか。立場上、あがり症なことは隠していたつもりだったのだが」
「それでも息子のレイナルト殿下の振る舞いが行き過ぎれば、厳しい態度でいさめようという親心が伝わりました」
「はははっ。ミスティナ王女にはなにもかも見抜かれているようで、お恥ずかしいかぎりだ!」
皇帝は毒見役も通さず、もらった薬をためらいなく飲む。
もちろんミスティナが先に口をつけているが、普段の皇帝らしからぬ振る舞いだった。
レイナルトや皇妃、背後に立つ護衛たちも驚いた様子で沈黙している。
「今まで口にすることもなかったが……私はレイナルトが強く育ってくれたことに感謝しているんだよ」
皇帝は視線を伏せたまま、今までの思いを吐露するように呟いた。
「ただそれゆえに、父親として守ってやれなかった罪悪感がある。私の代わりに手を汚し、帝国を支え続ける息子に……」
皇帝の眼差しが、ふとミスティナに向かう。
その瞳に光が宿った。
「だが久々に会ったレイナルトはどこか変わったように思う。それはミスティナ王女のおかげなのだろうな。ただ孤独に慣れすぎた愚息が妻を娶ると聞いて、どのような心境の変化かと私たちは心配していたが……」
皇帝は隣に座る皇妃と視線を交わし、信じられないといった様子で笑っている。
「あのレイナルトがねぇ……」
ぽつりと口にした皇妃に、ミスティナは微笑みかける。
「皇妃殿下、私のために招待状に同封してくださった来場者リストの同封、とても助かりました。ありがとうございます」
「……『そのくらい覚えておきなさい』という嫌味だとは、考えないのね」
「まさか! 私に将来の皇太子妃としての洗礼を体験させてくれているのだと、感謝しています」
皇妃はミスティナとレイナルトの様子を見極めるために、この夜会に招待したのだろう。
そしてミスティナが息子の妃になることを嫌がれば、今のうちに自分で引き返せるようにと、判断の場を与えようとしていた。
「皇妃殿下、お気づかいありがとうございます。よろしければ、こちらをどうぞ」
ミスティナは小さな香油瓶をいくつか出す。
そのうちのひとつを開けると、部屋に柑橘類の爽やかな香りが広がった。
「この香りにはリラックス効果があります」
皇妃の表情に、はじめて不意を付かれたような動揺が宿る。
「私が緊張していたことまで、あなたには見破られていたみたいね」
「それほどまでに、皇妃殿下は私のことを案じてくださったのですよね?」
ミスティナから笑顔を向けられ、皇妃がためらいがちに言った。
「それだけじゃないわ……。私たち、あなたに嫌われたくなかったのよ」
「え?」
「私も夫も、ずっとずっと娘ができることに憧れていたんだもの」
まったく予期していない答えに、ミスティナは目を瞬いた。
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