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第24話 勇者、真夜中の平穏を守る
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どこかで酔っ払いが喧嘩をしていたり、オートロックで締め出された客が下着姿で途方に暮れていたり。
そういったちょっとしたいざこざを解決して報告書を出せば、勇者の仕事と認められて経費で落ちる可能性がある。
しかし、宿泊料金と比例して客のレベルも高い。柔らかい絨毯が敷かれた廊下は、時間相応に静まり返っていて不審な人影はない。少し外に出て裏通りに行けば年中観光客がトラブルを起こしているのに、どうも上手くいかないものだ。
「はーあー……どうしてこんな事になってしまったのだ……」
相変わらず被害者意識の高いコルダが、俺のマントの下で文句を言っていた。
コルダがマントに潜り込んで抱き着いているから不自然に盛り上がっているし、首の隙間から銀色の耳が飛び出している。しかし、時間的に従業員も歩いていないから誰にも見られることはない。
「この時間だと客も出歩いていないのか」
「もしかして、皆オバケに食べられちゃったのだ……あーあ、しょうがないから諦めて早く帰ろうなのだー」
コルダはずっと怯えている事に疲れて投げやりな事を言っている。せめてレストランの夕食代くらいは働いてほしいが、この様子だともう無理そうだ。
「客が行方不明になったら噂じゃなくて事件になるだろう。そんな凶暴なオバケじゃないはずだ」
「そんなの、コルダだってそう信じてるのだ。きっと、この辺りのお客さんはゼロ番街に行ってるのだ。いっぱいお金くれるお客さんはこの辺の人なのだ」
確かに、前にこのホテルに来た時、リコリスが部下を引き連れて取り立てに来ていた。ここはゼロ番街に近いから、夜はホテルにいないで外に遊びに行くのだろう。
しかし、夕方までオバケは出なかったし、夜は客は部屋の外に出て来ない。客は一体いつオバケを見ているのだろう。
そもそもリトルスクールの子供に噂が伝わっていたのは妙だ。長期滞在しない市外から来た客が、街を歩いている子供にそんな話をするだろうか。
街の人間であるホテルの従業員が漏らしたと考えるのが普通だが、デリアは知らないと言っていた。
もしかしたら、斧を持った男とか、泣き声だとか、このホテルに怨みを持つ人間が悪評を流しているのかもしれない。
兎も角、実際にオバケがいるのかどうか確かめる必要がある。俺はオバケが出そうな地下に向かおうと先程引き返した階段を下りた。
「ひぇ……っ!」
突然、コルダが息を飲んで体を固くする。耳を震わせながら俺にしがみ付く腕の力が強くなった。このままコルダが力を込め続けると俺の首が千切れる可能性がある。
「コルダ、どうした?」
「な、何でもない……!」
「地下に何かあるのか?」
「何でもない!早く、早く、帰ろう!勇者様!」
コルダの語尾が無くなってキャラを忘れるくらい焦っているから、本当に怖がっているらしい。
俺は魔術で周囲の気配を探ったが、上の階の宿泊客の気配と、従業員の気配をちらほら感じるだけだ。俺の気管を締め続けているコルダは、まさか霊感を持っているのか。獣人ならではの野生の勘というヤツか。
しかし、思い返してみると前も俺が聞こえていない音をコルダだけ聞こえていたことがあった。退魔の子のクラウィスの声だ。
「コルダ、もしかして何か聞こえているのか?」
俺の肩に顔を押し付けて震えているコルダに呼びかけると、「別に何も」と突き放した答えが返って来た。
「何か分かっているなら教えてくれないか?」
「無理……ここで認めたら、コルダは一生オバケの声が聞こえた人間として生きてかなくちゃならなくなる……そんな過酷な人生、背負いきれない……」
コルダの言い分は分かるが、そろそろ俺の首を両腕で締めるのを止めてくれないと、コルダが背負うものが増えていく。
このままコルダを連れて進むと俺の人命の危機だ。手遅れになる前に引き返そうとしたが、廊下の先にいる従業員がデリアだと気付く。
デリアは、何も無い壁の前で立っていた。地下のプールに続く廊下なのに掃除道具ではなく両手にパンを握り締めて壁の前に立っていた。
「お客様、こちらの営業時間は……」
デリアは俺に気付いて止めようとしたが、マントを着ている俺が勇者だとわかって言葉を止めた。
デリアの横に並んで壁を見ると、石積の壁の隙間から地下の空気が漏れている。
「この奥に、何かあるのか?」
デリアに尋ねても、押し黙ったままパンを握り締めている。
コルダはさっきからここに連れて来た俺を呪うように低く唸っているから、この先に何かあるのは間違いない。
「勇者様、クラウィスは?」
デリアに尋ねられて、俺はクラウィスなら事務所で元気にやっていると答えた。
今頃俺の部屋をひっくり返して大掃除していることとか、コルダとリリーナのせいで1日5回ご飯を作ることになっていることとか、俺が年中コルダのブラッシングをしているせいで事務所が毛だらけで若干キレかけていることとか、わざわざ教えることはないだろう。元気は元気だ。
「……そうですか」
デリアは俺の返事を聞くと、壁の一部をノックして、壁の石をいくつか指で押した。
それがスイッチになっていて、僅かな振動と共に壁に穴が空く。デリアに促されて下を覗くと、梯子で1階分程度地下に下りた所で横穴が伸びていた。横穴の先から微かな泣き声が聞こえて来る。静かな時に壁に近付けば、穴が閉じた状態でも聞こえるだろう。
「斧を持った男の噂を流したのは君か?」
「あれは嘘ですので、ご安心ください」
デリアはそう言って、俺に握り締めていたパンを押し付けた。
潰れたパンを受け取って梯子を下りると、暗い洞窟の壁面に小さな泣き声が響いて来て俺にもはっきり聞こえて来る。魔法で灯りを灯して洞窟を調べながら進むと、湿った石の道は何度も人が行き来した痕跡があるが、俺の頭の上辺りに蜘蛛の巣が張っていた。
横穴の先では、恐らくクラウィスやユーリよりも幼い子供が泣いている。声と一緒に冷たい湿った空気に薄っすら饐えた臭いが漂っていた。何の臭いなのか、養成校に在学していた時の仕事と、以前オグオンとやった他国干渉の記憶が蘇ってくる。
「コルダ、間違えちゃったのだ。人間だったのだ」
コルダはマントの中から頭を出して、俺の肩にアゴを乗せていた。鼻の利くコルダには、既にこの先に何があるのか気付いているはずだ。
「コルダ、部屋に戻っていてくれ」
「平気。怖くないのだ」
「後は俺がやっておくから」
「大丈夫。病気の臭いはしないのだ」
オバケが絡まないと有能なコルダがそう言うから、俺は仕方なくコルダを抱えたまま先に進んだ。
そういったちょっとしたいざこざを解決して報告書を出せば、勇者の仕事と認められて経費で落ちる可能性がある。
しかし、宿泊料金と比例して客のレベルも高い。柔らかい絨毯が敷かれた廊下は、時間相応に静まり返っていて不審な人影はない。少し外に出て裏通りに行けば年中観光客がトラブルを起こしているのに、どうも上手くいかないものだ。
「はーあー……どうしてこんな事になってしまったのだ……」
相変わらず被害者意識の高いコルダが、俺のマントの下で文句を言っていた。
コルダがマントに潜り込んで抱き着いているから不自然に盛り上がっているし、首の隙間から銀色の耳が飛び出している。しかし、時間的に従業員も歩いていないから誰にも見られることはない。
「この時間だと客も出歩いていないのか」
「もしかして、皆オバケに食べられちゃったのだ……あーあ、しょうがないから諦めて早く帰ろうなのだー」
コルダはずっと怯えている事に疲れて投げやりな事を言っている。せめてレストランの夕食代くらいは働いてほしいが、この様子だともう無理そうだ。
「客が行方不明になったら噂じゃなくて事件になるだろう。そんな凶暴なオバケじゃないはずだ」
「そんなの、コルダだってそう信じてるのだ。きっと、この辺りのお客さんはゼロ番街に行ってるのだ。いっぱいお金くれるお客さんはこの辺の人なのだ」
確かに、前にこのホテルに来た時、リコリスが部下を引き連れて取り立てに来ていた。ここはゼロ番街に近いから、夜はホテルにいないで外に遊びに行くのだろう。
しかし、夕方までオバケは出なかったし、夜は客は部屋の外に出て来ない。客は一体いつオバケを見ているのだろう。
そもそもリトルスクールの子供に噂が伝わっていたのは妙だ。長期滞在しない市外から来た客が、街を歩いている子供にそんな話をするだろうか。
街の人間であるホテルの従業員が漏らしたと考えるのが普通だが、デリアは知らないと言っていた。
もしかしたら、斧を持った男とか、泣き声だとか、このホテルに怨みを持つ人間が悪評を流しているのかもしれない。
兎も角、実際にオバケがいるのかどうか確かめる必要がある。俺はオバケが出そうな地下に向かおうと先程引き返した階段を下りた。
「ひぇ……っ!」
突然、コルダが息を飲んで体を固くする。耳を震わせながら俺にしがみ付く腕の力が強くなった。このままコルダが力を込め続けると俺の首が千切れる可能性がある。
「コルダ、どうした?」
「な、何でもない……!」
「地下に何かあるのか?」
「何でもない!早く、早く、帰ろう!勇者様!」
コルダの語尾が無くなってキャラを忘れるくらい焦っているから、本当に怖がっているらしい。
俺は魔術で周囲の気配を探ったが、上の階の宿泊客の気配と、従業員の気配をちらほら感じるだけだ。俺の気管を締め続けているコルダは、まさか霊感を持っているのか。獣人ならではの野生の勘というヤツか。
しかし、思い返してみると前も俺が聞こえていない音をコルダだけ聞こえていたことがあった。退魔の子のクラウィスの声だ。
「コルダ、もしかして何か聞こえているのか?」
俺の肩に顔を押し付けて震えているコルダに呼びかけると、「別に何も」と突き放した答えが返って来た。
「何か分かっているなら教えてくれないか?」
「無理……ここで認めたら、コルダは一生オバケの声が聞こえた人間として生きてかなくちゃならなくなる……そんな過酷な人生、背負いきれない……」
コルダの言い分は分かるが、そろそろ俺の首を両腕で締めるのを止めてくれないと、コルダが背負うものが増えていく。
このままコルダを連れて進むと俺の人命の危機だ。手遅れになる前に引き返そうとしたが、廊下の先にいる従業員がデリアだと気付く。
デリアは、何も無い壁の前で立っていた。地下のプールに続く廊下なのに掃除道具ではなく両手にパンを握り締めて壁の前に立っていた。
「お客様、こちらの営業時間は……」
デリアは俺に気付いて止めようとしたが、マントを着ている俺が勇者だとわかって言葉を止めた。
デリアの横に並んで壁を見ると、石積の壁の隙間から地下の空気が漏れている。
「この奥に、何かあるのか?」
デリアに尋ねても、押し黙ったままパンを握り締めている。
コルダはさっきからここに連れて来た俺を呪うように低く唸っているから、この先に何かあるのは間違いない。
「勇者様、クラウィスは?」
デリアに尋ねられて、俺はクラウィスなら事務所で元気にやっていると答えた。
今頃俺の部屋をひっくり返して大掃除していることとか、コルダとリリーナのせいで1日5回ご飯を作ることになっていることとか、俺が年中コルダのブラッシングをしているせいで事務所が毛だらけで若干キレかけていることとか、わざわざ教えることはないだろう。元気は元気だ。
「……そうですか」
デリアは俺の返事を聞くと、壁の一部をノックして、壁の石をいくつか指で押した。
それがスイッチになっていて、僅かな振動と共に壁に穴が空く。デリアに促されて下を覗くと、梯子で1階分程度地下に下りた所で横穴が伸びていた。横穴の先から微かな泣き声が聞こえて来る。静かな時に壁に近付けば、穴が閉じた状態でも聞こえるだろう。
「斧を持った男の噂を流したのは君か?」
「あれは嘘ですので、ご安心ください」
デリアはそう言って、俺に握り締めていたパンを押し付けた。
潰れたパンを受け取って梯子を下りると、暗い洞窟の壁面に小さな泣き声が響いて来て俺にもはっきり聞こえて来る。魔法で灯りを灯して洞窟を調べながら進むと、湿った石の道は何度も人が行き来した痕跡があるが、俺の頭の上辺りに蜘蛛の巣が張っていた。
横穴の先では、恐らくクラウィスやユーリよりも幼い子供が泣いている。声と一緒に冷たい湿った空気に薄っすら饐えた臭いが漂っていた。何の臭いなのか、養成校に在学していた時の仕事と、以前オグオンとやった他国干渉の記憶が蘇ってくる。
「コルダ、間違えちゃったのだ。人間だったのだ」
コルダはマントの中から頭を出して、俺の肩にアゴを乗せていた。鼻の利くコルダには、既にこの先に何があるのか気付いているはずだ。
「コルダ、部屋に戻っていてくれ」
「平気。怖くないのだ」
「後は俺がやっておくから」
「大丈夫。病気の臭いはしないのだ」
オバケが絡まないと有能なコルダがそう言うから、俺は仕方なくコルダを抱えたまま先に進んだ。
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