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第4話 勇者、在りし日の己を顧みる

〜1〜

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 ここ数日、ホーリア市は雨の日が続いていた。

 この時期に冷たい雨が降り続くなんて珍しいとニーアが言っていたが、ホーリア市に着任して2ヶ月経つか経たないかの俺にはわからない。

 雨が降ろうと晴れようと、俺の仕事ぶりは変わらないから、事務所で魔術書を読んで見識を深めたり、剣の稽古をして鍛錬を積んだり、勇者として日々忙しい。
 観光客も宿から出ずに、薄暗く重い空気に満ちた街に隠れるように市民の苦情もしばらく少なかった。
 久方ぶりに穏やかに過ごせると思っていたのに、リリーナが腹が減っただの、空気がじめじめしているだの、髪が決まらないだの。ずっと、ずーっとうるさかった。

 しかし、リリーナの言う通り、雨のせいでニーアも俺も買い物が控え目になって事務所の食糧が尽きている。
 ようやく晴れた今日、ニーアと俺は街に買い物に出ていた。

「業務時間中に、私用の買い物をしていいんでしょうか?」

 雲1つ見えない青空を水溜りが映して街は眩しいほどだと言うのに、ニーアは暗い声で言った。

「これは、パトロールだ」

「……パトロール、ですか?」

「街に事件が起こっていないか、危険が迫っていないか、見守るのも勇者の仕事だ」

 俺が前世で見てきたヒーローは、8割はマントを付けて街の上空を飛んでパトロールしていた。俺も空を飛ぶくらい訳無いが、狭いホーリアの街を飛ぶと一瞬で終わってしまう。
 そんなに焦って帰らなくても、事務所にはリリーナがいる。リリーナが何の役に立つかとか、万が一の来客に対応できるかとかはさておき、一応、いる。

「では、業務時間中に勇者様が隣街まで買い物に行くのも、パトロールなんですね?」

「……」

「近隣市まで気に掛けるのは御立派ですけども、勇者様は一応ホーリア市を担当しているので、街を離れられるのは……ちょっと、どうかと思いますけど」

 ニーアはネイピアスに行ってエイリアスに会ってから、俺への厳しさに磨きがかかっている気がする。同僚と部下が切磋琢磨して互いに成長し合う。いい傾向だ。

 俺だって、業務時間中に仕事を放り投げて遊びに行く自分には、ちょっと、どうかと思っている。
 しかし、事務所にいて暇で居眠りしているくらいなら、買い物をして経済を回した方が世間の為になる。
 それに、俺は勇者だ。優秀な職員は業務時間中に何度タバコ休憩に行っても目を瞑ってもらえるのと同じで、ギリギリ許されていると思う。

「ニーアは、リリーナにくるみパン頼まれてたよな。俺は肉屋に用事があるから」

「1番街のお肉屋さんですか?私が行きますよ」

「平気だ」

 1番街の肉屋は、ホーリア市民の中でも特に俺を恨んでいて、主人の方は俺を見ると肉切り包丁を構えるし、奥様の方はある事ない事俺とニーアの悪い噂を流している。
 しかし、今は店に2人が不在なのは魔法で確認済みだ。
 ニーアはそう簡単に透視魔法を使えないから、俺が身1つで肉屋の主人と対話するつもりだと考えているらしい。俺の覚悟にはっと息を飲んで辛そうに唇を噛み締めた。

「そこまで言うのなら、ニーアは止めません……!勇者様はニーアの心の中で生き続けてますから……!」

 そう言い残して、パン屋の方に駆けて行く。
 どうやら、最悪のパターンを想定したらしい。それならもっと本気で俺を止めてくれてもいいんじゃないかと思う。


 +++++


 前世の俺は、勇者は他人の家に勝手に入ってアイテムを奪っていいんだと思っていた。
 そうでなくても、街中に宝箱があって、中の物は勇者のために準備されているから、無料で持って行っていいんだと思っていた。

 そこまで至れり尽くせりじゃなくても、街を歩いていれば誰もが好意的に声を掛けて来て、慣れ親しんだ商店街のおばちゃんのように食糧をなんでも分けてくれたり、馴染みの八百屋に顔を出せば無言で果物の1つや2つくれるものだと思っていた。

「無いよ」

 肉屋の1人娘、チコリは俺に冷たく言って、店先の商品に寄って来た野良猫をしっしと追い払う。
 腕の振り幅が大き過ぎて、俺まで追い払われているような気がするが、恐らく気のせいだ。

「無いのか?肉屋なのに?」

「だから、無いよ。聞いた事も無い。どこの料理だ?」

 チコリはニーアと幼馴染の親友だと聞いている。だから、ニーアの上司である俺に、ホーリアでは珍しく好意的だ。どれくらい好意的かと言うと、財布を持って店に来れば客扱いしてくれる程度には親しみを持って接してくれる。

「ネイピアスにはあったんだけどな」

「そんならそっちで買って来ればいいじゃないか。勇者サマなんだろ?」

 チコリが野良猫を追い払おうとホウキを伸ばした。遊んでもらっていると勘違いした野良猫がホウキにじゃれついて俺の足元に転がり、俺のマントが猫の毛で白く変わって行く。
 チコリに勇者が一時出国するのがどれだけ面倒か説明しても無駄だ。諦めて帰ろうとしたけれど、肉屋の娘らしく未知の料理に興味があったのか、チコリは結んだ前髪を揺らしながらカウンターを乗り越えて俺に顔を近づけた。

「で、そのコロッケってのは、どんな料理なんだ?」

「だから、芋と肉を混ぜて丸めた揚げ物だよ」

「肉を揚げたのなら、そこにあるだろ」

 チコリは売り物として並んでいる揚げ肉を刺した串を指差したが、俺が求めているものとは全然違う。
 ホーリア市に無いなら、自分で作るしかない。
 俺は前世では料理など滅多にしなかったが人並みに知識はあるし、この世界に生まれてからは養成学校で料理も学んだ。
 少し形は違うがじゃが芋と同じような野菜がこの世界にもある。塩も胡椒もある。芋を蒸して潰して、肉と混ぜてパン粉を付けて揚げれば、それなりに似た料理は出来るはずだ。

「で、それに使う肉は?羊?山鳥?」


 チコリに尋ねられて、俺は肉屋に並ぶ赤い塊を眺めた。
 前世では肉は綺麗に刻まれてパッキングされていた。ゾンビとして今にも蘇生しそうなくらい生前の姿を残した肉塊を見ても全然ピンと来ない。多分、兎とか熊ではなかった気がする。

「……何だと思う?」

「あんたがわかんないなら、こっちだって知らないよ」

 チコリが冷たく言って、野良猫の次は俺の頭をホウキで突き始めた。それにじゃれついて肉屋に媚びるほど、こっちは暇ではない。


「待て……あのOPを思い出せばコロッケの作り方が明らかになるはず……」

 俺は前世の四角いテレビ画面を思い浮かべて、そこに映っていた日常ロボットギャクアニメを記憶から掘り出した。
 でも、一度世界を超えているから少しも思い出せない。それなのにEDは出て来る。そっちなら今でも歌えるのに。
 俺が頭を抱えて唸っていると、痺れを切らしたチコリがホウキの柄で俺を突いて店からはじき出した。市内放送で苦情が読み上げられるコーナーが無いからといって、この肉屋は客に対する態度が酷過ぎる。

「あんたがいると、他の客が寄って来ないんだよ!ニーア!こいつ、連れてってくれ!」

 パン屋の紙袋を抱えて歩いていたニーアを見つけてチコリが怒鳴ると、ニーアはチコリと周囲の人々に一通り謝ってから俺の腕を掴んで引っ張った。

「勇者様、街の人に迷惑をかけちゃ駄目ですよ」

 ニーアはそう言って俺を引き摺って行く。
 俺は買い物してただけだ。そう訴えても、ニーアはボケた老人を相手にするように「はいはい、そうですね」と優しい口調で言いながら、握る力は全く緩めなかった。
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