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第30話 勇者、迷い人を救う
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最近になってリュウの夜泣きは落ち着いてきたが、それは弱ってきているだけだった。ミルクも食事も口にしないし、毛の艶が無くなってパサパサしている。
俺が読むのも育児書から医学書に変わっていた。授業の合間に事務所に来てくれたニーアにリュウの世話を任せて、休憩の間、自室で養成校から持って来た医術書を広げてみる。
このままだと衰弱していくばかりだから、俺が出来る範囲で本格的な治療をしてみようか。
魔術の効きが悪い獣人の、しかも生まれて1年も経たない赤子。医術の助手が欲しいところだが、ニーアの成績は医術も底辺スレスレだ。
医術は己の知識を信じることにして、万が一の時のために白魔術師を控えさせておけば大丈夫だろう。
と、そこまで考えて、リリーナは無事だろうかと不安になる。
ポテコが言うようにちょっと説教をされてすぐに学園を追い出されたのだろうと、俺はあの後普通に学園を出て、普通にノーラとお茶をして、何事もなく事務所に戻って来てしまった。
しかし、あれからリリーナの姿を見ていない。
ニーアが言うには養成校のリリーナの授業はちゃんと開講しているらしいが、教壇に立つのはハリボテの老人か大量のネズミで、本人の姿は見ていないらしい。
まさか、人前に出て来れないくらい酷い説教をされたのか。
「……ゆ、勇者ぁ」
そんな事を考えていると、部屋のドアがノックされた。
隙間から顔を覗かせたのはリリーナだ。ちょうど探しに行こうかと考えていたから、俺は本を放り投げて立ち上がった。
「リリーナ、前はごめん。八つ当たりして悪かった」
「ううん、それは別に良いんだけど……」
リリーナは背中に何かを隠すようにして部屋に入って来た。
見た目では怪我は無さそうだし、精神異常の魔術を掛けられている様子もない。しかし、何故か泣きそうな顔している。
「あの、あのね……絶対、びっくりしないでよ」
リリーナは部屋のドアを閉めて、俺の他に誰もいないことを確認してから背中を見せる。
リリーナはいつも通り、ぶかぶかのシャツに下着しか着ていなかった。しかし、いつもと違ってそのシャツを持ち上げるように足の間から細い黒い物が伸びている。先端はリリーナの頭の上で生き物のようにゆらゆらと揺れていた。
蛇のようにも見える物体をしばらく眺めて、それがリリーナのお尻から生えているネズミの尻尾だと気付いた。
「うわ……」
グロイな、と言いかけたのを何とか飲み込む。
細い尻尾でも人間サイズになると親指くらいの太さがある。小さなネズミの時は気にならなくても、薄っすらと毛が生えた細長いものがうねうねと揺れているのは不気味だった。
「ど、どうしよう……消えなくなっちゃった……!」
我慢できなくなったのか、リリーナは声を上げて泣き出した。今まで姿を見せなかったのは、この尻尾のせいらしい。
いつも分身にネズミの姿を使っているから、中途半端に術が解けて尻尾だけ残ってしまった。そう考えるのが普通だが、リリーナはそんな単純なミスをするだろうか。
「もしもっ、こ、このまま巨大なネズミになっちゃったらどうしたらいいの……!?そしたら、あたし、一生部屋から出ないで、引き籠って暮らすからぁ!」
「落ち着け」
その生活は今とそんなに変わらないだろう、と言いそうになるのを堪えて、ベッドに突っ伏してわんわん泣き続けているリリーナの背中を見た。
突き出したお尻から尻尾が伸びて、リリーナの泣き声に合わせてくねくねと揺れている。申し訳ないと思いつつ下着をずらして確認すると、尾てい骨の辺りから生えていた。
これはもしかして本当にネズミ化が進んでいるのかと思ったが、よくよく見ると、リリーナの白い肌に薄いひっかき傷のように術式が刻まれていた。
読み解いてみると痛みを消す魔法と傷の治りを遅くする魔法に、魔力を隠す魔法もかけられている。
モベドスの理事達らしい、陰湿で随分凝った嫌がらせだ。
肌に直接魔術式を刻むなんて、単純過ぎて優秀なリリーナでも見落としていたのだろう。鏡で見ても自分では見えないところだし、気付かなくても無理はない。
「リリーナ、大丈夫だ。この術式が消えれば尻尾も無くなるはずだ」
「ほんとにぃ……?!」
「ああ、今解除してみる」
リリーナの背中に手を当てて、治癒魔術をかけてみる。仕組みがわかってしまえば簡単な術だが、侵入禁止の術に何度も邪魔をされて上手く行かない。これはウラガノが得意そうだなと考えつつも、この体勢は誰かに見られたらマズイと気付いた。
「勇者様、ヤギのミルクがいいんじゃないかってチコリが言ってるんですけど……」
ちょっと体勢を変えようと提案しようとした時、部屋のドアが開いてリュウを抱いたニーアが入って来た。
「……」
「……」
尻を出して泣いているリリーナと、その腰を掴んでいる俺。
ニーアは一瞬時が止まったかのように動きを止めたが、そのまま無言でドアを閉める。
「待て、ニーア、なにか勘違いをしている」
「いいです。もう勇者様なんて知りません」
呼びかけてもニーアは振り返らずに階段を下りて行く。怒りで泣きそうになっているこの声音は、ニーアが限界を超えようとしている時だ。
俺を無視してリビングに向かうニーアを追い駆けて、リュウを落とさない程度に腕を掴んで止める。
「俺は疚しいことは何もしていない」
「ニーアは頑張ってお世話をしているのに……!こんな所じゃ赤ちゃんを育てられませんよ」
「俺に何かされたら、リリーナはもっと騒ぐだろう」
俺はキッチンに下りて来たリリーナを指差した。尻尾が消えるとわかって安心したのか、すっかり泣き止んでいつも通り夕食のつまみ食いをしてクラウィスの邪魔をしている。
俺が赤子の世話を押し付けて女遊びをしている。そう思っていたであろうニーアは、リリーナの様子を見て表情を和らげた。事務所崩壊の危機は一先ず去ったらしい。
「確かに、それはそうですね」
「ニーアも疲れているだろう。今日は俺に任せて養成校に戻った方がいい」
「でも、勇者様に育児なんて絶対無理ですよ」
絶対無理、と言われて養成校を首席卒業した俺のプライドが傷付く。忘れそうになるが、今の俺は紛れも無くニーアの先輩だ。
大丈夫だ、と力強く頷いてニーアからリュウを受け取る。リュウは相変わらず寝ていなかったが、おしゃぶりを口に入れて大人しくしていた。団長からもらった高級ブランドのおしゃぶりは、今のところリュウが口に入れても吐き出さない唯一のものだ。
「リリーナが手伝ってくれるから、俺だけでも何とかなる」
「え?あ、うん。これを育てればいいのね。わかったわ……で、ど、どこを持てばいいの?」
我ながら無茶ブリだと思ったが、素直はリリーナは手伝う意欲はあるらしく俺が抱えたリュウを受け取ろうとした。しかし、どうやって赤子を受け取ればいいのか分からずに手を泳がせて悩んでいる。
俺は既にオムツを変えられるくらいに成長したが、最初にリュウを押し付けられた時はそんな感じだった。過去の自分を見ているようで懐かしくなる。
「わかる」
「わかるじゃなくて、どこ持てばいいのか教えなさいよ!」
リリーナが声を荒げると、それに合わせて服の下に隠れていた尻尾がピンと伸びる。口に出したらリリーナに泣かれるだろうが、この尻尾は随分リリーナに馴染んでいるように見えた。
「うわっ!リリーナさん、その尻尾どうしたんですか?!」
「その……色々事情があるのよ!生きていれば尻尾くらい生えるでしょ!」
リリーナが誤魔化している間も、その背中では尻尾がゆらゆらと揺れていた。そして、俺の腕の中で大人しくしていたリュウは、目の前で揺れる尻尾を見てランランと目を光らせる。
獣人の眠れる狩猟本能が目覚めたらしい。果たしてリリーナの尻尾に痛覚があるのだろうか、とか考えていたせいでリュウを止めるが遅れてしまった。
リュウはタオルの隙間から手を伸ばすと、リリーナの尻尾を捕まえてそのままガブリと噛み付いた。リリーナは、みぎゃー!と叫び声を上げて尻尾を大きく振ってリュウを払った。
「すごーい!リュウが自分から口に入れるなんて初めてです!リリーナさん、その尻尾、しばらく生やしておいてください!」
「嫌に決まってるでしょ!見てよ、血ぃ出ちゃったじゃない!」
リリーナの尻尾は、リュウの歯が刺さったせいで血が滲んでいた。なるほど、痛覚もあるし血も通っているらしい。リリーナの尻尾は黒いように見えて地肌は皮膚と同じ白だから、赤い血が目立っていた。
ふと気になって、俺はリュウの髪の毛をかき分けた。獣人だけあって赤子でも髪がふさふさに生えている。地肌は当然肌色だろうと思ったのに、皮膚まで焦げ茶色だ。まるで染料で雑に染めたように。
俺はキッチンのハサミでリュウの毛を束にして切った。そして、ニーアにリュウを任せて部屋に戻る。
棚から試験官やビーカーが揃った魔術実験セットを出して、毛に着いている染料を調べた。この実験セットは何よりも要らないからまず捨てろとニーアに言われたものだが、こういうものを部屋に置いておくのはロマンがあるし、一生に一度くらいは役に立つ。
染料がほぼ特定できたところで、テラスの桶に水と洗剤を流し込む。
素手で触ったら皮膚が溶けるくらい強力な洗剤だが、獣人の頑丈な毛は痛まない。桶にリュウの毛を浮かべてしばらく待つと、焦げ茶の塗料が溶け出してくる。
慎重にピンセットで毛を持ち上げると、輝くような銀色の毛に変わっていた。
「白銀種だ」
皮膚にまで染み込んで業務用洗剤で何とか落ちるレベルのものだ。そんな塗料に塗れていれば、いくら毛は無事でも中毒症状になって食事なんて出来ないだろう。
「コルダ、知ってたのか?」
テラスで寝ていたコルダは、俺が実験をしている間もずっと寝たふりを続けていた。
コルダはずっとリュウを無視して、育児に参加しなかった。しかし、初めてリュウを事務所に連れて来た時、顔も見ずにタグを見ただけで弟なんていらない、とリュウの性別が男だと当てていた。
「ここに連れて来た時に、汚いからお風呂に入れてやれって言ったよな。もしかして、最初から気付いていたのか?」
俺が答えを待っていると、コルダはうるさそうに耳を垂れて体を丸める。ふさふさの尻尾が元気を無くしてぱたりとテラスの床に広がっていた。
「……どうせ劣等種にはわからないのだ」
コルダは白銀種らしくアルルカ大臣のようなことを言ったが、なんだか最後の強がりのように聞こえて叱る気になれなかった。
俺が読むのも育児書から医学書に変わっていた。授業の合間に事務所に来てくれたニーアにリュウの世話を任せて、休憩の間、自室で養成校から持って来た医術書を広げてみる。
このままだと衰弱していくばかりだから、俺が出来る範囲で本格的な治療をしてみようか。
魔術の効きが悪い獣人の、しかも生まれて1年も経たない赤子。医術の助手が欲しいところだが、ニーアの成績は医術も底辺スレスレだ。
医術は己の知識を信じることにして、万が一の時のために白魔術師を控えさせておけば大丈夫だろう。
と、そこまで考えて、リリーナは無事だろうかと不安になる。
ポテコが言うようにちょっと説教をされてすぐに学園を追い出されたのだろうと、俺はあの後普通に学園を出て、普通にノーラとお茶をして、何事もなく事務所に戻って来てしまった。
しかし、あれからリリーナの姿を見ていない。
ニーアが言うには養成校のリリーナの授業はちゃんと開講しているらしいが、教壇に立つのはハリボテの老人か大量のネズミで、本人の姿は見ていないらしい。
まさか、人前に出て来れないくらい酷い説教をされたのか。
「……ゆ、勇者ぁ」
そんな事を考えていると、部屋のドアがノックされた。
隙間から顔を覗かせたのはリリーナだ。ちょうど探しに行こうかと考えていたから、俺は本を放り投げて立ち上がった。
「リリーナ、前はごめん。八つ当たりして悪かった」
「ううん、それは別に良いんだけど……」
リリーナは背中に何かを隠すようにして部屋に入って来た。
見た目では怪我は無さそうだし、精神異常の魔術を掛けられている様子もない。しかし、何故か泣きそうな顔している。
「あの、あのね……絶対、びっくりしないでよ」
リリーナは部屋のドアを閉めて、俺の他に誰もいないことを確認してから背中を見せる。
リリーナはいつも通り、ぶかぶかのシャツに下着しか着ていなかった。しかし、いつもと違ってそのシャツを持ち上げるように足の間から細い黒い物が伸びている。先端はリリーナの頭の上で生き物のようにゆらゆらと揺れていた。
蛇のようにも見える物体をしばらく眺めて、それがリリーナのお尻から生えているネズミの尻尾だと気付いた。
「うわ……」
グロイな、と言いかけたのを何とか飲み込む。
細い尻尾でも人間サイズになると親指くらいの太さがある。小さなネズミの時は気にならなくても、薄っすらと毛が生えた細長いものがうねうねと揺れているのは不気味だった。
「ど、どうしよう……消えなくなっちゃった……!」
我慢できなくなったのか、リリーナは声を上げて泣き出した。今まで姿を見せなかったのは、この尻尾のせいらしい。
いつも分身にネズミの姿を使っているから、中途半端に術が解けて尻尾だけ残ってしまった。そう考えるのが普通だが、リリーナはそんな単純なミスをするだろうか。
「もしもっ、こ、このまま巨大なネズミになっちゃったらどうしたらいいの……!?そしたら、あたし、一生部屋から出ないで、引き籠って暮らすからぁ!」
「落ち着け」
その生活は今とそんなに変わらないだろう、と言いそうになるのを堪えて、ベッドに突っ伏してわんわん泣き続けているリリーナの背中を見た。
突き出したお尻から尻尾が伸びて、リリーナの泣き声に合わせてくねくねと揺れている。申し訳ないと思いつつ下着をずらして確認すると、尾てい骨の辺りから生えていた。
これはもしかして本当にネズミ化が進んでいるのかと思ったが、よくよく見ると、リリーナの白い肌に薄いひっかき傷のように術式が刻まれていた。
読み解いてみると痛みを消す魔法と傷の治りを遅くする魔法に、魔力を隠す魔法もかけられている。
モベドスの理事達らしい、陰湿で随分凝った嫌がらせだ。
肌に直接魔術式を刻むなんて、単純過ぎて優秀なリリーナでも見落としていたのだろう。鏡で見ても自分では見えないところだし、気付かなくても無理はない。
「リリーナ、大丈夫だ。この術式が消えれば尻尾も無くなるはずだ」
「ほんとにぃ……?!」
「ああ、今解除してみる」
リリーナの背中に手を当てて、治癒魔術をかけてみる。仕組みがわかってしまえば簡単な術だが、侵入禁止の術に何度も邪魔をされて上手く行かない。これはウラガノが得意そうだなと考えつつも、この体勢は誰かに見られたらマズイと気付いた。
「勇者様、ヤギのミルクがいいんじゃないかってチコリが言ってるんですけど……」
ちょっと体勢を変えようと提案しようとした時、部屋のドアが開いてリュウを抱いたニーアが入って来た。
「……」
「……」
尻を出して泣いているリリーナと、その腰を掴んでいる俺。
ニーアは一瞬時が止まったかのように動きを止めたが、そのまま無言でドアを閉める。
「待て、ニーア、なにか勘違いをしている」
「いいです。もう勇者様なんて知りません」
呼びかけてもニーアは振り返らずに階段を下りて行く。怒りで泣きそうになっているこの声音は、ニーアが限界を超えようとしている時だ。
俺を無視してリビングに向かうニーアを追い駆けて、リュウを落とさない程度に腕を掴んで止める。
「俺は疚しいことは何もしていない」
「ニーアは頑張ってお世話をしているのに……!こんな所じゃ赤ちゃんを育てられませんよ」
「俺に何かされたら、リリーナはもっと騒ぐだろう」
俺はキッチンに下りて来たリリーナを指差した。尻尾が消えるとわかって安心したのか、すっかり泣き止んでいつも通り夕食のつまみ食いをしてクラウィスの邪魔をしている。
俺が赤子の世話を押し付けて女遊びをしている。そう思っていたであろうニーアは、リリーナの様子を見て表情を和らげた。事務所崩壊の危機は一先ず去ったらしい。
「確かに、それはそうですね」
「ニーアも疲れているだろう。今日は俺に任せて養成校に戻った方がいい」
「でも、勇者様に育児なんて絶対無理ですよ」
絶対無理、と言われて養成校を首席卒業した俺のプライドが傷付く。忘れそうになるが、今の俺は紛れも無くニーアの先輩だ。
大丈夫だ、と力強く頷いてニーアからリュウを受け取る。リュウは相変わらず寝ていなかったが、おしゃぶりを口に入れて大人しくしていた。団長からもらった高級ブランドのおしゃぶりは、今のところリュウが口に入れても吐き出さない唯一のものだ。
「リリーナが手伝ってくれるから、俺だけでも何とかなる」
「え?あ、うん。これを育てればいいのね。わかったわ……で、ど、どこを持てばいいの?」
我ながら無茶ブリだと思ったが、素直はリリーナは手伝う意欲はあるらしく俺が抱えたリュウを受け取ろうとした。しかし、どうやって赤子を受け取ればいいのか分からずに手を泳がせて悩んでいる。
俺は既にオムツを変えられるくらいに成長したが、最初にリュウを押し付けられた時はそんな感じだった。過去の自分を見ているようで懐かしくなる。
「わかる」
「わかるじゃなくて、どこ持てばいいのか教えなさいよ!」
リリーナが声を荒げると、それに合わせて服の下に隠れていた尻尾がピンと伸びる。口に出したらリリーナに泣かれるだろうが、この尻尾は随分リリーナに馴染んでいるように見えた。
「うわっ!リリーナさん、その尻尾どうしたんですか?!」
「その……色々事情があるのよ!生きていれば尻尾くらい生えるでしょ!」
リリーナが誤魔化している間も、その背中では尻尾がゆらゆらと揺れていた。そして、俺の腕の中で大人しくしていたリュウは、目の前で揺れる尻尾を見てランランと目を光らせる。
獣人の眠れる狩猟本能が目覚めたらしい。果たしてリリーナの尻尾に痛覚があるのだろうか、とか考えていたせいでリュウを止めるが遅れてしまった。
リュウはタオルの隙間から手を伸ばすと、リリーナの尻尾を捕まえてそのままガブリと噛み付いた。リリーナは、みぎゃー!と叫び声を上げて尻尾を大きく振ってリュウを払った。
「すごーい!リュウが自分から口に入れるなんて初めてです!リリーナさん、その尻尾、しばらく生やしておいてください!」
「嫌に決まってるでしょ!見てよ、血ぃ出ちゃったじゃない!」
リリーナの尻尾は、リュウの歯が刺さったせいで血が滲んでいた。なるほど、痛覚もあるし血も通っているらしい。リリーナの尻尾は黒いように見えて地肌は皮膚と同じ白だから、赤い血が目立っていた。
ふと気になって、俺はリュウの髪の毛をかき分けた。獣人だけあって赤子でも髪がふさふさに生えている。地肌は当然肌色だろうと思ったのに、皮膚まで焦げ茶色だ。まるで染料で雑に染めたように。
俺はキッチンのハサミでリュウの毛を束にして切った。そして、ニーアにリュウを任せて部屋に戻る。
棚から試験官やビーカーが揃った魔術実験セットを出して、毛に着いている染料を調べた。この実験セットは何よりも要らないからまず捨てろとニーアに言われたものだが、こういうものを部屋に置いておくのはロマンがあるし、一生に一度くらいは役に立つ。
染料がほぼ特定できたところで、テラスの桶に水と洗剤を流し込む。
素手で触ったら皮膚が溶けるくらい強力な洗剤だが、獣人の頑丈な毛は痛まない。桶にリュウの毛を浮かべてしばらく待つと、焦げ茶の塗料が溶け出してくる。
慎重にピンセットで毛を持ち上げると、輝くような銀色の毛に変わっていた。
「白銀種だ」
皮膚にまで染み込んで業務用洗剤で何とか落ちるレベルのものだ。そんな塗料に塗れていれば、いくら毛は無事でも中毒症状になって食事なんて出来ないだろう。
「コルダ、知ってたのか?」
テラスで寝ていたコルダは、俺が実験をしている間もずっと寝たふりを続けていた。
コルダはずっとリュウを無視して、育児に参加しなかった。しかし、初めてリュウを事務所に連れて来た時、顔も見ずにタグを見ただけで弟なんていらない、とリュウの性別が男だと当てていた。
「ここに連れて来た時に、汚いからお風呂に入れてやれって言ったよな。もしかして、最初から気付いていたのか?」
俺が答えを待っていると、コルダはうるさそうに耳を垂れて体を丸める。ふさふさの尻尾が元気を無くしてぱたりとテラスの床に広がっていた。
「……どうせ劣等種にはわからないのだ」
コルダは白銀種らしくアルルカ大臣のようなことを言ったが、なんだか最後の強がりのように聞こえて叱る気になれなかった。
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